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日本の霊峰 富士山の登山記録

2014年9月23日、秋分の日、激動の1日が始まりました。健康で脚力があるうちに、一度は絶対に登りたいと長年思い続けてきた富士山の登頂にチャレンジする日が、遂に到来したのです。これまで2000メートル級の山は何十回も登頂し、脚力と体力には自信があったことから、富士山も優に日帰りで頂上制覇できると考えていました。また、どうせ苦労して登頂するならば、富士山の頂上からパノラマの絶景を一望したいと、誰しも願うのではないでしょうか。そこで、シーズン中の大混雑を避けるために、オフシーズンで、しかも雪の降り始める前の天気の良い日を、ひたすら待ち望んだのです。

登山のターゲットは9月23日

当年とって56歳、もはや若くはありません。そして富士山がいつ噴火するかわからないという可能性を考えるならば、今年を逃したらもう後がないと考えていました。それ故、9月に入るやいなや、富士登山に関わる情報を読み始め、天気予報と仕事のスケジュールとの睨めっこが始まったのです。今や、かなりの正確さで10日先までの予報を随時確認することができることから、インターネット経由の情報は、とても重要でした。そして、天気予報のデータから、シーズンが終了し、混雑の緩和される9月下旬に登山日のターゲットが絞られてきました。

ところが、9月18日にフィリピン沖で発生した台風16号は、20日はフィリピン、21日は台湾で大きな被害をもたらし、22日には中国の寧波市まで襲いかかってきたのです。そしていつ日本に上陸するかもしれない状況となり、9月24日以降は天候が荒れることが予測されました。つまり、24日を過ぎると富士山頂では風が強くなり、雪が降る可能性も見えてきたことから、それ以前に出発するしかないことがわかりました。そして台風が到来する前に、晴れの天気予報がほぼ確定できる日を見つけようと日々、天気予報と睨めっこをしているうちに、その晴れ日が1日だけ見えてきたのです。それが秋分の日の祭日、9月23日です。台風の雲がフィリピンから中国に北上し、そこから進路を変えて九州方面を覆ってくる状況下で、秋分の日が正に、ラストチャンスであると断定したのです。

四系統ある富士山の登山ルート

富士山に登ろうと決断するまで、どのような登頂ルートがあるか、知る由もありませんでした。富士山には主に四つの登頂ルートがあることをインターネット経由の情報で知ったのは、登山する1か月前の話です。富士山は世界遺産に指定されたこともあり、整備は行き届いているように見受けられ、随所に休憩所やトイレ、山小屋などが用意されています。そして登山者の経験やニーズに応じて、四つの登山ルートから選択し、頂上を目指すことになるのです。

富士山頂への道のり
富士山頂への道のり
富士山へ向かう大道は御殿場ルートでしょう。古代の民は、おそらく南方の御殿場から、なだらかな富士山の裾野を歩き、頂上を目指して登り続けたに違いありません。しかしながら、他のルートに比べて登山口の標高が1000mも低いことから、歩行距離が大変長くなるだけでなく、救護所もないため、チャレンジするにはそれなりの覚悟が必要です。大自然の恵みに触れながら、古代の民のような想いに浸って登山するには、もってこいのルートと言えます。

その他の3ルートは御殿場ルートよりも距離が短く、それぞれに特徴があります。最もポピュラーな吉田ルートでは、山梨側から車で富士スバルラインを経由して五合目に到達し、登山を開始します。吉田ルートは山小屋や休憩所が多く、安心して登れることから初心者に人気があり、シーズン中はいつも大混雑します。2番人気は富士宮ルートです。このルートも車を使って富士山の南側に整備された富士山スカイラインを経由して五合目まで行き、そこから登山を開始します。スタート時の標高は約2400mと、四つのコースの中では一番高い場所に位置しています。吉田ルート同様に山小屋や休憩所もありますが、登り道も下り道も全く同じことから、混雑すると行き来が大変なことがあります。最後が須走ルートです。このルートは登山者も少なく、自然を思い切り楽しめることで、古くから登山ファンを魅了しています。しかし救護所も無く、ある程度の登山を経験した人にしか勧めることはできません。

これら四つのルートの中から、9月のオフシーズンに最適なルートとして選んだのが、富士宮ルートです。休憩所などがすべて閉鎖された9月下旬でも、富士山スカイライン経由で五合目まで車でアクセスすることが可能であり、天候さえ良ければ、確実に登山をスタートできるからです。しかもスタート地点の標高が高いだけでなく、ほぼ一直線に登っていくことから山頂までの距離も短いのです。脚力に自信があったことから、間違いなくベストルートに思えました。富士宮ルートの標高差は山頂まで約1300mであり、これまで何度も登っている四国石鎚山の標高差である800mよりも、6割強長いだけです。実際、石鎚山では麓の成就社から頂上まで1日で2往復を走った経験もあることから、日帰りで行き来するには問題のない距離と心得ました。後は、絶好の登山日となることを願うだけです。

富士山トレイルマップ
富士山トレイルマップ

富士山登頂の準備は万全!

富士山裾野からの光景
富士山裾野からの光景
9月23日の登山日に向けて、早速、準備にとりかかりました。富士山の標高は、これまでになく高いことから、慎重な計画が不可欠です。まず、歩行距離が圧倒的に長く、四国石鎚山の2倍は体力を要すると想定し、マラソンレースのようになることを覚悟しました。環境省が発行する「登下山ルート予想タイム」によると、富士宮五合口からの登山には4時間20分、下山には2時間5分、合わせて6時間25分の登下山の時間が想定されています。また、登山中に天候が急変することも考えられ、高山病の危険もあります。よって、あらゆる事態を想定した上での準備が必要です。

富士山の場合は、自分がこれまで体験したことがない標高3776mまで登ることになることから、まず、高山病の予備知識を得ました。また、これまで2000m級の山々は幾度となく登ったことがありましたが、いつもランニングウェアに軽装備であったことから、方針の転換が必要でした。服装についても、とりあえずスタート地点から冬用の暖かいトレーナーを上下に着て登ることにしました。

携帯品については歩行距離と滞在時間が長いことから、これまでよりも多くの水と食料を準備しました。水は500mlのペットボトルを3本、栄養の補給には、おにぎりや栄養ドリンクに加え、カロリーメイトを非常食として携帯することにしました。そして万が一の遭難の際を考え、懐中電灯も用意しました。たまたま発電式タイプの懐中電灯が手元にあり、手でレバーを回せば点灯するという極めて原始的なものでしたが、十分に役を果たすと考えて持参することにしました。まさか、その懐中電灯を実際に使う事態に陥るとは、知る由もありませんでした。

登山の準備と言えば、単に備品をリストアップして用意するだけではありません。一番、大事なことは体調の管理です。それ故、登頂の可能性がある数週間前から、日々、ランニングを繰り返し、ウェイトトレーニングをしながら体全体の筋力を養い、健康体を保つ努力だけは怠らないようにしました。体調は万全。後は、素晴らしい天候を期待するだけです。

登山準備の落とし穴に愕然!

秋分の日、9月23日の早朝5時、東京の自宅で目覚めました。富士山五合目からの登山は8時までにスタートすることを、当初から想定としたことから、5時起きでも十分に間に合うのです。やや遅いスタート時間ですが、御来光を拝むよりも、睡眠を十分にとって体調管理を優先する作戦です。朝から関東一帯は天気も良く、気温は暖かでした。また、富士吉田周辺の気温も22〜23度前後にまで上がることを予報で確認し、絶好の登山日和になりそうです。

早朝の東名高速道路は快適です。車で自宅から出発し、高速道路を飛ばしながら御殿場インターで降りて、富士山を目指しました。オフシーズンということで、トイレがないことも想定されたことから、コンビニに立ち寄り、備品の補給を確認したうえで、トイレも済ますことにしました。そして車から降りた時、大変なことに気が付きました。

何と、いつも手放さずに持っている2台の携帯電話を、両方とも家に置き忘れてきたのです。最悪の失態に絶句!富士山を登山する際には、携帯電話は絶対に必要な情報手段です。それを持たずに一人で登山するということは、万が一の事故や怪我が生じた場合、大変なリスクを背負うことになるのです。だからこそ、念入りに準備をしてきたにも関わらず、無念でなりません。しかも、携帯電話のカメラ機能を使って写真を撮る予定でしたので、カメラもないのです。自分の愚かさに唖然としながらも、ここまで来て引き返すことは考えられず、仕方なくコンビニで昔風の使い捨てカメラを購入しました。39枚撮りだったので、一つ買えば十分と思ったのですが、これも後で大きな後悔をする結果となりました。

富士山の五合目は目前であり、一生に一度あるかないかの富士山の登頂です。これだけは、どんな代償を支払ってでも決行する、という気持ちが揺らぐことはありませんでした。とりあえずカメラも購入することができて一安心。携帯電話は無くても、遭難しなければよいだけなので、「大丈夫。」と自分に言い聞かせ、富士山スカイラインを目指して車を再び走らせたのです。

山道からの絶景に心が弾む!

富士宮五合目のレストハウスエリアには、朝7時半に到着しました。オフシーズンであるだけに人影はまばらであり、車も登山道に面した道路に数十台駐車している程度です。幸い1台分のスペースが山沿いに空いていたので、車をそこに停めて、登頂に向けて最後の確認です。五合目ということでかなり寒いかと思いきや、車を降りても肌寒くはなく、16〜17度程度の感触です。風もあまりなく、天気も良好です。これならば軽装で登れると思い、上着は長袖シャツ1枚の上にトレーナーを着るだけにしました。

駐車場は登山道への入口から100mほど離れたところでしたが、山の斜面には登山道に沿うように大きなジグザグを描く道路の跡が見えました。たまたまそこから降りてくる2人の女性の方に出会い、「ここからも登れますか」と聞くと、「大丈夫ですよ。」と言われ、せっかくのチャンスと心得、その小道から道跡に沿って登り始めました。小道はすぐに登山道に合流したことから、富士山には歩くこともできる車両用のジグザグ道があるという誤認をしてしまい、それが下山の際にとんでもない大惨事を招くことになります。

富士宮ルートの五合目から六合目までは、岩混じりの荒い砂のような感触の緩やかな登山道が続きます。素晴らしい天気に感謝しながら足早に山道を登り、10分少々進むと、すぐに六合目の山小屋に着きました。小屋の中では2人の男性が話し込んでいて、表にはトイレが並んでいます。早速、最初で最後と思ってドアを開けようとしても、鍵がかかっていて開きません。よく見ると、利用料が200円のコイン式になっていて、小銭を入れないと開かない仕組みです。お金は持参してきたものの、一万円札を1枚しか持っていなかったので、お札の両替をお願いするのも申し訳なく、トイレくらい1日、我慢できると自分に言い聞かせて山小屋を後にしました。富士山は聖なる山ですから、できることならば、道端では避けたいものです。

六合目直後に横たわる巨石群
六合目直後に横たわる巨石群
再び登山道に戻って登り始めると、六合目からの道のりは様変わりし、岩場の急斜面が続きます。火山灰の岩場は足を滑らせやすく、足元をしっかりと見据えなければなりません。ふと登山道の右側を見上げると、そこには巨大な細長い岩場があり、背丈以上もある高さの岩が、何十メートルも続いています。広大な富士山の大自然の中では、巨大な岩場でも小さく見え、さりげなく歩き過ぎていきます。

それにしても、何という良い天気なのでしょうか。気がつくと、空は澄み渡る青色。しかも風さえもほとんど吹いておらず、時間が経つにつれて、さらに気温が上昇していくのです。用意していたトレーナーも、登山道を進むにつれて汗が止まらなくなり、すぐに脱いで長袖の薄手のシャツ1枚になりました。それでも汗をかくほど暖かい日差しに恵まれたことが意外でした。好天に恵まれたこともあり、綺麗な雲海が広がる雄大な景色を満喫することができただけでなく、雲の合間からは、太平洋沿岸を遠くに眺めることもできました。また、西日本を覆う低気圧の雲と、その後に続いている台風の影響から西方には厚い雲を確認することができ、さすが、富士山だと感無量な気持ちになりました。

登山中、下山してくる人に出会う際には、お互いに「こんにちは!」と声を掛け合うのが登山の礼儀です。と言ってもオフシーズンの富士山では人影はまばらであり、前後には遠くに数名ほど人の姿が目に入る程度です。オフシーズンの富士山は、一人でも楽しむことができ、格別な気分を味わうことができます。暫く歩き続けると、夫婦と小学校高学年の女の子が下山してくるのが目に入り、「頂上の景色はどうでしたか?」と声をかけてみました。ところが意外にも答えは、「子供が頭が痛いというので、頂上の手前であきらめて戻ってきました」と言うのです。後、もう一息という所で、高山病の症状が出たことから大事をとり、頂上を目前にしながらも下山することは、違った意味の勇気がいることだと思いました。

さらに歩き続け、標高も3000mを過ぎて元祖七合目の小屋を横目に通り越していくと、それまでのごつごつした岩が、段々と砂のような火山灰のかけらでできた山道に変わっていくことがわかります。ジグザグにロープが張られた登山道
ジグザグにロープが張られた登山道
岩場の合間に火山灰の砂がどんどんと多くなってくる印象です。足を踏み出す度に、じゃり、じゃり、と聞こえる足音が、不思議と大自然の中を登山しているという実感を湧かせてくれます。しかしながら、足元が緩いのも事実であり、足を滑らせやすくエネルギーを消耗しやすいので、注意が必要でした。そのため、富士山の登山道にはロープが張ってあり、誰でも迷わず、規定の山道を登山することができるだけでなく、転びそうになった時には、すかさず掴むこともできます。

高山病の症状を初体験!

携帯電話もなく、普段から時計を持ち合わせていないことから、正確な時刻がわからないまま登山をしていました。しかしながら秋分の日ということもあり、太陽の位置や日照の角度から、およその時間を察することができます。正に、古代の民と同様の境地を体験していたのではないでしょうか。そして出発から1時間半ほどで、八合目の山小屋に辿り着きました。八合目からは、富士山頂上浅間大社の奥宮境内地と言われ、いよいよ、聖域に入ったことがわかります。

八合目山小屋そばの鳥居
八合目山小屋そばの鳥居
山小屋から見て左側にはロープの向こう側に大きな鳥居が立っています。せっかくですので、ロープを越えてごつごつした岩を登り、鳥居の前まで行って跪き、お祈りをしました。鳥居は神の守護の象徴であることから、聖山で祈り、鳥居をくぐることもまた、大切な儀式ではないでしょうか。それにしても相変わらず人の姿は疎らです。あまりに素晴らしい天気だったことから、自分だけが体験するのではもったいなく思えてなりませんでした。しかも時間が経つにつれて、更に気温は上昇し続け、いつしか富士山の山頂付近は、9月下旬にしてはありえないような夏日の様相となっていたのです。

ところが登山にはハプニングがつきものです。ひらすら急斜面を歩き続けているうちに、酸素が薄くなってきたからでしょうか、だんだんと意識が朦朧としてくる感じがしてきたのです。当初は標高が高くなってきていることから当たり前のことと思い、大して気にもせず、水分をしっかりと補給しながら呼吸を整えて歩き続けていました。ところが、暫くすると頭が更にボーっとしてきただけでなく、軽い吐き気を覚え始めたのです。ちょうど、初マラソンで脱水症状になり、吐き気をもよおしながら走り続けた時と同じ感覚です。我慢をして歩き続けることにも限界を感じ、このままでは絶対にまずいと自分に言い聞かせ、一旦、休憩をすることにしました。

これが高山病の症状かと、初めての体験だけに、暫く様子を見ることにしました。かなり速いペースで歩いてきたこともあり、時間には余裕があったことから、岩場の影で20分ほど横になっていました。その後、立ち上がって歩き始めると、体調は少し回復していることがわかりました。それでも一旦歩き始めると、意識の朦朧感が少しずつ悪化し、時折、軽い吐き気がしたため、もう一度、今度は休憩を長めにとることにしました。2回目の休憩は30分ほどでしたでしょうか。登山でこんなに長く休憩をとったことはこれまでありませんでした。しかしながら、この休息が功を奏し、以後は吐き気もなく歩くことができるようになり、ほっとしました。さすがに朦朧感はなくなりませんでしたが、富士山の頂上では誰しもこんなものではないかと思い、何ら気にせず登山を続行することにしました。

やがて九合目の萬年雲山荘に辿り着きました。もう一息で頂上です。そこからの景色は正に圧巻です。これまでの長い登山道を振り返ると、その先には雲海が広がり、九合目の萬年雲山荘
九合目の萬年雲山荘
雲の合間からは遠くに下界の平野部が目に入ります。長かった登山道の疲れも、この景色を見るだけで、癒されるような思いです。また、登山道に沿ってジグザグに車の跡が見えることは気になりました。これまでの登山経験から、急斜面を上り下りするよりも、ジグザグにより平坦な山道を走った方が楽しく、時間も節約できたことから、「このジグザグ道を走ってみたい」という思いが脳裏をかすめました。これが下山の際、遭難の危機に直面するきっかけになろうとは、誰が想像できたでしょうか。

奇跡の無風状態で山頂を極める!

頂上浅間大社奥宮
頂上浅間大社奥宮
九合目から頂上までの道のりは、想像以上に長く感じました。酸素が更に薄くなってきたこともあり、意識も何となく頭が回らないような感じで、ボーっとした状態が続きます。そこでこれ以上酸欠にならないよう、無理をせずにゆっくりと歩きながら、呼吸は深く、また、早く繰り返して肺に入る酸素の濃度をあげながら登山道を歩き続けたのです。そしてやっとの思いで頂上に辿りついたと思いきや、そこは九合目半の胸突山荘だったのです。その名前のごとく、心が砕かれる思いでした。そこはまだ標高3590mにしかすぎず、頂上まで186mもの標高差が残されていました。

しかしながら、後ろを振り返ると、南西方向には雲の向こうに太平洋が見渡せます。しかも静岡の焼津や御前崎の海岸線まで眺めることができたのです。富士山から太平洋を見渡すことが夢のひとつでしたが、見事に実現したのです。ここまで来たら、もはや、気合いで登りきるしかありません。

そして遂に午前11時すぎ、富士山頂上制覇の時が訪れました!今度こそは本物の頂上です。まず、目にしたのは、「頂上浅間大社奥宮」と書かれた標識と鳥居です。富士宮口山頂を制覇した想いが湧いてきます。

富士山頂の色鮮やかな火口
富士山頂の色鮮やかな火口

旧富士山測候所ドーム跡
旧富士山測候所ドーム跡
そして少し歩き続けると、大きな火口が見えてきます。快晴であることから、壮大な火口の色合いと形状の美しさをありのままに肉眼で確認することができ、感無量の思いに浸りました。そして火口の左手には富士山の頂点を極める、標高3776mの剣ヶ峰が見えます。ちょうどその時、ランニングウェアを着ながら、ゆっくりと歩いている20代と思われる男性に出会いました。山頂まで走ってきたランナーがいるとは凄いと思い、声をかけてみると、意外な答えが返ってきました。「頭が痛くて走るどころではないんです」と。明らかに高山病の症状であり、可哀そうでした。そして剣ヶ峰に向かって急斜面を登り始めると、今度は30代前後の男性が下りてきたので、「剣ヶ峰はどうでしたか」と聞くと、「もう、足がもたなかったので、途中で引き返してきました」と小声で言うのです。

頂上にある二等三角点「富士山」の石碑
頂上にある二等三角点「富士山」の石碑
察するに、富士山の頂上では、高山病のリスクと、登頂の喜びは、常に共存するようです。実際には、多くの登山客が高山病に悩まされているようであり、本当の意味で健康体のままに頂上を楽しんでいる人は少数派であるというのが、現実のようです。高山病の危険は既に感じとっていましたが、幸いにも自分に生じた吐き気を克服してからは、頭がボーっとしている以外は極めて快調であったため、何ら心配する必要がないように思われました。そして、旧富士山測候所の先にある富士山最高峰剣ヶ峰に向けて一気に登りつめ、日本国内では自分以上に天に近い人がいない場所を目指したのです。そしてドーム跡の真下までくると、そこには「二等三角点「富士山」」と刻まれた石碑がありました。正にこれが、今、自分が標高3775.63mの場所にいる証でした。そしてその先には、待ちに待った「日本最高峰富士山剣ヶ峰三七七六米」の石碑が見えてきました。感動の瞬間が訪れました。名実ともに、日本列島の最高峰、富士山を制覇したのです。

日本最高峰富士山剣ヶ峰の咳品
日本最高峰富士山剣ヶ峰の咳品
感激のあまり、しばらく我を忘れていました。そしてふと気がつくと、何と、9月下旬の富士山頂が無風状態になっているのです。そして太陽は燦々と照り、ちょっとした夏日の様相です。紫外線も強く、肌が熱く感じられます。それでも真夏の太陽を山頂で浴びているような感覚は変わらず、夢か幻のようでした。しかも暫くの時間、たったひとりで日本の最高峰に居たのです。せっかくここまできたので、もっと高い所に登ろうと思い、観測所の階段のチェーンをかいくぐって登り、3776mを更に超えた標高まで登りつめました。そこから見る下界の景色は絶妙であり、言葉では言い尽くすことができません。

富士山頂ではハプニングも付きもの

オフシーズンの富士山では、剣ヶ峰まで登頂する人はごく僅かです。そして9月23日の一時、自分より誰一人として天に近い人が日本列島には存在しないことに、ふと、優越感を感じていました。そして一旦、階段を降りると、剣ヶ峰まで登ってきた3人の外国人に出会いました。早速、英語で話しかけると、ドイツに住んでいるフランス人のグループでした。そこで、お互いの写真を交替で撮り、自分はあまりに温かかったので、つい上半身裸のまま、写真を撮ってもらいました。富士山の頂上だからこそ、ありのままの姿を大切に記録したかったのです。

そこで思わぬ事態に遭遇しました。遠くの山々を写真に収めようとシャッターを押すと、何と、コンビニで購入した39枚撮りのカメラのフィルムが切れてしまったのです。人生の最高の日だというのに、何ということでしょうか。残された答えはただ一つ。彼らにお願いして写真を撮ってもらい、後で送ってもらうしかありません。そこで友達になった外国人の一人に観測所の階段を一緒に上がってもらい、2人でそこから遠くの写真を撮ることにしました。思わぬハプニングではありましたが、別れる際に自分の名刺を渡して、必ず連絡をしてくださることをお願いしました。残念ながら、このグループからは未だに連絡がありません。

とりあえず、山頂からの写真を数多く撮れたことに安心し、下山する前に、富士山の火口を一周することにしました。その時点では、おそらく感動のあまり、時間を忘れていたようです。そもそも携帯電話もなく、時計も持っておらず、太陽だけを見ながら、およその感覚を掴んでいただけなので、正確な時刻を知る術がありませんでした。火口を一周するのにどれだけ時間がかかるか、事前に調べてもいませんでした。ただ、目の前に火口全体を見渡すことができたことから、さほど時間がかかるようには思えませんでした。頂上は無風状態が続き、あまりの天気の良さに嬉しくて仕方がなく、何事も苦に思えなかったのです。

ドイツ人との頂上での出会い
ドイツ人との頂上での出会い
おそらくその時、時刻は午後2時を回っていたことでしょう。そんな時、頂上を自分と同じく一周回ろうとしている20代の外国人を2人見つけました。早速声をかけてみると、ドイツからの旅行者であり、オフシーズンの富士山に登らずには帰国できないと熱く語るのです。2人共、短パン姿であり、驚くほどの軽装です。正に怖いものなしの境地なのでしょう。そして周囲を見渡すと、頂上周辺にはどこにも人影が見えなくなっていました。9月23日、この3人が、富士山の山頂から下山する最後のグループとなったのです。そこで3人で話し合い、火口を一緒に一周してから下山することにしました。彼らは新宿のユースホステルに宿泊し、もうこの時間では五合目からのバスもないことから、ホテルまで車で送ってあげることにしました。1時間ほど頂上を散策するうちに、すっかり仲良くなり、貴重な写真を何枚も撮ってもらったのです。

ふと、太陽を見ると、その位置からして午後3時を過ぎて4時近くになっていることに気がつきました。考えてみると、午後6時前後には日没となり、暗くなるはずですから、残り2時間少々で下山を終えなければならないのです。そこで、すぐに下山を開始することにしました。

富士山で遭難の危機に遭遇!

今振り返っても、なぜ、自分が登山道を離れて車道を走り始めたのか、わかりません。3人で一緒に頂上から下山を始めて少し経つと、山道の脇に例の道路が見えてきたのです。これまでの経験からすると、登山道を歩いて下りるよりも、車道を走った方が早いことから、何も考えずに二手に分かれて、自分は車道を走ることにしました。五合目から登山を始めた時に、最初に少しだけ歩いた道の延長線にあるジグザグ道のように思えたからでしょうか。深く考えることもなく、吸い込まれるように、自分だけその道を走り始めていたのです。確かに頂上では終始、意識が朦朧としていたことから、判断力が鈍っていたのかもしれません。いずれにしても、そのジグザグに見える車道とはキャタピラ車が通るだけの道で、人が歩ける道ではないということを、全く知らなかったのです。

走り始めてからすぐ気がついたことは、これまで自分が体験したことがない急斜面の火山灰からなる砂と岩の道のため、体のコントロールができないということです。深い火山灰のため足場が悪く、しかも斜面が急すぎるため、一度、スピードがついてしまうと止まることができなくなり、最後は転んで止まるしか術がなかったのです。もうひとつの問題は、転んだ際の痛みです。地面が砂のように柔らかければ良いのですが、砂のように見える火山灰の下には岩が隠れており、転倒する度に足腰を岩にぶつけ、あざができるほどの痛い思いをしたのです。

しかしながら、ここから引き返して山を登る訳にもいかず、仕方なく我慢して、早歩きをするつもりで進むことにしました。それでも何度も転ぶほど足場は悪く、苦戦の連続です。ちょうど、アイスホッケーで、氷上を足を横にしてストップする感覚でしか止まることができなかったので、これはアイスホッケーの練習と言い聞かせるも、止まるたびに何度も転んでしまいました。

富士山の7合目から見た夕暮れ
富士山の7合目から見た夕暮れ
そしてどのくらい時間がたったでしょうか。日の入りの状況から見て、もう夕方の6時近くになっていたはずです。体力は消耗し始め、転び疲れてきた矢先、やっとのことで山小屋が見えてきました。これはおそらく七合目くらいの小屋かなと思って近づくと、何と、富士山を登ってくる男性がいたのです。早速、挨拶をして話を聞くと、今日はここでひと眠りして、明日、山頂に行くとのこと。そして愕然としたことに、何と、そこはまだ、九合目半の山小屋だというのです。これだけ時間をかけて苦労して下りてきただけに、全くその言葉を信じることができませんでした、そして、そこからは登山道を下ることにしました。日没の時間が過ぎたせいか、辺りは一気に暗くなってきました。

八合目付近まで戻ってきた時点では、あたりはすっかり暗くなってしまいました。明るい日中に歩いても足場が悪く、滑りやすい登山道だけに、夜に歩くことは危険極まりありません。また、日中は天候が良かったことから、月の明かりを期待したのですが、月は昇ることなく、かろうじて遠くの街の灯りがかすかに見える程度です。そこで手動式の懐中電灯を取り出し、レバーを手で回しながら歩くことにしました。しかしながら、これほどまで足場が悪いと、腕を動かすことにより体のバランスを崩しやすくなり、かえって転びやすくなってしまったのです。

それから20分ほどでしょうか。大きな岩に躓いて転んでしまい、懐中電灯を落としてしまいました。その際、レバーが取れてしまい、真っ暗闇の中で、どこにいったのかわからなくなったのです。火山灰が積もった岩場ですから、捜しようがありません。大ピンチです。夜の登山道で懐中電灯をなくしてしまったのです。ここからは、自身の勘と、遥か彼方に見えるかすかな灯りだけで下山しなければならないと思うと、危機感が増してきました。まだ、七合目と八合目の間と思われ、更なる苦難の下山が待ち受けていたのです。

命綱のみが暗闇を生き延びる道

普通ならば後、1時間少々で五合目まで下山できる所まで来ていたのではないでしょうか。しかしながら、暗闇の富士山登山道は、地獄の道を歩んでいるのと一緒です。それでも、先に下山した2人の仲間が東京に帰るため、自分を待っていると思うと、のんびりはしていられません。何とかして、五合目まで下山する方法はないかと試行錯誤を繰り返しながら得た結論はひとつ。それは転ぶことを恐れることなく、登山道沿いに張ってあるロープ伝いに、猿飛佐助のように下山することです。幸いにも手袋は2ペア持っていたので、手に二重に装着し、下りることにしました。この作戦は、実はとても危険な行動でした。なぜなら、ロープづたいとは言っても、地面はでこぼこで、所々に大きな岩がころがっており、躓いたり転んだりすることが避けられなかったからです。また、少しでもスピードがついてしまうと、ロープを思い切り掴まなければ体が飛ばされてしまい、大けがをしてしまいます。

それでも急いで下山しなければならないと思い、何十回も転びながら、時には岩に腰や足を打ちつけても我慢して歩き続けたのです。また、ロープを頼りに歩行するスピード調整をしたものの、時にはバランスを崩して、まるでサーカスをしているように、宙ぶらりんになるようなことも幾度となくありました。手袋も擦り切れ始め、体力も限界に近づいてきました。それでも、五合目までに戻ることを、あきらめずに、人生は我慢と、心に言い聞かせながら、ひたすら七転び八起きの精神で、下山し続けたのです。

そして夜も8時を回った頃、遠くにかすかな灯りが見えてきたのです。何とそれは6合目の山小屋でした。必至の思いでその灯りを目指して足早に進み、山小屋の前に辿り着いた時には、もう、体力の限界で、小屋の前のベンチに座り込んでしまいました。すると、中から山小屋のおばさんが2人出てきて、声をかけてくださいました。そして事情を話すと、もう五合目は10分少々で行けるとのこと。そこで1000円を支払い、懐中電灯を購入してから再出発です。そこからは懐中電灯の光で登山道を照らし、最後の力を振り絞りながらも、安心して下山することができました。

五合目のレストハウスエリアに辿り着いたのは夜の8時半。既に周囲は真っ暗闇で、人影もありません。仲間のドイツ人は、山小屋のおばさんの話によると2時間以上も前に戻ってきたようなので、きっと誰かの車に乗せてもらい、近くのホテルへと向かったのでしょう。悲しいやら悔しいやら、情けないやら、それでも、最高の1日であったと思えてくるのです。事実、今もって自分の人生、最高の思い出の旅であることに違いありません。オフシーズンの富士山登頂を無事、完結することができました。感謝!