1. ホーム
  2. 日本の霊峰を登る!
2022/05/22

熊が群がる恐山を一人登山?! 恐山の子熊に囲まれた恐怖の登山体験!

恐山菩提寺 大師堂
恐山菩提寺太師堂

日本列島には多くの霊峰が存在します。古代より山々には神が住まわれるという信仰心が育まれた日本では、いつの日も山は人々から崇められ、愛され、時には畏れられもしました。中でも死者が集まる霊峰として、足を踏み入れることさえままならないほどに畏れられてきたのが、青森県下北半島にある恐山です。高野山、比叡山と共に日本三大霊山としても知られる恐山こそ、本州の最北端、みちのくの最果てに位置する古代聖地です。

下北半島にある恐山の位置
下北半島にある恐山の位置
いつか登ってみたいと思っていた恐山でしたが、2019年、遂にそのチャンスが巡ってきました。7月20日、青森県上北郡東北町にて「わかさぎマラソン」に出場することになり、いつもどおり地図を見ながら新天地を研究していると、大会が開催される運動公園の会場から恐山までたったの75㎞、車で1時間半程度の距離にあることに気が付いたのです。この機会を逃すわけにはいきません。気ままな一人旅として、恐山に登ることにしました。

恐山の歴史と背景

一口に恐山と言っても、その言葉にはいろいろな受け止め方があり、話す人、聞く人によってイメージは異なります。その原因は、恐山という名称を持つ山が、そもそも存在しないことにあるようです。恐山と呼ぶからには、山神が斎く聖地であり、人が足を踏み入れることができない怨霊にとり囲まれたような未踏の地を想像しがちですが、実際は違います。下北半島の中心にある直径およそ2㎞の宇曽利山湖(うそりやまこ)周辺の山々、8峰からなる活火山を合わせて恐山と呼びます。その最高峰は標高878mの釜臥山(かまふせやま)であり、頂上からは陸奥湾、八甲田山、岩木山、そして北海道まで望むことができます。宇曽利山湖を囲む山々ということで、恐山は従来、宇曽利山(うそりやま)と呼ばれていました。それがいつしか訛り、漢字の「恐」があてられて恐山(おそれやま)になったようです。

宇曽利山湖に面する恐山菩提寺
宇曽利山湖に面する恐山菩提寺
宇曽利山湖の湖畔には、9世紀に天台宗の慈覚大師、円仁が開いたと言われる日本三大霊場のひとつ、恐山菩提寺があります。夢の中で告げられた「東方行程三十余日の所に至れば霊山あり」という言葉に従い、本州を東北方面に向かって歩き続けた結果、恐山菩提寺の場所が見出され、そこに地蔵尊を祀ったという伝承が残されています。その後、天台宗の修練道場として栄え、多くの信奉者が集うようになりました。

創建からおよそ1200年も経た恐山菩提寺が一般のお寺と大きく違う点は、広い境内の至る所で、火山性ガスや水蒸気が地面から噴き出していることです。その噴出口は「地獄」とも呼ばれ、「無間地獄」や「金堀り地獄」など、多くの固有名詞がつけられた地獄が存在します。有毒性のある火山性硫黄臭ガスがあたり一帯に充満しているため、恐山菩提寺付近には動植物が生息せず、周辺は溶岩からなる大小の岩石で覆われています。

恐山の地獄中にある無間地獄
恐山の地獄中にある無間地獄

「賽(さい)の河原」に積まれた石の山
「賽(さい)の河原」に積まれた石の山
その大自然が醸し出す不可思議な絶景は、いつしか死後の世界をなぞらえたものと考えられるようになり、恐山は死者が集う場所と考えられるようになりました。そして死者を供養する場として、亡くなった子供の霊を慰めるための風車が、いつもカラカラと回っています。極楽浜とも呼ばれる宇曽利山湖の美しい浜の手前には「賽(さい)の河原」があり、随所に石が積み上げられ、慰霊の印となっています。賽とは、福を授かったお礼に神仏にお参りすることを意味する言葉であり、神々に感謝を捧げつつ、慰霊をする場所となったことがわかります。また、大自然の土壌から噴き出す火山ガスに包まれた小さな池は、「血ノ池」と呼ばれ、菩提寺へと向かう道の途中には三途の川を渡る太鼓橋が架けられたのです。そしていつの日か、恐山は死者が集まる霊場として、先祖の霊を供養するだけでなく、実際に先祖の声を聞き、死者に会うことができるという話も伝わり始めました。例年7月20日から5日間かけて執り行われる恐山大祭では多くの信者が訪れ、イタコとよばれる霊媒者も集うようになりました。

今日でも恐山大祭では、菩提寺の一角にイタコマチと呼ばれるテントが並び、お祭りのないごく普通の日であってもイタコを見かけることがあります。そこではイタコがテントの中で待機し、来訪者の願いを聞きながら口寄せを行っています。イタコとは元来、神の花嫁とも呼ばれる霊媒師のことであり、死んだ霊を呼び寄せて語らせることができる人をいいます。そのイタコによる口寄せ行為も、恐山が一般庶民から恐れられるようになった大きな理由のひとつです。

三途の川の架け橋となる太鼓橋
三途の川の架け橋となる太鼓橋
このような霊の世界に関わる多くの話題が飛び交う中、恐山はその名前のごとく、怨霊が存在する怖い山として、人々が恐れるようになったのでしょう。死者の霊が漂う山であり、霊媒師が故人の霊を呼び出すことを常とした恐山だけに、周辺の山々一帯が不気味な存在のように思われたのも無理はありません。こうして地域の住民は長年にわたる言い伝えから、怨霊や祟りを恐れるようになり、亡くなった人々の霊を慰めるためにも恐山を信仰の対象として祀るようになったのです。その背景にはいつも、不思議な霊の存在に纏わる数々の伝承があり、それが恐山をより特異的な存在として世間に知らしめることになります。

恐山菩提寺はまさに温泉地獄

恐山菩提寺の入口となる総門
恐山菩提寺の入口となる総門
羽田を出発して三沢空港に到着し、レンタカーを借りてから恐山を目指して運転していると、やがて緩い坂を下った先に宇曽利山湖が見えてきました。直後、湖畔沿いに三途の川のかけ橋となる太鼓橋が目に入ります。そしてその先には、恐山菩提寺の広大な駐車場と総門が見えてきました。当初の想像とは裏腹に、恐山菩提寺のロケーションは一見、山とは縁のないような湖畔にありました。「どこがいったい、山なのだろう?」と考えながら、車を停めた後、総門を通り抜けると常夜灯が並ぶ長い参道があり、正面の山門をくぐると、その先には本堂となる地蔵堂があります。その裏方には不動明王が祀られ、周辺一帯が死者の魂が集まる場所となる恐山菩提寺の境内を構成しています。背後に聳える釜臥山の釈迦如来と不動明王を合わせて奥の院とも呼ばれています。

そこから先には普通のお寺の様相とは似ても似つかない、大自然に囲まれた温泉地獄の光景が広がります。参道の先には本尊である地蔵大士が地蔵堂にて祀られています。本堂のすぐ左側から標識に従って順路を進むと地獄巡りが始まり、ガスが噴出する広大な自然をくまなく散策することができます。地獄という言葉は言い過ぎかもしれませんが、無間地獄から始まる地獄巡りでは、地表から火山性のガスがあちらこちらから噴き出す光景を目の当たりにします。周辺一帯は、その水蒸気と強い硫黄の臭いに満ちていました。まさにそれが地獄のような光景に捉えられても、決して不思議ではありません。やがて右手に大師堂が見えてきて、すぐその先には水子供養の御本尊となるお地蔵様や、延命地蔵尊と呼ばれる大きなモニュメントが建立されています。

大きな延命地蔵尊の存在が際立つ恐山
大きな延命地蔵尊の存在が際立つ恐山

火山灰の砂利道の途中には「賽(さい)の河原」があり、小さな石がこんもりと積まれた位牌のような場所があちらこちらに見られます。これらは亡くなった子供たちを供養するためだけでなく、その子供たちが早死にしたこと詫びるために石を積み重ねているとも言い伝えられています。その地獄巡りの最後には、極楽浜とも呼ばれる宇曽利山湖の砂浜と湖の美しい光景が広がります。エメラルドグリーン色の湖を眺めながら歩いていると、ふと、その美しさに我を忘れるような思いになります。お寺参りというよりも、山々に囲まれた湖の湖畔にある温泉秘境を散策しているというのが実感です。

そして地獄巡りを終えて、境内の入口付近に戻ってくると、異様な光景が目に入ってきました。山門そばの参道横から湖畔に繋がる通路沿いに、小さな古びたテントが張ってあるのです。一見、荷物置き場かと思いきや、「まさか、これがイタコマチか?!」テント入口から中をちょっと覗いてみると、何と奥にはイタコと呼ばれる女性が正座しているではありませんか!人が訪れるのを待っているのでしょうか。それにしても、あまりに小さく古びたテントなので、よほどの勇気がなければテントの中に入るのは難しいのではないでしょうか。口寄せするイタコが今日でも存在する究極の霊山が、恐山菩提寺なのです。また、境内には四つの温泉が設けられ、共同浴場として利用できることも特筆に値するでしょう。

日本3大霊場恐山の境内と周辺図
日本3大霊場恐山の境内と周辺図

恐山に登らない訳には. . .

恐山周辺にいる時間は半日しかありません。よって、せわしいのは百も承知です。振り返れば、当初のプランどおり金曜の朝は5時起き。羽田を8時20分発の飛行機に乗り、9時35分に三沢空港に到着。そこからレンタカーを借りて恐山に向かい、途中、食事の休憩も入れたため、恐山菩提寺に到着したのが午後1時半。境内から湖畔までをくまなく歩き周って見学を終了したのが午後2時15分。普通ならここで本日の旅路は終了となるところでしょう。ところがどっこい。恐山菩提寺に来て、その周辺を囲む恐山山地の頂上まで登らずして、どないしますか!一生に一度、せっかく下北半島まで来たのだから、とにかく恐山山地の山頂まで登らなければ男がすたる、という思いで登山を決行することにしました。

事前の登山情報は限られており、恐山菩提寺から一気に登頂できる山道が連なるのは、霊場恐山からその頂上を眺めることができる、標高828mの大尽山であることがわかりました。登山道の地図を見ても、確かに霊場から宇曽利山湖沿いに、大尽山の山頂に繋がる遊歩道が存在しました。そしてネット上に掲載されている登山体験談を確認すると、大尽山頂上までの往復距離は16㎞。おそらく標高差が4-500mはある山道だけに、この距離はさすがに厳しく思われました。普通の道を歩いても4時間はかかるのに、それが未知の山道で、しかも斜面がずっと続くことを考えると、登山に6時間は見越さなければなりません。しかしながら、時刻は既に午後2時半。日暮れまで3時間少々しかありません。まかり間違っても4時間を超えてしまうと、暗闇に包まれてしまう時間帯です。

魔の恐山に飲み込まれてしまうのでしょうか?しかしながら、一生に一度の恐山の象徴とも言える大尽山頂上への旅路と心得、「えーい!何のその、行ってしまえ、3時間で戻ってこよう!!」そう心に決めて、いざ、出陣!霊場恐山のすぐそばにある、宇曽利山湖畔沿いの遊歩道入口にある駐車場に車を移動し、ペットボトルの水1本と携帯電話2個を携えて、駆け足で出発です!

宇曽利山湖畔で子熊の群れに遭遇!

午後2時半に遊歩道をスタートし、3時間で16㎞の山道を戻ってくるためには、平坦な箇所は時速10㎞以上で走らなければなりません。トレッキングの経験は十分に積んできたことから、トレーニングのつもりでスタート地点から突っ走ることにしました。湖畔沿いの遊歩道はとてもきれいに整備され、快適です。山林浴をしているような気分になり、スピードをぐんぐん上げて、調子よく走っていた時、ふと、人気がないことに気が付きました。「そういえば、駐車場にも車は1台もなかったかな?山道にも人影はまったくない。。自分ひとり. . .」いつしか恐山山地の山中でひとりぼっちになっていることに、一抹の不安を覚えました。

倒木手前にはロープが張られ恐山遊歩道が行き止まりに!
倒木手前にはロープが張られ恐山遊歩道が行き止まりに!
人生ひとりぼっちとはよく言ったものです。まさにその真骨頂が、恐山山地の登山ではないか!そんな思いが脳裏をよぎり、気持ちよく走っていたその時、まさかの出来事に遭遇したのです。ちょうどその直前、遊歩道を塞ぐように大木が倒れていている場所があり、その手前にはロープが張られ、赤テープが4か所ついていました。「倒木注意!」にしては大げさだな、と思いつつも、何も考えずにロープをかいくぐって走り進んで行きました。それがとんでもない恐怖体験に繋がるとは、想像もしませんでした。

宇曽利山湖沿いの遊歩道は、駐車場から出発すると進行方向右側に湖があり、左側が山の斜面になっています。双方とも樹木が生い茂り、緑でいっぱいです。その真ん中に設けられた山道は遊歩道らしく、綺麗になっています。その快適な遊歩道を走りながら山道への交差点に向かっていると、突然、周辺で「ガサガサ」と草木が揺れ動いたのです。熊の恐怖に悩まされる草木で覆われた恐山山道
熊の恐怖に悩まされる草木で覆われた恐山山道
しかも左右、同時に自分の後を追うように、「ザザザー」と、草木を描き分けるように何かがついてくるのです。「まさか。。。!」いっきに恐怖心がつのり始めました。そしてちょっと立ち止まると、音は止み、また走り始めると「ザザザーーー」と後をつけてくるのです。まさにジュラシック・パークの恐竜物語と一緒です。映画の中で、恐竜は人間を襲う前、陰から「ザザ、ザザ」と音をたてながらも人間を見ていたことを覚えているでしょうか。それと全く同じことが、何と、恐山でおきてしまったのです。

「参った!」、この化け物の正体は子熊でした。遊歩道沿いの湖畔には、無数の子熊が生息していたのです。この想定外の事態に再度、決断を迫られました。子熊が多いということは、親熊も近くにいるはずであり、襲われないとも限りません。また、ひとりぼっちなので、万が一怪我をしたら、それは死を意味します。しかしながら一般的に熊は臆病であり、よほどお腹がすいているか、いらだっていない限り、人を襲うことはなく、むしろ逃げていくのです。これらの情報を一瞬のうちに頭の中で整理しなければなりませんでした。ここでUターンするか、それとも突き進んでいくか。もはや議論の余地はありませんでした。無我夢中で遊歩道を走り抜け、山道を登っていくことに異議なし!

多くの熊が生息する恐山ジャングルだ!
多くの熊が生息する恐山ジャングルだ!
親熊に襲われたらどうしようか、という一抹の不安があったことから、とりあえず素手よりも何かあったほうが安心!ということで、木の枝を折って杖とし、熊から宣戦布告された際には、槍として使うことにしました。人生、何事も経験です。一生に一度は熊と戦ってもよいのでは、というのは驕りの思いでしょうか。幸いにも、一旦山道に入ると、もはや熊の姿は見えなくなりました。湖畔は水源となるだけでなく、豊富な食物も提供することから、多くの熊が生息するようになったのでしょう。それにしても、まさか恐山で子熊に囲まれるとは思ってもいませんでした。

恐怖の往復3時間恐山登山無事完結!

大尽山頂上への道のりは、とにかく長いです。斜面はさほどきつくはないものの、これでもか、と言わんばかりに尾根の山道が続き、いつになっても頂上が見えてきません。でもそんなことはもはや、考えている余裕はありませんでした。3時間で帰ってこなければ夕暮れになってしまうことから、今さら引き返す訳にもいかず、ひたすら前に進むだけです。そして午後4時7分、やっとの思いで遂に、大尽山頂上に到達しました。あいにく頂上はガスがかかっており、何の景色も見えませんでした。それでも、恐山山地の登山ルートにある大尽山の登頂に成功したことに、ひと際の感動を覚えました。

あいにく恐山頂上は霧がかかっていた
あいにく恐山頂上は霧がかかっていた
大尽山の登頂には1時間40分かかりました。想定内のスピードで進んできたものの、疲労感もひどく、ましてやいつ、熊が現れるかもしれないと、ずっと緊張感を保ちながら山道を早足で進んできたことから、疲れは倍増です。それでも、もたもたしている場合ではありません。日没までに登山を完結しなければ、帰りの遊歩道上で熊に襲われてしまいかねないのです。熊に「とおりゃんせ」されたら、それこそまさに恐山地獄になってしまいます。問答無用で、すぐに下山を開始しました。

夕暮れまで往復の登山を3時間で完結するためには、頂上で5分休憩したこともあり、残り1時間15分です。相変わらずの駆け足で下山を開始し、暗くなる前に、とにかく車まで戻るんだ、と自分に言い聞かせながら、徐々に重たくなってくる足をひたすら動かして進んでいきます。それにしても、帰りの下り道は、上りよりずっと楽になるはずなのですが、疲労困憊のさなか、そうは問屋が卸しません。急斜面の下り坂は膝への負担が大きく、しかも一歩間違えれば足をくじいて動けなくなり、それこそ熊の餌食になってしまいます。よって、注意深く足元を見ながら、駆け足で下山を続けることに集中しました。我慢のしどころです。

そしてついに山道を下り終わり、湖畔の遊歩道にあたる分岐点まで戻ってきました。あともう2㎞、遊歩道を走り抜ければ車に到達できる地点にやっと辿り着いたのです!ところがそこから駐車場に向って湖畔沿いに走っていくと、夕暮れの5時近くなっているせいもあったのでしょうか。やはり湖畔にいた子熊がうろうろしているのです。しかも、その数がもっと増えているのです!彼らにとって夕暮れは遊び時なのでしょう。数匹単位で一緒に木に登ろうと群がっています。「おお、こわ!!」これぞ正に恐山の真骨頂。そこで最後に熊の写真を撮ろうと、遊歩道で小休止し、カメラを取り出そうとしたのですが、そこで自分にゲキを飛ばしました。「熊の写真とるのと、命と、どちらが大事なのか!」そう思うと、「たらたらしてんじゃねー!」と、写真をあきらめ、そこから全速力で遊歩道を駆け抜けることにしました。夕暮れに熊の餌食になっては、様になりません!無数の子熊をしり目にして、ひたすら走ることだけに専念!そしてもはや体力の限界に達した夕方5時32分、遊歩道の入口まで戻ることができました。往復3時間の山旅が完結しました。

恐山山道に6本の熊ブロック、ここまでくれば安心
恐山山道に6本の熊ブロック、ここまでくれば安心
入山した時は気がつかなかったのですが、遊歩道の入口には、6本の丸太が立てられていました。その隙間は40㎝少々しか空いていないため、かろうじてすり抜けられる程度の間隔です。これこそ、熊ブロックだったのです。熊が安易に遊歩道から駐車場に出てきて人を襲うことがないように、丸太で熊をブロックしていたのです。とすると、遊歩道の途中に貼られていたロープと赤テープも、熊が多数いるので通行禁止、ということだったのでしょうか?!そんなこととは知らず、よくぞ一人で頑張って、大尽山頂上制覇を達成したものです。しかし、生きて帰ってきたことができただけでも、自分をほめてよいのか、熊が群がる山の中に入山したことが、無謀なのか、複雑な思いにかられながら、恐山を後にしました。

昨今、東北地方や北海道では熊の繁殖が問題になっており、人里に出てきては、畑を荒らしたり、家の中に入り込んだりするだけでなく、時には殺傷事件も起きています。そんな時だからこそ、無事下山できたものの、無謀な一人登山は慎まなければならないと、反省の念もしきりです。特に恐山は、多くの熊が生息しているだけに、命がけの登山となり、一歩道を誤れば、地獄に陥ってしまいます。しかも周辺の地面からは火山の水蒸気が至る所から噴出し、まさに生き地獄のような雰囲気を呈しています。そんな危険な山道だからこそ、恐山で熊に襲われるという事故が起こらないことを、ひたすら願うばかりです。恐るべし、恐山。。。

(「大尽山(恐山) 湖畔沿いは熊だらけ!」YAMAP掲載)

大尽山(恐山) 登山ルート
  • 14:32
  • 14:32
  • 14:40
  • 14:47
  • 14:48
  • 14:48
  • 14:48
  • 14:59
  • 15:01
  • 15:23
  • 15:41
  • 15:47
  • 16:07
  • 16:31
  • 17:07
  • 17:32 最後の熊ブロックを通り抜けると終点。ほっとします!
コメントする