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2012/07/18

阿刀氏が優れた宗教家である理由

空海の母方にあたる阿刀氏の出自が渡来人であり、イスラエルの末裔である可能性が高い、ということを知ると驚かれる方も少なくないはずです。しかし古代社会において博学であること自体、渡来人との結びつきなくては説明することが難しいのです。空海は、母方が渡来人であるがゆえに、その伯父にあたる阿刀大足から少年時代に多くの教養を学ぶことができました。また、世界史上、ユダヤ人から偉大な人物が多数輩出されていることからしても、日本が誇る偉大な宗教指導者である空海が、その血統を継いでいるのであれば、むしろ誇りに思うべきでしょう。阿刀氏の家系は多数の優れた宗教家を輩出しており、法相宗が興隆できた理由もそこにあるようです。阿刀氏が活躍した時代を理解し、同じ一族である空海との接点を見出すことが、空海の生い立ちだけでなく、その志向性や全国行脚の動機、そして歴史の空白となっている空海の知られざる七年間を理解するための大切な鍵となります。

まず、空海の活躍と同時期、奈良時代後期から平安初期にかけて法相宗を隆盛に導いた法相六祖の僧侶の一人、大和国出身の善珠に注目です。八世紀の終わり、南都六宗では経典暗誦よりもその解釈を極めることが重要視され、その結果、経典の釈義に長けていた法相宗が他宗を圧倒するようになりました。当時、法相宗のリーダー格であった善珠は、朝廷とも深い関わりを持ち、皇太子安殿親王の厚い信頼を受けていただけでなく、殉死した早良親王とも交流がありました。また、秋篠寺を開基し、そこでは後世において法相宗と真言宗が兼学されることになります。

この善珠こそ、法相宗法脈の頂点に立った玄昉の愛弟子であり、しかも玄昉が護身を勤めた藤原宮子との間にできた子とも言われています。そして善珠の卒伝には「法師俗姓安都宿禰」、玄昉も「玄昉姓阿刀氏」と書いていることから、ともに阿刀氏の出であることが伺えます。さらに「東大寺要録」を参照すると、玄昉の師である義淵(ぎえん)も阿刀氏なのです。つまり義淵から玄昉、そして善珠と引き継がれてきた法相宗の法脈は、まぎれもなく阿刀氏によって継承され、奈良から平安時代初期にかけて、その宗教政治力は頂点を極めました。

平安初期、朝廷が悩まされた早良親王の怨霊問題についても法相宗は積極的に関わり、特に善珠は、早良親王の「怨霊」を語るだけでなく、霊力をもって鎮めることもできたため、天皇の厚い信任を得ました。南都六宗の影響下から逃れるために遷都に踏み切った経緯からして、これまで一見、対立関係にあったと思われていた朝廷と南都六宗との関係ですが、実際には朝廷と法相宗のリーダーは緊密な関係を保っていたのです。朝廷は怨霊を恐れるあまり、藁をも掴む思いで霊力を有する者であれば躊躇せず登用しており、最澄ら地元で活躍する宗教家だけでなく、奈良を拠点とする善珠らにも声が掛けられました。こうして多くの優れた宗教学者を輩出した法相宗は、霊力をもって朝廷に仕え、祭祀役割を担う人材にも恵まれていたのです。

その法相宗の流れをくむ学者の一人が、空海の母方の伯父である、阿刀大足です。彼は朝廷において桓武天皇の子である伊予親王の侍講を勤めただけでなく、空海にも教えていました。つまり伊予親王だけでなく、空海も阿刀大足を通じて法相宗の僧侶らと親交を深める機会があったと考えられます。それゆえ、空海は南都六宗のありかたを批判することはあっても、友好的な関係を保ち続け、後に高野山を開いた際も、穏やかに聖地を構えることができたのです。当時、宗教界においては圧倒的な勢力を誇る阿刀氏の出であり、天皇をはじめとする朝廷と、南都六宗で一番の勢力を持つ法相宗、双方の人脈に恵まれた空海は、国家の平和と皇室の大安を願いつつ、自ら立ち上がります。そして天皇の篤い信任を得て、それまで誰も手がけることができなかった難しいプロジェクトを朝廷より賜ることになります。

阿刀氏がいかにして、これほどまでの宗教政治力を持つに至ったのか、その背景を見極めるために、阿刀氏が渡来系と言われているゆえんについて検証してみました。阿刀氏は安斗氏とも書き、物部氏の系列の氏族です。平安遷都の際に、阿刀氏の祖神は河内国渋川群(今日の東大阪近辺)より遷座され、京都市右京区嵯峨野の阿刀神社に祀られました。明治3年に完成した神社覈録(かくろく)によると、その祖神とは阿刀宿禰祖神(あとのすくねおやがみ)であり、天照大神(アマテラスオオミカミ)から神宝を授かり、神武東征に先立って河内国に天下った饒速日命(ニギハヤヒノミコト)の孫、味饒田命(アジニギタノミコト)の子孫にあたります。平安初期に編纂(へんさん)された新撰姓氏録にも阿刀宿禰は饒速日命の孫である味饒田命の後裔であるという記述があり、同時期に書かれた「先代旧事本紀」第10巻、「国造本紀」にも饒速日命の五世孫にあたる大阿斗足尼(おおあとのすくね、阿刀宿禰)が国造を賜ったと書かれています。古文書の解釈は不透明な部分も多く、「先代旧事本紀」などは、その序文の内容からして偽書とみなされることもありますが、物部氏の祖神である饒速日命に関する記述については信憑性が高いと考えられます。その結果、明治15年ごろ、京都府により編纂された神社明細帳には、阿刀宿禰祖味饒田命が阿刀神社の祭神であると記載されることになりました。阿刀氏の出自が、国生みに直接深くかかわった饒速日命の直系であることは、大変重要な意味を持ちます。

さらに「先代旧事本紀」には、饒速日命と神宝との関わりについても多くの記述が含まれていることに注目です。その内容を日本書紀、古事記と照らし合わせて読むことにより、饒速日命の役目がより明確になります。まず日本書記によると、天照大神から統治権の証として神宝を授かった饒速日尊は、弟の瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が日向の高千穂峰に降臨する前に、船で河内国に天下り、その後、大和に移ったとされています。「先代旧事本紀」によると、この神宝は天神御祖(アマツカミミオヤ)から授けられた2種の鏡、1種の剣、4種の玉、そして3種の比礼であり、「瑞宝十種(ミズノタカラトクサ)」であると具体的に記されています。その後、神武天皇が即位する際、饒速日命は瑞宝十種を譲渡し、天皇の臣下として即位の儀式を執り行い、天皇家に関わる各種の定めを決めることに貢献しました。

また、古事記には神武天皇の東征に絡んだ饒速日命に関する記述があります。大和の国へ進出した饒速日命は、その地域を支配していた豪族の長髄彦(ナガスネヒコ)を一旦は服従させ、長髄彦の妹を妻にします。その後、瓊瓊杵尊の孫にあたる後の神武天皇(カムヤマトイワレヒコ)が東征して長髄彦を打ち破った際に、天皇が天照大神の子孫であることを知り、饒速日命は神武天皇に帰順し、それからは祭祀の役目を一筋に担うことになります。つまり、天照大神の孫である饒速日命は、天神御祖の勅令をもって神宝を管理し、祭祀の役目を担い、国治めを支えるために尽力した大祭司だったのです。同じ兄弟でも兄の饒速日命は宗教儀式を司る家系の流れをくむ一族となり、弟の瓊瓊杵尊は、皇室の原点となる神武天皇をはじめとする皇族を輩出する一族の流れとなり、それぞれが別系統の血筋を継いでいくことになります。

これら天孫降臨に関する古文書の記述は、前述したとおり、イスラエルの民が西アジアから日本に移住し、その新天地において遭遇した出来事を、史実に基づきながら神話化したものであると考えられます。それゆえ、これらの神話にはおよそすべて、そのモデルとなった人物が実在したのではないかと推察できます。中でも、祭司の役目を遣わされた民族は、聖書の慣行どおり、イスラエルのレビ人ではないかと考えられます。イスラエルから先行して日本に到来してきた部隊は、預言者イザヤとその妻、子供、および神宝の取り扱いを任されたレビ族のリーダーたちでした。イザヤ自身はユダ族に属するものですが、妻の中にはレビ族に属する女性が存在した可能性もあり、また、その子孫の中にはレビ族と婚姻関係を持つ者もあったことでしょう。また、西アジアから同行してきた旅人の中には、王系一族の子孫もいた可能性があります。いずれにしても、少人数で長旅をしながら、約束の島々に向かう最中、イザヤの心中には王系ユダ族の血統と、神宝を取り扱う祭司レビ族の血統は、ともに絶対に絶やしてはいけないという思いがあったのです。その結果、ユダ族であるイザヤの家系からは、王系ダビデの血統を継ぐ者だけでなく、レビ族の血統の流れをくむ子孫も生まれたと考えられます。そのレビ族の血統を継いだおおもととなる一人が饒速日命です。そして、その末裔として、阿刀氏が登場することになります。

前述のとおり、阿刀氏の祖神は饒速日命(にぎはやひのみこと)の裔である阿刀宿禰祖神(あとのすくねおやがみ)であり、「先代旧事本紀」にも、饒速日命と神宝との関わりについて詳細の記載があります。また「新撰姓氏録」によれば、饒速日命は高天原の出自であることが記されています。この高天原とは、イスラエルの民の祖先「アブラハム」の生まれ故郷であり、国家を失った後に大陸を横断する途中、イザヤ一行が滞在した場所とも考えられています。また、高天原とは日本列島と相対して、西アジアのタガーマ州ハラン、すなわち高天原に地続きの大陸の一部を指しているとも考えられます。その場合は、東アジアでも太平洋岸や朝鮮半島でも、高天原と呼ぶことができるでしょう。いずれにしても、一行の旅の途中にある高天原で出生したのが饒速日命です。大陸で生まれ、先に成長して青年となった饒速日命は、日本列島周辺に到来した後、弟の瓊瓊杵尊よりも先行して海を渡り、列島の陸地を目指して進みました。高天原の場所が明確ではないとしても、阿刀氏のルーツがこうして饒速日命から高天原までさかのぼることができるということ自体、阿刀氏は大陸系であり、しかもイスラエルと深く繋がっていた可能性が高いと言えます。

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