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2024/03/27

遍路道12日目 足摺岬から宿毛までの道のり 第38番金剛福寺から第39番延光寺、宿毛駅へと続く

足摺岬からのプランを慎重に検討

第38番札所 金剛福寺から出発
第38番札所 金剛福寺から出発
足摺岬から四国の西岸を北上し、第43番札所、明石寺までの遍路道は、およそ150㎞あることから、通常は3日かけて進むことを想定します。明石寺から次の札所、第44番大寶寺までは、上り坂の多い難所であり、距離もおよそ75㎞あることから、まずは明石寺まで到達することを目論みます。その最初のハードルが、足摺岬に建立された第38番札所金剛福寺から次の第39番札所延光寺までの遍路道です。

遍路道から足摺岬を望む
遍路道から足摺岬を望む
金剛福寺から延光寺までの距離はおよそ53㎞。普通に歩いても12時間はかかる距離なので、日中に目的地まで到達することが、ぎりぎりで可能な距離です。筆者の場合は遍路道を走って行くことから、当初、明石寺までの150㎞を2日で走破することを検討しました。そのため、1日目を延光寺で止まってしまうと、残りの明石寺までの道のりが100㎞になってしまい、ウルトラマラソン級の超距離となってしまいます。さすがにそれでは日中、目的地に到達することは極めて困難であることから、1日目は延光寺からもう少し進み、高知県の最西端の町、宿毛まで到達することにしました。すると走行距離は62.5㎞となり、明石寺までの残りは90㎞弱となります。うまくいけば、足摺岬から明石寺まで2日間で走破が可能な距離であることから、とにかくチャレンジしてみることにしました。

徳島から足摺岬への移動は長い!

足摺岬を出発する前日の3月15日、徳島から足摺岬まで、まず、移動することにしました。無論、遍路道の歩みは天候に左右されることから、天気予報は十分にチェック済みです。雨風だけは避けなければ、景色も楽しむことができません。足摺岬は同じ四国と言っても、その最南端であり、とにかく遠いです。しかも観光地であるというのに、交通手段も限られています。自家用車で行くならまだしも、公共の交通機関を使って行こうとするならば、近くに汽車の駅があるわけでもなく、バスで行くしかありません。

ましてや徳島から足摺岬へ行くのは、同じ四国だというのに、実に不便なのです。移動にはバスと汽車を使いわける必要があるのですが、出発する時間帯によっては、8時間近くもかかってしまいます。当日は、まず高知駅まで向かい、そこから四万十市の中村を経由して、バスで足摺岬に向かうことにしました。皮肉なことに足摺岬に行くには、東京を出発した方が徳島発よりも断然早く目的地に到達できます。何故なら東京からは1時間少々で羽田空港から高知空港へ行くことができるからです。前日は徳島で仕事をしていたため、仕方ありません。

今回は、最短とも思える徳島発午前9時の汽車と、中村発のバスを使うルートを選択することにしました。午前9時、徳島駅から阿波池田までJR四国線の汽車、剣山3号に乗り、阿波池田でJR土讃線に乗り換えて高知駅に向かいます。そして9分後、高知駅から土佐くろしお鉄道中村・宿毛線のあしずり3号に乗って13時34分、中村駅に到着。そこから高知西南交通足摺線のバスに乗り、およそ2時間。93か所のバス停を通って目的地の足摺岬まで行くという計画です。

土讃線が運休になるハプニング!

当日、しょっぱなから計画倒れです。徳島から汽車に乗ろうと駅に行くと、何と、土讃線が午前中は運休ということで、高知までは乗れませんと言われてしまいました。万事休す!とっさにひらめいたのは、だったら、高速バスで行けば良いではないか!そこで9時42分発のバスのチケットを購入し、旅程を練り直してみました。高知着は12時30分なので、当初プランしていた汽車には乗れません。よって、次の便、13時49分発のあしずり5号に乗り、中村からバスに乗り換えて、今度は101か所の停留所を越えて足摺岬に向かうことにしました。到着の予定時刻は17時31分。旅の時間はおよそ8時間となってしまいましたが、仕方がありません。

移動時間は長いものの、特筆すべきは高知西南交通の足摺線と呼ばれるバスです。101か所も停留所があるということは、それなりの理由があったのです。地元住民の方々を、家の近くまで送り届けるために、わざわざ停留所の数を多くしているようです。しかも住宅が多く建てられている場所のそばまで行くために、メインの県道からはずれて、地元の細い道路をバスが通っていくのです。それがすごいんです。道路幅が4~5メートルもない細い道が多く、逆方向から車がきたら、どちらかが道をゆずるしかありません。しかもところどころ、道路の両脇からは樹木の枝が飛び出していて、バスのミラーに当たってしまうすれすれの道幅です。そんな狭い道であり、しかもくねくねと海岸沿いに曲がっていることから、決してバスのような大型車両が通ってはいけないような道なのです。そこをバスの運転手は見事に運転して通り抜けていくから素晴らしい、としか言いようがありません。拍手!

足摺岬に到着した後は、予定どおり宿泊の予約を入れていた、あしずり温泉郷のホテル足摺園に無事チェックイン!ひと風呂浴びた後は、夕食の時間。そして想定外のおもてなしとなる食材の数々が並べられ、特に和牛のしゃぶしゃぶには感動。高知のお酒も堪能し、身も心も準備万全。翌日の遍路道は60㎞を超えることから、身が引き締まる思いです。

足摺岬から宿毛までの遍路道へのアクセス 行き

金剛福寺から延光寺までの道のり

青空が広がる足摺岬からの遍路道
青空が広がる足摺岬からの遍路道
早朝、早く出発したかったのですが、宿泊していた足摺園の朝食が6時半からであり、お願いをして6時15分に繰り上げていただいたものを食べた後にチェックアウトし、金剛福寺まで走って向かいました。そして6時55分、正門から出発です。それでも十分な朝食をとったことから体調は万全です。ここから一気に進んでいきます。

3月16日は素晴らしい天候に恵まれ、朝から青空がさわやかに広がります。そして海を横目で眺めながら軽く走っていきます。走らないと夕暮れまでに目的地である第39番札所の延光寺、そして宿毛駅に到達できません。Googleマップでの予定距離は62㎞。時速8㎞で走っても、およそ8時間。途中、休憩を少々入れると9時間はかかってしまう計算です。よって、がんばって走るしかないというのが、遍路道を急ぐ宿命です。基本の姿勢として、札所から次の札所へは、1日で到達することが望ましいのです。よって、次の札所までの距離が長い場合は、相当な覚悟が必要です。途中、いくつもお遍路さん向けの休憩所が目に入ります。ありがたいことですが、そこで休むわけにもいかず、ひたすら走り続けなければなりませんが、遍路を歩く一般の人にとっては憩いの場になるでしょう。

ジョン万次郎の生家がすぐそば
ジョン万次郎の生家がすぐそば
足摺岬から遍路道は、「ジョン万黒潮ロード」と重なります。幕末の時代、黒潮の流れにのって漂流し、アメリカに辿り着いたジョン万次郎は、明治維新という激動の時代に国際人として活躍しました。その偉人の生涯地を巡る足摺岬西まわりの道路が、「ジョン万黒潮ロード」なのです。中浜万次郎生家の看板を横目に進んでいきます。とにかく海の眺めが素晴らしく、ところどころにある漁港にも目が留まります。また、高知では人の銅像が多いことに気が付きます。イルカの銅像までが道路沿いに建てられています。何かにつけて、銅像を建てる文化が古代からあるのでしょうか。

巨大な避難所を通り過ぎて行きます
巨大な避難所を通り過ぎて行きます
徳島から高知にかけては、ところどころに津波の避難所が建造されています。そして素晴らしい景色の砂浜を遠くまで見渡しながら、景色をたっぷりと楽しめるのが、金剛福寺から延光寺への遍路道です。海を眺めながら、無数の川を越え、足摺宇和海国立公園の中をひたすら進んで行いきます。

素晴らしい景観を誇る足摺宇和海国立公園
素晴らしい景観を誇る足摺宇和海国立公園
足摺岬から25㎞ほど北上し、半島を抜けて観音崎の海岸まで来ると、そこから市野瀬川沿いを北西方向に進みます。その川の手前にある「四国の道」の石碑が目に入りました。かなり疲れが溜まってくる時点ですが、ちょっと足を止めてよくよく見ると、延光寺まで31.3㎞もあるとのこと。でも、まだ午前10時過ぎたばかりです。心折れることなく、「まだまだ!」と気合を入れ直して進んで行きます。時折、遍路道沿いの指標には、延光寺までの距離が後何キロあるか表記されていますが、それを見るたびに、「あともう少しだ。。」と前向きに捉えるのが遍路の心得です。決して「まだ、そんなにあるのか。。。」などと思ってはいけないのです。自分に負けない強い心、初心を貫く一念専心の思いが試される時です。

足摺サニーロードから峠越え!

緩やかな上り坂になる足摺サニーロード
緩やかな上り坂になる足摺サニーロード
すると、すぐ先に「足摺サニーロード」の大きなサインが目に入ってきました。天気が良い日は、正に日当たりの良いサニー街道であり、とても気持ち良く遍路道を進むことができます。ここからは、軽い傾斜のある道を上りながら、内陸に向けて走っていくことになります。30㎞ほど進むと、新伊豆田トンネルのそばまできます。そこからちょっと斜面がきつくなります。およそ6㎞の距離が一貫して上り坂であり、標高差は200mほどになります。頂点の標高差はたった200mと思いがちですが、実際はアップダウンがあり、かなり傾斜のきつい個所もあることから注意が必要です。

おじちゃん!体に気をつけて頑張って!
おじちゃん!体に気をつけて頑張って!
その途中、足の悪い年配の方が一人で杖をつきながら歩いていたので、声をかけてみました。実はこの方、昨晩、足摺岬にて宿泊され、その夕方、到着したばかりの自分が足摺岬界隈をウォームアップがてら走っているのを見かけたのこと。きっと途中まで車でこられて、この山道は自分で歩くことにしたのでしょう。自力で何とか次の集落、三原村まで行くとのことでした。お気をつけて!

古き「へんろ道跡」の標識
古き「へんろ道跡」の標識
とにかく長く感じる坂道を上り続け、途中、みかん畑も目にしながら進んでいくと、伊豆田神社の石碑を発見しました。そして三原村の標識が見えてきて、そこからまだ上り坂は続きます。途中、お遍路さん休憩所はあるものの、休んでいる暇はありません。ひたすら坂道を上り続けます。その途中、「へんろ道跡」の標識がありました。中山峠を越えて、次の札所まで向かう遍路道が古くから存在し、その道の姿が今日まで残されていると記載されています。江戸時代の道路記には「谷間い長く木重なり淋し」と書かれているほど、一人で行くには注意が必要な急斜面の多い雑林の山道であったことがわかります。その淋しいい古代の遍路道ではなく、もだんな道路をひたすら進むことにしました。

遍路道沿いにある「上長谷城跡」
遍路道沿いにある「上長谷城跡」
37㎞ほど進むと、峠越えの後の頂点に到達です。既に時刻はお昼の12時です。そこから目的地である第39番札所の延光寺に向けて、50㎞地点までは緩やかな下り坂となり、ほっとします。しかも意外と心地良い景観が続き、疲れを忘れさせてくれます。まず目についたのは上長谷城跡の標識です。こんな所にも城跡があるのかと、不思議な思いにかられます。そして延光寺がある平田という町名の標識が遂に見えてきます。まだまだ20㎞程残っていますが、ここまでくれば、元気モリモリです。しかも下り坂の傾斜が一気に増えてくる所なので、疲れている足には本当にありがたいです。

「桜の広場」から延光寺へ向かう遍路道

46㎞地点では蛍湖の手前に「桜の広場」と呼ばれる巨大な公園が目に入ってきます。梅の木公園が隣接し、村民憩いの広場も大規模に造成されています。この「桜の広場」は、インカ遺跡を彷彿させる見事なランドスケープを誇示しています。しかも隣接する中筋川ダムの景観と水の色は見事であり、遍路を行く人たちの目を潤し、巨大な高千穂峡にでも来たような思いにさせてくれること請け合いです。しかしながら、こんな山奥の一角、中筋川ダムに隣接する公園に人が来るのか、ふと、疑問に思ってしまいました。おそらく政府が提供したふるさと創生に絡む巨大な資金が絡んだ故に、地方の行政がとりあえず造成したのではないかと勝手に推測しながら、足早に公園をすり抜けていきます。

四国霊場39番札所 赤亀山延光寺

遂に辿り着いた延光寺の正門!
遂に辿り着いた延光寺の正門!
ここまで来れば、第39番札所延光寺は目前です。スマホの地図を見ながら、後7㎞ということで気合が入ります。そして遍路道は、四国の国道では最も長い国道56号線に合流し、1㎞ほど西方に進むと、遂に見えてきました。「三十九番札所 延光寺」まで後1㎞という標識です。ありがたい!もはや待ったなし。急ぎ足で延光寺まで行きます。そして見えてきた看板には「四国霊場39番札所 赤亀山延光寺」という名称が記載されていました。なるほど、古くから赤亀山という名称があったのかと、初めて知りました。そして民家を横目に細い農道のような道を通り過ぎていくと、間もなく延光寺の正門が見えてきます。この表玄関とも言える正門横の標識は、「延光寺霊苑新四国霊場」というものでした。いろいろな名称を持つ霊場であることがわかります。

時刻は午後2時35分。スタートしてから既に7時間半が経過しています。まだまだ先があることから、参拝は20分を限度として、自分で納得のいく限り境内を巡り歩き、その美しさを満喫することにしました。参道を進むと、すぐに目に入るのが、大きな亀の石像です。しかも銅鐘を背負っているのです。亀の下には「延光寺銅鐘ノ由来」と称して、赤亀が竜宮より渡来して運ばれてきたという説明文が彫ってありました。また、修行大師の像もそばにあり、参道を進むとすぐに美しい本殿が見えてきます。そして広い境内の中にはとても綺麗な庭園もあり、その随所にさまざまな仏像が祀られています。

まだ、最終目的地のJR宿毛駅まで8㎞が残っています。午後2時50分。。。ふと、焦る思いが心の中にうごめき始めます。そうだった!本日の目的はJR宿毛駅16時21分発の汽車に乗って、夜の9時までに徳島に戻ることでした! 後、8㎞とはいえ、油断はできません。ちょっとした怪我でスローダウンすれば、汽車に乗れなくなります。そう思うやいなや、問答無用でリュックを背負い、再スタートです。

長い「四国のみち」を頑張ってきました!
長い「四国のみち」を頑張ってきました!
延光寺から宿毛駅の道のりは、ひたすら道路を進むということにつきます。国道56号というここともあり、交通量が多くなってきたことにびっくり。道路幅も広く、この道が宿毛に繋がるのかと思うと、心がはずみます。とはいえ、もう60㎞も走ってきました。そろそろゴールが見えてくるはずです。そして遂に宿毛駅が目の前に迫ってきました。国道裏の一角に、静かな佇まいのような宿毛駅を見た時、62.5㎞の遍路ランが無事、終了する時がきたことを知りました。時刻はちょうど16時。汽車が出発する20分前に見事、ゴールイン!こればっかりは、当初から計画していたこととはいえ、よーう、がんばったな、と自分を褒めるしかないかな。。。というのは言い過ぎでしょうか。

足摺岬から宿毛までの遍路道へのアクセス 帰り

遍路道12日目のまとめ

やっと辿り着いたゴールの宿毛駅!
やっと辿り着いたゴールの宿毛駅!
12日目の遍路道は、第38番金剛福寺がある足摺岬から海岸沿いを北上し、途中から山越えをして、第39番延光寺を参拝後、さらに進んでJR宿毛駅まで行く、と言うプランでした。途中、海沿いの景色は素晴らしく、心を和ませてくれます。しかしながら、いったん足摺岬の半島を通り抜けて山の中に入っていくと、人気の無い淋しい道が続き、しばらくは自販機もありません。よって、気温の高い日は、十分な水をリュックに確保していないと、途中で脱水症状にやられてしまうことになり、注意が必要です。

宿毛駅から汽車に乗って徳島まで戻ります!
宿毛駅から汽車に乗って徳島まで戻ります!
山に入った後の登り坂はとても長く感じます。旅を終えた後にデータを振り返ってみると、62.5㎞という長距離を走ってきたことに感動を覚えます。時速6㎞の早歩きで頑張ったとしても、10時間以上かかるわけですから、日が長い季節を選ぶことも必要かもしれません。また、一見、穏やかな道に見えるのですが、途中の緩やかな上り傾斜はとても長く、疲労がたまります。そして道路はアップダウンを繰り返すことから、実際に上る高低差は計測すると、何と1650メートルもあったことがわかりました。アップダウンが続く最中、峠を越えるまで道を上り続けることから、その傾斜の上り下りには、心の準備が必要です。

それでも終わってみれば、遍路道の長旅は多少つらい時があったにしても、心が満たされます。何故なら。無心になってひたすら足を動かすことに専念することから、いつしか自分と自然との一体感を思う存分、味わうことができるからです。その思いが空海の心にも繋がることを願いつつ、さらに遍路道を進んでいくことにしました。

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金剛福寺~延光寺

39番札所 延光寺

>延光寺~宿毛駅

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