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2021/04/26

国歌「君が代」の意味 古代の歌をヘブライ語で読む!

「君が代」の由来

「君が代」の歌詞と作者

日本の国歌「君が代」は、世界でも類を見ないほど短い国歌です。また、世界中で最も古い国家の歌詞とも言われています。そのルーツは平安時代に編纂された「古今和歌集」(延喜五905年)に遡ります。そこには「君が代」の初句が「わが君は…」と記され、作者は不明であるため「読人知らず」となっています。

わが君は千代にやちよに さざれ石の巌となりて苔のむすまで

「古今和歌集」 巻七賀歌巻頭歌 国歌大観番号343番

平安前期に詠まれた「君が代」の歌詞は時代につれて変遷し、「和歌体十種」や「古今和歌六帖」においては「千代にやちよに」の部分が「千代にましませ」と詠まれるなど、いくつかの些細な歌詞のバリエーションがみられるようになりました。それから1世紀後の「和漢朗詠集」では、今日の「君が代」と一致する歌詞となり、「君が代は…」と歌われています。

わが君は千代にましませ さざれ石の巌となりて苔のむすまで

「和歌体十種」、「古今和歌六帖」

君が代は千代に八千代にさざれ石のいはほとなりて苔のむすまで

「和漢朗詠集」 巻下祝、国歌大観番号775番

「君が代」は、上記いずれも「読人知らず」の古歌とされています。そして作者は知られないまま、いつしか「君が代」の歌は、和歌の中でも古くから祝賀の歌として多くの人々に愛唱されるようになります。(宮城県神社庁, 2021 国歌「君が代」) 時には酒席などで朗詠されるだけでなく、物語や御伽草子、箏曲、舟歌、そして謡曲、歌舞伎などを通じ庶民層にまでこの歌詞は広く普及しました。(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典) また、安土桃山時代においては、「君が代」は恋の小唄としても知られるようになります。

国歌としての「君が代」

平安時代に書かれた「君が代」の歌に楽曲が付けられた発端は1869年、来日していたイギリスの軍学隊長であるフェントン氏が、国歌の必要性を訴えたことにあります。その結果、薩摩藩の学者らにより薩摩琵琶歌の「蓬莱山」に含まれている「君が代」が歌詞として選定され、フェントン氏の楽曲は「天皇に対し奉る礼式曲」として、1870年には薩摩藩楽隊により演奏が披露されます。しかしながら、そのメロディーは日本人の感性に合うものではなく、不評のままで広められることはありませんでした。

それから6年後、宮内省は「天皇陛下を祝する楽譜」を改定することに着手し、宮内省雅楽課により「君が代」のメロディーが作曲されます。そして明治13年、1880年の天長節に現代の「君が代」のバージョンが初演されたのです。その時点では、まだ正式な国歌として認知されたわけではなく、あくまで宮内省と海軍省の間でお披露目されただけにとどまりました。その後、ドイツ人の音楽家フランツ・エッケルト氏の編曲により、今日知られている「君が代」の楽曲が完成し、明治26年(1893)の天長節に、祝日大祭日唱歌として公布されました。そして文部省が学校儀式用唱歌として「君が代」を告示したこともあり、正式に法律で認められてはいなかったものの、事実上、日本の国歌としての役割を果たしはじめたのです。そして海外から賓客を迎える行事や、スポーツイベント開催の際は、「君が代」が国歌として歌唱されるようになりました。

昭和のはじめには、小学校の教科書においても「君が代」についての教えが明記されるようになります。「小学修身書」巻四には、私たち臣民が『君が代』を歌ふときには、天皇陛下の万歳を祝ひ奉り、皇室の御栄を祈り奉る心で一ぱいになりますと書かれ、学童に対しても、「君が代」の重要性が教えられるようになります。そして国民学校の国定修身教科書には、「君が代」の意味が明記されたのです。

君が代の歌は、天皇陛下のお治めになる御代は千年も万年もつづいてお栄えになるように、という意味で、国民が心からお祝い申し上げる歌であります。(「初等科修身二」)
こうして「君が代」は天皇を崇め祀り、祝う歌として、長い年月をかけて庶民の生活に根付いていくことになります。

「君が代」と戦争

しかしながら日本は第2次大戦に敗戦した結果、GHQ連号国軍総司令部の占領下におかれ、「君が代」の斉唱が禁止されました。天皇を神として奉る意味にも捉えられかねない「君が代」の歌詞は、軍国主義化の思想を再び呼び起こす要因となることが懸念され、日の丸の掲揚とともに、「君が代」もご法度となったのです。そしてGHQの指導のもと、教育の現場からも「君が代」の合唱は一時、消えていくことになります。

戦後、国民の中には国家として「君が代」はふさわしくないと意見する人たちもいましたが、「君が代」を国歌として歌い続けたいと思い続ける人々も少なくはありませんでした。そして1950年10月、当時の文部大臣が、学校や家庭で日の丸掲揚、君が代斉唱することを推奨すると全国の教育委員会に通達をしてからは、徐々に社会の風潮が変わり始めます。特に、1951年に締結されたサンフランシスコ平和条約以降は、日本の主権が徐々に回復する兆しも見えてきたことから、「君が代」が国歌のように斉唱されることが多くなりました。(高橋磌一「君が代」『日本歴史大辞典第3巻 かた-き』日本歴史大辞典編集委員会、河出書房新社、1979年11月) そして1958年には「学習指導要領」を通じて、「国旗を掲揚し、君が代を斉唱することが望ましい」と改めて明文化され、教育の現場においても「君が代」が事実上の国歌として斉唱されるようになり、国民の間に広く浸透することとなります。

それから長い年月を経て、祝日大祭日唱歌として公布された年からおよそ1世紀を経た1999年、「君が代」の法制化が実現します。「国旗及び国歌に関する法律」の成立により、それまで法的な根拠なく国歌のように斉唱されてきた「君が代」が、正式な国歌として法制化されたのです。(百科事典マイペディアの解説「日の丸」を国旗,「君が代」を国歌と定めた法律) その第2条には、「国歌は、君が代とする。」と明記されています。

同年8月、当時の内閣総理大臣は、国歌「君が代」への思いと今後の方針を、談話を通じて語られています。

「本法律の成立を契機として、国民の皆様方が、「日章旗」の歴史や「君が代」の由来、歌詞などについて、より理解を深めていただくことを願っております。 また、法制化に伴い、学校教育においても国旗と国歌に対する正しい理解が促進されるものと考えております。我が国のみならず他国の国旗と国歌についても尊重する教育が適切に行われることを通じて、次代を担う子どもたちが、国際社会で必要とされるマナーを身につけ、尊敬される日本人として成長することを期待いたしております。」

(平成11年8月9日小渕内閣総理大臣の談話)

「君が代」の歌詞の意味

国歌「君が代」の歌詞には一見わかりづらい表現が含まれていますが、古くは「祝福を受ける人の寿命」を歌ったものと考えられていたようです。(「君が代」『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典2』フランク・B・ギブニー編、ティビーエス・ブリタニカ、1973年6月) そして年賀において天皇の長寿を賛歌すると意味でも歌われるようになり、長い歴史の中で、徐々に「天皇の治世」を祝福する歌と解釈されるようになります。今日では、ごく一般的に「天皇陛下を国家と国民統合の象徴とあおぐ日本の国は、小石が砂などと積み重なって、大きな岩となり、その上に美しい苔が一面に生えるように、永遠に平和で栄え続きますようにと祈る」と理解されることが主流の考え方になっています。(宮城県神社庁, 2021 国家「君が代」)

時代によって変化する「君」の意味

「君が代」の題名に含まれる「君」の意味は、時代や背景によって変化します。古今集時代の「きみ」は、主人、家長、友人、愛人などを意味する二人称、三人称で幅広く使われました。(日本大百科全書 「君が代」) また、一般庶民の背景を想定するならば、「重要な人」「大切な人」、そして時には「天皇」を指すこともできます。様々な意味をもつ「君」という言葉でしたが、時代を経て徐々に「君」は「天皇の御代」に結び付けられるようになりました。そして第2次世界大戦の戦時中の大日本帝国憲法下では、「君」とは主権者である天皇を指す、と断定するまでに至りました。

戦後に発布された日本国憲法下においても「君」は日本国及び日本国民統合の象徴である天皇と解釈するのが適当であると、継続して考えられています。その構想にそって、日本国政府は平成11年に「君が代」の歌詞について公式の見解を発表し、その中に「君」の意味を明記しました。

「日本国憲法下では、日本国及び日本国民統合の象徴であり、
その地位が主権の存する国民の総意に基づく天皇のことを指す。」

そこには政府公式の見解として、「君」は、「天皇のことを指す」、と結論づけられています。そして「君が代」とは「天皇の御代」という古来の考え方を踏襲したうえで、今日の社会情勢を踏まえ、誤解されることのないように「君が代」で歌われる天皇と国家の関係についても明文化したのです。

「日本国民の総意に基づき天皇を日本国及び日本国民統合の象徴する我が国のこととなる」

「千代に八千代に」とは

次に「千代に八千代に」ついて、「代」という文字には「寿命の意」が込められていることから、「君が代」という言葉は「あなたの寿命」、しいては「天皇の御治世」を指していることにもなります。(デジタル大辞泉 「君が代」) それ故、「君が代」とは、「天皇の治世であり、和歌史上においては、祝福を受ける人の寿命」であり、「その御代がいつまでも続きますように」という意味に考えられるようになりました。(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「君が代」)

戦前の昭和時代、国民学校の教科書には、天皇陛下のお治めになる御代は千年も万年もつづいてお栄えになるように、という意味で、国民が心からお祝い申し上げる歌であります。(国民学校4年用国定修身教科書「初等科修身二」)と記載されています。そして戦後の社会情勢と国民感情の変化を考慮したうえで、平成11年に内閣総理大臣は政府見解として、「我が国の末永い繁栄と平和を祈念したものと解するのが適当」と語られました。(平成11年6月29日 衆議院本会議 内閣総理大臣)

「さざれ石」と「巌」の意味

霧島神宮のさざれ石
霧島神宮のさざれ石
「さざれ石」は、一般的に細かい石のことを意味します。そして「さざれ石」が固まると、大きな礫岩(れきがん)となることから、「さざれ石」は巌(いわお)の基にもなります。その「巌」とは、古くから神の象徴と考えられていたことから、いつしか神は「岩なる神」としても崇められるようになりました。それらの言葉が合い重なり、「さざれ石の巌となりて」という歌になったのです。こうしていつしか「さざれ石」は巌の基となる聖なるものと考えられるようになり、今日では全国各地の「さざれ石」と称される磐座が、聖なる岩として祀られています。

また、さざれ石が積み重って大きな巌になるということは、多くの人々と岩なる神とが一体となり、密接な関わり合いを持つことをも示唆しています。その岩なる神、巌こそ、日本国民、一人ひとりの象徴となる天皇であり、その方を讃えるのが「君が代」の歌詞の本来の意味と考えることができます。

難解な「苔のむすまで」の解釈

日本の国民、誰もが歌う国歌「君が代」ではありますが、一種の違和感を覚える人が少なくありません。その理由のひとつが、一般的には使われない歌詞の羅列です。「君が代」で使われている言葉はわかりづらく、他にあまり例をみない表現が含まれています。例えば、「細石の巌」や「苔のむす」などは、日常生活では使うことのない難解な表現ではないでしょうか。それ故、学校教育現場においても、「君が代」の歌詞の意味を生徒らに解説して教える機会はほとんどなく、単に歌詞を覚えて斉唱するだけにとどまってしまうようです。

特に、代々にわたる繁栄を言い表すために用いられたと考えられる「苔のむすまで」という独特の表現が、果たして「天皇の御代」の永続性を語るに相応しい美しい言葉の響きを持つかどうかについても疑問が残ります。天皇を誉め歌うのに何故、御代の継承を苔に例え、「コケが生す」という表現を用いたのでしょうか。さらに何故、「万代」ではなく、それよりも短い年数の「千代」という言葉が用いられたかも釈然としません。しかも「センダイ」ではなく「チヨ」と発音され、続く「八千代」も、同様に「ヤチヨ」と発音されています。何故、七千代(ななちよ)ではなく「八千代」となったのでしょうか。

「君が代」の歌詞の意味には様々な解釈がありますが、一見、日本語で書かれていると思っていた「君が代」の歌が、その発音のまま、イスラエルの言語であるヘブライ語でも読めることがわかりました。もしかすると、別の言語でも意味をもつ、二重の歌詞であるかもしれず、そこにはまた、別の意味が込められている可能性も考えられたことから、徹底して検証をしました。

ヘブライ語で読む「君が代」

ある日、「君が代」がもしかしてヘブライ語で書かれているのではないかと考え、日本語であるはずの「君が代」を、ヘブライ語で書かれたものと仮定して幾度となく読んでみました。すると「君が代」の歌詞には口ずさむだけで不思議と伝わってくるヘブライ語の響きがあることに気が付きました。しかも一見日本語で書かれた「君が代」の歌詞が、最初から最後まで一貫してヘブライ語の詩としても読めるようになってきたのです。

そのきっかけとなったのが、「千代に八千代に」という不思議な響きを持つ言葉です。ヘブライ語で神を意味する「ヤ」、「ヨ」、という発音が繰り返されていることに注視し、「チヨニ」という発音の言葉をヘブライ語の辞書で調べてみました。すると驚くことに「シオンの民」を意味する「チヤ(ヨ)ニ」というヘブライ語が存在することがわかったのです。また、イスラエル人にとって「岩」「巌」は神を意味する言葉であり、へブライ語で救いを意味するYesh(イェシュ、イェシ)の発音に近い「イシノ」という言葉も「君が代」の歌詞に含まれていることから、「救い」のメッセージが「チヨニ」、すなわち「シオンの民」に結び付いているのではないかと推測しました。そして幾度となく「君が代」をヘブライ語として読んでいるうちに、その歌に秘められていたメッセージが徐々に浮かびあがり、遂に「君が代」は元来ヘブライ語で書かれた歌であるという結論に導かれました。国家「君が代」の歌詞はヘブライ語で読んでも、きちんとした意味をもっていたのです。

「君が代」は祈りの言葉だった

「君が代」の歌詞は、「きみがよは」から始まります。この言葉に似たヘブライ語が「クンバヤー」です。今日でもイスラエル人は「クムバヤー」と言えば、「神よ、立ち上がってください!」という祈りの言葉として、その意味を理解することができます。ヘブライ語で「クンバヤー」は、קום בא יה(kum-ba-yh)と書きます。「クム」はヘブライ語のקומ(kum、クム)であり、「立つ」または「起き上がる」ことを表します。「バ」は「来る」「来た」、すなわち英語の「come」と同義語のבא(baah、バ)です。よって、「クンバ」は「立ち上がれ!」「立ち上がって来てください!」という意味になります。

「クンバ」という言葉の後に「神」を意味する「ヤ―」の語尾をつけると、「クンバヤー」となります。イスラエル人ならば誰でも、「ヤ」と言えば「ヤ―ウェーの神」を指す言葉であることを知っています。「ヤ」はヘブライ語で、וה(yh、ヤ)と書き、יהוה(yhwh、ヤハウェ)の略です。また、その頭文字となるヘブライ語の子音ヨッド(י)一文字だけでも「神」を象徴する尊い言葉とされています。יהוה(yhwh)は神聖なる神の名であることから、実際には人間が発音することのないよう、古代からyhwhという4つの子音に母音が付けられることはありませんでした。つまり神の名前を発音することが禁じられていたのです。よって長年にわたりイスラエル人は、この4文字を読む際には「ハシェム」と発音する当て字を用いて「神」の代名詞としてきたのです。それ故、קום בא יהוה(kum-ba-yhwh)は「クンバ・ハシェム」と読まれます。もし、このYHWHという子音4文字にあえて母音を付けて読むとするならば、おそらく「ヤハウェ」「ヤ―ウェー」と発音されたであろうというのが定説です。よって本来「神」は、「ヤ」の神であることから、「クンバ・ヤハウェ」と読むべきところを略して、「クンバ・ヤ―」と発音したのです。

「君が代は」の「代は」は、神を意味するיהוה(yhwh、ヤハウェ)というヘブライ語の子音に母音をつけて、そのまま「ヨワ」と発音したと考えられます。代替え案としては、「神」を略して称した「クンバ・ヤー」קום בא יה(kum-ba-yh)の後に、「そして」を意味するו (va,wa,ワ)が付けられたと推測することもできます。すると、「クンバ・ヤー・ワ」となり、「神よ、立ち上がってください!そして…」という意味になります。「クンバ・ヤハウェ」「クンバヤーワ」、いずれの理解にしても、「君が代」の歌詞は、「神様、立ち上がってください!」という祈りの言葉で始まっていることに変わりありません。

「クンバ・ヤ―ウェー」のヘブライ語から母音を除き、子音だけで文字をそろえると、「KMBYHWH」となります。ヘブライ語では母音を可変して読み方を変えることも可能であることから、「KMB」という3つの子音に母音をつけて日本語にすると、「キミバ」と読むことができます。ヘブライ語で「B」は「V」のように発音することから「ガ」に近く聞こえます。こうしてヘブライ語が多少訛って日本語化され、ヘブライ語の「クンバ」が日本語では「キミガ」になったのではないでしょうか。また、「YHWH」も同様に母音をつけると、「ヨ―ワー」となります。すると、「クンバ・ヤ―ウェー」というヘブライ語が、「キミガヨワ」という日本語でも読めるようになります。

「君が代は」の語源はヘブライ語であり、「クンバヤハウェ」「クンバヤワ」と発音する言葉が多少訛り、「キミガヨワ」という日本語になったと推測できます。それは、「神よ、立ち上がり、来てください!」という切なる祈りの言葉だったのです。つまるところ、「キミガヨ」という言葉には、ヘブライ語の「クム・バ・ヤ(ハシム)」が、そのルーツ語として存在していたと考えられます。

君が代は
קום בא יהוה →  KUM-BA-YHWH (KMBYW) →  きみばよわ

「クンバヤ」という黒人霊歌が今日、キリスト教徒を中心に世界各地で歌われていることをご存じでしょうか。当初、アメリカ東海岸沿いの諸島に住むアフリカ系の人々が英語で「Come by here」と歌い、それが訛ったものではないかというのがアメリカでは定説とされています。また、太平洋諸島をアメリカからの宣教師が訪れた際に、そこで現地の島民に「Come by here」と祈ることを教えた結果、その言葉が訛っていつしか「クンバヤ」と歌われるようになったと伝承されています。「クンバヤ」の正確な発祥の地は不明のままですが、黒人霊歌として親しまれてきたこの歌の語源も、「君が代」と同様にヘブライ語の「クンバヤ」と考えられます。これは「君が代」という歌のルーツが世界各地で歌われている「クンバヤ」に結び付いているだけでなく、多くの島々に古代、イスラエルの民が渡来し、そこで「クンバヤハウェ」、「神よ、立ち上がり、来たまえ!」と神に祈り求めた結果ではないでしょうか。

「千代に八千代に」は「シオンの民」の意味

「キミガヨ」の後に続くציוני(tsiyoni、チヨニ)は、ヘブライ語で「シオニスト」を意味します。今日、「シオニスト」とはイスラエル文化の復興を強行するユダヤ人の運動を主に意味します。しかしながら従来は、イスラエル神殿の丘、聖地「シオン」に結び付く民、つまり「シオンの民」の意味で用いられていました。そして「君が代」では、聖なる「シオンの民」を強調するために「チヨニ」を繰り返し、さらには神を意味する「ヤ」を付加して、くיהציוני(yahtsiyoni、ヤチヨニ)と歌われていたのです。ヘブライ語で「シオンの民、神の民」を意味する言葉がそのまま「千代に八千代に」として歌われたことは、言葉の流れからしても明らかです。こうして神から選ばれた「シオンの民」に対する神の恩寵が、「君が代」では歌われ続けてきたと考えられます。

千代に八千代に
יהציוני ציוני  →  TSI-YO-NI YAH-TSI-YO-NI → ちよにやちよに

「さざれ石の」は救いを待ち望む思い

次に「さざれ石」の「サザレ」ですが、これはשש(sasah、ササ)とשריד(sarid、サリー(ド)」と発音する2つのヘブライ語が合成された言葉と考えられます。「ササ」「サッサ」は「喜ぶ」、「サリード」は「残りの民」「生き残る」、を意味します。この2つの言葉を合わせると、「ササリード」「ササリー」となります。そのヘブライ語がいつしか日本語に訛り、「サザリー」「さざれ」と歌われるようになったと考えられます。

古代、国家を失ったイスラエル人にとって、「残りの民」という言葉の意味は重要でした。祖国が崩壊する最中、生き残った民が神の憐れみにあずかり、再び「神の選民」としていつの日か立ち上がり、必ず国家を再建できると信じられてきたのです。そしてイスラエルの「残りの民」の中には、アジア大陸の東方に浮かぶ日本の島々にこそ、新しい都の地であると確信した人々がいました。それらイスラエルの「残りの民」が海を渡って日本列島まで到来し、一生懸命国造りに取り組んだ結果、日本列島における新しい国造りは目覚ましい進展を短期間でとげました。日本列島の至る所に神を祀る社が建立され、祖国イスラエルの文化と風習を継承した美しい国が創生されたのです。その大いなる恵み、すなわち国家を失った民が日本という未知の島々にて新しい歴史を刻むことができるようになった喜びを歌ったのが、「ササリー」「サッサリード」というヘブライ語の言葉ではないでしょうか。そこには「残りの民は喜びます!」と、神を誉めたたえる熱い思いが込められていたのです。その情熱あふれる思いが、いつしか日本語では「さざれ」と詠まれるようになったのです。

「サザレ」「サッサリー」に続く「石の」という言葉を通じて、救いのメッセージが継続して語られていることにも注目です。ヘブライ語で「救い」はישע(yasha、ヤシャ)、もしくは(yesha、イェシャ)と発音します。この言葉をルーツにもつישׁוע(Yeshua、イェシュア)は、イエス・キリストを意味します。日本語の医者(イシャ)という言葉も人を救済することに関わることから、ヘブライ語の「イェシャ」が語源にあると考えられます。これらの「救い」を意味する「イェシャ」「ヤシャ」「イェシュア」が訛り、日本語では「イシュ」「イシ」と発音するようになったと考えられます。

その語尾に祈りの願いを込めたヘブライ語の感嘆詞、נא(na、ナ)を加えると、日本語では「イェシャナ」、「イシュノ」となり、それがいつしか「イシナ」「イシノ」になったと推測されます。新約聖書にはイエス・キリストがエルサレムに入られた際、大勢の人々が「ホサナ」と喜び歌ったことが書かれています。ギリシャ語で書かれた「ホサナ」の語源は、ヘブライ語のנא הושיעה(hoshia-na、ホシアナ)です。「ホシア」は「救い」を意味し、「ナ」は祈りの願いを表現する言葉です。これら2つの言葉が合わさると、「強い祈りの願いになります。

「ホシアナ」「ホサナ」と同様に、救いを意味する「イェシャ」「イシ」の語尾に、祈りの願いを込めた「ナ」を付けた言葉が「イシナ」です。すると「イシナ」「イシノ」という言葉には、「救いたまえ!」「救いを!」という強い願いが込められていたことがわかります。「イシノ」とは、「助けてください!」「救ってください!」という神のご加護を願い求める祈りの言葉だったのです。つまり「さざれ石の」という歌詞は、元来ヘブライ語で「残りの民は喜び、救いを待ち望む!」という意味だったと考えられます。こうしてヘブライ語の意味を取り入れることにより、「君が代」の文脈が、見事に新しい意味合いをもつ歌に生まれ変わるのです。

さざれ石の
שש שריד ישע נא →  SA-SAH-SARID YE-SHA-NA  →  ささりいしゃな

「巌となりて」は神への祈り

「細石(さざれいし)の」の後には、「巌となりて」という歌詞が続きます。「細石」はごく一般的に、細かい石・小石の意味であり、それらが長い年月を経て堆積して、いつしか大きな巌となり、さらにその上に苔が生えるまでの過程が、非常に長い歳月を表す比喩表現として「君が代」では用いられています。(フリー百科事典『ウィキペディア Wikipedia』 「さざれ石」 2019)

実は、このフレーズもヘブライ語で綴られた信仰に関する熱いメッセージです。「巌となりて」は、「イワ・オト・ナリテ」という3つのヘブライ語に分けられます。まず、「イワ」は、神を意味するיהוה(YHWH、ヤハウェ)という子音だけの言葉に任意の母音を付け、「神」を指す「ハシェム」のような言葉として、「イワ」と発音するようになったと考えられます。YHWHの文字の「Y」には「イ」、「W」には「ア」の母音を付けると、「イワ」という発音になります。すると、「岩」という言葉は「神」を意味することになります。イスラエルでは古代から「岩なる神」という考え方が語り継がれてきたことから、「岩」を意味する「ツ」というヘブライ語も「神」の同義語と考えられていました。よって多くの渡来者がイスラエルから訪れた日本社会においても、岩は「神」として崇められてきたのです。また、ヘブライ系ユダヤ人のことをアラム語では「IWARAA」「イワラ」と呼び、そこに「イワ」という発音が含まれるのも、この言葉の背景に「神」の意が含まれているからに他なりません。岩は神であることの証として、新約の時代では、イエス・キリストが「救いの岩」と呼ばれることになります。

次の「オト」は、ヘブライ語で「私に」を意味するאותי(oti、オティー)が語源と考えられます。そして「ナリテ」はヘブライ語で「見せた」を意味するנראתַה(Niratah、ニラタ)が多少訛った言葉です。NRTという3つの子音から成る「ニラタ」は、母音を多少変化させると、「ナリタ」「ナリテ」という発音にもなります。すると、「イワオトナリテ」がヘブライ語では、「神が私に見せてくださる」という意味になりますす。

では、何を見せてくださるのでしょうか。旧約聖書には、イスラエルの民が神の御顔を求めて祈ったことが随所に記されており、その思いは今日まで引き継がれています。「君が代」に含まれている前後の歌詞の意味と文脈の流れ、祈りの言葉という背景から察すると、「ニラタ」には「神の御顔を見せてください」という思いが含まれているようです。つまり、神ご自身が現れてくださり、御顔を見せてくださることがイスラエルの民の祈りであり、「君が代」の歌詞にも込められていたのです。

巌 (いわお) となりて
יהוה אותי נראתַה →  YHWH-OTI-NRT  →  いわおてぃにらた

「苔のむすまで」に込められた信仰の思い

最後に、「苔のむすまで」という締めくくりの文章をヘブライ語で解釈してみましょう。この言葉の響きは異様であり、君が代の限りない繁栄を詠う言葉にしては、今ひとつ理解しづらいと思う方も少なくないでしょう。しかしながらヘブライ語で読むことにより、これまでの歌詞の流れに沿って、歌全体の文脈を理解することができるようになります。「コケノ」の原語はヘブライ語で「コル」「カノ」という2つの言葉から成り立ち、実際の発音は「コ(ル)カノ」です。ヘブライ語でכֹל(kol、コル)は、「すべて」「全部」を、そしてכנו(kano,カノ)は「基礎」「台」を意味します。ふたつを合わせると、「コカノ」「コケノ」という言葉となり、「すべての基礎」を意味するだけでなく、「全地」をも示唆する表現と言えるでしょう。

最後の歌詞となる「ムスマデ」には、2つの解釈があります。まず、「語られる」「鳴り響く」という意味を持つמושׁמע(mushma、ムシュマ)をルート語とするמושׁמת(mushumaat、ムシュマット)という言葉が、「ムスマデ」の語源であると想定してみました。すると、「コ(ル)カノ・ムシュマッ(ト)」はヘブライ語で「全地に鳴り響く」という意味になります。すると、「君が代」の最後の文は、民の祈りに応えて「神が御顔を見せてくださり、全地に響き渡る」と理解することができます。

もうひとつの解釈は、「ムスマデ」をヘブライ語で、「破壊」「破滅」を意味するמושׁמד(mushumad、ムシュマッド)として読むことです。すると、「コ(ル)カノ・ムシュマッ(ド)」は、「全ての基礎、全地が滅びる」を意味することになります。一見、無茶な解釈のように聞こえますが、2つの理由をもって後者の解釈の方が、にわかに信憑性を帯びてくることがわかります。

まず、旧約聖書の最後となるマラキ書の3章24節に注目してみましょう。旧約聖書の最後を飾るこの節には、「彼は父の心を子に、子の心を父に向けさせる。私が来て、破滅をもってこの地を撃つことがないように」と書かれています。古代、イスラエルの預言者は、この世のもの、つまり天地は、いつしか滅び去るというメッセージを一貫して語り続けてきました。預言の内容については、聖書の中でも預言書と呼ばれる書簡の随所に収められています。しかしながら、信仰によって生きる民は、それらの災害から救われ、神によって贖われることも語られています。そして多くの民は、その教えを信じたのです。それ故、天地が滅びても、神が御顔を見せてくださり、救いの手が差し伸べられるから民は喜ぶという、証にも聞こえる言葉は、まんざら思いすごしではなく、君が代の最後の文脈にヘブライ語で綴られた、信仰告白のようなのです。

2つめの理由は、「ムシュマッ(ド)」という言葉に、キリスト信仰に関連する特殊な意味が含まれていることです。「ムシュマッ(ド)」の元来の意味は「破壊」です。しかしながら、イエスキリストの時代以降、キリストを信じるものと、その教えを否定してユダヤ教に徹する者とが激しく敵対していく最中、ユダヤ人の中でもキリスト教に改宗した人はいつしか、「ムシュマッ(ド)」、すなわちユダヤ人でありながら「破壊された者」、すなわち「キリスト者」として差別されるようになったのです。こうしてキリストを信じる「ムシュマッ(ド)」は、ユダヤ人から蔑視され、完全に仲間外れにされるようになりました。

もし、「君が代」の作者がイスラエルからの渡来者の末裔であり、キリスト者、つまりイエスキリストを信仰する民の集団であったとするならば、「ムシュマッ(ド)」という言葉が極めて重要な意味を持つことになります。すると、「コ(ル)カノ・ムシュマッ(ド)」が表面的には、「全地が滅びる」の意味に聞こえるものの、その真意としては、「全ての基礎はキリスト者」、「全地はキリストにあり」という本質的な信仰告白の意味が含まれていたことになります。この二重の意味こそ、「君が代」が語ろうとする真髄であり、「苔のむすまで」と歌うことにより、「全てはムシュマ(ド)」、「全てはキリストにあり」という熱い信仰の思いが告げられていたのです。

苔のむすまで
כֹל כנו מושׁמד  →  KOL-KANO-MUSHUMAD  →  こかのむしゅまで

まとめに

ヘブライ語で読む「君が代」の歌詞とは、神の選民であるイスラエルの民が、自らに託された使命を明文化した、力強い信仰告白のメッセージだったのです。「君が代」は、「神よ、立ち上がって来てください!」という祈りの叫びである「君が代は」(クムバヤハ)、という掛け声から始まります。そして「千代に八千代に」(チヤニ・ヤチヤニ)と呼ばれた「シオンの民、神の選民」は、神の大いなる恵みを受ける「残された民」として喜び、神の救いを祈り続けたことが、「細石の」(ササレ・イシュノ)の意味です。その結果、「神は私に御顔を見せてくださった」という思いが、日本語では「巌となりて」(イワオティーニラタ)と語られたのです。そして、例え全地が滅びても、全ての基礎はキリストにある故、大丈夫という強い信仰の思いが、「苔のむすまで」(コルカノ・ムシュマデ)という言葉をもって表現されました。そこには、「全てはキリストにあり」という信仰告白の思いが込められていたのです。

קומ בא יהוה
ציוני יהציוני שש שריד ישע נא
יהוה אותי נראתַה
כֹל כנו מושׁמד

神よ、立ち上がってください!
シオンの民、神の選民! 残りの民は喜び、救いを待ち望みます!
神が御顔を見せてくださる
すべての基はキリストにあり

ヘブライ語の発音も聞けます >

「君が代」の歌詞は、ヘブライ語で書かれたメッセージに日本語が折句のように巧みに組み合わされ完成した古代の讃歌と言えます。それ故、ヘブライ語、日本語のいずれでも読むことができます。そこには、古代、日本に移住してきたユダヤ人の神に対する熱い思いと、その信仰告白とも言える大切な救いのメッセージが秘められていました。「君が代」の意味を今一度振り返りながら、古代の日本に思いを馳せてはいかがでしょうか。

[参考文献]

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コメント
  1. katuaki fujii より:

    「ぶっだがやの散歩道」というブログで紹介させていただきました。すばらしい解釈です。おそらくそうでしょう。

中島尚彦

中島 尚彦

南カリフォルニア大学、ペンシルベニア大学ウォートン校、フラー神学大学院卒。音楽系ネット通販会社サウンドハウスの創業者。古代史と日本古来の歌、日ユ同祖論の研究に取り組むとともに、全国の霊峰を登山し、古代遺跡や磐座の調査に本腰を入れている。

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