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元伊勢と大和国のレイライン 倭姫命が阿紀神社を大切にされた理由

名方浜宮(伊勢神社)のレイライン

名方浜宮 (伊勢神社)
名方浜宮 (伊勢神社)
名方浜宮の比定地には多くの伝承地が存在します。中でも岡山市番町の伊勢神社は、岡山の北方から児島湾に流れる旭川沿いにあり、「吉備名方浜宮通称伊勢宮」の社号を持つだけでなく、明確なレイラインを構成して、神宝に関連する聖地を結び付ける元伊勢の重要な拠点となっていることから、名方浜宮の比定地である可能性が最も高いと考えられます。広島県の今伊勢内宮外宮神社の社伝にも名方浜宮の伝承が記載され、伊勢神宮内宮と同緯度上に結ばれていることから有力視する向きもあります。しかしながら伊勢神宮内宮は、元伊勢御巡幸の中でも、その最終段に見出され、名方浜宮の後に特定された聖地です。それ故、名方浜宮の場所を見出した時点では伊勢神宮内宮の地は定まっておらず、指標として用いることはできなかったはずです。よって、歴史の流れとしては、伊勢神宮が特定された後、後世において同緯度線上に、今伊勢内宮外宮神社の地が見出されたと想定するべきでしょう。

名方浜宮の最有力候補である伊勢神社の場所は、三輪山の西方を守る瀬戸内の拠点として重要な役割を果たしています。列島の地の力を受け継ぎ、神宝にも結び付く西方の拠点となるためには、他の元伊勢と同様に古代の聖地とレイライン上で紐付けられることが重要でした。そのためまず、神宝に絡む複数の聖地が厳選され、既に御巡幸された元伊勢の真名井神社(籠神社)も指標の一つとして用いられたのです。そして複数のレイラインが見事に交差する地点が特定され、そこに伊勢神社が建立されたのです。

伊勢神社の重要な地理的位置付けは、5本のレイラインが中心点を交差するという極めて珍しい現象を地図上で確認することにより、理解することができます。まず、既に豊鍬入姫命が御巡幸された元伊勢の地として名高い真名井神社(籠神社)と天孫降臨の聖地、高千穂を結びます。次に、神剣と絡む古代聖地である鹿島神宮と、遠く西に離れた神宝の宝庫、宗像大社の辺津宮を結びます。さらに四国南岸の指標である室戸岬と、それまでの御巡幸地を見出すための指標として重視された剣山の頂上を結ぶ線を北方に延ばします。これら3本のレイラインが交差する地点に、伊勢神社は建立されています。他の元伊勢と同様に、鹿島神宮や宗像大社という神宝に深く関わる古代聖地が指標となっているだけでなく、神宝の行方を占う剣山と籠神社(真名井神社)もレイライン上に含まれていることが、伊勢神社が神宝の存在と潜在的に関わっていることの証です。

また、倭姫命の御巡幸の最終段において、伊勢神宮の地を特定する際にも、この伊勢神社の地が、新たなる指標として用いられた可能性があります。吉備の伊勢神社と三輪山を結ぶと、そのレイラインが伊勢神宮の内宮を見事に通り抜けるからです。つまり、伊勢神社と三輪山を結ぶレイライン上に内宮の地が特定されたと推測できるのです。さらに、伊勢神社と富士山を結ぶもう1本の重要なレイラインが存在します。その線上には熱田神宮が登場します。これは後世において草薙剣を宝蔵する場所を探し求めた際に、熱田神宮の地を特定するための指標として、伊勢神社が用いられた可能性を示唆しています。

伊勢神宮 本殿鳥居
伊勢神宮 本殿鳥居
伊勢神社はレイライン上の繋がりから、天孫降臨の聖地と神宝に絡み、剣山や富士山、籠神社、鹿島神宮、宗像大社とも結び付く、重要な拠点であったことがわかります。そして、それら聖地の地の力を受け継ぎながら、稀にみる5本のレイラインの交差点として不動の位置を占めることになります。そして最終的には、伊勢神宮と熱田神宮、すなわち、天照大神と草薙剣の神宝が秘蔵された聖地を、伊勢神社はレイライン上にピンポイントで示すことになります。

名方浜宮のレイライン
名方浜宮のレイライン

宇多秋宮(阿紀神社)のレイライン

阿紀神社 鳥居
阿紀神社 鳥居
倭姫命が倭国にて豊鍬入姫命より御巡幸を引き継がれた後、満を持して御室嶺上宮(大神神社)を離れ、最初に到達した東方の遷座地が、宇多秋宮に比定される阿紀神社です。奈良県の大宇陀町にある神社の周辺一帯は阿紀とも呼ばれ、古代宇陀の中心地でした。JR榛原駅から南へ7kmほどの場所に阿紀神社は建立されています。榛原からタクシーに乗って阿紀神社へ向かうと、途中、道路に沿って本郷川が流れる美しい光景が目に入り、阿紀神社が水源の豊かな地に建立されたことがわかります。また、宇陀は万葉集に、その地名が記されていることでも有名です。タクシーの運転手が自慢げに、「軽皇子安騎野に宿りたまひし時、柿本朝臣人麻呂の作れる歌」と口ずさんでいたほどです。

阿紀神社では天照大神が本殿に、相殿には秋姫命、八重思兼命、天手刀男命が祀られています。天照大神社殿は神明造りであり、堅魚木を10本用いて伊勢神宮と同じ建て方を踏襲しています。阿紀神社が古くから重要視されたのは、単にその場所が三輪山に近く、交通の要所であったからだけでなく、倭姫命が到来する以前、そこに神武天皇も訪れ、宇陀の一角に瓊瓊杵尊の母にあたる秋津姫命と天照大神を祀ったからではないでしょうか。阿紀神社の裏を流れる本郷川の支流
阿紀神社の裏を流れる本郷川の支流
「阿紀神社御鎮座口訣之事」には、神武天皇が天の香山の土を用いて器を作らせ、酒を注いで供え、天神地祇を祀ったことが記載されています。また、「皇大神宮はじめて天降り坐す本所なり」と明記されていることからしても、阿紀神社は伊勢神宮と同様に、天照大神と秋津姫命を祀る重要な場所として古代から認知されたいたことがわかります。
  阿紀神社の周辺は、元来、宇陀の中心であり、そこは皇大神宮の神戸でもありました。太神宮緒雑事記には、「時に国造り、神戸等を進る」とも記され、境内の石燈籠には「神戸大神宮」と刻まれています。1,000戸以上にも及ぶ神宮の神戸は、そのほとんどが伊勢周辺に散在し、畿内の大和国においては「宇陀神戸」の15戸が、唯一の神戸だったのです。それ故、宇陀の地が重要な役割を果たしていたことに、違いはありません。では何故、宇陀の阿紀神社周辺に古代の民が目を留めたのでしょうか。もし、神武天皇が本当に天神地祇を祀るために宇陀の地に目を留めたとするならば、それなりの特別な理由や根拠があるはずです。

阿紀神社の優雅な境内
阿紀神社の優雅な境内
阿紀神社の地が極めて重要であった理由は、その場所を通り抜けるレイラインを検証することによって理解することができます。特筆すべきは、富士山頂と剣山を結ぶレイラインです。このレイライン上に阿紀神社が建立され、東の太平洋側では香取神宮にあたります。香取神宮では主祭神として経津主大神が祀られており、鹿島神宮と同様に、神剣の由緒に富む古代聖地の代表格です。その香取神宮を結ぶレイラインの西側には、富士山をはじめ、阿紀神社と剣山が並んでいます。つまり、阿紀神社は日本最高峰の地の力だけでなく、神宝の由緒とも紐付けられ、それがレイライン上に並ぶ剣山という山の名称にも象徴されていたのです。神武天皇の時代では既に、西日本で2番目の標高を誇る剣山が聖なる山として認知され、山の周辺に集落が築かれ始めていたのかもしれません。いずれにしても、富士山と剣山を結ぶレイラインは、阿紀神社が重要な存在であったことを証しています。

阿紀神社を通るレイラインは、その他にも複数存在します。まず、岡山の伊勢神社と伊雑宮を結ぶ線に注目してみました。伊雑ノ浦に面した伊雑宮は熊野の神倉山と共に太平洋に面した古代のランドマークであり、海を渡って渡来してきた古代の旅人は、そこから紀伊半島に足を踏み入れたと考えられます。国生みの原点にまでも遡る可能性がある伊雑宮であるだけに、古代の重要な拠点の多くは、そこを指標として特定されました。その伊雑宮と、元伊勢の最西端遷座地として豊鍬入姫命が御巡幸された伊勢神社を結ぶと、その線上に阿紀神社が存在します。すると剣山と富士山、そして伊勢神社と伊雑宮を結ぶ2本のレイラインのみで、その交差点に阿紀神社を特定できることがわかります。

阿紀神社 本殿
阿紀神社 本殿
次に宗像大社と斎宮を結ぶレイラインを検証すると、この線も、阿紀神社と並んで1本の直線になっていることがわかります。斎宮の場所を最終的に特定する際に、阿紀神社を基点として宗像大社に紐付け、そのレイライン上に斎宮が見出されたと想定されます。また、室戸岬と熱田神宮を結ぶレイラインは阿紀神社の東に1kmほど離れた箇所を通り抜けることから、レイラインの誤差の範疇であるとも考えられます。すると、熱田神宮の地を特定した際に、阿紀神社と室戸岬を結ぶ線がレイラインの参考として用いられた可能性があります。最後に、真名井神社と石上神宮も検討の余地があります。真名井神社は既に、籠神社の奥宮として御巡幸地の一つとなっています。そこから阿紀神社に線を引くと、そのレイラインは神宝の宝庫とも言われる石上神宮から500mほど離れた地点を通り抜けることからレイラインとして認知されていた可能性があります。

いずれにしても、剣山と富士山、そして伊雑宮と伊勢神社を結ぶ2本のレイラインが交差する地点は地の力を継承する重要な場所となる故、神武天皇はそこで祭祀活動を行い、後世においては阿紀神社が建立されるに至ったと考えられるのです。

宇多秋宮のレイライン
宇多秋宮のレイライン

宇多佐佐波多宮(篠畑神社)のレイライン

篠畑神社の真新しい鳥居
篠畑神社の真新しい鳥居
阿紀神社から北に進み榛原駅を越えた後、更に4kmほど北東方向へ進むと、左側に小高い杜が見えてきます。近年建てられた白色の鳥居をくぐり、長い階段を上っていくと、すぐ左側には、神明造りが際立つ本殿が目に入ってきます。奥まで30m少々しかないような小ぶりな境内ですが、檜皮葺きの末社も建立され、荘厳な雰囲気を漂わせています。佐佐波多宮の祭神は天照大神です。そして宇陀秋宮(阿紀神社)と同様に大倭国造が神田と神戸を奉ったことが皇大神宮儀式帳に記されており、宇陀では古代、神戸村があった阿紀神社の周辺と共に地域一帯が伊勢との深い関わり合いを持っていたのです。

篠畑神社の場所が宇陀の小山に特定された最も大きな要因は、熊野の聖地、神倉山にありました。神倉山と同じ経度線上、すなわち、南北一直線に並ぶ場所に篠畑神社は建立されています。それは、篠畑神社の真南に神倉山があり、その地の力をしっかりと受け継ぐことの象徴となることから古代では重要視されたことでしょう。また、その後、倭姫命の御巡幸は神倉山の経度線を超えて東方に向かうことになることから、その分岐点の目印となる拠点を設けることも重要であったと考えられます。つまり、宇陀の地、倭国を離れて、東方への長旅に出る基点となる場所でもあったのです。

神明造りが美しい篠畑神社の本殿
神明造りが美しい篠畑神社の本殿
南北5kmほどしかない宇陀の盆地において、神倉山と同経度線に並ぶ場所を見出し、新しい社の場所を見つけることは、天文学の知識に豊富であった古代の学者にとってはさほど難しいことではなかったのかもしれません。宇陀から名張にかけては北東方向に川が流れ、古代から人々が行き来できる野道があったことでしょう。そして、川に沿う道沿いの途中に、篠畑神社の地が選別されたのです。
  その場所を特定するためには、レイラインの助けも得たのではないかと推測されます。これまで御巡幸されてきた遷座地を特定する際にも指標として用いられた室戸岬が、篠畑神社のレイラインでも再び姿を見せます。室戸岬と、剣の由緒に富む古代聖地、諏訪大社(上社本宮)を結ぶと、その線上に篠畑神社が存在することがわかります。このレイラインと、神倉山の経度線が交差する地点が、篠畑神社の場所です。また、後述するとおり、国生みの原点にはオノゴロ島の存在が記紀に記されています。その比定地を特定することは極めて難しいことですが、場所が徳島県小松島の日峰神社である可能性があります。すると、天孫降臨の地として名高い高千穂と日の峰山を結ぶレイラインがぴたりと篠畑神社と繋がることがわかります。

宇多佐佐波多宮のレイライン
宇多佐佐波多宮のレイライン