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2024/06/21

鰐の正体はイスラエル系渡来人 新天地を目指して東の島々へ向かう古代の民!

ワニ、鰐、和邇とは

ワニとは日本書紀古事記などの神話に登場する不思議な海の生き物を指します。漢字で日本書紀では鰐、古事記では和邇、その他、和爾、和珥と書かれることもあり、どれも当て字であると考えられることから、その書き方には定説がありません。この「ワニ」という言葉は一般的には動物のワニと考えられがちですが、出雲大社や対馬神社などではワニを鮫と解釈し、記紀に記されている因幡の白兎を祀る白兎神社においても「ワニ」は鮫と考えられています。よって「ワニ」とは鮫という説も根強く存在します。

彦火火出見尊
彦火火出見尊
しかしながら、高千穂伝説では和邇に乗って渡来する物語があることから、「ワニ」とは動物ではなく舟ではないかという説も登場しました。すると、海幸彦と山幸彦の物語で語られている乗り物とは「ワニ」、すなわち日本に渡航してきた舟ではなかったのか、という説に結び付きます。このように「ワニ」を詩的な呼称として考えると、本来の意味は小舟であり、また、八尋鰐と綴れば、大舟を指すのではないかという説も登場しました。長崎県の対馬では古代、大舟はワニと呼ばれていたという言い伝えが残されていることも、この舟説を支持しています。その他、ワニとは守護神のような存在であり、神を祀る集落に結び付く神という説もあります。

さまざまな説が飛び交う中、いずれにしても日本神話や風土記に登場するワニの存在は海の動物に終わることなく、時には舟や神のイメージに紐付けられ、実際には人間の存在とも結び付くことになります。その結果、日本各地には今日でも「ワニ」の名称がつけられた集落や村、町が存在するようになりました。よって、今日まで残されてきている地名とその位置づけを古文書の記述と照らし合わせて検証することにより、これらの「ワニ」という名称をもつ集落の場所の意味と、その存在意義を歴史的な観点から見つめ直すことができます。

ワニの地名から海人の渡航ルートを探る

舟の意味にも捉えられることができる「ワニ」という名称は、いつしか、日本列島各地において地名としても用いられるようになりました。古代、一般的には地名とはその地域に居住する一族の名称になることが多いことから、「ワニ」、鰐、とう地名も、鰐族と呼ばれる一族が存在したことが考えられます。実際、鰐の地名は日本全国に存在していることからしても、その名称の由来は、鰐一族のような「ワニ」という名称をもつ氏族の存在なしには考えられないでしょう。よって「ワニ」とは、単に舟と結び付くだけでなく、古代集落を築いた一族の名称でもあり、その結果、その一族の長は集落の守護神のような存在になったと想定されます。「ワニ」とは、神を祀る集落を代表する一族の名称を継いでいる可能性が見えてきました。

全国に広がる鰐(ワニ)の付く地名
全国の沿岸地帯に散在する「鰐」の地名
「ワニ」に結び付く部族は日本列島沿岸だけでなく、古代より内陸にも拠点の輪を広げていたことが、各地の地名からも察することができます。表記の地図は、鰐の名称が付いている全国各地の場所と、その地名を記しています。それらは対馬を筆頭に、九州各地と瀬戸内海沿岸だけでなく、日本海沿岸は石川県や新潟県、太平洋岸においては茨城県鹿島から岩手県まで広がりを見せています。これらの鰐という地名がつけられている場所の位置付けは、古代社会における海人の渡航ルート上の拠点に匹敵すると考えられます。すなわち古代、海人が舟に乗って日本列島の沿岸に辿り着き、そこに集落を築いた結果が、鰐という名称の集落に発展していったと想定されます。

古代、国生みに関わった西アジアからの先駆者や、その後、継続して日本に渡来した大陸からの渡来者にとって、新天地となる海の島々では、まず、陸地に辿り着き、そこで神を祀り、集落を築くことが不可欠でした。その結果、舟が着岸しやすい立地条件を兼ね備えた場所が沿岸各地に厳選され、そこに集落が発展し、いつしか部族の名称であるワニ、という名がつけられたと想定されます。

また、青森や山梨など、列島の内陸にも鰐の拠点が見出され、それらにも集落が築かれることがありました。鰐族にとって大事なことは、海に面する沿岸に集落を造成するだけでなく、内陸であっても大河川と繋がり、水源が豊富な湖が存在する場所を拠点とすることも重要であったことを意味しています。よって長野県の諏訪湖や青森県の十和田湖周辺などにも鰐の地名が認められます。また、周辺に湖が多い富士山もその一例にあたります。

鰐族の出自はイスラエルのレビ族か?

 ではワニ、鰐が氏族の名称であるとするならば、どこから渡来してきた人々の集団なのでしょうか。日本の国生みの歴史が、西アジアおいて北イスラエル王国と南ユダ王国が崩壊した時期の直後から始まっていることから、その歴史上の接点を前提に推測するならば、イスラエルからの移民が日本列島に渡来し、「ワニ」のルーツに絡むことになった可能性が見えてきます。

旧約聖書の記述によると、イスラエルには12部族が存在し、そのうちレビ族が国家の祭祀となるべく、さまざまな職務を授かったという記述があります。つまり、神職として神殿に纏わるすべての行事や職務は、レビ族でなければ携わることができない、ということが明文化されていたのです。そのレビ族の末裔に、バニの一族が存在します。ヘブライ語で「バニ」は בני と書き、「バ」は「ヴァ」に近い発音となるので、実際は「ワニ」とも聞こえます。もしかすると、このレビ族のバニ氏が、ワニ、鰐のルーツに存在するかもしれません。

南北イスラエルの国家が崩壊した後、バビロンの捕囚となったイスラエルの民は、時を経て祖国の地、エルサレムに戻ってきます。その時、エルサレムの神殿を修復するプロジェクトを主導したのがレビ族であり、周辺の壁を補強する職務に就いたのが、バニの子、レフムでした。(ネヘミヤ3:17)「エルサレムにいるレビ人の監督者は、バニの子ウジであった」とも記されています。(ネヘミヤ11:22)また、書記官エズラが民衆の前で律法の書を朗読した後、それら律法を民に説明する役を与えられたのが、バニの一族です。エズラ記によると、エルサレムへと帰還した捕囚の民のうち、バニの一族は642人いたと記されています。これらの記述から、国家を再建するために立ち上がり、祭祀を司ったレビ族の中に、バニ一族が存在しました。それがワニ、鰐族のルーツになった可能性があります。

伊都国に拠点を持つ鰐族

日本列島各地に拠点を築いた鰐(バニ)族は、邪馬台国の時代においては伊都国、今日の北九州八幡周辺にも拠点を持っていたようです。古代においては、九州の北部では志賀島を拠点として大海原を行き来していた海人が存在しましたが、それらの海洋豪族の背景には西アジアより高度な航海技術を携えて渡来してきたイスラエル民族の存在があったと推測されます。

中でも祭司の役目を担ったレビ族は、宗教的なリーダーとしても重要な位置づけを担い、大切な神宝の管理も委ねられていたことから、旅の先駆者となっていました。イスラエル12部族の中では、神宝を担ぎ、ときには移動し、それを安置して守るような宗教的儀式は、レビ族しか執り行うことが許されていなかったのです。それ故、新天地に足を踏み入れる際は誰よりもまず、レビ族が先行して出向き、立地条件を検証して宗教儀式に相応しい神聖な土地を選別し、そこで神を祀ることから移民の歴史が始まりました。

そのレビ族である鰐(バニ)一族が列島に渡来した結果、列島各地に「ワニ」とう地名が残されることになったと推測されます。鰐が生息することのない地域であるにも関わらず、例えば今日の福岡県北九州市八幡の西方にあたる岡県主(おかのあがたぬし)の祖が「熊鰐」(ワニ)と呼ばれたのも、その地域に古代、鰐一族が渡来し、集落を造った結果ではないでしょうか。日本書紀によると「熊鰐」は大きな榊(さかき)を舟の舳に立てて、仲哀天皇と神功皇后をお迎えしたことが記録されています。よって、「熊鰐」「ワニ」とは卓越した航海技術をもった海人であるだけでなく、かつ、皇族にお仕えする高貴な身分も有していたことがわかります。

鰐を開拓したイスラエルからの渡来人

これらの歴史的背景から、鰐(ワニ)という地名とは、イスラエルで祭司としての務めを果たしながら宗教儀式を取り仕切っていたレビ族の民、鰐(バニ)一族に由来すると考えられます。古代、日本列島に到来したイスラエルの民の中には、優れた航海技術を携えていただけでなく、神殿にて仕えていた祭祀レビ族の子孫が存在しました。そのレビ族の中でも鰐(ワニ)と呼ばれるバニ一族こそ、古代、日本列島各地において鰐の拠点となる集落を作り上げていった開拓者だったと推測されます。

コメント
  1. 愛生(manai) より:

    そして日本で秦氏と言われる存在との関連を知りたいです

  2. イの国 より:

    「鰐」が「イスラエル系渡来人」になぜつながるかを何か根拠を明確にしめしてほしい。「イスラエルの○○支族は鰐の紋章」とか持論でよいので。

  3. 通りすがり より:

    ↑鰐(バニ)族。
    バニにあてた漢字が鰐だったというだけかと。
    バニ族はどうやら祭司などを執り行うレビ族に属する部族なのかな。

  4. 鰐塚山さん より:

    私は一番南側に住んでいますが、レビ族の子孫の可能性があると信じています。北イスラエルと南ユダ王国に分裂した話しがありますが、実際に地区は明治時代に分裂しました。

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