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令和時代を迎えた日本の元号 戦後の歴史を歩まれる象徴天皇の道のりは続く

2019年4月30日、「一代限りの退位」という特例法に基づき、30年余り続いた平成時代が幕を閉じました。平成時代の天皇は、日本国憲法の下で戦後、国民の象徴として即位された初めての天皇です。その平成天皇が在位中に退位され、平成時代に終止符が打たれたのです。

御存命中に天皇が退位するという事例は、過去の歴史を振り返る限り決して少なくありません。平成天皇を含めると、59例もあります。直近では江戸時代、光格天皇が「立派に成長した皇太子に皇位を譲る」という理由で退位しています。それから200年余り経った2019年、平成の天皇が退位を決められたのです。近代においては、御存命中の退位は前例がないことから、平成天皇が退位する際にはどのような儀式を執り行うべきか、様々な歴史的検証が行われました。そして天皇陛下はおごそかに、退位することとなったのです。

同日の午後5時、退位が国民に告げられ、天皇陛下が国民の代表者らと退位前、最後にお会いするための「退位礼正殿の儀」が、宮殿松の間にて執り行われました。そこでは安倍内閣総理大臣が国民を代表して天皇陛下にお礼を述べ伝え、その後、天皇陛下が国民に対して最後のお言葉を述べられ、これが皇居における憲政史上初めての退位の儀式となりました。

剣璽等承継の儀
剣璽等承継の儀
その翌日、5月1日午前0時、新たに天皇陛下が即位され、令和の時代が幕を開けました。新天皇は一見お若くお見えになられますが、お歳は既に59歳になっておられ、歴代天皇の中では奈良時代の光仁天皇に次ぎ、過去に即位された天皇の中では2番目に高齢です。午前10時半からは「剣璽等承継の儀」が行われ、歴代天皇に承継されてきた神器が、天皇に受け継がれました。それら神器の中には「三種の神器」のうち、剣と勾玉が含まれ、同時に公務において使う印章の御璽と国璽も引き継がれました。


「三種の神器」は、日本書紀や古事記の記述によると、天照大神の孫である瓊瓊杵尊が天孫降臨する際に授けられたものです。従来、八咫鏡は伊勢神宮、草薙剣は熱田神宮、そして勾玉は皇居の御所に神宝として祀られるとされています。歴史の流れの中で、これら神宝を盗難から守るために形代と呼ばれるレプリカが多数造られた記録もあり、宮中三殿の賢所や御所で保管されている神宝は形代と言われています。その剣と勾玉の璽の形代が「剣璽等承継の儀」において宮殿に運ばれ、天皇の退位をもって新天皇に引き継がれたのです。

象徴天皇としての責務とは

「剣璽等承継の儀」を終えた後、「即位後朝見の儀」に臨まれた天皇は、宮殿に集われた国民の代表292人を前に、「常に国民を思い、国民に寄り添いながら、憲法にのっとり、日本国及び日本国民統合の象徴としての責務を果たす」と、初めてのお言葉を述べられました。

退任されて上皇になられた平成天皇も、2019年2月に行われた式典において、「象徴としての天皇像を模索する道は果てしなく遠い」という心境を語られておりました。これらの言葉の響きはあまりにも重く、心中を察するに余りあるものです。

「即位後朝見の儀」に臨む新天皇陛下
「即位後朝見の儀」に臨む新天皇陛下
日本国憲法は、天皇を日本国民の象徴と位置付け、総理大臣や最高裁長官の任命や栄典での授与など、様々な国事行為が規定されています。しかしながら象徴としての天皇はどうあるべきか、という具体的な定めについては文言がありません。これからも日本国が一層の発展を遂げ、世界の平和に貢献する国であり続けるためにも、社会の変化に対応しつつ、伝統を踏襲しながら新時代へと前進していく皇室の姿が模索され続けることでしょう。そして天皇陛下はきっと、新世代にふさわしい象徴天皇としての在り方を示してくださるに違いありません。その「象徴の責務を果たす」ため、天皇陛下は決意を新たにして国民に語りかけられたのです。

令和新時代、まずは国民こぞって天皇陛下を祝福し、皇室の存在を大切に考えたいものです。皆が温かい心で天皇陛下を崇敬し、その優しい想いが社会全体に広まり、人々の心が潤うならば、国民の意識もさらに高められ、国家がさらなる発展を遂げることができるのではないでしょうか。世界に類をみない日本皇族の歴史と文化は、多くの国々が憧れ、羨むほど、本当に素晴らしいことを、再認識する良いチャンスが訪れました。

大化の改新から始まる日本の元号

日本の元号は飛鳥時代、大化の改新から始まりました。隣国の中国から学びつつ、天皇を中心とした国家体制を整えるため、中国の皇帝が権威の象徴として用いていた元号制度を取り入れ、その時代を「大化」と命名したのです。それから今日の令和に至るまで、248もの元号が大化の時代から使われてきました。元号の数が多い理由は、天皇一代において複数の元号が定められるという時代があったからに他なりません。

江戸時代以前、天皇の在位中においても様々な世情を踏まえたうえで、改元が行われることが少なくありませんでした。元号の改元は、厄払いのためのものだったといっても過言ではなかったのです。例えば平安時代後期、堀川天皇の時代では、在位22年の間に7回も改元されています。次の鎌倉時代、四条天皇の御代では、「歴仁」の元号が災害を理由に、わずか2か月で「延応」に変更されています。

天皇一代において元号はひとつと定める、「一世一元」の制度は近代に始まりました。そのルーツも中国にあります。中国では14世紀、明王朝が建国された際に定められた「洪武」の元号が、皇帝の没するまで用いられたことから、その後もそれにならい、一世一元制が続いたのです。中国では喪に服するという理由から、年末までは従来の元号が使われ続け、年が明けてはじめて新しい元号に切り替わりました。今日の日本では、元号の切り替わりは即日、というのが原則になっています。

中国における元号の起源とは

前2世紀の前漢時代、大和国、日本では、元伊勢のご巡幸が始まろうとしていた頃、中国では元号として初めて「建」が制定されました。そのきっかけは、川のほとりから出土した青銅器であったと伝えられています。当時、珍しい発掘物は天からの思し召しと考えられ、元号を作るきっかけとなりました。その結果、紀元前140年が中国の建元元年となったのです。

その後、2000年以上もの歴史の中で元号は引き継がれ、海外においては日本だけでなく、朝鮮半島やベトナムにも元号の文化が伝わりました。しかしながら20世紀に入り、「宣統」を最後に中国では元号が廃止となり、周辺諸国でも元号を使用している国がなくなりました。よって今日、古代より元号を用いた暦を継承している国は、世界で日本しか存在しないようです。

美しく平和な令和の時代が到来!

日本の新しい元号は「令和」となることが、政府の臨時閣僚会議を通じて閣議決定されたのは、天皇陛下が即位されるちょうど1カ月前の日でした。「令和」という文字は万葉集の「梅花の歌三十二首」の序文から引用されています。史上初めて、元号の出典が中国古典から乖離し、国書から引用されたのです。「令」という文字には、麗しい、美しい、おめでたい、という意味が含まれています。その文字に、これまで元号の文字として19回用いられてきた「和」を付け加えると、「令和」となります。この新元号には、「人々が心を寄せ合うなかで美しい文化が生まれ育つ」という温かい意味が込められています。

国の象徴である天皇陛下の想いとともに、国民みんなが心を寄せ合い、世界に類を見ない美しい日本の文化をこれからも守り続け、国家がさらに発展し、平和で美しい令和の時代となることを願ってやみません。