夜明けのプレリュード − 筆者挨拶 −

1987年のある夏の日、アメリカのカリフォルニア州ビバリーヒルズに本社を置き、商業不動産の開発を手掛けていたP&Vエンタープライズ社の社長室を訪ね、オーナーのペトラザック氏、ヴェレッド氏と会議を持ちました。2人とも東ヨーロッパからアメリカに移住してきたユダヤ人であり、ベトナム戦争では米国空軍のエンジニアとして現地任務を経て、戦争終結後は不動産企業をカリフォルニア州で興し、デベロッパーとして活躍していました。筆者も1980年台の後半は、ロスアンジェルス近郊にて不動産会社を経営し、商業ビルや病院、ショッピングセンターの開発や売買に関わる仕事に携わり、ユダヤ系企業家である彼らとは、不動産売買を通じて面識を持ちました。そして会う度に、「シャローム」と気軽に挨拶を交わしている内に、いつしかユダヤ教シナゴーグ(会堂)に招かれ、旧約聖書の朗読をヘブライ語で一緒にするような、家族同士のお付き合いをするようになりました。大学院では神学を専攻し、聖書の言語であるヘブライ語とギリシャ語を勉強していたため、多少はヘブライ語で読み書きができたのです。

その会議の席で、ペトラザック氏が唐突に、「ところで日本人の祖先がユダヤ人であるという話が出回っているけど、知っているよね?」と聞いてきたのです。とっさの質問に返事を見失っていた私に、「ヨセフ・アイデルバーグという人が『大和民族はユダヤ人だった』という本を書いているので、それを読んでみたら」と、彼は笑みを浮かべていました。日本のルーツにイスラエルが存在するかもしれない、という話題に全くついていけなかっただけでなく、よくよく聞いてみると彼らの方が日本の歴史について日本人である自分よりも詳しく学んでいたことは、それまで西洋史や宗教哲学、ヘブライ語までも学んできた筆者にとって、正に青天の霹靂とも言える一大事だったのです。

日本に帰国した際、早速伊勢神宮を訪れてみると、確かに駅から外宮、内宮に繋がる道路沿いの石灯篭にはダビデの星と思われる六芒星(ヘキサグラム)が掘られているだけでなく、実にシンプルな天幕のような布で囲まれた長方形の御本殿など、ユダヤの影響を思わせる数々の痕跡を、自分の目で確認することができました。日本とユダヤの関係についての興味が深まるにつれ、まず、自分なりに平仮名や片仮名の成り立ちと、その背景にヘブライ語のアルファベットがあると見て、試行錯誤を繰り返していました。そして、ふとある日、平仮名の「あ」が、まぎれもなくヘブライ語で「ア」の子音であるアレフアインを合成してできた文字であることに気付き、それまで考えてきた方向性に間違いがなかったことを確信するに至りました。

直後から「いろは歌」の学びに没頭し始め、その中で不思議と空海の生きざまへ思いを募らせながら、「いろは歌」に含まれる複数の折句の中に秘められている大切な信仰のメッセージを見出だし、その成果については当時、千葉県北総地域において発行する「成田シティージャーナル」に連載しました。その後、日本の民謡に含まれる囃子詞や童歌をヘブライ語で解読する作業を進め、日本語ではおよそ意味を持たない多くの言葉が、実はヘブライ語であり、そこに大事な意味が含まれていることをジャーナルの紙面を借りて解説してきました。中でも、空海の創作ではないかと、当初から想定していた「さくらさくら」の歌詞を、ヘブライ語の辞書を片手に解読した後、ヘブライ大学の教授が確かに筆者の訳した通り、そのままヘブライ語で読めると太鼓判を押してくださった事を聞いた時、自分の解釈が決して偏見によるものではなく、ヘブライ語を日常話すユダヤ人でも、その通りに理解することができることを知り、大きな励みになりました。

本シリーズを執筆するにあたり、何よりも一番気をつけた点は、決して独りよがりな思い込みによる発想に走らず、第3者が理解できる根拠を明示することに努めるということです。日本とユダヤ同祖論に関する昨今の出版物は枚挙にいとまがありませんが、一応にして、この類の書物には根拠が不透明なものが多く、単に結論だけが先走っている感が否めません。それ故、古代史の重要参考資料として、ごく一般的に認知されている史書等の文献に限らず、各種郷土資料においても地元に保管されている文献を積極的に参照し、それらの内容を照らし合わせながら、客観的に検証できることを重視しました。また、考古学上の発掘データや見識に関する諸意見等にも留意し、それらと矛盾がないだけでなく、ヘブライ語で解釈をするにあたっては、辞書等を使って誰でも客観的に確認できることを前提としました。また日本語のヘブライ語訳については、原語となるヘブライ語とその発音を明示し、言葉の意味も明記した上で解説することとしました。特に大切にしたことは、日本列島各地に存在する各種遺跡、古墳や磐座、そして無数の神社を自分の目で見て、確かめることです。それ故、執筆活動を続けながら、全国の山々や遍路など、列島の大自然を自らの足で渡り歩き、その光景を多くの画像に収めてきました。45歳の時から始めたマラソンのトレーニングで鍛えられた足腰があったからこそ、どんな険しい山や崖、海、川も恐れることなく、どこへでも一人旅に出向くことができました。

大自然の中に育まれてきた日本列島の中には、古代社会における文化人が、後世の為に残した磐座や、民族宗教文化の遺跡が無数に存在し、多くのメッセージを今に伝えているようです。それらの中には、イスラエルや西アジア文化にルーツを持っているものが少なくありません。遠いその昔、シルクロードの最終地点と考えられた日本列島には、優れた文化を携えてきた西アジアから多くの渡来人が訪れ、その多くはイスラエル系の民であったと考えられます。他国の侵略により国家を失ったイスラエルの人々にとって、日本列島は預言者によって約束された「東の島々」であり、だからこそ多くの困難を乗り越え、長い年月をかけてでも日本列島を目指して到来したのです。それ故、古代の史跡や伝統的背景の随所に、彼らの存在と、その優れた文化的貢献を垣間見ることができます。

21世紀、これら多くの古代文化、遺跡、伝承を育んできた素晴らしい国、日本に私達は住んでいます。そしてその恩寵の背景には、長い年月に渡り、日本とユダヤのハーモニーが見事に奏でられていたのです。本シリーズは、そのハーモニーの真相を解明し、日本人のルーツについて正しい歴史的解釈を試みることを目指しています。日本とユダヤのハーモニーこそ、世界の歴史を塗り替え、未来に希望をもたらす新たなる心のメロディーと言えるでしょう。時は満たれり。歴史の真相が明かされる時がきました。

日本とユダヤのハーモニー 筆者
中島尚彦
NCJ 編集長 中島 尚彦

中島 尚彦

1957年 東京生まれ。南カリフォルニア大学、ペンシルベニア経営大学院ウォートン校(MBA)を経て、米国フラー神学大学院卒業。1993年サウンドハウスを創業し、国内最大手のインターネット事業に育成。現在、ハウスホールディングスの代表を務め、サウンドハウスの顧問として経営指導に携わるかたわら、日本シティージャーナルの編集長を務める。全国を闊歩しながら古代史の研究に取り組み、新しい切り口から歴史の流れをわかりやすく「日本とユダヤのハーモニー」にて解説。www.historyjp.comサイトにその研究成果を連載中。日本のルーツを解明することにより、祖国の精神的復興に貢献することをライフワークとする。