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三種の神器はユダヤルーツか? 記紀に含まれるヘブライ語の記述から歴史の真相に迫る

「契約の箱」と宝蔵された「3種の神器」
「契約の箱」と宝蔵された「3種の神器」
「三種の神器」はユダヤルーツではないかということは、古くから語り継がれてきました。イスラエル神宝は「三種の神器」というくくりで呼ばれることはないものの、契約の箱に保存された神宝は、2枚の石板と、マナのつぼ、そして芽がふいたアロンの杖の3種であり、3つの神宝という数が一致します。しかも日本の「三種の神器」の形状と、イスラエルの3つの神宝の形状には類似点が多いことから、何等かの因果関係があるのではないかという憶測が、いつの日にも飛び交ってきました。

古代イスラエルと日本史の接点に着眼することが、古代史の謎を解明する手掛かりとなるかもしれません。イスラエル神宝のうち、アロンの杖とマナのつぼの2つは、ダビデの子、ソロモン王の時代までに、いつのまにか紛失されました。そして北イスラエル王国が崩壊し、南ユダ王国も滅亡する危機を迎えていた紀元前7世紀前後、聖櫃と呼ばれる「契約の箱」と共に十戒が刻まれた2枚の石板も姿を消してしまったのです。こうして3つのイスラエル神宝は全て紛失してしまい、今日までそれらは見つけられていません。

ところが紀元前722年、北イスラエル王国が滅びてから間もなくして、日本列島では新たなる歴史が始まりました。どこからともなく国生みの神々が列島を訪れ、天孫降臨という名のもとに日本列島に新しい国家を樹立したのです。そして早くから神威をもつ三種の神器が祀られるようになり、皇室によって古来より継承され続けてきたのです。しかもイスラエルの契約の箱に酷似した形をもつ神輿なるものが列島各地の祭りに姿を現し、契約の箱と同様に2本の棒をもって大勢の民によって担がれたのです。古代、日本では神輿を担ぎながら、大勢の民が神を祝ったのです。

歴史上のタイミングだけでなく、神輿の仕切り方や、三種の神器の存在、そしてユダヤ王朝が王系一族の流れを通じて継承されたように、日本でも血統を大切にする皇族の歴史が長い歴史の中で今日まで継承されてきたことなど、すべては偶然の一致でしょうか。実は「三種の神器」の詳細をひとつずつ検証していくと、意外にも様々なユダヤ関連の痕跡を、随所に紐解いていくことができることがわかってきました。

ヘブライ語が書かれている「八咫鏡」?

イスラエルの契約の箱に秘蔵された2枚の石板は、シナイ山で神ご自身が十戒の文字を彫られ、それをモーセが山から持ち帰ったものです。石の板、ということからして薄い形状であることに違いなく、十戒が彫られたということから1枚あたり、30−40pほどの大きさはあり、おそらく長方形に近い形状をしていたと考えられます。薄い板状と、その大きさからして、八咫鏡と石板は共通点がありそうです。

十戒が刻まれた世界最古の石板
十戒が刻まれた世界最古の石板
石の板に文字を刻むためには、まず石板を平らに磨かなければならないのです。表面がごつごつしていては、文字を彫っても読むことができません。よって、神が彫られた石の板は、おそらく大理石のように表面が綺麗に磨かれ、鏡のようになっていたことでしょう。よって、その大きさと薄い板状だけでなく、表面の仕上げ具合においても、イスラエル神宝である2枚の石板は八咫鏡と類似していたかもしれません。神の教えである十戒を彫った石の板は心の指針であり、八咫鏡も同様に自らの姿を見て、心さえも映すものであると考えられることから、石板と八咫鏡には信仰の側面からも共通点があります。

「八咫鏡」がユダヤルーツであるという噂が絶えない最も大きな理由は、鏡の裏にヘブライ語が記されているという証言が昔からささやかれてきたからです。その大きな円形の鏡の裏に、ヘブライ語の文字が書かれていたというのです。明治時代、当時の文部大臣(現在の文部科学省)である森有礼(ありのり)氏は、旧約聖書の出エジプト記、3章14節に書かれているエーイェ・アシェル・エーイェ/私は有って有る者(ehyer asher ehyer、エーイェ・アシェル・エーイェ)、「私は有って有る者」という意味のヘブライ語が、八咫鏡の裏に刻まれていると証言しました。その後、元海軍将校の矢野氏も八咫鏡を拝見する機会に恵まれ、鏡形状のスケッチや、そこに刻まれている文字の詳細までも書き残したとされています。そのスケッチが本当に「八咫鏡」の裏に書かれている文字どおりに書き写されたかどうかは定かではありませんが、検証の余地は十分にあります。

矢野氏が伊勢神宮の八咫鏡を見て書いたという写し
矢野氏が伊勢神宮の八咫鏡を見て
書いたという写し
矢野氏の書き残したスケッチにて注目すべきは、八咫鏡の中央に書かれている2行の文字です。それらがヘブライ語のアルファベットのように見えるのです。はたしてこれらの文字は、森文部大臣が見たという「エーイェ・アシェル・エーイェ」「私は有って有る者」というヘブライ語なのでしょうか。

「私は有って有る者」というヘブライ語は表記のとおり3つの言葉に分かれ、最初と最後が全く同じ文字列です。矢野氏のスケッチでは、鏡中央の文字が上段3文字、下段4文字の2行しかありません。しかし下段の文字はヘブライ語で「エーイェ」と読むこともできる文字列であることから、下から上に読んで、再び下段を繰り返して読むことにより、「私は有って有る者」という意味に捉えることができます。

この2行の文字は、ヘブライ語で「光の神」を意味する「オール・ヤーウー」と読むこともできます。下段の文字はヤーウェー/神すなわち「神」を意味する「ヤーウェー」の4文字に酷似しています。ヨッド(ヨッド)とヴァウ(ヴァウ)は、文字をはねる長さが違うだけですので、ほぼ、形状は同一であり、無理なく「ヤーウェー」と読めるのです。また、上段の3文字は、ヘブライ語で「光」を意味するオー、オール/光(or、オー、オール)と読めます。すると「八咫鏡」に記載されている文字は「オール・ヤーウェー」、「光の神」の意味となり、天岩戸事件や、天照大神の存在と絡めても、神宝の意味を自然に理解することができます。

これまで八咫鏡の文字を見たという証言は複数存在しましたが、誰もが公に名乗り出て説明をすることがなかったため、それらの内容を検証する術もなく、時代が過ぎ去ってきました。また、半世紀程前の「東京イブニングニュース」紙には、「八咫鏡」とヘブライ文字の実態について三笠宮殿下が調査すると報じられましたが、その後、殿下からは何ら音沙汰がなく、真相は謎に包まれたままとなったのです。

はたして「八咫鏡」の裏には旧約聖書の出エジプト記に書かれている「エヘイェ・アシェル・エヘイェ(私は有って有る者)というヘブライ語が刻まれているのでしょうか。それともその文字は「オール・ヤーウェー」、「光の神」を意味しているのでしょうか。いつか真実は明るみに出ることでしょう。火のない所に煙は立たずと言われるとおり、「八咫鏡」は何かしらユダヤルーツの文字が書かれているからこそ、これまで国家レベルでは公にすることができず、噂だけがくすぶってきたのではないでしょうか。

「八坂瓊」と「五百箇御統」はヘブライ語だった!

次に日本の神宝「八尺瓊曲玉」と、イスラエルの民が40年もの間、荒野で旅をしていた時に、神が天から与えたマナという食べ物を入れた「金のつぼ」とを比較検討してみました。「金のつぼ」はマナを収納する容器ですが、神の救いと奇跡を民衆がいつまでも覚えて伝承するべく神宝になったという点において、同じく神の守護と救いを象徴する「八尺瓊曲玉」と共通点があります。イスラエルの民は、神からマナを与えられることにより、飢えから救われ、生き延びることができたのです。よって、マナは神の救い、そのものであり、それを収納する「金のつぼ」は、神の御加護を象徴します。その意味において、曲玉を連ねた「八尺瓊曲玉」も同様に、神の救いにより頼む御守りの象徴であることは、注目に値します。

「八尺瓊曲玉」の形状については、「マナのつぼ」に想定される滑らかな曲線に類似点を見出すことができます。しかし、曲玉の使い勝手に関しては、むしろ、モーセがアロンに胸掛けを羽織らせた際、その中に入れたウリムとトンミムという小さな石に酷似しているようです。イスラエルの祭司が神に近づき、神の答えを必要とする時、身に纏ったのがウリムとトンミムという石でした。ところがイスラエルの伝承によると、北イスラエル王国が滅びた後、南ユダ王国も追って、前607年にはエルサレムが包囲され、582年には滅びてしまいますが、ちょうど時を同じくしてウリムとトンミムは用いられなくなりました。もしかして、それらは国外に持ち出され、日本において「八尺瓊曲玉」の基になったとは考えられないでしょうか。なぜなら、「八尺瓊曲玉」とは身にまとう神宝だったからです。

「八尺瓊曲玉」がユダヤルーツであるという決定的な理由が、その正式な名称である「八尺瓊の五百箇御統」のヘブライ語における本来の意味です。三種の神器のひとつである「八尺瓊の五百箇御統」という名称の意味を理解することは、これまで極めて困難なことと考えられてきました。定説がある訳でもなく、解釈の鍵となるキーワードも見当たりません。

「八尺瓊曲玉」の「八尺」は、その漢字の当て字から、長さの単位を意味する「咫」(あた、さか)が語源ではないかという説があります。すると「八尺」とは、およそ144cmもの長さになり、首飾りや手首周りにつける装飾品とは成り得ない大きさになってしまいます。「八咫鏡」の場合では、鏡の円周が144cmであると理解することはできますが、「曲玉」ではそのような解釈ができません。辻褄を合わせるため、「八尺瓊曲玉」の「八尺」を、曲玉を結び付けるための紐や緒の長さであるとか、単に大きい曲玉という意味に捉える説などが浮上しました。さらに、ますます栄えることを意味する弥栄(いやさか)が転じた言葉とも提言されましたが、どれも納得のいく説明ではありません。

また、「五百箇」は数の多いことを意味し、「御統」は、それらを緒に貫き、まとめて紐で環状に繋いで首や腕に巻くことができるようにしたものであると考えるのが、ごく一般的な見解のようです。首飾り状のように統一することから「スマル」と呼ぶようになり、そこに神宝としての敬語、「御」をつけて、「ミスマル」と呼ぶようになったと解釈する説もあります。

「八坂瓊」と「五百箇御統」という言葉は、実はヘブライ語の名称であり、その意味を知ることにより、神宝の大切な働きを理解することができます。「八尺」は「やさか」と読み、「八坂」と同等の意味を持つ言葉です。ヘブライ語で「やさか」とは、神が守ってくださることを意味し、yasakhoh/ヤサコ(yasakhoh、ヤサコ)と書きます。sakoh/サコ(Sakoh、サコ)は覆う、または被せるという意味であり、神が守ってくださることを表現する際に使われる言葉です。よって、「八尺」(yasakoh)の意味は、「神が守られる」ことを指していたのです。

また、八尺の名称を用いて曲玉を形容する場合は、「八坂」の後に、「瓊」(に)という一文字を語尾に付加して、「やさかに」と読むことがあります。「瓊」はヘブライ語で、「私を」の意味で用いられるです。するとyasakoni/ヤサコニ(yasakoni、ヤサコニ)は、「神が私を守ってくださる」の意味になります。「八尺瓊曲玉」とは、「神が私を守護してくださる」という思いを込めた曲玉のお守りを指していたのです。

次に、「五百箇御統」をヘブライ語で解読してみましょう。「イオツミスマル」はヘブライ語で明確に理解することができるだけでなく、漢字で「五百箇御統」という文字が当てられた理由まで知ることができます。

ヘブライ語で「イオツミスマル」を綴ると、ヘオツミシュマル/五連飾りの御守(heh-ot-mishmaru、ヘオッミシュマル)となります。へ(heh、へ)のへは数字の5を表すと同時に、神を表す文字でもあります。聖なる神の名前は発音できないことから、古代よりイスラエルの民は神の御名を象徴するハシェムと呼ばれる神の代名詞を用いてきました。へもハシェムであり、神様を指しています。次の、オッ/装飾品(ot、オッ)はサインや印を意味する言葉、もしくは、「あなた」を言い表すata/アタ(ata,アタ)という言葉が多少訛って、「オッ」となったものと理解することができます。mishmar/ミシュマル(mishmar、ミシュマル)は、守ることを意味する言葉です。管理や守護することに関する名詞として、「守り主」のような意味合いで使われています。

すると、「五百箇御統」という言葉の意味が、ヘブライ語で明確に浮き上がってくるのがわかります。「ヘ‐オッ‐ミシュマル」の最初の「へ」は神を意味し、「オッ」はあなた、または印、そして「ミシュマル」は守り主を指すことから、これら3つのヘブライ語から構成される「ヘオッミシュマル」は、「神、あなたは(私の)守り主!」となります。また、「オッ」の意味を「印」と仮定すると、「神の印が(私の)守り主!」と理解することもできます。

「イオツミスマル」には、ヘブライ語で重要なメッセージが秘められていました。神が守り主であり、神から守られているという思いが神宝に込められ、「ヘオッミシュマル」という言葉によって言い表されていたのです。そして神の名前の代名詞であり、ハシェムとなる頭文字のへは、アルファベットの字そのものが数字の5を意味することから、「イオツ」という発音に漢字を当てる際に、「五」が用いられたのです。また、多くの曲玉を身に纏い、それが神の守護の象徴となったことから、「百箇」の漢字が「オッ」の当て字として選ばれたのではないでしょうか。そして神は「守り主」、「守護神」であり、全てを治めたもう全能なるお方であることから、最後に「御統」という漢字をヘブライ語で「守り主」を意味する「ミスマル」に当てたと考えられます。御神が統べ治め、私を守ってくださるという信仰心が、「五百箇御統」に込められていたのです。

「八坂瓊」と「五百箇御統」は、ヘブライ語で読むと、その名前の由来が明確に浮かび上がってきます。神の救いに大きな期待を込め、神の御加護を信じた結果、「ヤサカ」というヘブライ語で「神の守り」を意味する言葉は、「八坂」「八尺」と書かれるようになり、曲玉を形容する文字としてだけでなく、神による守護の意味を持つ言葉として、普及したのです。そして私自身が守られることを強調する際は、「八坂瓊」(やさかに)と題して、「神が私を守護する」という意味で用いられたのです。「八坂瓊」は「五百箇御統」と呼ばれる神宝を形容する言葉としても使われ、神の御加護に期待する神宝の象徴となるべく、「八尺瓊の五百箇御統」という名称も生まれました。それはヘブライ語で、「神は私を守られる!あなたこそ私の守護神!」を意味する言葉だったのです。

敵から身を守るために神の守護を期待しつつ、身に纏うお守りが、「八尺瓊の五百箇御統」です。古代、そのお守りを天照大神自らも護身用として身に纏い、神の守護を期待しました。天照大神にとっても、「八尺瓊の五百箇御統」は、心のよりどころとなる大切な神宝であったことを、ヘブライ語の意味から察することができます。

大陸に由来する「草薙剣」の真相とは?

スサノオの神話に登場する草薙剣の由来に関しては、謎に包まれています。八岐大蛇の神話は有名ですが、その物語が書かれた背景には、大陸から航海してくる海賊船の来襲が存在したのではないでしょうか。古代、日本列島には海賊船が到来することがあり、人々を誘拐し、モノを略奪したことでしょう。その外敵に毅然と立ち向かったのがスサノオであり、その戦いの結末がいつしか神話化されたと考えられます。

日本の有史は、大陸からの渡来者によって始まり、多くの人々が船にのって海を渡り、日本に住み着き、日本の歴史を動かしてきたことが知られています。皇族の祖となるスサノオとその一族も、元来、西アジア方面からアジア大陸沿いに航海し、南西諸島を経由して日本列島に渡来してきたと考えられます。そして大陸で培われた優れた天文学と航海術を携えてきたことから、海原での戦いにおいては抜きんでた力をもっていたことでしょう。その結果、スサノオは海賊船との戦いに勝利し、相手方の船内より後世において草薙剣とも呼ばれる不思議な刀を分捕ることができたのです。

この霊力のある刀剣こそ、もしかするとアロンの杖だったのかもしれません。アロンの杖のような由緒ある外来の神宝でもなければ、刀剣が海賊船内から見つかっただけで、ここまで神話化される理由が考えられないからです。この刀剣には、神威が備わっており、大陸で培われた何かしらの不思議な力が宿っていたようです。はたして、スサノオが日本列島の海原を船で行き来したと考えられる紀元前7世紀において、そのような神威ある剣がアロンの杖以外に考えられるでしょうか。いずれにしても、何かしら大陸文化の歴史に繋がる大事な刀剣であったことに違いありません。

歴史を遡れば、古代イスラエルではモーセやアロンが用いた神の不思議を実現するアロンの杖は、いつの間にか、その所在がわからなくなっていたのです。イスラエル神宝の驚異的な神威は名高いだけに、簡単には消滅するとは考えづらく、必ずやどこかにその威光を放ち続けていると想定されます。よって、その行先が日本という新天地であったとしても、何ら不思議はありません。

アロンの杖は神威に満ちた杖であり、イスラエル伝説によると、敵を倒す神剣の役割だけでなく、奇跡を起こす杖には羊飼いの杖をはじめとし、人々を導く様々な働きがありました。アロンの杖が特殊である一番の理由は、そのアロンの杖から芽がふきでたことです。1日にしてアロンの杖に奇跡の芽がふき、人々への証のために契約の箱の前に保存されることになったことが旧約聖書に記されています。もし草薙剣が、その芽がふいた杖を象るような形状であるとするならば、ユダヤルーツであるという根拠のひとつになるかもしれません。

アロンの杖に芽がふいた状態がどのようなものであったかは定かではありません。旧約聖書の記述から察するに、おそらく杖全体から芽がふいたと考えるのが一般的な理解のようです。よって、これまで描かれてきたアロンの杖のスケッチ画像は、杖全体から芽がでてきたことを想定したものが多数存在します。果たして、日本の刀剣に芽がふいているような形状のものが存在するでしょうか。残念ながら、熱田神宮に宝蔵されている草薙剣だけでなく、宮中に保存されている形代さえも今日、実際に見ることができないために、詳細を検証できないまま時が過ぎています。

過去、草薙剣を目にしたという伝承がないわけではありません。平安時代では、陽成天皇が草薙の剣を一瞬目にしましたが、剣が光り輝いたため、恐れをなして投げ出した、と語り継がれています。また、江戸時代、五代将軍徳川綱吉の時代では熱田神宮の神官が神剣の櫃を改修しようとした際に草薙剣を目にした人がいて、祟りにあったとも伝えられています。また、同時代、梅宮大社の神職、玉木氏が書いたとされる草薙剣の形状に関する記述が、その後の明治時代、神宝に関する学術的研究の書においても紹介されています。詳細の信ぴょう性については定かではないものの、その記述によると、草薙剣は長さが約2尺78寸(85p)、刃先は菖蒲の葉のようで、中程はあつみを帯びており、全体的に白っぽい色とされています。もし白色であるならば、草薙剣は銅剣であった可能性が高くなります。また、熱田の尾張連家の伝承としては、長さは1尺8寸(54p)、柄には5つの節があり、刃と柄の接点は深くくびれ、剣を収納する箱の長さは4尺(1.2m)という内容の話も残されています。

上記2つの証言においては長さも大きく異なり、いずれもアロンの杖を想像できるような形状とは言えません。むしろ石上神宮に宝蔵されている全長75pの七支刀(ななつさやのたち)のように、長い剣の刃渡り全体から芽がでるように、剣の先が左右に伸びているような装飾系の形状で祭祀に用いられたと考えられる刀剣のほうが、アロンの杖に近い形状ではないでしょうか。また、古墳時代においては蛇行剣とも呼ばれる、うねり曲がった形の剣も存在し、祭祀や儀式用の剣として用いられました。もし、草薙剣がこれらの形状に類似しているとするならば、アロンの杖との関連性がある可能性が見えてきます。

イスラエル神宝は日本にもたらされたか?

これら神器に関する共通点は、その用途、主旨だけでなく、それらを収納する契約の箱にも見出すことができます。イスラエルの神器は契約の箱に収納されたか、そのそばに置かれていましたが、国家が崩壊するとともに、2600年以上、行方がわからないままになっています。イスラエルの10部族からなる北の王国が紀元前722年に、そして2部族からなる南朝のユダ王国が紀元前587年に滅亡するまでの間、国家が崩壊していくプロセスの中で、契約の箱はいつの間にか姿を消してしまったのです。

ちょうど時期を同じくして紀元前7世紀ごろ、日本列島においては神武天皇を初代天皇とする新しい時代が始まりました。そして天孫降臨とともにもたらされた3種の神器をもって、皇位継承を保証する御神体としたのです。また「契約の箱」は、ヘブライ語の原語において「船」という意味を持っていますが、日本でも神器を収める御器も「御船代」と呼ばれています。そしていつしか日本の島々では神を祀る際、イスラエルにて契約の箱が2本の棒によって担がれたように神輿が担がれ、群集が大声で「ヨイショ」と掛け声をかけながら、力の限り大地を巡り回ったのです。

天岩戸神社の御神幸祭
天岩戸神社の御神幸祭
北イスラエル王国が崩壊し、南ユダ王国が消滅する危機に直面したちょうどその頃、突如として神宝を携え、神を祀ることを常とする人々による新しい国の歴史が、アジア大陸の東のはずれに浮かぶ島々で始まりました。そして列島で培われた文化には、他のアジアの島々とは異なり、古代イスラエルの宗教文化に類似した要素を多く含んでいたのです。後に、この日本列島にて、イスラエル神殿があるエルサレムと同じ意味をもつ「平安の都」が造営されることになります。古代よりイスラエルの文化が日本列島に息吹いていた、とういのは幻ではなかったようです。