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暗号文としての「いろは歌」

現存する最も古い「いろは歌」は『金光明最勝王経音義』(1079年)に7×7の字母表として書かれています。平安時代以降、この「いろは歌」は上層階級の人々の仮名習字の手本としても使われ、また庶民の間でも徐々に普及したようです。「いろは歌」は真言宗の開祖である偉大な宗教学者、空海(774〜835)が著作したと考えられる字母歌です。その「いろは歌」の中に、47文字全部を1度だけ使って詩としての意味を持たせるだけでも至難の業です。ましてやその文章の流れの中に暗号文を隠すことなど人間業には思えません。しかし、この「いろは歌」は実際にクロスワードのようなパズルとして読むことができ、そこにはさまざまな暗号メッセージが含まれていることがわかります。特にその象徴的折句として、左右上と左下角の3文字からなる「イエス」と下段一列で形成される「とがなくてしす」というふたつの中心的メッセージは注目に値します。

いろは唄に隠されたメッセージの謎とは「いろは歌」の暗号の骨子は、「イエス、咎無くて死す」という折句から理解できるとおり信仰について語っていると考えられます。そのメッセージを基本として、そのほかの暗号文を解明することが大事です。ところが、この明確なテーマが既に7×7の升目に提示されているにもかかわらず、その本題を見失ってしまうことが多々あるようです。例えば、「いろは歌」の著者を柿本人麻呂と断定する学者は、この7×7の升の中に「かきのもと」という字を探し求め、「イエス」という救い主のテーマを置き去りにしてしまいます。確かに表に見られるように「かきのもと」の文字の配列においては、「の」という文字を中心として対照的になっていることがわかります。次に「ひとまろ」の文字に注目しますと、およそ四角形になります。しかし、どうしても「ま」のみが「ひ」と「ろ」の直線上にあり長方形にならないため、強引に左下角の空白に「ま」を移動させて「ひとまろ」が四角形の頂点をなしているとするわけです。その結果、柿本人麻呂の名前が対象形に並べられて形を成しているということで、「いろは歌」の作者を柿本人麻呂とし、その名前が暗号文になっていると主張するわけです。

同様に、万葉集の歌人である山上憶良が「いろは歌」において絵文字で暗号化されているという見解もあります。それを立証するためには、特別な升目の手法を必要し、「やまのうえおくら」を7×7ではなく、五×十の升目に当てはめるのです。そして下にはみ出す「ま」は、「や」と一緒にして山という形を考え、「へ」は「え」とすりかえることにより、強引に「上」という漢字の形を作り、暗号文の中に山上憶良の名前、「山」と「上」が暗号化されていると主張するのです。しかしこのような強引な手法による解釈では、「いろは歌」が語ろうとしているメッセージをありのままに理解できるはずがありません。

「いろは歌」は、誰もがもっと自然に暗号文として読むことのできる字母歌です。そして元来普及されてきた7×7の升目に並ぶ文字列を読むだけで、そこに秘められている折句をすべて解明できるのです。その手法は実に単純です。

  • 1)まず7x7の升目の角を読む
  • 2)次に縦と横の辺を読む
  • 3)升目の中心をとおる斜線を斜めに読む
  • 4)ジグザグに読む
  • 5)最後に上記のコンビネーションで読む

このように解読法は単に升目をたどって読むだけですから簡単なはずですが、実際にはこれまで、最後まで解読されることがなかったようです。問題点はまず、作者の宗教心が理解できなかったことにあります。「いろは歌」の角文字は確かに「イエス」ですが、まさかイエス・キリストを語っているとは考えられない、もしくは考えたくない、という偏見が先行したのではないでしょうか。「いろは歌」の作者を弘法大師とするならば、ネストリウス派のキリスト教信仰を異国の地で学んできたこともあり、その影響を大きく受けた結果として「イエス」を大々的に提唱したとしても、何の不思議もないのです。そのためにも、「いろは歌」の作者は弘法大師であると理解することが大事です。しかし、前述したとおり、昨今の一般的な学説では空海説は否定されているため、なかなか暗号文のテーマそのものが「イエス」であるという可能性さえも考えることができないでいます。「いろは歌」の作者が空海であり、聖書の学びからキリスト信仰を持つに至ったと理解できれば、その暗号文を理解する鍵が「イエス」にあることがわかるはずです。

いろは唄に隠されたメッセージの謎とは「いろは歌」の暗号文の解釈は、決して難しくありません。文字列そのものをありのままに受け止め、読むだけで良いのです。そして「いろは歌」に語りかけてもらおう、という謙虚な姿勢さえあれば、自ら答えが見えてくるでしょう。人々の救いを願い、神を讃える素晴らしいメッセージを説き続けた空海の熱い想いが、この「いろは歌」の暗号文に込められていることが明らかになります。

早速、「いろは歌」のロマン街道を散策しながら、その暗号文を発見する醍醐味を思う存分満喫してみましょう。和歌の世界では、意表をついて読者を惑わせたり別の主張を唱えることを目的とした言葉遊びが伝統的に行われていました。よって、升目に入れた歌を横読み、縦読み、斜め読み、角読みというごく単純な手法に頼りながら、適当に濁点を補って読んでいくと、作者が折り込んだメッセージが現れてきます。「いろは歌」の中心的なメッセージは、ごく自然に角読みと横読みを組み合わせて浮かび上がってくる「イエス、咎無くて死す」(図参照)という文脈に象徴されています。この宗教的メッセージこそ、作者である弘法大師の想いがこめられたキーポイントです。

「いろは歌」の暗号文を理解するにあたってもうひとつ大事なことは、異文化に由来する外来語が含まれている可能性があることを理解したうえで、作者の時代背景、文化および宗教観などを視野に入れて読むことです。例えば、「いろは歌」の上段を右から読むと、最後の3文字が「ヤアエ」となっています。これはまさに、旧新約聖書で語られている創造主の名前であり、神様の名前として世界共通に使われている言葉です。次に左端を上から読んでいきますと今度は「モセス」という言葉に出会います。これこそ旧約聖書に登場するイスラエルを導いた偉大な指導者、モーセではないでしょうか! すなわち「いろは歌」はその暗号文における「本音」を、「イエス」「ヤアエ」「モセス」「咎なくて死す」という、聖書に関連したメッセージで書き綴っているのです。そして角を読み続けると「イエス」の後は、「しと」になっています。つまり、神から使わされた者という意味の「使徒イエス」という言葉で、「いろは歌」を囲いまとめているのです。

古代ロマンがいっぱいの「いろは歌」。その真相を解き明かすにあたって、まず「いろは歌」が書かれた目的を考えてみましょう。「いろは歌」が折句を多用した暗号文書であるということは、その作者が当時、何らかの理由で一般的に受け入れられない大切なメッセージを歌の中に隠し入れて後世に残したかった、という理由が考えられます。それ故に、表面的な文章としては何ら差し障りのない格調高い歌の綴り連ねることにより、誰にでも容易に受け入れられるように配慮したのです。次の目的として、仮名文字のすべてを誰もが学ぶことができる最良の手習い歌として、社会全般に普及させるために「いろは歌」を創作したと考えられます。字母歌であるが故に、「いろは歌」さえ覚えれば、日本語の仮名文字すべてを暗記したことになります。しかもその文字列を、大変覚えやすい美しい歌の句調に綴ったのです。そして人々が「いろは歌」を唄うことにより、いつの間にか、その歌の背景に潜む暗号文としての折句、秘められたメッセージが人々の心の中に浸透していくことを作者は願ったのかもしれません。もうひとつの目的は、いつしかその暗号メッセージを後世において解き明かしできるように、ところどころに謎を解くための鍵となる言葉を埋め込んだのです。その例が「イエス」であり、「とがなくてしす」です。こうして多くの日本国民はいつの間にか、「いろは歌」を日本語の歌として誰もが覚え、語り継ぐようになりました。そして、その暗号文の謎がすべて解かれる時がきたのです。

いろは唄に隠されたメッセージの謎とは「いろは歌」は表面的には七五調に見えますが、実際は空海の時代において多用された五七五七七調で構成される折句に中心的メッセージが隠されています。そして横読み、斜め読み、飛び石読みを規則正しく混ぜながら通して読むと、五七五七七調の折句が浮かび上がってきます。具体的には右上を始点とし、そこから上段を左に読み、次に斜め右下へ、それから真横に左方向へと進み、次に右上へと続き、最後に一文字ずつ飛ばして右上から右下、そして左下に読みます。すると、下記の歌が綴られていることがわかります。

いちよらや あえさけいつわ とかなくて しすみこいれり いはほとなて

実に見事な五七五七七調の句で書かれている折句の歌ではないでしょうか。「いちよらや」は、今日でも全国各地で使われている方言のひとつである「いっちょら」に発音が類似しています。実際には「いっちょらい」、「いっちょら」と発音されることもあるこの方言は、例えば、福井弁では「いっちゃんいいやつ」という意味で使われています。また、阿波弁では一張羅、すなわち一枚しかない上等な服という語源から、「とっておきの」という意味の言葉として使われ、土佐や長浜など、ほかの地域でも「いっちょら」は「最高の」という意味に使われることが多いようです。また千葉県の北総周辺でも古くから「いっちょら」は一番上等な衣類という意味で使われています。いずれにしても「いちよら」が「最も素晴らしい」、「最高の」という意味を持っている言葉であることは間違いないようです。

すると「いろは歌」に含まれる五七五七七調の折句歌における「冠」(かむり)、すなわち上段列から始まる最初の行は、「素晴らしいヤアエの神」と解釈できそうです。「イチヨラヤアエ」の「ヤアエ」は聖書に登場するユダヤの神の呼び名です。そこに「素晴らしい」、「最高の」という意味を持つ「いちよら」が形容詞となり、「最高の神」、という呼び名で神を讃えているのです。

また、「いろは歌」のルーツには聖書の教理が絡んでいると考えられることから、「いっちょら」もヘブライ語を語源として、それがいつの間にか日本語の方言に転化した可能性があります。ヘブライ語で「神、ヤアエの人」を「イシ・エル・ヤアエ」と呼びます。そこで、その発音が多少訛り、「イチヨラヤアエ」と発音されるようになった可能性に注目してみました。神の人、すなわち祭司は、白い最高の衣を着て、神の御前に出ることが義務付けられています。それ故、その「イシ・エル」という言葉が「いちよら」と言われるようになり、「とっておきの着物」という意味が生まれたのかもしれません。

また、「いちよらやあえ」をヘブライ語で「神の定めた捧げ物」と解釈することもできます。ヘブライ語で捧げ物は「オラ」と言い、OLAH(OLAH)の語源には高く舞い上がるという意味があります。そして香を焚くという光景に関連してOLAHは最終的に「捧げ物」という意味を持つ言葉として使われるようになりました。また聖書にはITTIY(ITTIY)という言葉も登場し、こちらには「定められた」という意味があります。このふたつの言葉を合わせると、「いちよら」の発音そのものになります。すると「イチヨラヤアエ」は、「神の定められた捧げ物」と解釈できるのです。

「いろは歌」の中心メッセージは角文字に象徴されている「使徒イエス」です。それゆえ、イエスこそ、「いちよらや」が語る「神、ヤアエの人」、もしくは「神が定めた捧げ物」であり、いずれもそれはイエス・キリストを指していたと考えられます。その「いちよらや」というメッセージから「いろは歌」の折句は始まります。

次の節は、「やえさくいつわ」です。ここでは「いちよらや」の語尾である「神」を意味する「ヤ」が「やえさく」の頭に重複して用いられ、神の存在が強調されています。「や」が重なり、「八重」と呼ばれるゆえんがここにもあります。「やえさく」は「八重桜」を指し、後述するとおり「神隠し」を意味する言葉です。すると「やえさくいつわ」とは、「神隠しの逸話」と解することができ、神の人、神の定められた子羊(捧げもの)イエスが逸話となって、「八重桜」の花びらの下に隠れてしまうことが語られていると理解できます。そのイエスの逸話の結末が、「とがなくてしす」という「いろは歌」の折句に表現されています。神の人、イエスは罪もないのに捧げられて死んでしまった、という嘆きの思いが、この文言に込められているのです。咎の無いまま御子は入滅することが、「しすみこいれり」の意味です。

しかしながら、神の御計画はそこで終わりませんでした。「いわおとなて」と書かれているとおり、神の御子イエスは、死んだ後、巌となるのです。そこで巌という言葉の背景について、掘り下げて考えてみました。「いろは歌」の折句には、「いわおとなて」という言葉が、7x7の升目の右上角から下へ飛び石に読むフレーズに含まれています。日本人なら誰もが知っているこの言葉は、日本の国歌として歌われる『君が代』の歌詞にも含まれている一句であり、君主の世が小さな石から大きな岩となり、永遠にその繁栄が続くことを願うという意味が一般的な解釈です。しかし「いわおとなりて」が「岩音鳴りて」などと解釈されていることもあり、謎めいた余韻が残されています。

巌という言葉は、元々「いはほ」と呼ばれ、大きな岩という意味だけでなく、「巌の中」は仏教において死や宿悪のわざわいを避ける場所と考えられています。同様にユダヤ、キリスト教において岩は神の救い、もしくは神の象徴を意味している言葉です(サムエル上二章二節、詩篇二八章一節)。そして新約聖書においてイエス・キリストは「岩」と呼ばれ(第一コリント十章四節)それが「岩なるイエス」と呼ばれるゆえんです。それ故、「いろは歌」の「巌」は折句の中心メッセージである角文字の「イエス」に関連して書かれたと解釈するのが自然です。また「いはほ」は聖書において神を表す子音「YHWH」とほぼ同等であることから、岩なる神を意味する言葉としてYHWHが語源となっていると考えられます。

さらに「いわおとなりて」は聖書の原語であるヘブライ語で「YHWH」と綴られ、「完結した印を告げるだろう」という意味に解読できます。実際に「いわおとなりて」を含む「君が代」は、最初から終わりまでヘブライ語で読み通すことができるだけでなく、その内容においても「いろは歌」の折句と同様に、「巌」の君を称え、ヤアエの神を讃美しているのです。すなわち、岩なる神、イスラエルの神となって神の救いの計画が完結することが、「いわおとなって」という言葉に証されていたのです。

「いろは歌」の真髄となるメッセージは、イエス・キリストの死と、その後、神の御子として巌となり、神の救いの計画が完結することだったのです。それが暗号文である折句に込められていたのです。「いろは歌」の暗号文は、その角文字の「いえす」が主人公であり、その名前に象徴されるとおり、イエスが神の御子であることを強烈に訴えていると考えられます。そして角をくくる「シトイエス」の文字は、神から使わされたと言う意味の「使徒」とイエスキリストの「イエス」を絡めて、「いろは歌」の集大成となる目的を綴っています。

「いろは歌」は、ヘブライ語の原語の意味から、「素晴らしい神の人は、神隠し(八重桜)のごとく逸話となり、罪も無く死んだ御子は、巌(神)となった。」と解釈できることがわかりました。そして「巌(神)となった」という言葉は、ヘブライ語で「神の救いの計画が完結した」ことを意味することから、次の一文に作者の思いが込められていたと考えて間違いないでしょう。

「素晴らしい神の人は、八重桜に隠された逸話となり、罪無くして死んだ御子イエスこそ、救いを完結する印である。」