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2022/08/16

祇園祭と高天原の関係とは 7月17日から浮かび上がる箱舟と高天原のイメージ

夏の風物詩となる成田の祇園祭

夏祭りと言えば、多くの方が全国各地で7月に開催される祇園祭を思い起こすのではないでしょうか?千葉県成田山新勝寺においても毎年7月になると祇園祭が催され、大勢の参拝客を集めています。祭りのハイライトと言えば「山車(ダシ)」が挙げられます。プライドをもって手がけられた「山車」を町内の仲間と一緒に綱をとりながら、大声をあげて引き回すだけでなく、の境内においては「山車」の競い合いが行われます。そして「山車」を引っ張る際に、メガホンを持ったリーダーが大声で「オイサ」、「エィサ」、「イッサ」と叫び、それに連れて周囲の仲間が同じ言葉を連呼する様は、先祖代々より伝承されてきた不思議な余韻に満ち溢れています。

「エィサ」という掛け声は「イエス」の意味?

この「エィサ」という掛け声の意味は、外来語として解釈することができます。「エィサ」は、ヘブライ語などで「救い主」を意味する「イサ」とほぼ同じ発音です。非日常的な祭りのエクスタシーの中で、救いの神「イサ」の名を歓喜に包まれながら力を込めて連呼しているうちに、少しずつ訛って「エィサ」、「イッサ」となったと思われます。「エィサ」の掛け声を、ヘブライ語の「救い主」、「イサ」と理解することにより、先祖代々より伝承されてきた祇園祭や多くの祭りにおいて、神が知らぬ間に讃えられてきたことがわかります。

京都の祇園祭は7月17日がピーク

全国各地で行われる夏祭りの中でも、日本三大祭の一つに挙げられる京都の祇園祭は天王祭とも呼ばれています。この祭りの総本山である京都八坂神社をはじめとする多くの神社では、例年7月17日に山車が町中にて引き回され、夏祭りは最高潮に達します。では何故、7月17日という日に祇園祭の山車を引き回し、民衆が熱狂に包まれながらお祭りをするようになったのでしょうか?

そのヒントはどうも、聖書に書かれているノアの洪水の話に秘められているようです。旧約聖書の創世記には大昔、人類は洪水によって滅亡の危機を迎えたことがあり、神の哀れみによってノアとその親族だけが箱舟に乗って難を免れたことが書かれています。そしてこの洪水が起こった後、ノアを乗せた箱舟が山上の陸地に辿り着いた日が、7月17日だったのです。聖書の創世記、8章3-4節にはこう書かれています。

それで水はしだいに地の上から引いて、150日の後には水が減り、箱舟は7月17日にアララテの山にとどまった。

すなわち7月17日とは、人類の救いの日であり、山の頂上から始まる新しい歴史の最初の日だったのです。ノアはそこで祭壇を築き、動物を生贄として捧げ、神を祭ったことが書かれています(創世記8章20節)。そこでノアの子孫であるユダヤ人は毎年7月になると神の哀れみと先祖の救いを記念して謝恩祭を開き、皆で祝うようになりました。よって、そのお祝いすべき7月という月に、日本でも祭りが開催されるようになったと考えられるのです。

箱舟のランディング場所は高天原

注目すべきは、ノアの箱舟がランディングしたと言われるアララト山です。洪水の直後から、人類の歴史が新たに始まるランドマークとも言えるアララト山はアルメニア、トガルマ州にあります。その近郊には旧約聖書にも記載されているアブラハムの故郷、ハランの地もあり、トルコの南東部とイラン、アルメニアとの国境界隈です。周辺の地域は「トガルマハラン」、または「タガーマハラン」と呼ぶことができるかもしれません。

ノアの時代から時を経て、イスラエルがエルサレムに宮殿を築き、国家を形成していた前7~8世紀、イスラエルは滅亡の危機に直面します。そして国家を脱出した多くの民は、東方に向かって大陸を横断することとなります。その際、イスラエルの祖先、アブラハムの故郷の地でもあるハランの地にて休息を経て、さらに東方を目指して旅したと想定されます。ハランとは、イスラエルの民が東方へ向けて出発する際の最初の拠点となった場所であり、そこはアララテ山周辺のタガーマハランだったのです。

ノアの箱舟がタガーマハランのアララト山にて止まったように、イスラエルの国家から脱出し、大陸の南岸を船で航海して東方へ向かった先発隊も、船旅をいったん止めて、陸地に降りて休息する必要がありました。そして船団が日本列島の最南端にたどり着いた際、最初に拠点とした休息の地が琉球であり、その場所をタガーマハラン、すなわち、高天原と呼ぶようになったと考えられます。その新天地となる琉球の最南端周辺は緯度24 度前後と赤道に近い位置にあり、天空が最も高く感じられる琉球の地です。それ故、イスラエルから長旅を続けた船団にとっては、天が高く留まる絶好の休息地になったのです。

記紀に記された高天原が琉球である理由

タガーマハランを大切にした民は、日本列島に到来した際、琉球諸島にて拠点を設け、そこで休息を兼ねて、神を祀ったと考えてられます。それ故、記紀に記されている国生みの原点となる地は琉球となり、そこから黒潮に乗って天下ると考えれば、記紀の神話がリアルなストーリーとして蘇ってきます。

その結果、ノアの箱舟の時代にて、極めて重要な日となる7月17日がお祝いされるようになりました。そして箱舟がランディングしたアララト山、タガーマハランの地は、新天地に向けての起点となる地として覚えられ、イスラエルの民が東の島々に向かった際も、目的地に向けて出発する起点となるその場所は、高天原と覚えられたのでしょう。その場所は、ノアの箱舟がアララト山に到達したように、後世においても、船がランディングする場所する貴重な旅の起点となったのです。しかしながら、日本では高天原の場所が歴史の中にもみ消され、わからないようになってしまったのです。

高天原という聖なる場所は、神の民であるイスラエル民族が東の島々に向けて船旅をする際に、船で天下りをはじめる原点となる麗しき場所です。それは古代、ノアの時代のタガーマハランを彷彿させる、日本最南端の琉球だったのです。こうして高天原の聖地は、日本書紀古事記にも記録に残され、王族や預言者を含む多くの神に仕える民がイスラエルから集まった一大拠点として覚えられるようになったと想定されます。

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コメント
  1. 高瀬 裕 より:

     アブラハムが見た原風景は、どういうものなのだろう。なんとなくですが、アララト山の写真を見た時は衝撃でした。
     まるで富士山のようで、特に小アララト山は、アングルによっては見分けがつかない程です。
     遠い昔、イスラエルの民は富士山を見て郷愁に駆られ、ここが約束の地だと確信したと思います。

  2. xxxxx より:

    貴重なコメントありがとうございます。確かに、アングルによっては富士山に見えます。離散した民のルートからは若干はずれますが、しかしながら、国内外をくまたく探索し、地勢を見極めることを得意としてきた民だけに、アララト山も十分に視野に入っていたのではないかと想定します。
    アララト山

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