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冬の三嶺を駆け登る ! 三嶺山頂に残された古代高地性集落の墓地跡とは ?

大自然の山々は人々の魂を魅了し、大勢の登山家が山の頂上を目指して日々大地を踏みしめています。しかし、その美しい山では、日本国内だけでも毎年200人以上の尊い命が失われています。その原因の9割が疲労、病気、転落、転倒、道に迷うのいずれかです。特に昨今は、中高年層の遭難が相次いでおり、2009年7月17日には北海道にある標高2141mのトムラウシ山で、中高年のツアー客ら9人が命を落としました。夏山という油断もあったのでしょう、ツアーを企画した旅行会社も天候の急変に対する対策が不十分であり、最悪の結果となりました。当日は予期せぬ激しい風雨が襲い、雨に濡れて体温が急激に奪われただけでなく、強風にあおられ体力を消耗し、低体温症などが原因で帰らぬ人となったのです。つくづく山の怖さを思い知らされた遭難事件でした。

さらに今度は12月18日の富士山において、自動観測が行われている富士山特別地域気象観測所
自動観測が行われている富士山特別地域気象観測所
片山右京氏らの登山グループが遭難しました。遠くから眺めるだけなら穏やかに見える富士山ですが、実は“冬山の中でも最も怖い山の1つである”と多くのプロの山岳家が断言しています。山頂付近は常日頃から強風にさらされ、気候の変化も想像を絶するほど早いそうです。片山氏のグループは、富士山の標高2750m付近に一旦テントを張るも、仲間2人のテントは風で吹き飛ばされてしまい、氷上を200mも滑落したのち凍死したのです。

冬山を走るという願望がつのる

筆者が初めて山を登ったのは、今から40数年前、小学校の遠足で行った箱根の山ではないかと思います。当時のかすかな記憶を辿ると、無論、険しい山道などは皆無であり、野原の小道を歩いていたように思います。それから登山とは全く縁がなかった自分に、再びチャンスが訪れました。そのきっかけとなったのがマラソンです。トレーニングの名目で、街中や、海沿いの道、山道、四国の遍路等、どこでも走りました。時には真冬のドイツで零下という寒さの中、半袖のランニングウェア1枚で長時間丘の上を走り続けることさえ苦にしなくなったのです。

最近は四国第2の標高を誇る剣山に3度登頂し、標高2000m近くの山頂のヒュッテから山道を登り降りし、周囲の山々の嶺を走り回ることを楽しみました。そしていつしか、心の内に“剣山に隣接する三嶺にも登らなければならない”という願望がつのってきたのです。早速マラソンシューズで冬山に挑戦です。

三嶺山頂制覇へのプランニング

三嶺(みうね)は剣山に匹敵する標高1893mを誇る雄大な山であり、登山家のメッカです。頂上周辺は、ミヤマクマザサとコメツツジの群落だけでなく、池まであることに、とても心が魅かれます。そして三嶺だけは周囲の山々とは異なり、今日まで不思議と自然が守られてきました。その山頂めがけて、冬の12月に1人で駆け登ることを決めたのです。不思議な池の存在も実際に自分の目で確認したくなり、もはや迷いはありません。

三嶺には、徳島県側の名頃、もしくは菅生から登頂するルートと、高知県側の光石からの合計3つの登山ルートがあります。いくら雄大な山であっても、平面の地図で見ると楽に走れそうに見えてしまう為、当初は名頃から三嶺山頂経由で奥の天狗塚を目指して駆け登り、そこからUターンして剣山まで走って戻ることを目論みました。しかし、その40km以上のコースは、通常ならば最低でも3日間かけて歩く道のりだったのです。そんなことはつゆ知らず、臨機応変に対処すればよいということで、自らにGOサインを出しました。

本来、冬の三嶺はとても寒いはずですが、12月15日はたまたま寒気のはざまとなり気温も高く、積雪も全く無く最高の登山日和です。早速、羽田から徳島行の始発の便に搭乗し、徳島空港からはレンタカーを借り、お昼前には剣山の麓に到着しました。麓のロープウェイは冬場のため閉鎖されており、お店も全部シャッターが閉まったままで、とても寂しい感じです。そこから車で10kmほどの、三嶺の麓にある名頃と呼ばれる登山口まで、かなり急な坂を車で下りましたが、その途中でも1台の車ともすれ違いませんでした。その後、車で下った急勾配の標高差を自分の足で駆け登ることになるのですが、名頃の登山口は標高910m、三嶺山頂との高低差は1000mもあったのです !

冬山の一人歩き(走り)は楽しい

三嶺山頂にある不思議な池名頃の登山道入口にある駐車場に到着すると、とても快適な登山日和だというのに工事車両以外1台も車が停まっていません。ちょっと首をかしげましたが、駐車場でマラソンウェアに着替えて登山開始です。無論、非常食は一切携帯せず、水の補給は自然の恵みに任せ、手ぶらのままです。林道を駆け始めると、当初は工事中の砂利道が目についたものの、すぐに大自然に包まれ一気に山の急斜面が目に飛び込んできました。そして登山道の足跡を注視しながら走り続け、ノンストップで山頂を目指しました。途中には、小さな滝あり、川ありと、美しい光景が広がる中を楽しく汗をかきながら走り続けました。しかし、山の中腹から想像以上に勾配が険しくなり、極端に細い山道や、岩だらけの急斜面などもあり、所々で足がすくみます。

そしてかれこれ1時間半ほど汗だくのまま走り抜け、遂に三嶺山頂の池の畔に辿り着いたのです。標高1900mもある山の頂上に池があること自体、信じられません。これこそ剣山周辺に高地性集落を作った古代渡来人の遺構ではないかと思うと、その美しく、特異性のある風景に感動を覚えます。また、池の傍には避難用のヒュッテがあり、覗いてみると中に毛布が備え付けられ、屋外にはトイレも用意されています。そこから三嶺山頂までは、わずか200m。ヒュッテを後にし、頂上に向かう途中、この辺りで遭難して亡くなられた方の慰霊碑が2つ建てられているのを見かけました。ここで22歳の青年が命を落としたということを知り、急に冬山の怖さが現実味を帯びてきました。そして頂上まで一気に駆け登ると、そこから周囲の山々を360度のパノラマで見渡すことができます。その景色は、筆舌に尽くしがたい美しさです !

激変する山の天候に冷や汗

雲で覆われはじめた天狗塚一服した後、次の目的地である天狗塚に向けて出発しようと、西方に目を向けると、何と先ほどまでは遠くまで見事に広がっていた風景が一変、山々が厚く白い雲に覆われ始めているではありませんか ! しかもその雲が、凄いスピードでこちらに向かってきています。驚きも束の間、あっという間に西側の山々は雲に蔽われてしまい、恐怖感が襲ってきます。天気予報によれば、翌日から天気が崩れることが予測されていたので、もしかして山の気候が急変したのではないかという不安に駆られました。既に疲れを感じていたこともあり、即座に計画を変更して下山することにしました。下山し始めて気付いたのは、いつの間にか体が完全に冷えきっていたということです。頂上までは心地良い汗をかいていた為気が付きませんでしたが、山頂の気温は大変低く、体感温度は零下5度以下ではなかったかと思います。薄いマラソン用のグローブしか付けていない手は凍ったようにかじかみ、全身がブルブルと震え始めた為、「これはまずい ! 」と、足を速めます。一番怖いことは下山途中で転倒し、大怪我をして動けなくなることです。自分の居場所を知らせることができない訳ですから、それは正に冬山での死を意味します。膝を痛めないように、転倒だけは十分気を付けて、「油断大敵 ! 」と何度も心の中で繰り返し叫びながら、三嶺山の急斜面を駆け降りて行きました。しかしその心の叫びもむなしく、駐車場まであと少しというところでうっかり丸太で靴をすべらせて転倒してしまいました。危うく背骨を強打するところでしたが、かろうじて無事でした。

登山の心得を知るべし

駐車場に戻った後、登山ガイドに「登山の心得」なるものがあることに気が付きました。しかも、その心得のすべてを無視していたことに苦笑せざるを得ません。まず「体力に合った適切な日程、コースを選ぶ」とありますが、事前に下調べをしていませんでした。次に「登山口に備え付けられた入山届に記入する」ことになっているそうですが、その存在さえも気が付きませんでした。また「剣山界隈には四国内で唯一ツキノワグマが棲息…御注意下さい」とありますが、これも初耳です。そして身なりと言えば「ザックを選ぶ」とありますが手ぶらです。そして「通気性がよく暖かいものを着る」と書いてありますが、走る為に下はタイツ、上はランニングウェアにスウェット1枚のみ。更に「軽くて底のしっかりした靴を履きましょう」と記載されていますが、履いているのは軽くて底の薄いマラソン用のレーシングシューズでした。最後に「雨具、ヘッドランプ、防寒具、着替え、非常食は必ず携帯しましょう」とありますが、あくまで速く走る為に手ぶらだったのです。

三嶺とは殉教者の聖なる墓

ミウネカドッシュ(kadosh miuneh、カドッシュ・ミウネ)というヘブライ語がありますが、これは「殉教」を意味する言葉です。それを省略したのが「ミウネ」であり、三嶺の語源であると考えられます。つまり「三嶺」とは、殉教者を祀る聖所、すなわち「古代のお墓」であったと推測できます。それ故、三嶺は他の山々よりも奥まった所にあり、長い年月の間、周囲から守られてきたのです。そしてお墓には体を清める為の聖水が必須であった為、三嶺山頂の人工池だけは他の山々と異なり、渡来人が移住する際にも埋め立てられることなく、そのまま残されたと考えられます。そう、三嶺山頂の池こそ、古代渡来人が後世に残した聖なる遺産だったのです。