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富士山のレイライン -甑島に紐付く古代の不思議-

人々の心を捉え、魅了してやまない富士山。標高3776m、山頂の火口外周は3qもある日本最高峰は、今もって活火山であることから、歴史の流れの中で幾度となくその姿を「火の山」、「煙の山」に変貌させてきました。昨今では宝永4年、1707年の大噴火が歴史に新しく、それ以前は平安時代の延暦、貞観の大噴火があったことが知られています。神代より煙が上がることの多かった富士山は、孝霊天皇の時代でも噴火を生じ、平安時代以降では幾度となく小噴火を繰り返しています。今日では噴火が一時休止しているものの、いつ噴火を起こしても不思議ではない活火山として、焼山から成る上半分と、木山、草山から成る下半分が見事な容姿の折り合いを見せながら、雄大な円錐火山の美を余すことなく誇示しています。

神仙郷である富士山の歴史

聖なる神山 富士山 鳥居
聖なる神山 富士山 鳥居
古代より富士山の裾野周辺では、至る所に遥拝所が設けられ、人々は富士山を神の山として崇め祀りました。また、山の周辺は水源が豊かであり、多くの湖が存在することから、富士山は山神だけでなく、その水神も命の霊水をもたらす神として祀られたのです。こうして比類なき神性を極めた富士の高嶺は、古代から祭祀活動の対象となり、縄文時代初期の遺跡などに見られる配石遺構の並ぶ方角等からも、富士山が崇められていた史実を垣間見ることができます。

神の厳しく霊峰である富士山は、また、古代中国の思想の影響を受けつつ、徐々に不老不死を成し遂げる神仙郷の場所としても考えられました。神仙郷とは古代中国において、秘境にて暮らしながら仙術を駆使して不老長寿を全うする仙人が集まる場所を指します。大陸では中国西方に聳え立つ崑崙山が伝説の山であり、中国東方においては3神山と呼ばれる蓬莱山、方丈山、瀛州山が、神仙郷と理解されました。そしていつしか神仙郷3神山の一つである蓬莱山が富士山であるとも考えられるようになりました。その結果、不老不死の薬を探し求めた徐福も到来したと言われ、富士山には不老長寿の象徴でもある仙境のイメージが伴うようになったのです。また、富士山の周辺では古代より秦氏を称する民が集落を築いており、徐福との血縁関係が指摘されていることは特筆に値します。

平安時代に入ると、富士山は仙人が住む所として、山自体が神の住まわれる神仙郷の場所と信じられるようになり、「富士山記」には「神有り」とも記されています。頂上の平地、中央部分は「甑」と呼ばれるくぼみがあり、そこからは湯の沸き騰るが如く蒸気が出ており、遠くから見ると「煙火を見る」ようだという記述からも、山全体が十分に観察されていたことがわかります。富士山には神が宿り、霊峰は、「くすしくもいます神」、「神さびた高嶺」、「大和の国の鎮」と称えられていたことは、万葉集などに見られる記述からも理解することができます。そして徐々に禅定の山としても知られるようになり、仏道修行のための富士道者が訪れるようになります。

富士山中腹以上の標高では全く木が生えていないのにも関わらず、頂上の窪みに存在した「神の池」の周辺には驚くことに、青紺柔ぜんなる竹が生い茂っていた、という記述が存在することは注目に値します。富士山と竹の関連性についてはあまり知られてはいませんが、平安時代初期の名作、日本最古の文学とも言われる「竹取物語」では、そのストーリーの最後で、かぐや姫から贈られてきた手紙と不死の薬を、帝が富士山の頂上で焼いてしまうという結末が書かれています。富士山と神、そして宝と竹は帝と切れない存在であり、不思議な繋がりがあったことがわかります。

神仙郷としての評判が広まるにつれて、その後、富士山のイメージはいつしか3山、3峰として思い浮かべられるようになりました。それ故、鎌倉時代以降に描かれた富士山の図の多くは、山頂を3峰に描いているものが多く見られるようになります。室町時代に描かれた「富獄図」の説明文には「三峰卓絶」と書かれ、「絹本著色富士曼荼羅図」でも山頂が3つに分かれ、それぞれに阿弥陀如来、大日如来、薬師如来が座している姿を見ることができます。こうして頂上3峰に3尊が座し給うという曼荼羅の信仰に基づく富士山は、修験者が命をかけてでも登りきり、ご来迎を拝さなければならない霊山として、不動の位置を占めるようになったのです。

その後、中世では徐々に仏教色を交えた富士山は、仙人が宿る場所としてだけでなく、阿弥陀如来や大日如来の示現した霊山として、篤い信仰を集めることとなります。「富士参詣曼陀羅」にて、道者が山の裾野から山頂に向かって登り、その頂点には阿弥陀如来、薬師如来、大日如来が富士山を支配する神として描かれたのは、仏教色が濃くなってきた時代背景があったからに他なりません。ところが時代の流れと共に富士山の宗教色は薄れ始め、江戸時代以降では、それまでの伝統的な三峰の姿が実際の山の姿に置き変えられるようになり、今日の富士山描写に見られる、およそ平坦な頂上を描いた富士山の姿をとるようになりました。そして、むしろ世直しのシンボルとして、庶民の誰からも愛される貴重な自然界からの賜物として受け止められるようになります。江戸時代では自由な描写が普及する原点ともなった浮世絵の中にも富士山が描かれ、葛飾北斎の冨獄三十六景凱風快晴の浮世絵など、有名な作品が残されるようになり、名物山としてその名声は広まりました。

明治時代になると、「ところ富士」と呼ばれる富士山の名前を継承して命名されたふるさと富士が急増し、今日では400以上もの「ところ富士」が全国に存在します。中でも北海道の支笏洞爺湖近く、蝦夷富士と呼ばれる羊蹄山は有名であり、その容姿は本物の富士山と見間違える程です。その他、薩摩富士、津軽富士、阿波富士、伊予富士等、著名な「ところ富士」が多々あります。また、俳句にて富士が引用される事例も散見されるようになり、松尾芭蕉や与謝蕪村に詠まれる富士の句は有名です。近年では国家の鎮めとして、その美しさは天皇制の象徴とされ、世界の冠として日本国のシンボルとして謳われるようにもなりました。

二等三角点「富士山」標高3775.63mの石碑
二等三角点「富士山」標高3775.63mの石碑
長い日本の歴史の中でいつの日でも人々の心を魅了してやまなかった最高峰であるだけに、古代の識者が日本列島を探るための地の指標として、富士山を最重要視したことに違いはありません。最もわかりやすい不動の指標、それが富士山です。それ故、富士山のレイラインはとても理解しやすく、今日でも富士山を基点とした指標同士の結び付きを、明確に見極めることができます。その富士山のレイラインの原点となるもう1つの基点が、中甑島にあるヒラバイ山です。その貴重な存在に気が付くことにより、富士山のレイラインの謎が、一気に紐解けることになります。

神籬石と富士山を繋ぐレイラインの拠点

淡路島の神籬石と伊弉諾神宮を中心とするレイライン
淡路島の神籬石と伊弉諾神宮を中心とするレイライン
日本列島に到来した西アジアからの渡来者は、淡路島の神籬石や、中甑島のヒラバイ山を基点として、そのレイライン上に本州内陸の拠点となる居住地を見出すことができました。諏訪湖の南側に広がる山々に囲まれた美しい草原には、縄文時代前期、前3000年から4500年頃より既に集落が築かれ始め、大勢の人が住んでいたと考えられています。それら集落の拠点は、淡路島と中甑島を結ぶ線上に存在していたことから、イスラエルの民も当初、その場所に結集することとなり、そこで神を祀ったことでしょう。その祭司活動を起因として後世、諏訪湖畔には諏訪大社が造営されたと考えられます。

本州でもかなり内陸の奥に存在する諏訪湖畔の集落へ向かう為には、徒歩で長い距離の陸路を歩む必要がありました。その為、内陸への入り口となる港の場所を厳選することが極めて重要でした。しかも地図のない時代、諏訪湖に向かうためには天体の動きを検証しながら方角を見極める必要があり、それ故、港と諏訪湖がレイライン上にて結び付くことが望まれたことでしょう。港の地は、これから到来する民にとって明確に見出すことができる場所でなければならず、しかもそこから内陸に向かう旅の方向も明確に示される必要があったのです。

その港の場所をピンポイントで見出し、原始的な指標として重宝した淡路島の神籬石や中甑島のヒラバイ山と紐付ける為に用いられた指標が、日本列島最高峰の富士山です。ヒラバイ山を指標として諏訪大社の地が見出された訳ですから、同じ基点から、今度は富士山という最高峰を新しい指標として、港の地を見出すことが目論まれたと想定されます。その手法は極めて簡単であり、中甑島ヒラバイ山と富士山の頂上を結び、そのレイラインが北東方向に伸びる線が本州東沿岸と交差する所を、港の地として特定するのです。そして港の近郊には神を祀る社を造営し、そこで祭祀活動を執り行うことも重要でした。

古代の海岸線の姿は今日とは大きく異なり、鹿島周辺の海岸線も例にもれず、古代では内陸方向にかなり入り組んでいたと考えられています。それでも鹿島の存在意義は変わらず、古代の民はその近郊に港を造り、聖地となるべく鹿島神宮も港のそばに造営されたのです。また、ヒラバイ山と富士山、鹿島を結ぶレイライン上には、後世において空海が本拠地とした高野山の存在も浮かび上がり、注目に値します。初代富士山のレイラインは、中甑島と鹿島を富士山を介して紐付けるだけでなく、その線上には空海の愛してやまない高野山の聖地も広がっていたのです。

諏訪大社が巨大なパワースポットである所以

諏訪大社前宮の鳥居
諏訪大社前宮の鳥居
その鹿島を指標とする北緯35度59分のレイラインは西方に向かって諏訪湖のほとりを通り抜け、ヒラバイ山と岩上神社の神籬石を結ぶ南北のレイラインと、諏訪湖畔の南、守屋山の麓、諏訪大社前宮が建立されている付近で交差します。その近郊には前述した阿久遺跡も存在し、淡路島の神籬石から見て夏至の日の出の方向およそ30度の方角にあることから、ヒラバイ山を通るレイラインともほぼ重なります。諏訪大社前宮がヒラバイ山と神籬石を結ぶ線上にあるだけでなく、ちょうどそこから真東に向かうと鹿島神宮の地にあたり、しかも、そこはヒラバイ山と富士山を結ぶレイライン上に位置するのです。つまり3本のレイラインが交差するそれぞれの地点に、古代の指標となる場所が存在していたのです。これは偶然の一致とは言い難く、古代から阿久遺跡、そして後の諏訪大社前宮も含め、それらが日本列島の地勢や地理的要因を十分に検討した上で選別された、重要な場所であったからに他なりません。

エルサレムの想いが込められたヒラバイ山と淡路島の神籬石は、諏訪大社や、その東方の沿岸にあたる鹿島と紐付けられただけでなく、更には富士山を通してヒラバイ山と鹿島もレイライン上で結び付き、古代聖地の象徴となるべく見事に目論まれていたのです。それ故、諏訪大社は、これら3つのレイライン上における全ての拠点に結び付く力の象徴となり、それが今日でも著名なパワースポットの1つとして知られている所以です。

諏訪大社前宮本殿から守屋山頂上へ向かう山道の途中には人の手が入った多くの磐座が存在し、守屋山は岩の博物館とも囁かれる程です。駐日イスラエル大使ら多くのユダヤ人が今日でも参拝される諏訪大社の背景には、多くのイスラエル系渡来者がその場所を聖地として大切にしてきた歴史があります。イスラエルの民にとって諏訪大社の御神体として噂が絶えない守屋山の存在は極めて重要であり、旧約聖書アブラハムの時代を彷彿させる名山と同一の名称であり、イスラエル民族の父祖、イサクに由来すると考えられるミシャクジ信仰が伝承されていることからしても、多くの思い入れと共に、古くから祭祀活動の重要拠点であったことを知ることができます。

富士山のレイラインに直結する出雲大社

見事にランドスケープされた出雲大社の参道
見事にランドスケープされた出雲大社の参道
富士山をレイラインの指標として用いたもう一つの重要な事例が出雲です。古代より富士山は日本列島最高峰として崇められ、重要な指標として重宝されました。そして諏訪に結び付く港として鹿島が見出され、そこで祭祀活動が執り行われた後、日本海側にも同様に港と、それに伴う神への儀式を執り行う必要があったのでしょう。その日本海側の聖地を特定するために、鹿島に紐付けられている富士山が用いられました。そして富士山の頂上から北緯35度23分を西に向かい、日本海の沿岸で突き当たる場所が、その港の地として選別されたのです。そして同緯度上の内陸では祭祀活動の場所が見出され、後に出雲大社が造営されることとなりました。

こうして、富士山に由来する地の力を備えた日本海側の最重要港として、出雲は古くから栄えました。富士山と同緯度線上に出雲大社は造営されましたが、不思議なことに、列島の中心地として位置付けられていた淡路島の神籬石と出雲大社を結ぶと、その角度は約29度9分となり、夏至の日の入りの角度とほぼ一致します。これも偶然の一致とは言えないようです。出雲大社は富士山だけでなく、神籬石とも地理的に結び付いていたのです。それは列島の中心である淡路島が、レイラインの繋がりをもって富士山とも結び付くことを意味しています。

宇佐神宮と富士山のレイライン

富士山のレイラインから見出された聖地は出雲大社に止まりませんでした。日本列島中で最も重要な山の指標である最高峰富士山を通るレイラインを用いて、九州の東海岸でも聖地が特定されたのです。富士山の頂点と淡路島の神籬石を直線で結び、西方へ伸ばしていくと、九州の大分、宇佐神宮の場所にあたります。宇佐神宮の場所は、富士山と神籬石に紐付けられていたことがわかります。

日本が有する最も著名な神社の幾つかは、富士山のレイラインを通して不思議な繋がりを持っていることがわかりました。鹿島神宮は富士山と中甑島のヒラバイ山を結ぶ線上にあり、鹿島神宮と同緯度線上には諏訪大社があります。そして富士山と同緯度線上には出雲大社があり、更に富士山と淡路島の神籬石を結ぶ延長線上には宇佐神宮が存在するのです。そして後述する通り、伊勢神宮の奥宮である伊雑宮も富士山のレイライン上にあったのです。富士山のレイラインを知ることにより、古代人がいかにしてその英知を結集し、日本列島内の随所に、神を崇めたてまつる聖地を見出したか、その志向性が多少なりとも見えてくるように思います。

富士山のレイライン -海沿いの祭祀場と港を特定-
富士山のレイライン -海沿いの祭祀場と港を特定-