伊勢神宮を基点として結び付く聖地と霊峰の数々
古代レイラインの中心地となる淡路島の伊弉諾神宮「かごめかごめ」をヘブライ語で翻訳すると、その歌詞はイスラエルの神宝についての取り扱いと、その行方について言及していることがわかります。この歌詞の解明をきっかけとして、筆者は兵庫県の新神戸駅、北側にある再度山の存在を知ることとなり、空海が遣唐使として中国を訪ねた前後の2回に登ったその山が、何故、重要であったかという理由を考えさせられることになりました。再度山は地図上で、伊勢神宮と石上神宮という史書にも記されている名高い2つの神社を結ぶ直線の延長線上にあたることからしても、極めて重要な位置にあることがわかります。しかも、その再度山から今度は南西方向にある淡路島の伊弉諾神宮に向けて線を引くと、その延長線上に剣山の頂上が存在するのです。 伊弉諾神宮は、その境内に設置された大きな地図に描かれているとおり、前述した伊勢神宮と対馬の海神神社とまったく同じ緯度に建立されているだけでなく、そこから夏至、冬至を指す30度線を引くと、出雲大社、諏訪大社、熊野大社、そして九州の高千穂にあたり ます。伊弉諾神宮は諸々の著名な霊山や聖地、神社の中心的存在として古くから知られていただけでなく、実際に地理的にもそれら聖地の中心地となる場所に建立されていたのです。伊勢神宮と石上神宮、再度山と剣山が地理的に伊弉諾神宮を中心として結びついているだけでなく、高野山や平安京とも関係していることは、それらの位置を地図上で確認すれば一目瞭然です。こうして伊弉諾神宮が、確かに古代日本において神社の中心であり、その神宮がある淡路島こそ、史書が記すとおり国生みにおける最初の島であることがわかります。
さて、その剣山には昔からユダヤルーツの噂があり、大昔にイスラエルの「契約の箱」や神宝が剣山の山頂周辺に隠されたのではないかという話を聞くことがあります。全国各地で開催される日本の祭りの象徴でもある神輿は、その形態が酷似していることからしても、イスラエルの契約の箱をモデルとして神輿がデザインされた可能性があります。契約の箱が実際に日本に持ち込まれて、そのレプリカが全国各地で作られ、祭りの際に担がれるようになったと考えれば、そのルーツが理解できるだけなく、元祖となる契約の箱自体、今でも日本のどこかに秘蔵されている可能性が残されていることになります。しかしその場所を特定することは容易ではないようです。ところが、ヘブライルーツを持つと思われる「かごめかごめ」の意味を解き明かした結果、そこには日本文化に潜むユダヤルーツの痕跡が読み取ることができるだけでなく、剣山が何故、古代より神聖化されてきたのか、その重要性を理解する鍵が秘められていたのです。四国の霊山として名高い剣山は、西日本で石鎚山に次いで2番目の標高を誇る山であり、淡路島からも見ることのできる霊山ですが、空海自身ははたしてどれだけの想いを剣山に寄せていたのでしょうか。
剣山を囲む四国八十八ヶ所の意味
四国を一周しながら空海が自らの足で歩き周り、訪ねた道のりをたどりながら88か所の寺院を回る1200㎞にも達する遍路は、「四国八十八ヶ所」と呼ばれ、あまりに有名です。その遍路の中心に聳え立つのが剣山ですが、遍路からはその頂上を見ることがほとんどできません。第一番の札所である霊山寺は四国の北東に位置する鳴門の近郊にあります。そこからおよそ平坦な道を第十番の切幡寺まで歩き続け、その高台にある奥の院まで階段を登りつめて、その高台からは遠く南方向に、剣山の頂上が山々のかなたにほんのわずか、突き出して見えるだけです。そして次の第十一番藤井寺から剣山の方角にある第十二番札所の焼山寺への山道は大変険しく、健脚をもっても丸1日かけてやっとたどり着けるかというほど、途中には急斜面が続きます。冬場なら一旦道に迷えば凍死も覚悟しなければならない険しい道だけに、遍路を歩く人が、いつ死んでもよいという心構えの表れとして白い衣を着るようになったその理由も、わかるような気がします。
ところがせっかく剣山の方向に長時間かけて遍路を歩んできても、いつしか険しい峡谷の壁に立ちふさがれて南下できなくなり、すぐそばにあるはずの剣山を見ることさえできなくなるのです。大自然の壁に阻まれ、人間の力では神の聖地にはたどり着くことはできないものか、と剣山への道を断念するところに佇むのが第十二番の焼山寺です。そしてこのお寺を最後に遍路の旅路は剣山を背にして東方向へと向かい、第十三番札所以降から四国の海岸線まで到達し、そこから島の周辺を一周して、最終的に88ヵ所の神社を回るのです。ここに空海の「神隠し」の想い、すなわち八十八という「八」が重なる数字が意味する「八重」、ヘブライ語では「ヤーウェーの神」にちなんだ言葉に、「隠す」を意味する「さくら」をまみえて「八重桜」という言葉を創作した想いを感じないではいられません。神が見えてくるようで見えず、たやすく歩み寄ることもできず、聖地とは人が近寄り難い不思議な場所であるがゆえ、遍路とはそれを象徴するかのごとく、聖地の周りをとことん歩き周り続けてもなかなか到達できないように仕組まれていたのではないでしょうか。そしてその聖地こそ、空海が愛してやまなかった剣山だったのです。