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2026/08/18

四国八十八ヶ所霊場と剣山の関係 空海による剣山への想いを込めた遍路の創作

四国八十八ヶ所霊場とは

空海は四国において88ヶ所の寺院を選び、霊場を開創されたと伝えられています。それらの霊場は「四国八十八ヶ所」と呼ばれ、すべてを巡ると全長1200kmにも達し、遍路のルートによっては、それよりもさらに何十キロも超えてきます。四国全体を囲む札所をぐるりと一周する遍路めぐりは、元来、修行の場として行者が行き来するだけでなく、自らの生涯を全うする聖地としても知られてきました。

行者らは俗世を離れた象徴として白衣を着て、手には念珠を携え、菅笠をかぶって杖をつきながら歩きます。杖を持つことで、弘法大師に守られながら導かれ、遍路の素晴らしさを体験することができると語り継がれてきたのです。今日、空海を崇拝する多くの参拝者が、空海ゆかりの地としての「四国八十八ヶ所」を巡り歩いています。

全体お遍路MAP

四国を一周する遍路の道のり

第1番札所 霊山寺
第1番札所 霊山寺
四国八十八ヶ所霊場の札所を順番に巡る旅路とは、どのようなものなのでしょうか。ここでは剣山との関係には触れず、四国を一周する遍路のルートそのものを確認してみます。出発地点である第一番札所の霊山寺(りょうぜんじ)は、四国の北東に位置する鳴門の近郊にあります。そこから遍路はまず西方へ進み、四番・大日寺、五番・地蔵寺、六番・安楽寺、十番・切幡寺(きりはたじ)など、徳島県北部から吉野川流域に位置する札所を順番に巡ります。四国を一周するはずが、なぜか海岸に沿って南へと向かわず、西方へと進むのが不思議です。

一番・霊山寺から十番・切幡寺(きりはたじ)までの遍路みちの途中、遠く南方には 剣山周辺に聳え立つ山々を眺めることができます。そして十番・切幡寺の333段にもなる階段を上り詰め、その高台にある奥の院まで足を運ぶと、晴れ渡った日には遠く南方に、剣山の頂が山々の彼方にほんのわずかに見えます。剣山の山頂を望むために、わざわざ西方向へと歩くように目論んだとも考えられます。

十番・切幡寺からは南方向へと進み、吉野川を渡った後、十一番・藤井寺に着きます。そこから山道を進み、十二番・焼山寺(しょうさんじ)へ向かいます。この区間は急斜面が連続する険しい山道であり、四国八十八ヶ所の遍路みちの中でも難所のひとつとして知られています。

第11番札所 藤井寺
第11番札所 藤井寺
ところがせっかく長時間かけて十一番・藤井寺から剣山の方向に山を登ってきても、いつしか大自然の険しい峡谷の壁が立ちはだかり、すぐそばにあるはずの剣山の頂上を望むことができないのです。人間の力では神の聖地を見届けることはできないものかと、剣山の展望を断念する所に佇むのが、十二番・焼山寺です。その由緒には、大蛇が火を噴いて全山が火の海になり、空海がその大蛇を岩に閉じ込めたことを祀っていると語り継がれています。その全山とは焼山寺そばの剣山を指し、古代、邪馬台国の時代にその霊峰周辺が火で焼かれたことを物語っているのかもしれません。

焼山寺を過ぎると、遍路みちは東方へ向かい、十三番・大日寺に到達します。この寺院は、「此の地は霊域ならば一宇を建立すべし」という大日如来の御告げにより、空海が建立したと語り継がれています。さらに東方へ進み、十七番・井戸寺(いどじ)を経て、十八番・恩山寺、十九番・立江寺(たつえじ)へと続きます。その後、再び山間部に入り、二十番・鶴林寺(かくりんじ)、二十一番・大龍寺を巡ります。そして徳島県南部へ進み、二十二番、平等寺を経て、二十三番・薬王寺に到達すると、遍路みちは紀伊水道沿いの海岸部へ出ます。二十三番・薬王寺からは海岸沿いを南下して高知県へ入り、室戸岬にある二十四番・最御崎寺へ向かいます。そのすぐ近くには、御厨人窟(みくろど)と呼ばれる空海ゆかりの場所があります。

第38番札所 金剛福寺
第38番札所 金剛福寺
室戸岬からは、高知県の海岸沿いを西方向へ進みます。その途中には、今日の高知市周辺に建立された三十一番・竹林寺、三十五番・清滝寺、三十六番・青龍寺など、数多くの札所があります。さらに西へ進み、四万十にある三十七番・岩本寺を経由して、足摺岬の三十八番・金剛福寺まで進みます。岩本寺から金剛福寺までの距離は、遍路みちの中でも最も長く、約86kmにも及びます。

足摺岬からの遍路みちは四国西側の海岸に沿って北方へ向かい宿毛、経由して愛媛県の宇和島へ入ります。愛媛県では四十三番・明石寺から大洲を経由して、東に向けて長い距離の坂道を上り続け、その山奥にある四十四番・大寶寺、四十五番・岩屋寺へと向かいます。なぜか海岸線を避けて真東に進む理由は定かではありませんが、その遠い先には剣山が存在するだけでなく、大寶寺や岩屋寺の近くには記紀にも記されている西日本最高峰石鎚山が聳え立つことは注目に値します。

その後、松山方面へ向かい、道後温泉、松山市を通り、五十三番・円明寺へ至ります。さらに今治方面へ北上した後、再び石鎚山に向けて南下し、六十番・横峰寺へ向かいます。そこから再び瀬戸内海沿いへ戻り、石鎚山の麓にある西条市からは遍路みちを瀬戸内海に沿って東方へと向かいます。そして六十一番・香園寺、六十五番・三角寺などを経て、遍路みちの難所と言われる六十六番・雲辺寺へと進みます。

雲辺寺からは六十九番・観音寺に向けて再度北上し、再び瀬戸内海沿いへ出ます。その後、香川県内を瀬戸内沿いに丸亀市、高松方面へと東へ進み、八十五番・八栗寺、八十六番・志度寺に至ります。そこから再び剣山の方向に向かって南方へ進み、八十七番・長尾寺を経て、八十八番・大窪寺に到達します。ここで88ヶ所すべての札所を巡り終え、結願となります。さらに八十八番・大窪寺から一番・霊山寺まで約40kmの遍路みちを辿って出発点へ戻ることで、満願を達成することになります。

このように、四国八十八ヶ所の遍路みちは、徳島から高知、愛媛、香川を経て再び徳島へ戻るという、四国を大きく一周するルートとして構成されています。では、なぜこのようなルートになっているのでしょうか。ここからは、単なる四国一周のルートとしてではなく、遍路みちと剣山との位置関係に注目したいと思います。

剣山を囲む四国八十八ヶ所の遍路みち

「四国八十八ヶ所霊場」の中心に聳え立つのが剣山です。西日本では2番目の標高1955mを誇る剣山ですが、周辺に聳え立つ山々の峰に囲まれていることから、「四国八十八ヶ所霊場」を結ぶ遍路みちからは、ほとんどその頂上を見ることができません。それでも、その剣山を囲むように遍路みちが張り巡らされているだけでなく、所々で、四国の中心に聳え立つ剣山の方向へ近づくように見える場所がいくつもあります。しかも、その中には、いったん海岸や平野部へ出た後、」再び山奥へ入り込むような、地図上でも特徴的なルートがあります。

こうした遍路みちの動きを一つひとつ確認していくと、四国八十八ヶ所霊場が単純に四国を一周するためだけに選ばれたのではなく、四国の中央部に位置する剣山を意識して配置されたのではないか、という仮説が浮かび上がってきます。そこで、ここからは剣山を目指す7度の迂回という視点から、遍路みちを検証してみます。

剣山へ向けて7度も迂回する遍路みちの意味

四国八十八ヶ所霊場の場所を、空海がどのように厳選したかについては、さまざまな説があります。いずれにしても、遍路みちを地図上で詳しく確認すると、四国を海岸沿いに一周するだけでは説明しにくい、特徴的な迂回がいくつも存在することに気付きます。

四国を一周するとてつもなく長い遍路みちの中で、少なくとも7ケ所、遍路みちが歪な形で迂回していることに気が付きます。迂回ルートに存在する札所の中には、剣山に向かって進むものの、霊峰から一定の距離までに留まり、そこに札所となる寺院が建立されている事例も確認されています。また、剣山から同程度の距離に複数の札所が定められている事例もあります。さらに、迂回した遍路みち沿いの山奥に建立された寺院の中には、剣山と同緯度に位置しているものもあります。これらをすべて意図的なものとは断定することはできませんが、険しい山岳に建立されている寺院だけに、明らかに剣山を意識しているようにも見えます。これらの事例を地図上で確認することにより、四国八十八ヶ所霊場の遍路みちと剣山の間に、何らかの関係があるのではないかと推測することができます。

剣山を目指す最初の迂回

剣山を望むことができる切幡寺への迂回
剣山を望むことができる切幡寺への迂回
四国八十八ヶ所霊場は、今日の徳島県、吉野川沿いにある一番・霊山寺からスタートします。四国を一周するには、霊山寺から紀伊水道沿いの海岸と並行して南下し、日和佐にある二十三番・薬王寺に向かえばよいはずです。ところが、遍路みちは、ほぼ逆方向にあたる西方へと向かい、十番・切幡寺を目指したのです。

四番・大日寺の高台まで来ると、南方には祖谷の山々を遠くに望むことができます。そこからさらに五番・地蔵寺、六番・安楽寺と西方へ進む遍路みちでは、その南方一体に広がる、剣山を囲む四国山脈の山々を眺めながら歩くことができます。そして十番・切幡寺まで到達し、その奥の院の高台からは、天気が良く、空気が澄んでいる日には、遠くかすかに剣山の頂上を望むことができます。

第4番札所 大日寺
第4番札所 大日寺
なぜ、四国一周をスタートするにあたり、霊山寺から南方に進むことを考えず、西方に向かったのでしょうか。なぜ、十番・切幡寺の奥の院という高台まで、わざわざ上り詰めたのでしょうか。おそらく空海は、八十八ヶ所の遍路みちを歩み始める最初の段階で、霊峰剣山の頂上を遠くに見届け、崇拝することを大切に考えていたのではないでしょうか。その剣山の雄姿を遠くに望み、心に刻みつつ遍路みちを進めるためにも、スタート直後から遍路みちは西方向へ迂回し、切幡寺へ向かったと想定されます。

剣山を目指す2番目の迂回

剣山を目指す藤井寺から焼山寺への迂回
剣山を目指す藤井寺から焼山寺への迂回
2番目の迂回は、剣山へ向かう険しい山道です。十番・切幡寺から南方へ向かって吉野川を渡り、十一番・藤井寺を経て、十二番・焼山寺に向かう遍路みちこそ、四国八十八ヶ所霊場巡りにおいて、最も体力を消耗する、急斜面が連続する山道として知られています。切幡寺から焼山寺までの歩行距離は30kmを超え、標高差も700m以上あります。実際の遍路みちの高低差は、途中の山道が上下することから1,000mを超え、岩場を伴う急斜面も多く、丸1日かけてやっと目的地に辿り着くことができるような過酷なルートです。その焼山寺への山道は、剣山へ向かうルートとも重なっていることから、この迂回経路を辿ることにより、四国八十八ヶ所霊場遍路のスタート直後から剣山へ近づくことができるという恩恵を、身をもって体験することができたのです。

十二番・焼山寺に到達すると、剣山頂上までは約25kmの距離が残されるだけです。その時点で、遍路みちは剣山を望むことなく東方へと方向を転換します。焼山寺まで迂回し、長距離を克服してでも剣山へアプローチする姿勢を見せることが、空海によって意図されたのでしょうか。この過酷なまでの遍路迂回ルートから、空海の剣山に対する強い憧れの思いを垣間見ることができます。その後、今日の徳島市にある十七番・井戸寺へと向かい、さらに紀伊水道沿いに南下し、十八番・恩山寺へと歩き続けます。

剣山を目指す3番目の迂回

立江寺より鶴林寺へ向かう遍路から望む剣山
立江寺より鶴林寺へ向かう遍路から望む剣山
十二番・焼山寺を後にして東方へ向かい、30kmほど山道を下ると、今日の小松島市にある十八番・恩山寺に到達します。次の十九番・立江寺(たつえじ)も海岸沿いに位置する寺院です。そこからは紀伊水道を東方に眺めながら海岸沿いを南下すれば、室戸岬へ達することができます。ところが、せっかく焼山寺から山を下ってきたにもかかわらず、紀伊水道の海岸沿いに到達した後、再び険しい山を登って南西方向に進むという、意外な迂回路をたどる展開となります。

立江寺からは再び内陸に向けて山道を登っていくことになります。山道と言っても河川が流れていることから、立江寺からは那賀川沿いを上ったと想定されます。そして剣山山頂から38kmほどの距離に位置する二十番・鶴林寺(かくりんじ)へ向かいます。剣山までの距離は、焼山寺からの25kmよりも長くなりますが、おそらく剣山の方へ向かうこと自体が重要視されたと考えられます。そして那賀川沿いを進み、その南方4km少々の場所にある二十一番・大龍寺へと向かうことになります。この迂回ルートも、剣山へ再び近づくために選ばれたものと考えることができます。また、大龍寺は剣山からおよそ40kmの距離にあります。その後の遍路みちにおいて、この40kmという距離も重要な意味を持つことになります。

剣山を目指す鶴林寺から太龍寺への迂回
剣山を目指す鶴林寺から太龍寺への迂回
もうひとつ重要なポイントは、若杉山遺跡の存在です。日本の古代史において、昨今の発掘調査からその重要性が明らかになってきた徳島県の若杉山遺跡は、古代最大の辰砂生産遺跡として知られています。魏志倭人伝などの中国史書に記された邪馬台国時代、この地域はに中国大陸にも名を馳せた、倭国における重要な最大の辰砂発掘拠点であった可能性があります。遍路みちは、単に紀伊水道の海岸から剣山の方向を目指して西南方向に進むだけでなく、二十番・鶴林寺から二十一番・大龍寺へ向かうルートにおいては、那賀川沿いを上り、山道を東方に向かい、若杉山遺跡を囲むようにぐるりと大きく迂回するような経路をたどっています。この遍路みちの経路からしても、空海が若杉山の存在を知っていた可能性が見えてきます。

剣山を目指す4番目の迂回

第43番札所 明石寺
第43番札所 明石寺
剣山を目指す4番目の迂回が、四国の西岸、愛媛の宇和島と八幡浜の中間にある四十三番・明石寺(めいせきじ)から四十五番・岩屋寺(いわやじ)へ至るルートです。明石寺から四国西岸を瀬戸内海方面へ北上し、大洲、内子町に到達した後、さらに北方の松山方面へ向かうという比較的容易な道のりを選ばず、あえて内子町からは剣山が聳え立つ東方へ向かい、再度山道を上り続けるルートを選んでいます。

注目すべきは、今日の愛媛県西予市にあり、海岸からも近い四十三番・明石寺から内子町を経て東方へと進み、四十四番・大寶寺(たいほうじ)へ辿り着いた後のルートです。そこからすぐに北上すれば、およそ20kmで四十六番・浄瑠璃寺(じょうるりじ)に辿り着き、険しい山道を避けながら四国一周をより楽に進めることができます。ところが驚くことに、空海は大寶寺から北上することを選ばず、四十五番・岩屋寺に向かってさらに東方へ進む山道をたどります。

岩屋寺は岸壁が連なる急斜面の中腹に存在し、歩くのさえ大変危険な場所にあります。一般的には寺院を建立には適しているとは考えにくい場所であるにもかかわらず、なぜか四十四番・大寶寺から四十五番・岩屋寺へ向かうの遍路みちが重要視されました。その背景には、剣山の存在があったのではないでしょうか。明石寺から岩屋寺まではおよそ86kmもの距離がありますが、その道のりの途中、内子町から登る遍路みちが進む方角の遠い先には剣山が聳え立っています。そして四十四番・大寶寺から四十五番・岩屋寺へ向かうルートも剣山の方角を向いているのです。そう考えると、剣山を崇拝するとう強い意思表示として、これらの遍路みちが特定されたと想定されます。

剣山の方を向いて歩むために、意図的に迂回することを目論んだことは、岩屋寺を後にした道のりからもわかります。四十五番・岩屋寺からは、なんと、これまで登ってきた山道を四十四番・大寶寺に向かって逆戻りするのです。四十五番・岩屋寺から北東方向15㎞の地点には、西日本最高峰であり、記紀にも記されている霊山、石鎚山が聳え立っています。つまり、岩屋寺に向かうことにより、剣山を正面に望みながら遍路みちを進むことができるだけでなく、霊山として信仰されてきた石鎚山の麓にも近づくことができたのです。その後、その霊峰を迂回するかのごとく、大寶寺方面へ戻ってきた後、いったんは北上し、瀬戸内の今治界隈まで進み、そこから海岸沿いを大きく回り、石鎚山を眺めながら南の方向に戻ってきます。この遍路みちのルートは、剣山だけでなく、石鎚山も意識して定められたものではないかと想定されます。

剣山を目指す大寶寺から岩屋寺への遍路アプローチ

剣山を目指す5番目の迂回

八十八ヶ所霊場の遍路みちは、今日の愛媛県、瀬戸内海沿いに到達した後も、不思議な迂回を続けます。ここで注目したいのが、五十九番・国分寺から六十番・横峰寺の遍路みちです。瀬戸内海沿いにある国分寺からは、海岸沿いに東方へと移動するだけで、比較的短い距離で八十八番大窪寺へ向かい、そして遍路の出発地点であった一番霊山寺へと戻ることができます。ところが今日の今治市にある国分寺から西条市方面へ向かった後、遍路みちは海岸沿いに東方へ向かわず、再び急斜面の続く山岳地帯を石鎚山が聳え立つ南方へと向かうのです。この迂回距離は、片道だけでおよそ20kmにも及びます。しかも驚くことに、六十番・横峰寺に到達した後は、再びUターンして北方へ戻り、六十一番・香園寺へと向かうのです。なぜでしょうか。

その理由は、石鎚山と剣山の経度と緯度が交わる地点まで到達することを目論んだからと想定されます。六十番・横峰寺は、石鎚山とほぼ同じ経度、すなわち霊峰の真北に位置し、石鎚山の頂上である天狗岳からおよそ7.7km離れています。その横峰寺から東方へ同緯度線を引くと、剣山頂上の周辺にあたります。正確には頂上から2.4km南を通りますが、誤差の範疇と考えられます。つまり、横峰寺は、剣山の緯度と石鎚山の経度が交差する地点に位置し、両霊峰の地の力を結集する場所として重要視されたのでしょう。だからこそ空海は、何としても遍路の途中で、たとえ迂回せざるを得なくとも、横峰寺に到達することを目指したのではないでしょうか。横峰寺への迂回は、遍路みちを剣山に結び付けるための究極の策だったと言えるかもしれません。

剣山と同緯度、石鎚山と同経度の横峰寺

剣山を目指す6番目の迂回

第66番札所 雲辺寺
第66番札所 雲辺寺
六十一番・香園寺からは、四国北部を瀬戸内海沿いに東方へ向けて、四国八十八ヶ所霊場の遍路みちは続きます。今日の新居浜市を過ぎて、海岸沿いの観音寺市に向かって進めば、四国を一周する遍路のゴールに近づいてきます。ところが瀬戸内に近い四国中央市にある六十五番・三角寺からは海岸沿いを北に進まず、継続して東方へ向かい、山を上っていくのです。そして高低差930mにも及ぶ27kmもの山道を、山奥に建立された六十六番・雲辺寺(うんぺんじ)へと至ります。なぜ、そこまで迂回してでも、雲辺寺に辿り着く必要があったのでしょうか。

剣山に40kmの地点までアプローチする3つの寺院
剣山に40kmの地点までアプローチする3つの寺院
その答えは、剣山からの距離にあります。剣山頂上から雲辺寺までは約40kmの距離があり、空海は、剣山から40kmという距離に着眼したようです。二十一番・大龍寺だけでなく、八十八番・大窪寺も同様に、剣山から約40km離れています。いずれの場所も、最短で比較的容易なルートを選べるにもかかわらず、遍路みちは大きく迂回して山中に入り、そこに建立された寺院を札所としています。これら3つの寺院が、それぞれ剣山から40kmの距離に位置していることは、もはや偶然の一致とは考えにくく、明らかに札所を等距離に位置する意図があった可能性を示しているのではないでしょうか。

剣山を目指す7番目の迂回

第86番札所 志度寺
第86番札所 志度寺
剣山を念頭においた迂回路として、最後に考えられる剣山へのアプローチは、遍路みちの最終段にある八十六番・志度寺(しどじ)から八十八番・大窪寺へのルートに見られます。ごく普通に考えれば、志度寺から四国八十八ヶ所遍路のスタート地点である一番・霊山寺へ向かうには、海岸沿いを東南方向にまっすぐ進むだけでよかったはずです。ところが空海は、志度寺から突如として真南に向かう迂回路を選択し、八十七番・長尾寺から八十八番・大窪寺へと向かい、そこを最後の札所としたのです。志度寺から大窪寺までの歩行距離は21km少々あります。そのうち、後半のおよそ半分が山道で高低差も580mあることから、決して容易な道のりとは言えないでしょう。四国八十八ヶ所の最終段においても、意図的な迂回策が考えられたのです。

第88番札所 大窪寺
第88番札所 大窪寺
その理由は2つ挙げられます。まず、四国を一周して八十八ヶ所霊場を巡り歩いてきただけに、最後の道筋は、何としてでも剣山に向かって真っすぐ南方向に歩むことが望まれたと考えられます。志度寺を越えてさらに東方へ進んでしまうと、剣山の経度を通り過ぎてしまうことになります。そこで、フィナーレとなる遍路みちとして、志度寺から剣山目指して一直線に南下し、大窪寺へ向かうルートが選ばれたのではないでしょうか。その先に聳え立つ剣山を望む思いで、遍路の旅を終えることが目論まれたのではないでしょうか。

また、最終地点となる結願の寺院が八十八番・大窪寺であり、そこが剣山からちょうど40km離れた場所にあることも重要なポイントです。大窪寺は、二十一番・大龍寺や六十六番・雲辺寺と同じく、剣山から約40kmの距離を共有していたのです。前述したとおり、いずれも遍路みちを大きく迂回し、剣山へ向かって可能な限り近づいた結果、約40kmという距離に寺院が位置しています。さらに大窪寺は、標高776mの女体山の山腹、標高約450mに位置し、「こんぴらさん」の名で親しまれている金刀比羅宮と同緯度に並びます。したがって、大窪寺は約40kmという距離によって他の霊場と結び付いているだけでなく、金刀比羅宮とも緯度によって結ばれ、その南方に剣山を拝することができる場所として、四国八十八ヶ所霊場の最後に相応しい場所と考えられたのではないでしょうか。

四国を一周するはずの四国八十八ヶ所遍路ですが、実際には一番・霊山寺まで戻ることなく、その手前の大窪寺で遍路みちは終焉を遂げます。どうやら。その理由は、剣山の存在に隠されていたようです。剣山を意識しながら四国を一周してきた結果、最後を飾る遍路みちとして選ばれたのは、剣山に向かって南へ進む山道だったのです。

剣山を目指す長尾寺から大窪寺の遍路アプローチ
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