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蘇民将来の起源はイスラエルの過越祭か !

これまで祇園祭とユダヤの関連性について、ノアの洪水神話を中心に、山車や牛頭など、特殊な宗教用語やヘブライ語源を検証しながら解説してきました。さらに注目すべきは祇園祭とイスラエルの「過越の祭り」との関連性です。表面的にはどちらも厄病よけの行事の働きであることから、その繋がりが頻繁に指摘されていますが、それ以上の深い係わり合いがあるようです。そもそも「祇園祭」は平安時代に疫病が流行し、その祟りを鎮めるためにスサノオこと、牛頭天王を祀ったことに由来していると言われています。そしてこの牛頭天王信仰が始まるきっかけが、「蘇民将来」という厄病よけの行事です。『釈日本紀』の『備後風土記』によりますと、スサノオが困っているときに、裕福な蘇民将来の弟は宿を貸すことを断ったが、貧しい兄の蘇民将来は宿と栗飯を提供したとあります。それを機に、スサノオは後の日に疫病が流行しても、蘇民将来の子孫で、茅の輪を持っていれば難を逃れることができることを約束したのです。この伝説を発端として、いつしか全国各地で「蘇民将来之子孫也」という護符が付けられた注連縄が住宅の玄関上に飾って置かれるようになりました。この護符は京都の八坂神社では今でも祇園祭の最中に授けられています。

この「蘇民将来」の伝説は、イスラエルの「過越の祭り」と内容が酷似していることに気づかれる方も多いと思います。「過越の祭り」は、イスラエルの民がエジプトで奴隷となって苦しめられていたとき、神がモーセに対して羊をほふり、その血を家の入り口の柱に塗ることを命じ、その教えに従ったイスラエルの民のみが神の裁きを逃れることができたことを祝したことに起因しています。その神の救いを記念して「過越の祭り」が、イスラエルの祭日として祝われるようになったのです。

大変興味深いことに、日本とイスラエルという2つの異国で長年にわたり継承されてきたこれらの宗教儀式は、単に厄除けとしての共通点が在るだけでなく、蘇民将来の伝説では茅の輪を持つこと自体が救いの条件であったはずの護符が、「過越の祭り」のしきたりを吸収したかのごとく、いつの間にかそれが玄関の門柱に貼り付けられるようになったのです。さらに祇園祭では竹や柳の木の枝を振りかざして歩き巡る光景が見られますが、同様にユダヤ教の祭の中にはスコット祭のように民衆が多くの木の枝を持って行列に参加する様子が見られます。そして祇園祭で使われる香炉はユダヤの神殿で使われているものと形が類似しているのです。もしかすると、「蘇民将来の伝説」と「過越の祭り」、そしてユダヤ教の祭りは、そのルーツに深い繋がりがあるのかもしれません。

ここで当然ながら一つの疑問が生じます。例年、夏に開催される祇園祭のルーツが旧約聖書の洪水神話にあり、ノアの一族が箱舟によって救われた7月17日が大切な暦であることは前述したとおりです。しかし蘇民将来の話では、イスラエルの「過越の祭り」にちなんで正月が話の中心となっています。この一見矛盾した暦の相違を解明する手がかりが、古代イスラエルのシオン祭にあります。祇園祭の前身とも言えるシオン祭は、複数の祭りを祝うイスラエルの複合祭であったということを理解することによって、一挙に解決できるのです。