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2022/01/10

冬の三嶺を駆け登る! 三嶺山頂の痕跡から垣間見る古代高地性集落の存在

天狗塚
天狗塚

冬山登山の恐ろしさ

大自然の山々は人々の魂を魅了し、大勢の登山家が山の頂上を目指して日々大地を踏みしめています。しかし、その美しい山では、日本国内だけでも毎年200人以上の尊い命が失われています。その原因の9割が疲労、病気、転落、転倒、道迷いのいずれかです。

特に昨今は、中高年層の遭難が相次いでおり、2009年7月17日には北海道にある標高2141mのトムラウシ山で、中高年のツアー客ら9人が命を落としました。夏山という油断もあったのでしょう、ツアーを企画した旅行会社も天候の急変に対する対策が不十分であり、最悪の結果となりました。当日は予期せぬ激しい風雨が襲い、雨に濡れて体温が急激に奪われただけでなく、強風にあおられて体力を消耗し、低体温症などが原因で帰らぬ人となったのです。つくづく山の怖さを思い知らされた遭難事件でした。

自動観測が行われている富士山特別地域気象観測所
自動観測が行われている富士山特別地域気象観測所
さらに今度は12月18日の富士山において、片山右京氏らの登山グループが遭難しました。遠くから眺めるだけなら穏やかに見える富士山ですが、実は“冬山の中でも最も怖い山の1つである”と多くのプロの山岳家が断言しています。山頂付近は常日頃から強風にさらされ、気候の変化も想像を絶するほど早いそうです。その富士山で、片山氏のグループは標高2750m付近に一旦テントを張るも、仲間2人のテントは風で吹き飛ばされてしまい、氷上を200mも滑落したのち凍死したのです。

冬山を走るという願望がつのる

筆者が初めて山を登ったのは、今から40数年前、小学校の遠足で行った箱根の山ではないかと思います。当時のかすかな記憶を辿ると、級友らと一緒に野原の小道のような登山道を歩いていたように思います。

それから長い年月を経て、それまで登山とは全く縁がなかった自分に、山登りのチャンスが訪れました。そのきっかけとなったのがマラソンです。大会に出るためのトレーニングという名目で、時間のある限り、街中や海沿いの道、山道、四国の遍路など、どこでも走ることにしたのです。そして時には、仕事で出向いた真冬のドイツでも、零下という寒さの中、半袖のランニングウェア1枚で長時間丘の上を走り続けることもありました。今思えば、それが苦にならなかったのが不思議でなりません。

最近では四国第2の標高を誇る剣山を何度も登頂し、標高2000m近くの山頂のヒュッテから山道を登り下りしながら、周囲の山々の嶺を走り回ることを楽しみました。そしていつしか心の内に、“剣山に隣接する三嶺にも登りたい!”という願望がつのってきたのです。

三嶺山頂制覇へのプランニング

四国の徳島県にある三嶺(みうね)は、剣山に匹敵する標高1893mを誇る雄大な山であり、登山家のメッカです。頂上周辺は、ミヤマクマザサとコメツツジの群落に覆われています。そしてその周辺には大きな池まで存在します。笹が茂る高山の頂上に池もあるということで、登山前からとても心が魅かれます。

その山頂めがけて、冬の12月に1人で駆け登ることにしました。不思議な池の存在も、自分の目で実際に確認したくなり、もはや迷いはありません。三嶺には徳島県側の名頃、もしくは菅生からと、高知県側の光石からの合計3つの登山ルートがあります。いくら雄大な山であっても、平面の地図で見ると楽に走れそうに見えてしまうため、当初は名頃から三嶺山頂経由で奥の天狗塚を目指して駆け登り、そこからUターンして剣山まで走って戻ることを目論みました。しかし、その40km以上にもなる縦走コースは、通常ならば最低でも3日間かけて歩く道のりだったのです。そんなこととはつゆ知らず、臨機応変に対処すればよいということで、自らにGOサインを出しました。

本来、冬の三嶺はとても寒いはずですが、12月15日はたまたま寒気のはざまとなり気温も高く、積雪も全く無く最高の登山日和です。早速、羽田から徳島行の始発の便に搭乗。そして、徳島空港からはレンタカーを借りて、お昼前には剣山の麓、三ノ越に到着しました。麓のロープウェイは冬場のため閉鎖されており、周囲のお店も全部シャッターが閉まったままで、とても寂しい感じです。そこから車で10kmほど下りながら、三嶺の麓にある名頃と呼ばれる登山口に向かいました。かなり急な坂道が続き、途中1台の車さえすれ違うことはありませんでした。

その後、車で下った急勾配の標高差を自分の足で駆け登ることになる訳です。調べてみると、名頃の登山口は標高910m。三嶺山頂との高低差は何と1000mもあったのです。これはかなり厳しい登山となりそうな予感です。!

楽しんだ冬の三嶺山の一人歩き(走り)

名頃の登山道入口にある駐車場に到着すると、とても快適な登山日和だというのに工事車両以外1台も車が停まっていません。ちょっと首をかしげましたが、駐車場でマラソンウェアに着替えて登山開始です。無論、非常食は一切携帯せず、水の補給は自然の恵みに任せ、手ぶらのままです。

林道を駆け始めると、当初は工事中の砂利道が目についたものの、すぐに大自然に包まれ一気に山の急斜面が目に飛び込んできました。そして登山道の足跡を注視しながら走り続け、ノンストップで山頂を目指しました。途中には、小さな滝あり、川ありと、美しい光景が広がる中を楽しく汗をかきながら走り続けました。しかし、山の中腹から想像以上に勾配が険しくなり、極端に細い山道や、岩だらけの急斜面などもあり、所々で足がすくみます。

三嶺山頂にある不思議な池
三嶺山頂にある不思議な池
そしてかれこれ1時間半ほど汗だくのまま走り続けると、遂に三嶺山頂の池の畔に辿り着いたのです。標高1900mもある山の頂上に池があること自体、驚きです。たしかに白山のように山頂付近に大きな池がある高山は存在します。しかし三嶺山頂の池は人口と思えなくもないほどの小さな池です。もしかすると剣山周辺に高地性集落を作った可能性のある古代渡来人の遺構ではないかと思うと、その美しく、特異性のある風景に感動を覚えます。

また、池の傍には避難用のヒュッテがあり、覗いてみると中に毛布が備え付けられ、屋外にはトイレも用意されていました。そこから三嶺山頂までは、わずか200mです。ヒュッテを後にし、頂上に向かう途中、この辺りで遭難して亡くなられた方の慰霊碑が2つ建てられているのを見かけました。ここで22歳の青年が命を落としたということを知り、急に冬山の怖さが現実味を帯びてきました。そして頂上まで一気に駆け登ると、そこから周囲の山々を360度のパノラマで見渡すことができます。その景色は、筆舌に尽くしがたい美しさです !

激変する山の天候に冷や汗

雲で覆われはじめた天狗塚
雲で覆われはじめた天狗塚
一服した後、次の目的地である天狗塚に向けて出発しようと、西方に目を向けると、何と先ほどまでは遠くまで見事に広がっていた風景が一変、山々が厚く白い雲に覆われ始めているではありませんか! しかもその雲が、凄いスピードでこちらに向かってきています。驚きも束の間、あっという間に西側の山々は雲に覆われてしまい、恐怖感が襲ってきます。天気予報によれば、翌日から天気が崩れることが予測されていたので、もしかして山の気候が急変したのではないかという不安に駆られました。既に疲れを感じていたこともあり、即座に計画を変更して下山することにしました。

下山し始めて気付いたのは、いつの間にか体が完全に冷えきっていたということです。頂上までは心地良い汗をかいていたため気が付きませんでしたが、山頂の気温は大変低く、体感温度は零下5度以下ではなかったかと思います。薄いマラソン用のグローブしか付けていない手は凍ったようにかじかみ、全身がブルブルと震え始めた為、「これはまずい ! 」と、足を速めます。

トレイルランのごとく山道を走る時、一番怖いことは下山途中で転倒し、大怪我をして動けなくなることです。そして携帯の電波が通じなければ自分の居場所を知らせることができない訳ですから、それは正に冬山で凍えてしまうことを意味します。よって膝を痛めないように、転倒だけは十分気を付けて、「油断大敵 ! 」と何度も心の中で繰り返し叫びながら、三嶺山の急斜面を駆け下りました。しかしその心の叫びもむなしく、駐車場まであと少しというところで、うっかり丸太に足をすべらせて転倒してしまいました。危うく背骨を強打するところでしたが、かろうじて無事でした。

登山の心得を知るべし

駐車場に戻った後、ごく一般的な登山ガイドの「登山の心得」なるものを読み直してみました。自分はその心得のほとんどを無視していたことに苦笑せざるを得ません。まず「体力に合った適切な日程、コースを選ぶ」とありますが、事前に下調べをしていませんでした。次に「登山口に備え付けられた入山届に記入する」ことになっていますが、突っ走ってしまいました。また「剣山界隈には四国内で唯一ツキノワグマが棲息…御注意下さい」とありますが、これも初耳です。そして身なりと言えば「ザックを選ぶ」とありますが、自分は手ぶらで駆け登りました。そして「通気性がよく暖かいものを着る」と書いてありますが、慣れもあり、速く走るために下はタイツ、上はランニングウェアにスウェット1枚のみでした。さらに「軽くて底のしっかりした靴を履きましょう」と記載されていますが、履いているのは軽くて底の薄いマラソン用のレーシングシューズでした。これはいけませんね。猛省です。最後に「雨具、ヘッドランプ、防寒具、着替え、非常食は必ず携帯しましょう」とあります。登山には入念な準備が不可欠であることを、あらためて思い知らされました。

三嶺とは殉教者の聖なる墓

この山は三嶺、「みうね」と呼ばれています。これは「みうね」とい名称に三嶺の漢字が当てられたのではと推測し、山頂の池は古代イスラエル人の遺構であるという憶測から、「みうね」の意味をヘブライ語で調べてみました。

するとひとつの言葉が目に飛び込んできたのです。それが「カドッシュ・ミウネ」קדוש מעונה(kadosh miuneh、カドッシュ・ミウネ) というヘブライ語です。この言葉は「殉教」を意味します。すると、三嶺の山が何等かの形で殉教者に関わる存在であったことが想定されます。

もしかすると「三嶺」とは、殉教者を祀る聖所、すなわち「古代のお墓」であったのかもしれません。それ故、三嶺は他の山々よりも奥まった所にあり、長い年月の間、周囲から守られてきたのです。そして死者を清めるためには聖水が必須であったことから、三嶺山頂には池が造成され、古代から今日に至るまで埋め立てられることもなく、温存されてきたとも考えられます。

三嶺は、私たちに古代ロマンの扉を開けてくれる素晴らしい聖山です。その山頂の池には、殉教者の思いが込められていたかもしれず、後世に残された聖なる遺産だった可能性があります。

中島尚彦

中島 尚彦

南カリフォルニア大学、ペンシルベニア大学ウォートン校、フラー神学大学院卒。音楽系ネット通販会社サウンドハウスの創業者。古代史と日本古来の歌、日ユ同祖論の研究に取り組むとともに、全国の霊峰を登山し、古代遺跡や磐座の調査に本腰を入れている。

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