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イスラエル史を振り返る

アブラハムは紀元前2166年ごろ、シュメール文化の中心地である首都、ウルで生まれました。両親と住みながら、そこで彼はシュメール人のサラを妻に迎えます。すなわちアブラハムとサラの間に生まれてくる子供には元来、シュメール人の血が流れているのです。アブラハム自身はセム系ですが、西アジアの文化圏においては母方の血縁が人種を決定することから、アブラハムの妻、サラから生まれた子孫はシュメール系と言うこともできます。

アブラハム一家は、神の祝福が宿る富豪として、ウル全体にその名声は知れわたっていました。ある日、アブラハムの父テラは、家族全員を連れてはるか北方の彼方にあるタガーマ州のハランに移住する決断をします。繁栄と恵みの象徴であるアブラハムの一家が突然ウルを去ることを知ったシュメール人の中には、アブラハム一家と共にタガーマ・ハランへと移住した人々も少なくなったことでしょう。その結果、大勢のシュメール人がメソポタミア南部から移住をしたと考えられます。そして、そのハランの高原にてアブラハムは神と出会い、天からの啓示を受けた後、約束の地であるカナン、今日のイスラエルの地へと旅立つ決断をします。

カナンの地では、アブラハムの孫にあたるヤコブ(後のイスラエル)から多くの子供が誕生し、それらの子息たちからやがてイスラエル12部族が形成され、後のイスラエル国家へと発展していくことになります。その後、イスラエルの民はエジプトで生活を始めるのですが、いつの間にかエジプト人の奴隷となってしまい、そのまま4世紀以上経ちます。そして紀元前13世紀にモーセが登場し、イスラエルの民をエジプトから脱出させて、再び約束の地であるカナンへと導きます。その新天地において紀元前1050年ごろ、サウル王の統治による国家が成立し、その子ダビデ王の代にイスラエルは黄金時代と呼ばれるほど栄えました。ダビデ王の子であるソロモン王の時代に至っては、その名声は世界に響きわたり、エルサレム神殿が構築されただけでなく、タルシシュ船を使って世界中の国々と貿易を行うまでになったのです。

ところがソロモン王が没した紀元前931年、早くも国家の崩壊が始まり、イスラエルは10部族から形成される北イスラエル王国と、2部族からなる南ユダ王国に分裂してしまうのです。神への背信行為、および、金と権力によって腐敗した王政が原因となって国家の弱体化が急速に進んだあげく、紀元前722年、アッシリアの攻撃を受けて北イスラエル王国が崩壊し、占領下に置かれました。その結果、大勢の民が国を失い、各地へと逃げ去って行ったのです。それからおよそ140年後の紀元前586年、今度は南ユダ王国がバビロニヤ帝国の侵略によって滅亡し、住民は捕囚としてバビロン(現在のイラク周辺)の地に連れ去られてしまいます。それから50年近くたった後、僅かな数の南ユダ王国の2部族のみが再びエルサレムに帰還してくるのですが、北の10部族の行方はまったくわからなくなり、多くの南ユダ王国の民も同時に歴史から姿を消してしまったのです。それ以降、1948年の国連決議を経て今日のイスラエルが再び建国するまで、何と2,500年もの間、イスラエルの民は国を失ったまま、他国の統治下における生活を強いられてきました。今日のイスラエル国民は、南ユダ王国2部族を構成したユダ族とベニヤミン族の子孫、そしてユダヤ教に改宗した諸外国人で占められており、北イスラエル王国の10部族は含まれていません。

この行方がわからなくなったイスラエルの民、すなわち離散した北の10部族、および、南ユダ王国の2部族の民が、日本の歴史に大きく関わっている可能性が高いと思われるのです。日本には歴代天皇年表もしくは皇歴と呼ばれる天皇家の年表が存在し、紀元前660年、神武天皇が即位した時点から今日まで125代にわたる天皇家の歩みが暦に記されています。確かに万世一系の立証は難しく、この年表の中には学問的な見地から、その存在さえも疑問視せざるを得ない天皇が記載されているという指摘もあります。しかしここで大切なことは、暦が語る数字の位置づけと、その因果関係に注目することなのです。