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元伊勢と伊吹山のレイライン 御巡幸地を見出すための指標となった霊峰とは

滋賀県の最高峰である伊吹山は、古代から比類なき霊峰として崇められてきました。標高1,377mを誇る伊吹山頂は、琵琶湖の西岸や東方の岐阜など周辺の平野部から眺めることができる、神が宿る山として知れ渡ったのです。その地勢の特異性に目を留めた古代の識者らは、御巡幸地を定めるための指標としても積極的に伊吹山を用いたようです。その結果、坂田宮に続く元伊勢の御巡幸地の中には、伊吹山とレイライン上で結び付く聖地が少なくありません。

伊吹山は日本書紀の中で「五十葺山」とも記されていることから、元来は「いそぶき」と呼ばれていた時代もあったようです。「イソ」「五十」という名のルーツには、海人豪族とイスラエルが絡んでいる可能性があります。琵琶湖の西方には安曇川が流れ、周辺には船木関も複数存在したことから、古代では渡来系の海人豪族がその地域一帯を拠点としていたと考えられています。安曇氏の祖神は海の神、神道の神である阿曇磯良(あずみのいそら)、磯武良(いそたけら)です。安曇氏の伝承が残されている対馬の和多都美神社では、三柱鳥居の中に磯良恵比須の岩が祀られています。これら多くの「いそ」という呼び名は、イスラエルの「イス」に由来するものではないでしょうか。

「イスラエル」とは、ヤコブが神と取っ組み合いをして勝ったことから、「神が戦う」、「神に勝つ」、「神の皇子」もしくは「神が支配する」という意味であるというのが一般的な見解ですが、定説には至っていません。いずれにしても、神の祝福を得ながら神の支配下において国家の安泰を願う意味が込められている言葉に違いはなく、「磯」「磯良恵」「五十」「五十鈴」が、イスラエルの「イス」に関連している可能性があります。五十葺山とも呼ばれた伊吹山が命名された背景にも同様に、古代イスラエルの知恵が絡んでいたかもしれません。

海人豪族は高度な航海技術と造船の経験をもって大陸より渡来したと考えられています。安曇氏や船木氏もその例に漏れません。日本書紀によると、天智天皇の時代に百済から多くの渡来人が蒲生郡に移住してきたという記載が見られます。当時の琵琶湖周辺は湿地帯であった故に、土木・灌漑の技術を持つ渡来系の民は琵琶湖界隈でも集落を形成することができたのです。琵琶湖の東南、桐原郷は渡来系の大友曰佐の本拠地であり、古代では琵琶湖西方の志賀郡大友郷(大津市)にも拠点を持っていました。新撰姓氏録には「大友氏百済国人」と記されていることから、大友氏も渡来系であることに違いはなく、周辺の遺跡から発掘された遺物や、特殊な構造の横穴式石室を有する墓の構造からも、渡来系の民が多く居住していたことがわかります。その他にも穴太氏、志賀氏、三津首氏、西織氏などの渡来系氏族の名が知られています。

これだけ多くの豪族が大陸より海を渡って渡来してきた訳ですから、その中にイスラエル系の民族が絡んでいると考えても何ら不思議はありません。いずれにしても、蒲生郡が位置する琵琶湖の東方では、古代から渡来系氏族が地域一帯を占めるようになり、古代文化の発展の担い手となったのです。

その琵琶湖に隣接する最高峰が伊吹山です。そして神が宿る山として頭ひとつ抜きん出ていたからこそ、伊吹山は列島の指標と絡んでレイラインを構成するための要因となることが多く、元伊勢御巡幸地を特定する際にも頻繁に用いられました。そこで今一度、古代の人々が伊吹山を指標として、琵琶湖東方にある坂田宮から続く元伊勢御巡幸地や周辺の聖地をどのように特定したのか、レイラインを考察しながら振り返ってみることにします。

元伊勢の行程を占う伊吹山のレイライン

伊吹山のレイライン
伊吹山のレイライン

伊吹山は多くのレイラインが交差する中心点です。中で最も重要な線が、富士山と出雲の八雲山を結ぶ線です。このレイラインは、その途中で近畿の霊峰として名高い伊吹山と琵琶湖の竹生島(ちくぶしま)を通り抜けます。その富士山のレイラインと交差するもう1本の重要な線が、伊吹山と剣山を結ぶレイラインです。その線上には元伊勢の御巡幸地である坂田宮が存在することから、このレイラインが坂田宮の御巡幸地を特定する際に用いられ、伊吹山と剣山という2つの霊峰の力を吸収することが目論まれたと推測されます。この2本のレイラインが交差する伊吹山は、富士山、八雲山、剣山という名高い3霊峰の地の力を共有するもうひとつの霊峰として崇められたのでしょう。

また、造船技術で抜きん出ていた豪族である船木氏の本拠地となった本巣郡の船来山と、宗像大社中津宮を結ぶレイラインが伊吹山を通り抜けることにも注目です。古代、列島周辺を船で行き来した海人豪族は、当初、対馬から宗像にかけて拠点を広げた後、瀬戸内を東方へと向かい、淡路島を越えて琵琶湖周辺にまで辿り着いたのです。中には率先して琵琶湖の東方にも拠点を広げる氏族も存在し、船木氏のように本巣郡の船木を本拠地として、地域周辺に様々な貢献をする氏族も歴史に名乗りを上げるようになります。

伊吹山のレイライン(拡大図)
伊吹山のレイライン(拡大図)
伊吹山は坂田宮に限らず、その後の元伊勢御巡幸の地を特定するための指標としても用いられました。まず、伊吹山と静岡の焼津近郊、太平洋岸に面した虚空蔵山(こくぞうさん)を結ぶレイラインに注目してみましょう。虚空蔵山は静岡県の瀬戸川河口の北側に位置する小高い山であり、その対岸には宗像神社があります。下田市には船木の拠点もあることから、河口周辺の地域一帯には古くから海人族が住み着いていたのです。そして坂田宮に続く御巡幸地が、この虚空蔵山と伊吹山を結ぶレイライン上に2社、並んでいます。伊久良河宮に比定される宇波刀神社と、次の中嶋宮に比定される酒見神社は確かにレイライン上に一列に並び、綿密に地勢に絡むレイラインを検証した結果であることを証しているようです。

その宇波刀神社は本巣郡の船来山と南北に渡り、同経度線上に並んでいます。このレイラインはちょうど宇波刀神社の地点で、伊吹山と虚空蔵山を結ぶレイラインと交差しています。宇波刀神社は船木山、伊吹山、虚空蔵山を指標としてその社の場所が特定されたと考えられます。また、伊久良河宮の比定地候補の次点として挙げられている神戸町の宇波刀神社と天神神社は、伊吹山と同緯度線上に並んでいます。これらは安八町の宇波刀神社が設立された後、伊吹山の緯度線に繋がる神社が待望された結果、新たに建立されたと推測されます。

伊吹山と伊久良河宮、中嶋宮を一直線に結ぶ線上にある虚空蔵山は、一般的にあまり知られていませんが、元伊勢御巡幸の時代では、にわかに脚光を浴びていたようです。虚空蔵山は今日、全国に少なくとも17か所あり、その多くが海岸近くか、大河沿いに位置しています。日本列島各地に存在する虚空蔵山
日本列島各地に存在する虚空蔵山
一連の虚空蔵山が水際に多く存在するという事実の背景には、古代、海人豪族の関与があったと推測されます。海や川の水上交通路の利便性を向上させることを目論む海人族にとって、水際から見える山を指標として水上を移動することは航海術の基本です。そして各地で目印となる山々を厳選し、それらを指標として位置付ける際には虚空蔵山という称号を与えたことがあったようです。こうして静岡の虚空蔵山も、元伊勢の指標として用いられ知られるようになったのでしょう。

虚空蔵山の「コクゾウ」という読みに対しては、「虚空蔵」という漢字が当てられています。その意味について定説はありませんが、ヘブライ語にルーツがある可能性を否定できません。kohk、コク(kohk、コク)はヘブライ語で「法律」を意味します。zo、ゾウ(zo、ゾウ)は、「これ」、「この」を意味する言葉です。合わせて「この律法」という意味になります。そして「ぞう」に、蔵という漢字を当てることにより、律法を蔵に収めるという意を成す言葉になります。つまり「虚空蔵」は、大切な「律法」を秘蔵するという意となり、モーセが神から授かった十戒の石板が契約の箱の中に収蔵されたイスラエルの歴史を彷彿させます。

日本列島各地に散在する虚空蔵山の中でも、静岡の虚空蔵山と同じく重要視されたのが、高知の虚空蔵山です。標高は675mと、さほど高くはなく、周辺の山々と比較しても目立った特徴が見当たらないことから、今日ではあまり話題に上ることがないようです。しかしながら、古代より海洋豪族をはじめ、識者らは高知の虚空蔵山も大切な地の指標としていたのです。山頂に立てられている石碑には、虚空蔵山の由緒が記されています。
  「不老不死の仙薬を欲した秦の始皇帝は徐福張郎を扶桑(日本)の國の蓬莱山に遣わした一行の船は難破し宇佐浦に漂着、この山に登り矛をかざして故国を偲び柴折り敷いて一夜の夢を結んだ」。
  また、「求聞持修法の弘法大師は室戸虚空蔵の見向いとしてこの山に虚空蔵菩薩を安置したという」と、空海の伝承も残されています。
  数多く聳え立つ山々の中で、高知の虚空蔵山が重要視された理由は、レイラインの考察から理解することができます。前述したとおり、伊吹山と伊久良河宮(宇波刀神社)、及び中嶋宮(酒見神社)という2つの御巡幸地を結ぶレイラインは静岡県の焼津、駿河湾沿いの虚空蔵山に向けて一直線に繋がっています。その虚空蔵山と高知の虚空蔵山を結ぶと、レイラインは見事に伊勢神宮の内宮を通り抜けています。そして高知の虚空蔵山から北東方向の伊吹山に向けて次のレイラインを引くと、この線は淡路島の伊弉諾神宮を通り抜けているのです。伊吹山と静岡及び高知の虚空蔵山を結ぶ三角形の線上には、2か所の元伊勢だけでなく、伊勢神宮と伊弉諾神宮も連なっていることから、その交差点に存在する高知の虚空蔵山は、元伊勢の御巡幸地だけでなく伊勢神宮や伊弉諾神宮ともレイライン上にて結び付いていたことがわかります。
  レイラインの視点から見ると、高知の虚空蔵山には更なる重要な事実が秘められています。この虚空蔵山は、エルサレムと同緯度にある鹿児島県中甑島のヒラバイ山と四国の剣山を結ぶ線上にあるだけでなく、その延長線には二上山と布気皇館太神宮が存在します。虚空蔵山は、日本列島の地の力を象徴する複数の聖地と結び付いていたのです。さらには、紀伊半島の最南端にある紀伊大島と同緯度に並ぶことから、山の場所を特定することが容易だったことにも注視する必要があります。これらレイラインの考察から、古代社会では虚空蔵山が極めて重要な位置付けを占めていたことがわかります。

高知の虚空蔵山が注目されたもうひとつの理由は、山頂から見渡せる景色の素晴らしさから理解することができます。虚空蔵山の頂上からは、東方遠くには室戸岬、そして南方には足摺岬を見渡すことができるのです。古代の民は、天体や海、山々の景色を見極めながら地勢を見極め、山頂から狼煙を上げて合図を送ることも珍しいことではありませんでした。それ故、見晴らしの良い山は重宝され、特に虚空蔵山のように遠くには岬の端まで見届けることができるような場所は稀なことから、重要視されたのです。こうしていつしか高知の虚空蔵山は、元伊勢の時代において一目置かれるようになり、御巡幸地を含む数々の聖地を紐付ける指標としてだけでなく、日本列島の地勢を見極めるための旅指標としても用いられるようになったのです。古代の民が、いかに霊峰の存在を大切に考え、列島にある他の聖地と結び付けながら、地の利と神の祝福を共有しようと尽力したか、その絶え間ない努力をレイラインの不思議から垣間見ることができます。