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2022/05/02

暗号文としての「いろは歌」 折句に込められた信仰のメッセージとは?

暗号文が潜む「いろは歌」

現存する最も古い「いろは歌」は経典辞書である『金光明最勝王経音義』(1079年)に7×7の字母表として書かれています。平安時代以降、この「いろは歌」は上層階級の仮名習字手本としても使われ、また庶民の間でも徐々に普及したようです。

「いろは歌」と呼ばれる字母歌は、真言宗の開祖である偉大な宗教学者、空海(774~835)が著作したという説があります。「いろは歌」の中では、47文字全部を1度だけ使って詩としての意味を持たせていますが、そのような詩を創作することは至難の業です。ましてや、表面上の文章とは別に、折句のような暗号文を組み込むことなど人間業とは思えません。それ故、語学の天才とも言われた空海説には信憑性があります。

実際に「いろは歌」にはクロスワードのようなパズルとして読むことができる文脈が隠されており、それらが暗号メッセージのように仕組まれていることがわかってきました。

「いろは歌」柿本人麻呂作者説

様々な暗号文の解釈
様々な暗号文の解釈
「いろは歌」の歌詞を並べた7×7の升の中に「かきのもと」という字が込められていることから、歌の著者が柿本人麻呂であるという説があります。確かに「いろは歌」の中には、「かきのもと」という文字の配列が、「の」を中心として対照的に存在することがわかります。次に「ひとまろ」の文字に注目すると、およそ四角形に位置付けられています。しかしながら、「ま」の文字のみが「ひ」と「ろ」の直線上にあり、長方形にならないため、左下角の空白に「ま」を移動させて、「ひとまろ」の4文字が四角形の頂点を成しているとするわけです。

こうして柿本人麻呂の名前が対象形に並べられて形を成していると結論づけることにより、「いろは歌」の作者が柿本人麻呂という説が生まれました。果たしてその名前は、「いろは歌」の暗号文となって、歌詞の中に込められていると言えるでしょうか。

「いろは歌」山上憶良作者説

5x10の升目に見出す「やまのうへおくら」
5×10の升目に見出す「やまのうへおくら」
柿本人麻呂作者説に類似した事例として、「いろは歌」では万葉集の歌人である山上憶良(やまのうへおくら)が、絵文字で暗号化されているという見解もあります。この説では、「いろは歌」をごく一般的な7×7の升目ではなく、5×10に当てはめて読みます。

まず、「へ」と「え」はすり替えることが可能とし、「やまのうえのおくら」とすれば、「う」「や」「ま」「え」の4文字が逆さまの「山」になっていることに気が付きます。また、「ま」が下にはみ出た形になっていることから、「や」に「ま」をかぶせて一緒にし、「やま」を漢字の「山」に置き替えるのです。すると、「お」「く」「ら」「の」の文字と合わせて、「上」という漢字の形を作ることができます。こうして、下にはみ出した「ま」を「や」に重ねることで、山上憶良の名前に含まれる「山」と「上」が暗号化されることになったという説が生まれました。


しかしながら、このような升目の文字操作をしながら、字をすり替えたり、置き替えたりせずとも、「いろは歌」が語ろうとしているメッセージを、7×7の升目をありのままに使い、もっと自然に理解できる方法があります。

言葉遊びの「いろは歌」を読む

古代、和歌の世界では言葉遊びが伝統的に行われていました。意表をついて読者を惑わせたり、別の主張を唱えることを目的として言葉をたくみに操りながら、表立った言葉の裏に本音の思いを秘めたりすることもありました。中には升目に入れた歌を横読み、縦読み、斜め読み、角読みというごく単純な手法で読み直すと、違う意味の文脈が現れてくるような仕掛けも考案されたのです。そして適当に濁点を補って読んでいくと、作者が折り込んだ本来のメッセージが現れてくることもありました。

同様に、「いろは歌」も表立った文章をそのまま読むだけでなく、さまざまな読み方を用いて作者の意図を探ることにより、その歌に込められた本来のメッセージを理解することができます。つまり「いろは歌」は、自然に暗号文として読むことのできる字母歌であり、元来普及されてきた7×7の升目に並ぶ文字列を、いろいろな方向、角度に読むだけで、そこに秘められている折句を見出すことができます。その手法を簡単にまとめてみました。

  1. まず7×7の升目の角を読む
  2. 次に縦と横の辺を読む
  3. 升目の中心をとおる斜線を斜めに読む
  4. ジグザグに読む
  5. 上記のコンビネーションで読む

こうして7×7の升目に込められたメッセージを手繰り寄せながら読み通すと、表面的には七五調に見えていた「いろは歌」が、実際は平安時代に多用された五七五七七調で構成される文脈を成していることがわかります。平安時代といえば、空海が日本全土を行脚して信心の大切さを大衆に説いただけでなく、かな文字を創作したという伝承も残されています。「いろは歌」と空海の接点が見えてきました。

「いろは歌」の作者は空海か!

「いろは歌」に隠されたメッセージ
「いろは歌」に隠されたメッセージ
「いろは歌」の作者については諸説があり、これまで定説と考えられていた空海の作であるという伝承は、昨今になって学者からの支持が薄れてきました。しかしながら、以下の理由をもって、「いろは歌」の作者はやはり空海しか考えられないという結論に至ります。

空海が「いろは歌」の作者であるという理由は、まず、「いろは歌」の折句が平安時代に流行したとされる「五・七・五・七・七」の韻を踏んでいることから、空海の時代、すなわち平安時代と重なっていることが挙げられます。「いろは歌」は表立っては五七調の歌に見えますが、その文字列にはさまざまな折句が込められ、五七五七七調の歌としても読むことができたのです。よって空海の時代と一致することがわかります。

次に、その折句に込められた内容が、イエス・キリストに関する信仰のメッセージにまとめられていることが挙げられます。その最も象徴的な事例が、上段左右の角と左下角の3文字からなる「い」「え」「す」と、下段一列で形成される「とがなくてしす」という言葉です。「いろは歌」の解読法は、単に升目をたどって読むだけで、そのテーマを簡単に見出せます。その角文字は確かに「いえす」であり、誰が見てもすぐにわかります。さらにはヘブライ語で「神」を意味する言葉が、ヘブライ語の発音のまま「やあうぇ」と綴られて「いろは歌」に含まれています。つまり「いろは歌」の歌詞の中にはヘブライ語ルーツの言葉が存在することが、折句の存在を解明することにより明らかになったのです。

これら一見キリスト信仰に通じると考えられる文字列が「いろは歌」に含まれることは偶然とは考えられないことから、そのメッセージ性に注目し、作者がキリスト教に通じる識者であると想定することが重要です。「いろは歌」の骨子は、「イエス、咎無くて死す」(図参照)という角文字と底辺の折句からなる暗号文に象徴され、そこには明らかにキリスト信仰についての思いが綴られていたのです。

このような奇策とも言える文字列の並びを平安時代、「いろは歌」に盛り込むことができる力量を持っていた人は、遣唐使として中国大陸でキリスト教にふれる立場にあった空海以外に存在しません。ネストリウス派のキリスト教を中国で学んできた空海は、「いろは歌」を創作した際、ヘブライ語で神の救いを意味する「い」「え」「す」と、神の名、「やあうぇ」を文字列の中に組み込んだと想定されます。聖書の教えに通じていた空海は、キリスト信仰についての理解を深めながら、その暗号文を解く鍵を「いえす」という角文字に込めたことでしょう。

よって、かな文字を創作した作者も、従来の定説どおり、語学の知識と知恵に長けていた空海であったと推測されます。空海は、かな文字を用いた「いろは歌」を創作することに、その歌を通して大衆に対し、かな文字の大切さを教えるだけでなく、その中に複数の折句を盛り込みつつ、「いろは歌」を信仰の歌に衣替えすることを目論んだと考えられます。そして人々が「いろは歌」を口ずさむことにより、知らぬ間に神を誉め讃えるように仕組んだのです。日本人全員が日本語を覚える際にひら仮名を習得するために「いろは歌」を覚えて歌うということは、国民がこぞって神を讃えることにもつながります。それが空海の願いだったのではないでしょうか。

キリスト教との接点を持っていた空海こそ、「いろは歌」のマスターマインドと考えられます。しかしながら、昨今の一般的な学説では空海説は否定されているため、なかなか暗号文のテーマそのものが「イエス」であるという可能性さえも、認知されない場合があります。しかしながら、キリストに関わるメッセージが複数込められているという事実を直視するならば、空海説を受け入れざるをえないはずです。

「いろは歌」の読み方を探る

縦・横・斜めに読む「いろは歌」
縦・横・斜めに読む「いろは歌」

五七五七七調で書かれた暗号文
五七五七七調で書かれた暗号文
「いろは歌」に込められた折句を解読する方法は、決して難しくありません。単に7x7の升目にある文字列を、各方向にたどってありのままに読むだけで良いのです。

「いろは歌」は表面的には七五調に見えますが、実際は空海の時代において多用された五七五七七調の折句が込められています。その文脈は、横読み、斜め読み、飛び石読みを混ぜながら読むことにより、五七五七七調の歌として浮かび上がってきます(図参照)。

具体的には、以下の手順で折句を読み通すことができます。

  1. 右上を始点とし、そこから上段を左に読み
  2. 次に斜め右下へ
  3. それから真横に左方向へと進み
  4. 次に右上へと続き
  5. 最後に一文字ずつ飛ばして右上から右下
  6. そして左下に読みます

すると、下記の歌が綴られていることがわかります。

いちよらや あゑさけゐつわ とかなくて しすみこいれり いはほとなて

「いろは歌」に潜む聖人の名前

神の名、モーセ、キリストも登場!
神の名、モーセ、キリストも登場!
「いろは歌」を理解するにあたり大事なことは、作者の時代背景、文化および宗教観などを視野に入れるだけでなく、その結果、異文化に由来する外来語の名前などが含まれている可能性があることを理解することです。

例えば、「いろは歌」の上段を右から読むと、最後の3文字が「やあゑ」となっており、古代では「やあうぇ」と発音されたようです。これはまさに、旧新約聖書で語られている創造主の名前であり、神様の名前として世界共通に使われている言葉です。さらには左端を上から読むと、「もせす」という言葉が出てきます。これは旧約聖書に登場するイスラエルを導いた偉大な指導者、モーセを指しているのではないでしょうか。

つまるところ、「いろは歌」はその暗号文とも言える複雑な文字列の組み合わせにより、「イエス」「ヤアエ」「モセス」という神や聖人の名前だけでなく、「咎なくて死す」という信仰のメッセージまで書き綴っているのです。そして角文字だけを読むと「いえす」となり、その後に「しと」が続きます。つまり、神から使わされた者という意味の「使徒イエス」という言葉で「いろは歌」の文字列は囲まれ、見事にまとめられていたのです。

「いちよらやあゑ」は神の名?

7x7の升目に綴られた「いちよらやあゑ」
7x7の升目に綴られた「いちよらやあゑ」

見事な五七五七七調の句で書かれている文脈が、折句として「いろは歌」の中に秘められていたのです。その歌詞に含まれる「いちよらや」は、今日でも全国各地で使われている方言のひとつである「いっちょら」に発音が類似しています。実際には「いっちょらい」、「いっちょら」と発音されることもあるこの方言は、例えば、福井弁では「いっちゃんいいやつ」という意味で使われています。また、阿波弁では一張羅、すなわち一枚しかない上等な服という語源から、「とっておきの」という意味の言葉として使われ、土佐や長浜など、ほかの地域でも「いっちょら」は「最高の」という意味に使われることが多いようです。また千葉県の北総周辺でも古くから「いっちょら」は一番上等な衣類という意味で使われています。いずれにしても「いちよら」が「最も素晴らしい」「最高の」という意味の言葉であることに違いはありません。

すると「いろは歌」に含まれる五七五七七調の折句歌における「冠」(かむり)、すなわち上段列から始まる最初の行、「いちよらやあゑ」は、「素晴らしいヤアエの神」と解釈できそうです。「ヤアエ」は聖書に登場するユダヤの神の呼び名です。その神の名を、「素晴らしい」、「最高の」という意味を持つ「いちよら」が形容し、「最高の神」という呼び名で神を讃えているのです。

もう一つの説として、「いっちょら」がヘブライ語を語源とした言葉であると想定し、それがいつの間にか日本語の方言に転化したと考えてみました。すると「いろは歌」は神を讃える詩であることから、ヘブライ語で「神、ヤアエの人」を意味する「イシ・エル・ヤアエ」が、そのルート語になっている可能性が見えてきます。その「イシ・エル・ヤアエ」が多少訛り、「イチヨラヤアエ」と発音されるようになったのでしょうか。神の人、すなわち祭司は、白い最高の衣を着て、神の御前に出ることが義務付けられています。それ故、その「イシ・エル」という言葉が「いちよら」と言われるようになり、「とっておきの着物」という意味が生まれたのかもしれません。

また、「いちよらやあゑ」をヘブライ語で「神の定めた捧げ物」と解釈することもできます。ヘブライ語で捧げ物はעלה(olah、オラ)と言い、その語源には高く舞い上がるという意味があります。そして香を焚くという光景に関連してעלה(オラ)は最終的に「捧げ物」という意味を持つ言葉として使われるようになりました。また聖書には עתי (itty、イティー)という言葉も使われ、こちらには「定められた」という意味があります。これら2つの言葉を合わせると、「イティーオラ」「イティーヨラ」「イチヨラ」となり、「神の定めた捧げ物」という意味になります。

「いろは歌」の中心メッセージは角文字に象徴されている「使徒イエス」です。それゆえイエスこそ、「いちよらや」が語る「神、ヤアエの人」「神が定めた捧げ物」であり、いずれもそれはイエス・キリストを指していたのではないでしょうか。その「いちよらや」というメッセージから「いろは歌」の折句は始まることが、その意味の大切さを訴えているようにも思えます。

「ゑ」の由来と「いろは歌」

古代の日本語では「え」と発音するかな文字が、なぜか2つ存在しました。今日では歴史的仮名遣いとして使い方を分けることはありますが、なぜ、同じ発音のかな文字が使われたのでしょうか。厳密に言うと、平安時代、「え」と「ゑ」のかな文字の発音は、eとwe、すわなち「え」と「うぇ」で区別されていたことが知られています。つまり「ゑ」のかな文字は、「え」という発音と全く同じではなく、むしろ「うぇ」に近い発音だったのです。では何故、「え」と発音するかな文字が枝分かれするかのごとく、「うぇ」という「ゑ」のかな文字も用いられるようになったのか、疑問が残ります。その答えが「いろは歌」に隠されていました。

空海は「いろは歌」を通じて神とイエスのメッセージをたくみに盛り込むことを目論んだことが、歌に込められた折句から知ることができます。「いろは歌」は7x7の升目にまとめることにより、その升目の繋がりと読み方により、数々の折句が浮かび上がってきます。中でも神についてのメッセージを直接伝えている升目最上段の文字列は重要です。そこに並ぶ列ごとの頭文字をとれば、「いちよらやあゑ」となります。よって作者は「最高の神」を意味する「いちよらやあえ」という言葉を折句にまとめたと推測されます。

ところがひとつの問題が生じました。ヘブライ語で神を意味する「やあえ」を列の頭文字に選びたいのですが、「いろは歌」を熟考した結果、「え」とい文字は既に使用済みであり、移動することができなかったのです。つまり「やあえ」の「やあ」で文字列が止まってしい、「え」がないために「やあえ」とならなかったのです。そこで新たなる文字を考案することになったと推測されます。ヘブライ語で神を意味する「やあえ」と綴ることが目的であり、新たに「え」という発音を持つかな文字を7x7升の左上角に挿入する必用に迫られたのです。その結果、生まれたのが「ゑ」という新しいかな文字です。

しかしながら、既にひら仮名の「え」という文字は存在することから、同じ発音が重複することを避けなければなりません。そのために「ゑ」を「うぇ」と発音することにしたのです。何故、それまでの日本語には類のない「うぇ」という発音が用いられたのでしょうか。その理由は、ヘブライ語の「神」を意味する言葉の発音から察することができます。日本語では「ヤーエー」と読まれる神の名は、ヘブライ語ではyhwhの子音4文字に母音をあてがい、「ヤーウェー」となります。本来は「うぇ」であり、「え」ではないのです。それ故、日本語では従来「やえ」「やあえ」と読む言葉を、「やあうぇ」としたと考えられます。

つまるところ、ヘブライ語で「やあうぇ」と神の名を正しく発音するために、「ゑ」の文字が創作されたのです。そしてヘブライ語で「え」と発音するための母音は文字の下に3つの点を添えることから、「ゑ」のごとく、文字の下部に3つの点を同じく添えたのです。「ゑ」の文字が、ヘブライ語の「神」に由来していることが「いろは歌」の折句から理解することができます。

「やあゑさけゐつわ」は神隠し

7x7の升目に綴られた「やえさくいつわ」
7x7の升目に綴られた「やえさくいつわ」
次の節は、「やあゑさけいつわ」です。ここでは「いちよらや」の最後の文字、「神」を意味する「ヤ」が再度強調され、文の頭に用いられています。そして「や」を重ねて「ヤーエ」「や(あ)ゑ」、すなわち「八重」とすることにより、神の存在を強調するだけでなく、実際の神の名、「やあえ」「やあうぇ」と同様の発音としているのです。「八重」とは、神を意味する聖なる言葉であった所以を「いろは歌」からも学ぶことができます。

かな文字を創作した空海は「いろは歌」を7x7の升目にまとめる際に、上段の文字列にヘブライ語で神を意味する「や」「あ」「え」という文字を並べたく、頭文字として挿入することを目論んだようです。そのため、既につかわれている「え」の代わりに新たに「え」と類似した「うぇ」の発音をもつ「ゑ」というかな文字を創作し、「え」にあたる7x7の升目左上の角に挿入したと考えられます。その結果、上段を左に読んでいくと「やあうぇ」、すなわち「神」を意味する言葉となり、次に左上角から斜め下に続けて「やあうぇさく」と読むことができるように工作したのです。

「やあゑさけ」「やーえさく」とは「八重桜」を指します。「さくら」の発音は、聖書の原語であるヘブライ語によると「隠す」を意味し、「やーえ」の神が「隠れる」、つまり「神隠し」を意味する言葉になります。それ故、「やあゑさけゐつわ」とは「神隠しのエピソード」、つまり神の人が隠されてしまった、亡くなってしまった、という不思議な話と解することができるのです。それが「八重咲け逸話」、そして「八重桜逸話」の本来の意味と考えられます。

「いろは歌」に秘められたメッセージの全体像が見えてきました。7x7の升目における角の文字が「いえす」であることから、この神の人とは、イエス・キリストを指していると想定されます。そのキリストが隠されてしまう、ということは、イエス・キリストが殺されてしまうことを意味するのではないでしょうか。「いちよらや」、「神の定められた捧げもの」こそ、イエス・キリストであり、そのイエスが逸話となって、「八重桜」の花びらの下に隠れてしまうことが見事に語られていると理解できます。

「咎なくて死す御子」の意味とは

神の人、イエス・キリストの逸話の真相は、「とがなくてしす」というもうひとつの「いろは歌」の折句の中に、作者の思いが込められているようです。神の人、イエスは罪もないのに、咎のないままに命を捧げられて死んでしまった、という嘆きの思いが、この文言に込められているように思えてなりません。そして、咎の無いまま御子は入滅してしまったことが、「しすみこゐれり」の意味ではないでしょうか。「しすみこ」とは「死す御子」のことであり、神の御子、イエスキリストが死んでしまったことを言い表しています。そして「ゐれり」とは、命を落とし、入滅したことを指していると考えられます。

しかしながら、神の御計画はそこで終わりませんでした。続く「いろは歌」の折句には、「いわおとなて」という言葉が、7x7の升目の右上角から下へ飛び石に読むフレーズに含まれています。神の御子イエスは、死んだ後、巌、岩となったことが証されているのです。そこで巌という言葉の背景について、掘り下げて考えてみました。

日本人なら誰もが知っているこの言葉は、日本の国歌として歌われる『君が代』の歌詞にも含まれている一句であり、君主の世が小さな石から大きな岩となり、永遠にその繁栄が続くことを願うという意味が一般的な解釈です。しかし「いわおとなりて」が「岩音鳴りて」などと解釈されていることもあり、謎めいた余韻が残されています。「巌」「岩」という言葉には、もっと深い意味がありそうです。

巌「いわお」という言葉は、元々「いはほ」と呼ばれ、大きな岩という意味だけでなく、「巌の中」は仏教において死や宿悪のわざわいを避ける場所と考えられてきました。同様にユダヤ、キリスト教において「岩」は神を指し、神の救い、もしくは神の象徴をも意味している言葉です (サムエル上二章二節、詩篇二八章一節)。そして新約聖書においてイエス・キリストは「岩」と呼ばれ(第一コリント十章四節)、それが「岩なるイエス」と呼ばれる所以です。それ故、「いろは歌」の「巌」は、折句の中心メッセージである角文字の「いえす」に関連して書かれたと解釈するのが自然です。

また「いはほ」の日本語は、聖書において神を表す「yhwh」と同等の子音を用いた言葉であることから、それが語源となっている可能性があります。ヘブライ語で「岩なる神」を意味する言葉として「yhwh」という4文字の子音に、3つの母音、「i」「a」「o」の母音を付加してみました。すると母音の付け方により2つの読みが生まれます。Yi-Ha-Who (いはほ)、またはYhi-Wa-Ho (いわほ) です。それがまさに、今日、私達が知る巌の読み、「いはほ」と「いわほ」と全く同じであることから、ヘブライ語ルーツ説の信憑が高まります。「いわおとなって」という言葉には、イエス・キリストが岩なる神、すなわち人々の神となり、神の救いの計画が完結することが、証されていたのです。

「いろは歌」が書かれた目的とは

古代ロマンがいっぱいの「いろは歌」。その真相を解き明かすにあたって、まず「いろは歌」が書かれた目的を考えてみましょう。「いろは歌」が折句を多用した暗号文書であるということは、その作者が当時、何らかの理由で一般的に受け入れられない大切なメッセージを歌の中に隠し入れて後世に残したかった、という理由が考えられます。それ故に、表面的な文章としては何ら差し障りのない格調高い歌にみせかけ、誰にでも容易に受け入れられるように配慮したのです。

次の目的として、仮名文字のすべてを誰もが学ぶことができる最良の手習い歌として、社会全般に普及させるために「いろは歌」を創作したと考えられます。字母歌であるが故に、「いろは歌」さえ覚えれば、日本語の仮名文字すべてを暗記したことになります。しかもその文字列を、大変覚えやすい美しい歌の調べに綴ったのです。そして人々が「いろは歌」を歌うということは、いつの間にか、その歌の背景に潜む暗号文の中に秘められたメッセージが人々の心の中に浸透し、知らず知らずのうちに誰もが神を称えることを作者は願ったのかもしれません。

もうひとつの目的は、いつしかその暗号メッセージが後世において解き明かされるように、ところどころに謎を解くための鍵となる言葉を埋め込んだのです。その例が「いえす」であり、「とがなくてしす」です。これらの言葉がヒントとなって、「いろは歌」の真相が解き明かされるように工夫した可能性が見え隠れします。こうして多くの日本国民はいつの間にか、「いろは歌」を日本語の歌として誰もが覚え、語り継ぐようになりました。

「いろは歌」の真髄となるメッセージは、イエス・キリストの死と、その後、神の御子として巌となり、神の救いの計画が完結することであり、それが暗号文である折句に込められていたのです。「いろは歌」の暗号文とは、その角文字の「いえす」が主人公であり、その名前に象徴されるとおり、イエスが神の御子であることを強烈に訴えていると考えられます。そして角をくくる「しといえす」の文字は、神から使わされたという意味の「使徒」とイエスキリストの「イエス」を絡めて、「いろは歌」の集大成となる目的を綴っています。

「いろは歌」に記された折句の謎

「いろは歌」に仕込まれた折句は思いもよらぬ長文です。そこには作者の強い信仰の思いが込められていたのです。

いちよらや あゑさけゐつわ とかなくて しすみこいれり いはほとなて

この折句には、イエス・キリストが岩なる神であることのメッセージが込められていました。その全文の意味は、以下のとおりです。

素晴らしい神の人は、神隠し(八重桜)のごとく逸話となり、罪も無く死んだ御子は巌(神)となり、救いを完結する印となった。

「いろは歌」を口ずさむということは、知らぬ間に誰もがイエス・キリストが岩なる神であることを信仰告白していたことになるのです。こうして万人が神を讃えることを目論んだ結果、「いろは歌」が創作されたと推測されます。それは正に神業としか言いようがない、英知を結集した奇跡の作品だったのです。

[参考文献]

  • 村上通典 「いろは歌」の暗号 1994年 文藝春秋
  • 篠原央憲 柿本人麻呂いろは歌の謎 1990年 知的生きかた文庫
  • 川崎真治 謎の邪馬台いろは歌 1980年 徳間書房
中島尚彦

中島 尚彦

南カリフォルニア大学、ペンシルベニア大学ウォートン校、フラー神学大学院卒。音楽系ネット通販会社サウンドハウスの創業者。古代史と日本古来の歌、日ユ同祖論の研究に取り組むとともに、全国の霊峰を登山し、古代遺跡や磐座の調査に本腰を入れている。

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コメント
  1. 伊藤幸男 より:

    非常に興味深く拝読しました。

  2. 関紫芳 より:

    大変興味深く拝読させて頂きました。
    文字のルーツを知りたいという子供の頃の思いが、いつしか書歴60年ほどの書家&アーティストとして現在も活動しております。そんな中で「いろは歌」に興味を持ったのは、やはり子供の頃。記憶では、7文字ずつだった事です。つまり7×6+5文字だった事です。
    その後1980年初版の川崎真治氏の『謎の邪馬台いろは歌』という書籍に出会い、それまでの謎が氷解しました。川崎氏は『誦文イロハは6組の対語からなる結婚(同盟)の血盟文だ!」というのです。諸説あるのは凄く良い事だと思います。しかし忘れてならないのは、現代の言葉ではないという事だと思います。日本語のルーツも大きく関わってくるという事です。
    中島さんは、既にお読みだとは思いますが、差し出がましくメールしてしまいました。
    これからも研究成果、楽しみにしております。