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聖地の中心となる淡路島に紐付けられた邪馬台国

淡路島から見える邪馬台国とは

これまで、伊弉諾尊ら古代の聖人が、日本列島の山や岬、中心となる神籬石などの指標を用いて、列島内の拠点をどのように見出してきたかを解説してきました。当初、それら拠点の殆どは海沿い近辺に見出されていることから、まずは港の地を定め、その周辺に神を祀る聖地を特定することが急務であったことがわかります。複数の聖地が見出された理由は、列島内に住む民が至る場所において神を礼拝するだけでなく、エルサレム宮殿に準じた聖なる宮を造営するためには、島々の要所をまず聖地化して、神の民の支配下に置く必要があったからです。こうして伊弉諾尊は多くの聖地を見出した後、自身は淡路島の幽宮にて生涯を全うし、神殿の造営に関する使命は後世に託されたのです。

さて、イザヤに先導されて列島に渡来したイスラエルの民は、諸々の神宝を携えて海を渡ってきたと考えられます。神宝こそ神の臨在の証であり、イスラエルの民族が移動する際に携行することは不可欠でした。そのイスラエルの神宝は、国家が前6-8世紀に崩壊してから後、いまだに行方がわからないままであり、歴史の謎とも言われています。ところが、それら神宝が聖櫃を含め、日本列島に持ち込まれている可能性があります。もしそれが事実とするならば、それら神宝は人の手が届きにくい、安全な場所に秘蔵されたに違いありません。未知の島々にて、島の住民からの攻撃を受けることなく、ましてや神宝が盗難されることなど決して無い場所を確保することは容易ではなかったでしょう。しかもその場所は、列島内に見出された諸々の聖地に紐付けられていることが求められたのです。

「東の島々」を訪れる前から、イスラエルの民が預言者イザヤを通じて学んだ目的地のイメージは、高い山にて神の降臨を待つというビジョンでした。神が預言者イザヤに語られたメッセージには、「東の島々」の高き山にて民衆が神を崇め祀ることが強調されていたのです。では、どの山なのでしょうか。最高峰の富士山は遠すぎるだけでなく、標高が高すぎて集落を造成することができません。伊弉諾神宮から北東50kmにある六甲山は逆に標高が低すぎ、周辺近くには平野が広がるため、堅固な社の拠点を造営するには不安が残ります。また、淡路島から東南方向には紀伊の山々が広がるものの、そこには聖地の指標となる山の存在を当時は見出すことができませんでした。残るは南西方向に見える四国の連山です。

淡路島からは四国の山々の頂きを眺めることができ、天候に恵まれた日には西日本第二の高山、剣山の頂上さえも遠くに見ることができます。西日本最高峰の石鎚山は、標高こそ剣山より27m高いものの、淡路島からは見ることができず、また、石鎚山は頂上周辺が大変険しく、周辺に集落を造成することが困難です。それに比べ、剣山周辺は淡路島に近いだけでなく、高地性集落を造成しやすいなだらかな地域が、山の周辺に多く見出されたのです。しかしながら山頂へのアクセスは急斜面に阻まれて難しく、剣山の麓周辺に辿りつくだけでも、四国の沿岸からは徒歩で1カ月程の時間を要するほどでした。この極めて困難な陸路が効を奏し、神宝という貴重な宝蔵物を奉納して外敵から守る為には、むしろ最適な場所として考えられたのです。

神宝を携えてきたイスラエルの民は、神の命に従って列島の中心、淡路島から見える一番高い山を目指して進み、その山の麓周辺に集落を造成したのです。その山の名前が剣山です。やがて山上の集落は発展を遂げ、時代の流れとともにそれが邪馬台国の前哨となり、後の巨大集落へと変貌を遂げていくのです。

古代日本列島の指標線と邪馬台国の位置

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