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マチュピチュとクスコへの冒険旅行
第3話 クスコのインカ遺跡を1日で駆け巡る!

憧れの美しい街、クスコに到着してホテルにチェックインするも、飛行機の中に眼鏡を置き忘れてしまったのが運のつき。空港までレンタルのスクーターで行くことになり、3時間半も見知らぬ夜の市街を散々迷いながらスクーターで走り続けるというクスコの洗礼を浴びた後、JWマリオットホテルに戻ってきた時はすでに夜の10時近くになっていました。体は冷え切り、頭は軽い高山病のようにボーッとしていたことから、ベッドで横たわり、ふと、気が付くと、夜が明けていました。

おせんべいの袋や整髪用ジェルがパンパンに
おせんべいの袋や整髪用ジェルがパンパンに
朝、目覚めると、何と、割れるような頭痛がするではないですか。明らかに、高山病に関連する気圧の問題が原因であることは、すぐにわかりました。そこで、携帯している常備薬の鎮痛剤を飲み、やがて痛みはだんだんとおさまってはきたのですが、気圧のせいでしょうか、目は多少かすんだままであり、本を読もうとしても焦点がうまく定まらず、字がぼやけて見えます。それでも1日だけしかクスコ周辺のインカ遺跡を観光する余裕がないことから、すぐに出発の準備をしました。

クスコの観光プランは当日に最終決定!

当初のプランでは、クスコに夕方到着した翌日は、自分一人でクスコ周辺のインカ遺跡をツアーガイドなしで見て回ることになっていました。そして翌々日には夕方までにマチュピチュへ行く電車の始発駅となるオリャンタイタンボへ貸し切りのタクシーで向かい、その途中で、セイクレッドバレーに散在するインカ遺跡を見学することを計画しました。貸切の観光タクシーは1日$270かかり、それがグループツアーに参加することで$70になるとのことでした。マチュピチュのホテルからは貸切タクシーのコストが$220と聞いていたことから、即決で旅の3日目は、そのタクシーを使うことにしました。いずれの日も分単位で移動しなければ、数々の遺跡を見ることができないことから、コンシェルジュとの打ち合わせが重要となりました。

クスコ遺跡マップ
クスコ遺跡マップ
それにしても、1日しかクスコ周辺の遺跡を見る時間がないというプランは変わらず、どうやって全部の遺跡を見ることができるのか、不安が残ります。JWマリオットホテルのコンシェルジュから言われたことは、クスコ周辺の遺跡については距離も近いことから、行先を決めてタクシーで行くか、もしくは1日がかりのグループツアーを使うのが良いということでした。クスコ周辺の遺跡ツアーには、タクシーを使って巡ることが普通のようです。しかしながら地図を見る限り、クスコ周辺の遺跡までの距離は市街から半径5〜6q圏内にあり、さほど遠くはないように思えたことから、当初はジョギングも兼ねて自分の足で走って回り、見学することを考えていました。しかしクスコに到着後、近辺の道路事情を目の当たりにしてからは考えが一変!街中は渋滞が多く、道路も埃がたちあがり、坂道が多く、しかも高地ということで軽い高山病にかかっているような体調を否めず、走って回るのは断念しました。

そこで思い浮かんだのが、例のスクーターです!しかも何時間もかけて既に街中を行ったり来たりしたことから、一夜あけて改めてクスコの地図を見ると、不思議と地理感に自信が持てるようになっていたのです。時間を節約しなければならなかったこともあり、もはや躊躇することはありませんでした。クスコ周辺の遺跡へは、再び自らスクーターを運転することに決めました。遺跡観光に向けていざ、出発する際、ホテルのロビーを出て空を眺めると、何と雨季にも関わらず天気は快晴であり、青空が広がっていたのです。絶好の天候にめぐまれ、これはラッキー!憧れのクスコツアーのはじまりです。

クスコの街には観光スポットが一杯!

インカ帝国の首都であっただけに、クスコの街中には著名なインカ遺跡がいくつも存在します。そこでホテルから徒歩で行くことのできる市内の遺跡をさっと巡り歩いた後、スクーターでクスコ周辺の遺跡を訪ねることにしました。まず、JWマリオットホテルから100mも離れてないところにある「カサ・コンチャ」(Museo Casa Concha)博物館に行ってみました。しかし、どう見てもオープンしている雰囲気ではなく、ゲートは閉まったままです。この博物館にはマチュピチュの発見に関する資料が展示されているとのことで期待していたのですが、調べてみるとペルーの博物館系は、日曜が定休日なのです!日本と違い、日曜はお休みをして教会に行くという文化なのでしょうか。せっかくの日曜日でしたが、早速、プラン変更を余儀なくされました。

12角の石 多くの人でにぎわう
12角の石 多くの人でにぎわう
次に、「12角の石」へと足を運びました。ここもホテルから150mほどの距離であり、石畳みの道を歩くと、すぐに人だかりが見えてきました。インカ帝国時代の石造技術の素晴らしさを目の当たりにできる石垣は、大小様々な石が見事に12角に切り出され、ぴたりと噛み合うように隙間なく組み立てられています。「12角の石」には手をかざすだけで太陽のエネルギーを得ることができるという伝承もあることから、パワースポットとしても名高く、多くの人々が石壁の傍らにたたずみ、手をかざしたり触ったりしています。近郊には14角の石もあり、ツーリストの目を楽しませてくれます。

そこから歩いて5分くらいすると、「インカ博物館」(Museo Inka)があります。案の定、ここも日曜日は閉館ということで通り過ぎ、真正面に広がるアルマス広場(Plaza de Amas)へと進みました。ここがクスコの中心地となる公園であり、今日ではアーケードやレストランが並び、庶民のくつろぎの場として多くの観光客が訪れます。広場の中央にはインカ帝国の国王を記念した黄金像や噴水があり、周囲にはインカ時代の建物の壁も残されています。

庶民の憩いの場となるアルマス広場
庶民の憩いの場となるアルマス広場
アルマス広場はインカ時代においても中心的な位置づけにありました。この広場は古くはワカイパタと呼ばれ、インカ時代ではビラコチャ神殿が存在し、そこで様々な宗教的儀式やセレモニーが執り行われ、時には神へ生贄が捧げられていたようです。その後、スペインによる植民地支配下において、16世紀にはアルマス広場という名称に変えられ、神殿にとって代わり、広場の北側にはクスコ大聖堂(Catedral del Cuzco)と呼ばれるカテドラルが建造されました。中世を代表する教会建築のデザインを誇るカテドラルは大聖堂と言われるだけあって荘厳であり、今日までアルマス広場の象徴的存在となっています。内装には300トンもの金塊が使われたとも言われていますが、そのコストを丸ごと転嫁し、貧しい子供たちや恵まれない人々のために用いたほうが、聖書の教えにもっと近づき神様が喜ばれたのではないかと、ふと、考えてしまいます。日曜日ということで、ちょうどミサが行われている時でもあり、多くの人が教会に出入りしていました。

クスコ歴史博物館
クスコ歴史博物館
その後、博物館系が閉館しているということで市街ツアーの予定が大幅に狂ったことから、とりあえずあてもなく、クスコ歴史博物館(Museo Historico Regional)の前まで歩いて行くと、幸運にもオープンしていて入館しようとすると、何とチケットがなければ入ることができず、しかもその場で購入ができないというのです。クスコでは、市が発行している周遊チケットを指定のチケット売り場でしか購入できないということを初めて知りました。これがペルー式の錬金術なのでしょうか。仕方なくチケット売り場を探しに街中を歩き回ることにしました。

クスコ市発行の周遊チケット
クスコ市発行の周遊チケット
やっとのことで探しあてたチケット売り場で聞いてみると、周遊券には4種類あることがわかりました。16か所全部の遺跡や博物館をみるフルチケットと、4〜8か所を見ることができるものが3種類、合わせて4種類あります。部分的に観光するチケットは、「サクサイワマン」を含むクスコ周辺の施設4か所のチケット、クスコとセイクレッド・バレー(聖なる谷)の遺跡を中心とする8か所のチケット、そしてセイクレッド・バレー4施設からなるチケットがあります。そしてフルチケットに含まれている遺跡名のリストを見ると、翌日、オリャンタイタンボに向けて移動する途中に観たいと思っていたMorayやマラス塩田などの著名な遺跡がほとんど含まれていたことから、即決でフルチケットを購入しました。価格はおよそUS47ドル。日本円に換算すると5500円程度なので、悪くありません!部分的に見るパートのチケットはどれも$25することから、せっかくですからフルチケットを購入して、全部見てしまおうと思いました。フルチケットには、ペルー国の文化庁が推奨する16か所の遺跡や施設の名称が記されています。それらひとつ一つの遺跡をチケットで確認しながら、これから自分が歩もうとしているツアー目的地の場所など、内容を少しずつ理解することができました。チケットに関しては9歳以下は無料、学生ディスカウントもあるので、家族連れや若者には朗報です。

既に時刻は11時近くになっていました。クスコ近郊のインカ遺跡を見学するのは今日しかなく、時間がありません。どうしても見たい遺跡は、サクサイワマン(Saksaq Waman)、ケンコ(Qenko)、プカプカラ(Pukapukara)、そしてタンボマチャイ(Tambomachay)の4か所です。日没まで7時間弱。タクシーを乗り継ぎながら巡るよりも、やはり、前日の経験を活かしてスクーターに乗り、クスコ近郊のインカ遺跡4ヵ所を一気に回った方が、早いに決まっています!

早速、前日スクーターを借りたお店に行き、再び同じスクーターを借りようと思ったのですが、そのレンタルショップに行ってみると、あいにく閉店です。そこで隣のお店に入り、「スクーターのレンタルはありませんか」と聞いてみると、「OK」とのことです。そこで10分ほど待たされて道路に出ると、何と、昨日のお店のおばさんが同じスクーターを持ってきてくれました。仲間同士で協力して経営しているのですね!今度こそ止まるなよ、とスクーターに優しく語りかけ、半日乗りまくることにしました!

サクサイワマンの圧倒的な巨石群!

スクーターに乗って最初に向かったのが、マラス広場から北方へ直線距離で2qほど離れた場所にあるサクサイワマンです。マラス広場から曲がりくねった坂道を10分ほど走ると、遺跡の入り口にすぐに到着しました。時刻はちょうど12時を回っていたことから、酸素が薄いのは承知で、遺跡の隅々まで駆け足で見ることにしました。

「サクサイワマン」という日本語では聞き慣れない名称は、ケチュア語で「お腹がいっぱいになったハヤブサ」を意味しています。ハヤブサは獲物を捕る際には時速3-400キロで空を飛びます。よってお腹が満たされているハヤブサ、すなわちサクサイワマンは、猛スピードで飛ぶ必要がありません。安心して空を飛び回り、自由に生きていくことができるというニュアンスが、サクサイワマンという名称に含まれているのではないでしょうか。それは、サクサイワマンが大勢の民が住むにふさわしい要塞として、クスコの街を守り、敵国や災害からの守護神となっているということを、暗黙のうちに伝えていることを意味しているようです。

インカ遺跡の中でも著名なサクサイワマンは、海抜およそ3700m、富士山頂とほぼ同じ標高に位置します。起源900年頃、すでにサクサイワマンには人間が居住していたことが、遺物の年代調査から確認されています。その後、10世紀から13世紀にかけてキルケ人がクスコ周辺に領土を保有する最中、インカ時代よりも一世代遡る1100年頃からキルケ文化に由来する巨石文化がサクサイワマンにて発展したことが遺跡調査から確認されました。よってインカ帝国の時代となる直前、サクサイワマンが誇る一連の巨石は主にキルケ人によって造成され、その後、インカ帝国の影響下において、更なる進展を遂げたと考えられるようになりました。

サクサイワマンの広大な敷地に広がる巨石群
サクサイワマンの広大な敷地に広がる巨石群

サクサイワマンの3段積の城壁
サクサイワマンの3段積の城壁
そのサクサイワマン遺跡に一歩足を踏み入れると、そこは正に別世界でした。入口のゲートと案内板が立てられているエリアを通り抜けると、突如、広大な遺跡が目に入ります。野球場よりもずっと広い自然公園のような巨大な広場の右側には、巨石群のモニュメントが連なっています。それらの巨石は巧みに3段に積み重ねられ、その高さは6-7mにもなり、最大では9mにも及びます。建造当初は高さが20m近くもあったと言われ、スペイン軍との戦いの後、建造物の資源となるべく破壊された跡が今日、残されているようです。それらの巨石は防壁塀として使われていたかのようにギザギザに並べられ、およそ350mにわたり東西に広がっている景観は、まさにこの場所が要塞であったことを物語っています。また、サクサイワマンにはかつて、東西に並ぶ3つの塔が建てられていたと考えられています。重さが100トンを優に超えるような巨石が、きちんとつなぎ目を合わせて隙間なく組み立てられていることに驚きを隠せません。これらの巨石がどのように運ばれて積み重ねられたかは、今日まで謎となっています。

放射線状に繋がるサクサイワマンの祭祀場
放射線状に繋がるサクサイワマンの祭祀場
昨今の周辺の発掘調査からは、巨石からなる壁の内側には神殿や様々な施設が建てられていたことがわかり、サクサイワマン全体が宗教的な意味あいのある施設であったと推測されています。その背景には太陽信仰があり、サクサイワマン内にあるQ'ochaと呼ばれる大きな円形状の広場や放射線状に広がる場所も、宗教的な儀式を行うための祭祀場となるコロシアムであったと考えられています。その円形の祭祀場のような広場は、不思議と崇拝する方向がイスラエルのエルサレムが位置する北東を指しています。

そして広場を歩いて渡ると、その先には天然の岩が滑り台のように曲線の形を描いたSUCHUNAと呼ばれる岩場があります。その岩盤の表面はつるつるに光っており、うっかりすると転んでしまうほど滑らかです。実際にサクサイワマンを訪れる多くの観光客は、この岩を滑り台のように使って滑り降りながら遊んでいます。SUCHUNAはインカの時代、その裏側にある貯水所に雨水を流し込むために使われていたのではないかと考えられています。その他、遺跡東方の岩地にはCHINKANAと呼ばれるトンネルがあり、大きな岩場が迷路のように組み合わされたような形相をかもしだしています。その周辺には岩の一部を切って加工した椅子状の巨石も多くみられ、僧侶や王室用の椅子であったという説もあります。遺跡の南側、高台には1945年、リオデジャネイロにあるキリスト像のレプリカが建てられています。高さが約8mもあることから、クスコからも見ることのできる街のシンボルとなっています。

サクサイワマンの施設には、数字の「3」というモチーフが大切に扱われていることにも注目です。巨石からなる石組みの基礎は3段に積み重なり、南北の丘に連なっています。それらの上には当初、3層状の建造物があったと推定されています。これらの遺跡構造は、インカ時代に普及していた天上、地上、地下という3つの世界観が反映されたという説がありますが、定かではありません。また、遺跡内に残された基礎から、そこには3つの巨大な塔が東西に建てられていたと考えられています。「3」のモチーフは、イエスキリストの時代から神学的な構想として三位一体という考え方が広まり、後世まで延べ伝えられたことは周知の事実です。そして日本でも古代から「3」という数字が大事にされ、由緒ある神社で3連の磐座や三つ鳥居が祀られている場所も多々存在し、古事記や日本書紀においても3神の大切さが連呼されています。その考え方は飛鳥時代や奈良時代までも継続し、藤原一族らも「3」という数字を特に大切にして神を祀ったことが知られています。世界各地で「3」が大切にされる中、インカ帝国においてもその信条が何等かのつながりで踏襲されていた可能性があるのではないでしょうか。

ケンコー&タンボマチャイを駆け巡る

様々な加工がされた岩が並ぶケンコー
様々な加工がされた岩が並ぶケンコー

広大なサクサイワマンだけに、所々駆け足で走ってはみたのですが、くまなく散策しているうちに2時間以上が過ぎてしまいました。急いでスクーターに乗り、次の遺跡ポイントであるケンコー(Quenqo)に到着した時には、すでに時刻は2時半を回っていました。

ケンコーの名前は、ケチュア語のジグザグ、を意味する言葉に由来します。巨石を削って造られたケンコー遺跡の目的には色々な説がありますが、クスコの聖地であることに違いはなく、この場所で生贄が捧げられていたと考えられています。ケンコーの巨石の前には祭壇のような磐座が存在し、今日ではPUMA(ピューマ)の岩として祀られています。そして巨石の背後に回ると、そこからは岩場に挟まれた狭い通路が続き、その途中、洞窟へと入ることができます。洞窟内にはインカ王が座ったとも考えられている岩で削られた椅子の跡が残されています。遺跡自体の面積は大きくはないものの、ケンコーは岩の博物館ともいえる程、様々な形状に切られた岩の姿を思う存分、楽しむことができます。

1時間少々をケンコーで過ごした後、慌ててPUKAPUKARA(プカプカラ)へとスクーターを飛ばしました。到着した時は4時を回っており、その後、タンボマチャイを見学するには30分しか時間がありません。プカプカラはインカ時代の関所であり、その名前は「赤い要塞」を意味します。首都クスコを守護する目的で建てられたとされ、その長い城壁は赤みを帯びた石灰岩で築かれていることが、名前の由来となっています。要塞であるだけに、見晴らしの良い峠のような場所に位置しているにも関らず、門がいずれも狭く造られていることに気が付きました。見張台のような場所もあり、他の遺跡と同様に狼煙などの手段をもって、お互いに連絡をとりあっていたのでしょう。また、水路が整備されていたと考えられる遺構もあり、水を大切にしていた文化が存在したことがわかります。

皇帝が使われていた見事な石造りの沐浴場
皇帝が使われていた見事な石造りの沐浴場
最後にもう一つ、日没までにどうしても見たかった遺跡が、タンボマチャイです。そのゲートに到着した時は、すでに4時半でした。日没まであとわずかな時間しかなく、急いで見学することにしました。インカ帝国の時代、岩から水が豊富に沸き出るタンボマチャイは皇帝の沐浴場であったと考えられています。石が美しく積まれて組み立てられていることから、王妃用と皇帝用の沐浴場が存在するとも言われ、その周囲は見張り台によって守られています。それらの巨石はマチュピチュやサクサイワマンと同様に、きめ細かく組まれています。タンボマチャイの標高は3750mと、クスコよりもかなり高台に位置することから、狼煙台としても使われていた形跡を確認することができます。

タンボマチャイの見張り台から聖なる泉を望む
タンボマチャイの見張り台から聖なる泉を望む

羊の群れに遭遇
羊の群れに遭遇
タンボマチャイには裏山が広がっており、せっかくここまできたので、誰もいない裏山に一人で登って散策することにしました。そして30分くらい歩き続けていると、何とそこで、羊飼いに導かれた羊の大群に遭遇したのです。タンボマチャイを探索するというインカ遺跡の旅で、まさか羊に囲まれるとは思いもせず、大変貴重な体験ができました。羊は近寄っても逃げることもせず、羊飼いの導きにゆっくりと従っていました。なんと優雅な光景だろうか、と感動もひとしおでした。

そうこうしているうちに、夕方6時半になってしまい、あたりが段々と暗くなってきました。今日こそはスクーターを時間内に返却するため急いでスクーターに乗り、クスコの街を目指しました。