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四国剣山にも関連する平安京の位置づけ

それでは平安京の位置がどのようにして見極められたのか、その方法論について考察してみましょう。イスラエルの首都エルサレムは、海岸線から60q内陸の盆地にあります。平安京への遷都以前、それまで都が位置していた長岡京も同様に、大阪湾と日本海側の若狭湾、双方から60qほど内陸で、三方が山々に囲まれた盆地に位置していました。ところが長岡京は、本来あるべき都の地から微妙にずれているだけでなく、聖地に大切な東方の水源が欠けていたのです。まず基準となる中心線は、伊勢神宮を基点として奈良の石上神宮を結ぶ線であり、古代社会において重要度の極めて高い2つの神社の延長線上には、後に空海の大切な拠点となる神戸の再度山、および和気清麻呂が建立した大竜寺があります。その中心線の南側に、伊勢神宮から剣山へと線を引き、それと対称する線を中心線の逆側に、伊勢神宮から北西の方向に引くと、ちょうど今の平安神宮をとおります。その対称線上に都があることが、実は重要であったのですが、長岡京はその位置からずれた場所に造営されていたのです。

空海は、和気清麻呂と共に、四国の山奥にあったと考えられる古代ユダヤの集落や、イスラエルの秘宝が埋蔵されたのではないかという噂の絶えない剣山、そして神宝に関する記述が史書にも多く見られる伊勢神宮、および石上神宮の地理的な位置関係が、幾何学的要因をもって結ばれていることを理解していました。そのため、理想郷としての都の位置は、伊勢神宮と剣山を結ぶ線とは対称的な線上に位置し、しかも山々に囲まれた地であり、さらにエルサレムと同様に北東に湖が存在する場所であるべきことを求めたのです。和気清麻呂は長岡京から北東におよそ12q離れた場所に、これらの諸条件を満たす聖地を見出し、新しい都、「平安京」となるべく地として見定めました。そして空海もその諸条件を十分に理解していたからこそ、後にその伊勢神宮と剣山を結ぶ線を基準に、平安京とはちょうど対称となる線上で、しかも伊勢神宮から平安京までの距離と完璧なまでに一致した位置に、自らの人生を全うするための生涯の拠点である高野山を造りあげたのです。

こうして、長岡京を呪いから短期間で解放するための施策を心得ていた空海は、天皇のさらなる熱い信望を受けることとなり、側近として活躍することになります。そして和気清麻呂は平安京の造営に、空海は怨霊の呪縛からの解放と神宝の取り扱いについて専念し、其々が得意とする分野において国家と天皇家の安泰を心から願いつつ、全身全霊を尽くして桓武天皇にお仕えしたのです。