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平安初期を賑わす怨霊の大問題

短期間に二度にわたる遷都が繰り返された歴史の背景には、怨霊からの解放という問題が潜んでいました。せっかく平城京から長岡京に遷都したものの、直後から怨霊の噂が絶えず、悪夢や天変地異、身の回りのさまざまな不幸に桓武天皇は悩み、怯える日々を過ごしていました。そのため、再度、都の造営が目論まれ、遷都にふさわしい新天地を求めた結果、平安京の地が和気清麻呂により提言されたのです。つまり、平安京遷都の一大テーマは、怨霊と祟りからの解放だったのです。そして天皇の命により、あらゆる手段を用いて平安京を鎮護する術が尽くされました。

まず遷都の立地条件においては、中国古来の教えである「四神相応」に基づき、東西南北が四神によって守護され、形勝の地を成すものとしました。前述したとおり、四国剣山と伊勢神宮、さらに石上神宮を結ぶ線、そして高野山との地理的関連性も考慮され、お互いの距離関係も重視されました。その結果、特定された平安京の地は、鴨川の清流が「青龍」(せいりゅう)の象徴として東に存在し、都の邪気を逃す山陰道が「白虎」(びゃっこ)の象徴として西に、また南には川が注ぎ込む巨椋池の「朱雀」(すざく)、北には「玄武」(げんぶ)と呼ばれる亀と蛇を合体した守護神が守る船岡山の丘陵と、「四神相応」の理想的郷であったのです。

また、都を鎮護して怨霊の仕業である天変地異や不幸から身を守るためには、都の四方を寺社で守ることも重要でした。そこで桓武天皇は、都の東西南北に大将軍神社を建立し、神々の中でも強大な力が崇拝されてきたスサノオノミコトを祀ることによって厄払いをし、平安京を鎮護する礎としました。そして古代より崇拝されて来た磐倉の巨石も、都の東西では観勝寺と金蔵寺、南北では明王院不動寺と山住神社に祀ることにより、都全体を大将軍と岩の神によって二重に加護することを目論みました。さらに東西北三方を山に囲まれた平安京の南側を守る官設寺院として、796年には東寺が創建されたのです。この東寺こそ、823年に嵯峨天皇より空海に下賜され、五重塔が建立された、後の真言密教の根本道場です。

最後に特筆すべきは鬼門を守る延暦寺の存在です。遷都直前の788年、最澄が開いた一乗止観院を起源として創建された延暦寺は、陰陽道の鬼門にあたる都の東北部に位置します。鬼が出入りすると考えられた鬼門を恐れた桓武天皇は、数多くある寺社の中でも延暦寺を最重要視し、そこで頻繁に加持祈祷が執り行われました。奈良の南都仏教勢力を逃れて遷都を決断した桓武天皇だけに、神のご加護を求めるにしても、奈良仏教の要素を極力排除しようとしたことは想像するに難しくありません。しかし怨霊を封じるためには、磐倉と大将軍神社、および延暦寺の加持祈祷だけでは足りないと考えたのでしょうか、例外措置として守護神の象徴である毘沙門天を、都の北は鞍馬寺に、南は羅城門にも置きました。こうして、平安京は造営当初から多くの神々によって守護されるようになったのです。