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元伊勢と伊豆加志本宮のレイライン 三輪山と同緯度に並ぶ長谷寺と與喜天満神社

伊豆加志本宮(長谷寺、與喜天満神社)のレイライン

伊豆加志本宮の近隣にあったと伝承される鳥居跡
伊豆加志本宮の近隣にあったと伝承される鳥居跡
吉佐宮に御巡幸されて4年を経過した後、北方への長い御巡幸の旅を経て、神宝は再び大和国の伊豆加志本宮に戻ってきます。倭姫命世記には崇神天皇43年、「倭国に遷りたまい」と記載されています。伊豆加志本宮の比定地については笠縫とする説もありますが、長谷寺周辺の初瀬である可能性が高いようです。初瀬は三方を山に囲まれ、初瀬川も流れる景勝地であり、東西の交通の要所でもあります。また、神の籠る聖地として名高く、古代より長谷寺を筆頭に、與喜天満神社、滝蔵神社、長谷山口坐神社などの著名な神社が存在します。さらに後述するレイラインが、初瀬の長谷寺に隣接する與喜天満神社の真裏を三輪山と同緯度で通り抜けることなども、初瀬を有力視する根拠のひとつです。

「御巡幸図説」には、長谷寺の近郊に伊豆加志本宮があったことが窺え、長谷寺へ向かう参道と県道の交差点には大小二つの鳥居の礎石が並んでいます。この鳥居跡の周辺に伊豆加志本宮があったという言い伝えが残されていることに注目です。鳥居の前後に長い階段が続く與喜天満神社
鳥居の前後に長い階段が続く與喜天満神社
長谷勘奏記裏書には、天照大神が最初に降臨した地が初瀬の山であると伝えられていることから、この鳥居跡から山へと向かう参道が、古代でも存在していたのでしょう。聖なる三輪山を守護するために笠縫邑から始まった御巡幸は、その東西南北を守り固めるという主旨に則り、三輪山の真東にあたる初瀬周辺を御巡幸の地と定め、そこを伊豆加志本宮と呼ぶようになったと考えられます。

三輪山の北方は既に吉佐宮によって守られていることから、次は東方の伊豆加志本宮を守護することにありました。その後、南方の紀伊国、そして西方の名方浜宮(岡山)に向かうことになります。よって、まず三輪山東方の御巡幸地が探し求められ、その拠点として初瀬川の渓流沿いにある長谷寺周辺の山が特定されたのではないでしょうか。古代、大和国から東方へ向かう際には、初瀬の伊勢辻と呼ばれる通りを抜けて、伊勢や東海道へと向かっていたことから、初瀬は大事な旅の拠点でした。しかも初瀬川沿いの山は、三輪山と同緯度にあたることから、レイラインの視点からもわかりやすい位置にあったのです。

長谷寺の東400mほどの所には、神山として守られてきた与喜山の中腹に與喜天満神社が建立されています。長谷寺へ向かう参道のつきあたりに見える與喜天満神社の鳥居をくぐると長い階段が続き、左手に境内が見えてきます。與喜天満神社の境内へ上る長い階段
與喜天満神社の境内へ上る長い階段
そして境内の奥には鵞形石(がぎょういし)、沓形石(くつがたいし)、掌石(たなごころいし)と呼ばれる三つの磐座があります。平安末期に書かれた「長谷寺縁起文」には、この鵞形石に天照大神が降臨されたことが記載されています。それ故、古くから山そのものが天照大神の御神体として拝され、與喜天満神社は長谷寺の管轄下に置かれてきました。これらの背景から、與喜天満神社の周辺こそ、伊豆加志本宮の比定地である可能性が高いと考えられるのです。

伊豆加志本宮の遷座地が見出された際に用いられたと考えられるレイラインは、3本の線によって構成されています。まず、三輪山を通り抜ける同緯度の線を引きます。その線は東方に向かって伊勢湾では神島に至り、西方は二上山を指していきます。聖なる神山として不動の位置を占めていた三輪山と同緯度にあるということ自体、今昔もって重大な意味を持っています。その緯度線は、三輪山から東方に向かうと、最初の水源である初瀬川を越え、川沿いの与喜山に建立された與喜天満神社境内の真裏を通り抜けていきます。與喜天満神社は、三輪山のレイライン上にあったのです。

伊豆加志本宮の拠点を定めるためには、その緯度線上に東西の経度を特定する必要がありました。指標として用いられたのが、まず、琵琶湖ではなかったかと推測されます。古代の琵琶湖岸を特定することは難しいですが、瀬田川が流れ出る地点周辺が、最南端に該当するのではないでしょうか。そのほど近くには今日、石山寺が建立されています。琵琶湖最南端から真南に向かって線を引くと、ちょうど與喜天満神社にあたります。つまり、三輪山の緯度線と琵琶湖の最南端を通る経度線が交差する地点に、伊豆加志本宮が建立されたと考えられるのです。

與喜天満神社の美しい境内
與喜天満神社の美しい境内
更にもう1本のレイラインが存在します。天孫降臨の聖地として名高い高千穂神社と剣山を結ぶ線が、與喜天満神社境内の北側において、ちょうど三輪山の緯度線と交差しているのです。伊豆加志本宮に至る直前の遷座地は籠神社と真名井神社に比定される吉佐宮であり、剣山が重要な指標として用いられた可能性が高いことは前述したとおりです。その吉佐宮に結び付けられていた剣山が、次の遷座地である伊豆加志本宮の地を特定する際にもレイラインの指標として用いられていたことに注視する必要があります。剣山が当時、突如として重要な存在になってきたことの証と言えるでしょう。

もし、初瀬の地、與喜天満神社周辺に伊豆加志本宮があったという推測が正しいと仮定するならば、その場所は三輪山に直結する聖地であり、様々な神宝が埋蔵されていることで知られる神島と、聖山として崇められている二上山、日本最大の水源である琵琶湖だけでなく、四国の聖山である剣山と天孫降臨の地、高千穂にも紐付けられていたことになります。與喜天満神社境内の磐座 鵞形石
與喜天満神社境内の磐座 鵞形石
特に、吉佐宮のレイラインで初めて浮上した剣山が、與喜天満神社のレイラインでも同じく名を連ねていることには大切な意味が隠されていると考えられます。また、神島が三輪山と與喜天満神社を結ぶレイライン上に存在することも重要です。何故なら、沖ノ島と同様に、人々が近づきづらい離島に神宝を秘蔵することは古代の常道手段であったからです。よって、神島と同様に與喜天満神社と紐付いている摩耶山や剣山にも、神宝が隠された可能性が見えてきます。レイラインの考察から、伊豆加志本宮も神宝に関わる重要な拠点のひとつであったことがわかります。

伊豆加志本宮のレイライン
伊豆加志本宮のレイライン