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2023/09/30

古代シュメール文化とイスラエル

イスラエル史と皇暦の関係の年表
イスラエル史と皇歴の関係

イスラエル史とメソポタミア文明

イスラエル民族と日本の皇室との間には古代史上、何らかの接点があった可能性が高いということがわかれば、イスラエルを含む西アジアの歴史に疎い日本人でも、興味が湧いてくるのではないでしょうか?そこでまず、歴史を遡り、イスラエル民族のルーツと言われている先祖、アブラハムが生まれ育った故郷の地、シュメール文化圏のウル、そして古代メソポタミア文明について考察します。

ユーフラテス川の風景
ユーフラテス川の風景
メソポタミアと言えば、おそらく誰もが学校で一度は耳にしたことのある人類最古の文明の一つです。メソポタミアという言葉には「川の間」という意味があり、地理的には中東にあるティグリス川とユーフラテス川と呼ばれる著名な大河に挟まれた地域を指します。紀元前4000~5000年の原始時代においては、既に集落スタイルの集団生活が始まっていたと推測され、各地に小神殿が建築されていました。そして紀元前3500年には村落が発展し始め、都市国家が徐々に形成されることになります。今日、この地域に位置する国はイラクです。

出自が不明のシュメール人

ウルのジッグラト(ウル第三王朝)
ウルのジッグラト(ウル第三王朝)
メソポタミア地域に優れた古代文明を築きあげ、ウルやキシュなど、多くの古代都市を造営したのがシュメール人です。彼らは元来メソポタミア地域の原住民ではなく、どこからともなくメソポタミアの南部に移住してきたと言われており、そのルーツを探る手がかりはないようです。

このシュメール人の手により紀元前2100年にはウル第3王朝が栄え、シュメール文化の繁栄は頂点を迎えます。

優れたシュメール文化の特色

シュメール文化の特色は、まず高度な天文学にあります。今日カレンダーで使われている週7日という暦はシュメール文化から生まれたものと言われています。シュメール人は大麦をはじめとした各種穀物を大規模に栽培し、牛や豚などの家畜も飼育していました。また、優れた土木や灌漑の技術を携え、メソポタミアの各地に水路を張り巡らして農地に水を引き、牛を使って地面を耕したことでも知られています。

青銅器や彩文土器などを製造する技術も有し、楔型文字を用いていたことでも有名です。この楔型文字は、メソポタミア地域において言語を表記する手段として長年用いられ、ウル第3王朝時には最古の法典まで書き上げられたのです。

消えたシュメール人の行方

ところがこの偉大な古代文化を築き上げたシュメール人は、紀元前2000年頃、歴史からふと、姿を消してしまいました。アモラ人などの他民族の侵入がシュメール人の失踪の直接の原因であったという説もあります。いずれにしても、メソポタミアから突如として消え去ったシュメール人は、どこに移住したのでしょうか?新しい移動先の新天地において、どのような働きをもって、さらなる文明開化に貢献したのでしょうか。

おそらくシュメール人の多くはアジア大陸を太陽が昇る東の方面へと向かい、現在の中国周辺まで達して東夷の文化圏を構成したのではないかと推測されます。そして中国の歴史においても、その後、多大なる影響を与えたと考えられます。また、一部の民は地中海へと向けて北西へと進み、最終的にはその沿岸まで到達したのではないでしょうか。その結果、西アジアの末端でもシュメール文化の恩恵を受諾することとなり、後世においてはイスラエル国家を創立する布石を置くことになったと考えられます。

それから長い年月を経て歴史に登場した時代の先駆者が、旧約聖書の創世記に登場する、イスラエルの祖先アブラハムです。アブラハムはシュメール文化圏の中心地でもあったウルの出身です。その文明が栄えていたウルの地から、神の命によって旅立ち、遠い北西方向に位置するハランへと向かったのです。そこから地中海沿いに南方へと旅を続け、一度はエジプトまで到達するものの、最終的には今日のイスラエルがある地域へと導かれていきます。信仰の父として今日でも世界中の人々から崇められているアブラハムの登場により、歴史が大きく動いていきます。

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