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「君が代」の成り立ち

日本の国歌である「君が代」は、誰もが幼いころから幾度となくその歌詞を口ずさみ、親しんできた歌です。「君が代」は、古くからさまざまなお祭りの行事でも歌われるようになり、舟唄や祭り唄としても広まりました。今日では、特にオリンピック競技や日本代表のサッカー試合などにおいて、若者の間でも自国に誇りを持ち、国歌を斉唱する姿は、今や決して珍しいことではありません。その国歌として位置づけについては、戦争責任の観点などから異論を唱える向きもありますが、それはごく少数派の意見にすぎません。昔から今に至るまで「君が代」は、多くの人々に日本人であることの誇りと感動を思い起こさせる名曲と言えるでしょう。

君が代のメロディは、明治維新の開国とともに、イギリス軍の楽長より、国歌の必要性を指摘されたことを発端とし、それから10年あまりの月日を経て、最終的には宮内省雅楽課にて曲が定められました。その際、日本人の音感に馴染みやすい雅楽という日本固有の音楽に基づいて作曲されたメロディが選ばれました。また歌詞については「蓬莱山」と呼ばれる琵琶歌に含まれる「君が代」が選定されました。その歌詞の歴史は平安時代中期に編纂された「古今和歌集」の巻七賀歌(がのうた)巻頭歌や、歌人藤原公任によって編纂された「和漢朗詠集」にある長い詩の一部を抜粋したものに由来しています。当時の和歌の多くは漢詩文から成り立っていることからしても、歌の歌詞やその背景が大陸文化の影響を多大に受けていることがわかります。

我が君は 千代にやちよに さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで

と歌われる君が代の歌詞の内容は、君主の長寿が全うされることを願うものです。その歌詞の念頭に歌われ、題名にもなった「君が代」という言葉そのものは、朗詠集や和歌集においては「我が君は」と記載されています。そして12世紀鎌倉初期、「和漢朗詠集」の巻下祝から「君が代」という言い回しが見られるようになったと一般的には言われています。しかし、そのデータは国歌大観によるものであり、これは明治時代になってからの官用学者の要約版であることからしても、原本の和漢朗詠集・巻下でそのように記されていたのかどうかは不明です。いずれにしても、「我が君は」の文字列の並びの方が「君が代」よりも言葉をよりスムースに解釈し、発音もしやすいことから、元来の原文に含まれていたのは「君が代」であり、それが何らかの理由で改竄されて「我が君は」となり、朗詠集および和歌集に収められたと解釈するのが妥当ではないでしょうか。詩というものは、その表現が時を経てより滑らかになっていくものです。それ故、「我が君は」という表現は、「君が代は」の後に普及した表現であり、最終的に元来の表現である「君が代は」に戻されたと考えられるのです。つまるところ、「我が君は」と記載されている「和漢朗詠集」以前に、その原文となる歌が存在した可能性があります。