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「弥生ショック」の謎を解く年代測定!

国立歴史民族博物館は2003年5月19日、弥生時代前期の始まりをこれまでの定説より500年ほど早い、紀元前800年前後までさかのぼると発表しました。九州北部の遺跡から出土した各種弥生式土器に付着している遺物の炭素同位体による年代測定を行った結果、弥生早期の土器11個のほぼ全部が、紀元前800年ごろに集中することがわかりました。炭素の放射性同位体C14を使った年代測定は信憑性がかなり高いことから、これまでの歴史観が教科書も含めて根底から覆される結果となりました。すなわち、大陸より日本を訪れた渡来時人が新しい文化を日本列島に持ち込みはじめた弥生時代の始まりは、紀元前4世紀ごろという従来説ではなく、むしろ前8世紀ごろからであったという結論に達したのです。これで大分県国東半島における前700年ごろのものと推定される製鉄遺構や、福岡の曲り田遺跡で発掘された前8世紀の弥生早期の鉄器などを無理やり縄文文化に結びつけて説明する必要がなくなりました。

しかしここで新たなる疑問が生じてきます。古代社会において、大勢の人々が何故、海を越えるという危険を冒してまで見知らぬ島々に渡ってこなければならなかったかということです。春秋戦国時代とも違い、中国大陸の情勢も落ち着いていた時期であったことからしても大規模な民族移動の必要性が考えにくいのです。そのため、寒冷気候などの特殊な外部要因を想定した仮説などが飛び交うようになりましたが、想像の域を抜け切れません。

「弥生ショック」の謎を解き明かす鍵の一つが遊牧民族の変貌です。紀元前8世紀ごろまで、遊牧民は主にユーラシア大陸の西南部から内陸アジアの乾燥地帯にかけて暮らしていました。原始農耕文化を背景に、家畜の放牧や水に恵まれたオアシス地帯での農耕に従事していたと考えられ、武具などを持つ必要もさほどなく、生活は厳しくとも平穏な時代を過ごしていたようです。この温厚な遊牧民族がある一時を境に突如として騎馬民族と化し、広大なアジア大陸を東方へと移動しはじめるのです。その先陣を切ったのが前7〜8世紀に突如としてイラン高原に進出したスキタイであり、後に匈奴(きょうど)や突蕨(とっけつ)などの騎馬民族の歴史へと変貌を遂げます。何故、原始遊牧民族が騎馬民族にとって代わり、しかも未知の大陸を横断するという大きなリスクを犯してまで、東漸を決行し続けたかということについては謎に包まれたままです。そして、これらの遊牧民族が東へ向かって大陸を移動しはじめた直後、大陸の東方にある島々では、弥生時代が始まったのです。遊牧民族の東漸と弥生時代のオーバーラップは偶然とは思えず、弥生ショックの謎を解く鍵の一つとなります。

もう一つの鍵は、旧約聖書の歴史書から探ることのできる古代イスラエル史です。前8世紀、イスラエルは北イスラエル王国と南ユダ王国の2つの国に分裂していました。政治的緊迫感が漂う中、前740年ごろ、預言者イザヤは神から召命を受けて宣教活動を始めます。彼のメッセージは単純明快であり、それはイスラエルの背信行為を原因とする、国家の滅亡です。事実、前722年にイスラエル10部族で構成されていた北イスラエル王国がアッシリアに攻撃されて崩壊しました。その後、前586年、今度は南のユダ王国がバビロンの占領下に入ったのです。北イスラエル王国が崩壊してから数十年後、南ユダ王国も滅びつつあった前7世紀、日本では皇族の歴史が始まりました。その時代は、イスラエル北王国の10部族と大勢の南ユダ王国の民、預言者イザヤ、およびその家族と弟子たち、そして首都エルサレムにある神殿に保管されていた契約の箱と神器が歴史から姿を消した時期と、ちょうど重なっていたのです。人類の歴史の謎とも言われているイスラエルの失われた10部族と契約の箱の行方は、遊牧民族の東漸とともに、弥生ショックの時代が示唆する前7−8世紀ごろの倭国創設に関連していると考えられないでしょうか。その謎を解く鍵を、旧約聖書のイザヤ書に見いだすことができます。