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古代シュメール文化とイスラエル

イスラエル史と皇暦の関係の年表

「イスラエル民族と皇室との間には古代史上、何らかの接点がある可能性が高い」ということがわかれば、イスラエルの歴史に疎い日本人でも、興味が沸いてくるのではないでしょうか?そこでまず、イスラエル史を簡単におさらいする前に、さらに歴史をさかのぼり、イスラエルのルーツである先祖、アブラハムが生まれ育った故郷の地であるシュメールの文化圏のウル、そして古代メソポタミア文明について考察してみましょう。

メソポタミアと言えば、おそらく誰もが学校で一度は耳にしたことのある人類最古の文明の一つでもあります。メソポタミアという言葉には「川の間」という意味があり、地理的には中東にあるティグリス川とユーフラテス川と呼ばれる著名な大河に挟まれた地域を指します。この地域はちょうど今日のイラクがある所で、紀元前4000〜5000年の原始時代においては既に集落スタイルの集団生活が始まっており、小神殿が建築されていました。そして紀元前3500年には村落が発展しはじめ、都市国家が徐々に形成されます。このメソポタミア地域に優れた古代文明を築きあげ、ウルやキシュなど、多くの都市を設立したのがシュメール人です。彼らは元来メソポタミア地域の原住民ではなく、どこからともなくメソポタミアの南部に移住してきたと言われており、そのルーツを探る手がかりはないようです。このシュメール人の手により紀元前2100年にはウル第3王朝が栄え、シュメール文化の繁栄は頂点を迎えます。

シュメール文化の特色は、まず高度な天文学の知識にあります。今日カレンダーで使われている週7日という暦はシュメール文化から生まれたものです。また灌漑の技術を持っており、当時から水路を張り巡らして農地に水を引き、牛を使って地面を耕しました。大麦をはじめとした各種穀物を大規模に栽培し、牛や豚などの家畜も飼育されました。また青銅器や彩文土器などを製造する技術も有し、楔型文字を用いていたことでも有名です。この楔型文字は、メソポタミア地域において言語を表記する手段として長年用いられ、ウル第3王朝時には最古の法典まで書き上げられたのです。

ところがこの偉大な古代文化を築き上げたシュメール人は紀元前2000年ごろ、ふと歴史から姿を消してしまいました。確かにアモラ人などの他民族の侵入がシュメール人の失踪の直接の原因であることに違いはありません。しかしメソポタミアから突如として消え去ったシュメール人は、どこに移住したのでしょうか?後述するとおり、その多くはアジア大陸を東に向かい、現在の中国周辺まで達して東夷の文化圏を構成していくだけでなく、中国そのものの歴史にも、その後多大なる影響を与えたと考えられます。そして、一部の民は北西へと進み、最終的には地中海の沿岸まで達して、そこに後のイスラエル国家を創立する布石を置くことになります。その先駆者が、旧約聖書の創世記に登場するイスラエルの祖先アブラハムです。