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スメラミコトの真意とは

古代より日本の文化は渡来人の影響を多分に受けていることからしても、日本の古代史を理解するためには、アジア史全体の流れを諸外国の言語や文化も含め、さまざまな角度から検証することが重要です。例えば天皇家の家紋である十六弁八重表菊紋は、バビロンのイシュタル門に複数描かれており、今日でもその遺跡をイラク国内で見ることができます。これだけをとって見ても、長い年月を経て多くの渡来者が大陸から流入し続ける中で、シュメール文化の発祥の地である西アジアの文化が日本に持ち込まれた一例かもしれません。いずれにしても、多種多様のアジア大陸の文化が日本の島々に徐々に紹介され、土着していくことに違いはありません。

特に紀元前8世紀にアジア大陸を東方へ移動開始したイスラエル民族との関わりは重要です。国家の崩壊とともに日本列島まで旅してきたイスラエルの民が、天皇家の歴史や国家の設立に深く関わったと考えられるからです。「東の海の島々」を目指したイスラエルの先行部隊一行は、遂にある日、アジア大陸の東の果てに日本列島を発見します。渡航者の中には聖職者やレビ族と共に、南ユダ王国の王系一族も含まれていたことでしょう。当時、宗教政治面においては、神の言葉をとりなす預言者やレビ族系の祭司が多大なる権力を持っていましたが、実際に国を治める国王となるべき人物は、神から定められたユダ族の出であることが不可欠であったからです。つまり初代渡来者の群れは、宗教的リーダーと、実際に国を治める王系の統治者という、およそ2つのグループに分かれていたのです。それが後述するとおり、後世において天津神系と国津神系という2系統の神々に分けて考えられるようになった根本的な要因とも考えられるのです。

その国家の王である統治者は、古来より「天皇」、「スメラミコト」と呼ばれていますが、次にその言葉の意味を、古代史を理解する鍵となるヘブライ語も参考にしながら検証してみましょう。イスラエル北王国がアッシリアにより占領されてからおよそ60年後、南ユダ王国も崩壊の危機に直面していた前660年、神武天皇の即位により天皇家の歴史が幕を開けました。神武天皇は、天照大神より三種の神器を授けられ、高天原より葦原中国へ降って国を治めるようにとの詔を受けた天孫ニニギのミコトの子孫にあたります。そして天皇は日向の高千穂に天下った後、天下統一を目指し、瀬戸内海を東に向かって大和へ攻め入り、「ハツクニシラス・スメラミコト」として即位したのです。

新天地におけるスメラミコト、天皇による統治とは単なる神話に終わるものではなく、実在した人々の物語を巧みに編纂して、史書としてまとめられたものと考えられます。そして実際にはイスラエルの王系ユダ族の継承者である王子が、大陸の象徴とも言える高天原より海を渡り、最初に日向を訪れたという出来事を神話化した可能性が高いのです。高天原とは元来、イスラエル諸族が祖国の地を逃れた後、西アジアの高原にある先祖の故郷の地で一旦合流したと考えられる、タガーマのハランと呼ばれる場所です。その思い出が募る場所の名前が大陸の象徴となり、いつしか陸続きである東の果てまでもが高天原と一体化して解され、東の島々とは一線を引く先祖の故郷、すなわち大陸側の聖地を意味するようになったのではないでしょうか。

さて、神武天皇をはじめとする諸代天皇の尊称は「スメラミコト」と呼ばれました。そこでまず、「スメラミコト」の漢字表記である「天皇」という言葉に注目してみました。遊牧騎馬民族の時代において、アジア大陸では既に「天王」と名乗る国王が五胡十六国時代を中心として存在し、「天王」の称号が中国の最高主権者である「皇帝」に対抗して使われていたことが知られています。大和の国の主権者が、漢字表記では「天王」、もしくは「天皇」と称されたことは、これらの中国語の表記に由来していると考えられます。また、「天王」という漢字表記が、古事記、日本書紀が編纂された8世紀ごろにおいては「天皇」と書き換えられている理由については、天皇家がアジア大陸からの移民であることを隠蔽し、独自の称号を成り立てるためという説もありますが、定かではありません。また、アジア大陸、および中国の主権者という主旨で、「天王」と「皇帝」を合わせて「天皇」としたとも考えられます。いずれにしても、ここで大切なことは、漢字表記が「スメラミコト」と読まれていることであり、その呼び名の意味を解明することです。

古代日本語である「スメラ」は天皇に敬意を表する接頭語として、「皇」の読みとして知れ渡りました。そして「統べ治める」という言葉から、統治者が「スブル」ことを意味する言葉が「スメラ」であるとも考えられています。また、柿本人麻呂は万葉集で天皇を「スメロギ」と呼び、同様に「スメラキ」という名称も古くからあったことから、統御(スメ)る君(キミ)の意ではないかという説もあります。梵語では蘇迷虜(スメル)が「至高」を意味している故、「神聖な」という意味と解釈され、アラム語においては「サマリア」を意味する「shamrai」がスメルに訛ったとする説もあります。更に古代バビロニアのセム語やラテン語では、シュメール(sumer)が「スメラ」と類似した発音であるため、天皇は古代メソポタミアの民族、「シュメール」の意ではないかという説もあります。シュメールはメソポタミアに世界最古の文明を築きながらも、突如として歴史から消え去った民族だけに、憶測は絶えません。このシュメールの文化圏から、信仰の父と崇められているイスラエルの先祖アブラハムの家族が生まれ出でて、そのシュメール文明の末裔としてアブラハムの子孫であるイスラエル、そして日本があることからしても、「スメラミコト」には、世界最古のシュメール文明と神の選民の血が皇族のルーツに息吹いていることの証しにしようとする意図が見え隠れしているようにも思えます。

これらの説を踏まえた上で、あえて「スメラ」をヘブライ語でそのまま解釈してみました。すると、ユダヤ人が自国の王を讃え、神への厚い信仰をストレートに表現した結果の言葉として解釈できることがわかります。ヘブライ語でsum、スム(sum、スム)は「〜を置く」、「〜を設置する」の意味です。そしてel、エル(el、エル)は「神」です。これら2つの言葉を合わせると、el、エルsum、スム(sum-el、スメル)となり、神を置く、すなわち「神を奉る」、「神をたて祀る」の意味となります。神が存在する、神がおられる、という意味で「在主」と言い換えることもできます。これほど、「天皇」の意味に相応しい言葉があるでしょうか。

ではスメラミコトの「ミコト」とは、一体何を意味するのでしょうか?ごく一般的にはミコトは「尊い人」という意味で使われ、神話でも「ミコト」の表記に「尊」や「命」が当てられています。しかし語源に関しては、学者の意見もまとまらないまま今日に至っています。一案としては、言葉には始まりと想像力があり、神の想いが「みことば」「記命」「詔」「尊」、すなわち「ミコト」と相成ったという考え方を踏まえ、その想いを御言葉や祈りとして唱える天皇であるがゆえに、「ミコト」という名称が相応しいと考えます。そして「イノリ」、または「ナノリ」(名乗り)の語尾を付けて「ミコトノリ」と解釈し、「ミコト」に神の言葉に関連する意を持たせるのです。また、セム語系のシリア語で、皇帝の意味を持つ「malkioto」という言葉が訛って、ミコトになったという学説もあります。もう1つ興味深い説は「ミコト」が遠い昔より「ミカド」、または「ミガド」と読まれていた事実に注目し、ヘブライ語で「ガド族の」という意に解釈する説です。ヘブライ語では接頭語の「ミ」は「〜に属する」という意味を持つことから、天皇は国家を失ったイスラエルの12部族の1つであるガド族に属すると想定するわけです。しかしながら、イスラエルの王はユダ族に属するはずであり、また、「ガド族のスメラ」の解釈も難しく、問題が残るようです。更に、「ミコト」の語源を古代バビロニアのセム語で天降る者、開拓者、神のような存在を意味する「migad」(ミガッド)とする考え方もあります。その「ミガド」が更に転化して、「ミカド」や「ミコト」の発音になった可能性が指摘されています。発音の転化に違和感がないだけでなく、「スメラミコト」の意味もわかりやすくなります。この説では「スメラ」を「シュメール」と解し、「スメラミコト」を、「人類の歴史において最も古く由緒あるシュメール文化に由来する開拓者」という意味で捉えています。

ここでも「スメラ」を「在主」と理解するように、「ミコト」をそのままヘブライ語で読むことが、最もシンプルでわかりやすい解釈となります。「ミカド」の読みはヘブライ語でmigud、ミガド(migat、ミガット)と書き、「栄光」を意味する言葉です。それ故、「スメラミコト」はヘブライ語で、migud、ミガドel、エルsum、スム(スメルミガット)となり、「栄光在主」という意味になります。天皇は神から王権を委ねられた国家の主であり、栄光ある王であるからこそ、「スメラミコト」、「栄光在主」と呼ばれるに相応しいお方だったのです。