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神楽歌と「出エジプト記」の不思議な関係

およそ3200年前、エジプトで奴隷となっていたイスラエルの民は、指導者モーセによってカナンの地へと導かれました。広大な荒野をさまよい歩く民の先頭には、常に神の雲が出現したことが旧約聖書に記されています。「神の雲」は導きの象徴であり、その「動く」雲を見上げながら、群集は荒野を旅しました。この奇跡的なイスラエルの「出エジプト記」が、天岩戸神話と神楽歌に関連しています。

神楽歌の一句である「八雲立つ 出雲」(ヤツメサスイツモ)は、「八」が神を意味することから、「神の雲が出現する」と理解できます。そして「出雲」はヘブライ語で「先頭」を意味することから、群集の最先端を神が導く姿が「出雲」と表現されたのでしょう。そしていつしか、民が導かれた約束の新天地も、「出雲」の国と呼ばれるようになったのです。

「八重垣 妻籠めに 八重垣作る その八重垣を」も、同様に2重の言語で読むことができます。まず「八重垣」ですが、ヘブライ語で「ヤエ」は神であり、「ガキ」は、「立ち上がる」のgaah、ガ(gaah、ガ)に、「壁」を意味するkir、キー(kir、キー)を合わせた言葉の組み合わせです。それ故「ヤエガキ」は、「神が立てられた壁(垣根)」の意味となり、「八重垣」という漢字が当てられたのでしょう。「ガキ」にはヘブライ語で、もうひとつの意味があります。vahi、ヴァヒ(vahi、ヴァヒ)という「そして嘆いた」という意味のヘブライ語がありますが、実際の発音は、「ガキ」とも聞こえます。エルサレムの城壁が今日でも「嘆きの壁」と言われているように、「神の壁」は、「嘆きの壁」でもあります。そのニュアンスを理解することにより、文脈の流れが見えてきます。

「妻籠めに」は、「のどが乾く」という意味のtzama、ツァマ(tzama、ツァマ)に、「救いの」を意味するgoel、ゴェル(goel、ゴェル)という形容詞、そして「働き」の意味を持つmeni、メニ(meni、メニ)をリンクした言葉です。発音は「ツァマゴェルメニ」となり、日本語の「妻籠めに」に等しく、「救いの恵みに飢え乾く」の意味となります。これこそ、救いを切望する祈りの言葉です。

その祈りの理由が、次の「八重垣作る」という句に秘められています。「作る」は、「岩」のtsur、ツォ(tsur、ツォ)と、「砂の」を意味するkhol、コル(khol、コル)というヘブライ語から、「砂の岩」を意味します。発音も「ツォコル」となり、「作る」と酷似しています。また、「コル」には、神をないがしろにする「世俗的な」というニュアンスが含まれ、「岩」は神を象徴する言葉であることから、神が不在の乱れた現世を「ツォコル」と表現したのでしょう。実際、荒野を旅したイスラエルの民は、事あるたびに神を忘れ去り、神が禁じられた偶像礼拝の道に走ったため、神の嘆きと怒りをかってしまったのです。それゆえ、ヘブライ語で「いばら」を意味するsene、セネ(sene、セネ)という言葉が、後に続く「その八重垣を」に使われ、神が不在のいばらの世を嘆くことを表現したのでしょう。

「八雲立つ 出雲 八重垣 妻籠めに八重垣作る その八重垣を」は、元来ヘブライ語で書かれ、その発音に合わせて日本語があてられ、天岩戸神話に繋がる神楽歌となりました。言語の意味は、「神が現われ、民の先頭を行く。壁が立てられ、救いの恵みに飢え乾き、乱れた世を嘆く。いばらの世は嘆かわしい」 神楽歌は、旧約聖書のテーマにも繋がる、ヘブライ語と日本語を見事にブレンドして創作された、不思議な古代文学といえます。