エルサレムへの想いが込められた甑島
前7世紀、祖国イスラエル北王国と南ユダ王国が崩壊する最中、アジア大陸に沿って東方へ移動し、神の約束された「東の島々」を探し求めて日本列島まで到来した民が目にしたのは、琉球諸島から遠く北東に向かい、潮の流れに沿って続く島々の群れでした。そして海原の長旅を恐れることなく勇敢に続けた民は、多くの島々が広がる瀬戸内海の東の果てに浮かぶ淡路島を見出したことでしょう。無数の島々が列島状に連なる光景を目にするということは、イスラエルの民にとって正に、神の言葉に含まれていた「東の島々」という貴重なメッセージが具現化したことを意味していました。また、淡路島には古代から注視されていた神籬石の存在もあり、列島の拠点を見出すための貴重な指標として用いられることになります。
淡路島の神籬石の他に、もう一つの大切な指標となる場所が、イスラエルの民により探し求められました。それが故郷エルサレムと同じ緯度に存在する離島です。那覇から舟で北上してきたイスラエルの民が南西諸島沿いに北上した際、エルサレムが位置する北緯31度47分の緯度線は必ずしや通らなければなりません。その緯度上に存在する島は、エルサレムとレイラインによって繋がりを持つことを意味し、故郷の地の利を分かち合うことのできる重要な拠点として考えられたのです。
甑大明神イスラエルの首都エルサレムと同じ緯度に存在する島は、鹿児島県の西方に浮かぶ中甑島です。甑島は上甑、中甑、下甑と呼ばれる3つの島に分かれ、中甑島の南側にはヒラバイ山と呼ばれる標高156mの小さな山があります。ヒラバイ山の緯度は31度46分であり、エルサレムとほぼ同じ緯度です。中甑島はエルサレムとほぼ同緯度にあることから、海原を旅する際にいち早く見出され、イスラエルへの想いを彷彿させる貴重な指標として重要視されたのです。そして中甑島の南端にある小高い海沿いの山が、エルサレムの緯度に一番近い場所に位置していたことから、その山はイスラエル人を意味する「ヘブライ」という名称で呼ばれるようになったのです。そして、長い年月を経て「ヘブライ」の読みは徐々に訛り、やがてそれは「ヒラバイ」と発音されるようにもなり、現在では「ヒラバイ山」という名前に転化したと考えられます。
甑大明神が巨大な磐座である理由
甑島の最初の漢字は「コシキ」と読みます。その名前は続日本書紀にも登場し、遅くとも8世紀には「甑」という名前が南九州では使われていたことが知られています。その言葉の意味は、米などを蒸すために用いられる、せいろの形に類似した甑形と呼ばれる土器というのが定説です。その甑形にも見える磐座が島に存在し、甑大明神として地元住民から崇められていたことから、甑島という名前がつけられたと地元では語り継がれています。
ところが、実際に甑大明神を検証すると、それは念入りに伐られて造られた巨大な磐座の傑作のようです。確かに波や雨風により浸食されて削られた部分は少なからずとも見受けられますが、甑大明神の磐座真下周辺、海水に浸かる海辺の周辺には無数の岩石が転がっており、そこには岩を割る為の矢を打ち込んだと思われる跡が残っているものが少なくありません。人口も少ない鹿児島西端の離島で、しかも重たい岩を船で運ぶことが困難な古代、中甑島で岩を伐る理由があったのでしょうか?もし無いとするならば、甑大明神は何らかの理由をもって今あるような形を後世に残すべく、岩が伐られて造られた人工の作品である可能性があります。いずれにしても、人の頭を形取ったような甑大明神の姿は、天然の産物で無いことは明らかです。
正面から見た甑大明神の御姿では、甑大明神は何を目的として、古代、想像を絶する労苦をかけて岩が伐られたのでしょうか。
イスラエルの要塞マサダを彷彿させるような巨大な岩石の上に立つこの磐座は、その正面が沖縄の方向を向き、あたかも南方から渡航してくる同胞を迎える為の指標として、創作された感があります。それはヒラバイ山の標高は意外にも低く、目印としての指標にも欠けていたことから、その場所を明確に旅人に示す必要があったからではないでしょうか。その為に古代イスラエル人は、エルサレムとレイライン上で直結する甑島に、大がかりな芸術作品を残すことを試みたのでしょう。そして甑大明神は、遠くから誰が見ても一目でわかるように、王が冠をつけた形に似せたような荷姿に削られ、独特な形を有する巨大な岩石の作品として、今日もその雄姿を誇示しています。
甑の語源は明らかにヘブライ語
しかしながら、なぜ、蒸すために用いられた土器の形が「コシキ」と呼ばれるようになったのでしょうか。その語源はこれまで不明のままでした。「コシキ」という言葉は実は、ヘブライ語に由来していたのです。日本語で甑は、鉢形の器の底に小さい穴が複数開けられた土器を意味し、湯釜の上に乗せることにより、それらの穴から熱い湯気が通り、その蒸気をもって器の中の穀物を蒸す為に使われました。この甑の役割は、ヘブライ語で「コシキ」と呼ばれる器と同一です。(Khosekhet、コシキ)は節約、もしくは節約装置を意味し、具体的には、熱い煙が出る場所に水管を通し、煙の熱で水を加熱するような仕組みを指していました。これは、甑における加温の考え方とほぼ同一です。すなわち、蒸気や煙等の外部熱で器を熱することを指していたのです。「コシキ」の仕組みは古くから伝承され、やがて蒸気熱で加熱する器も、煙で過熱する管と同様に「コシキ」と呼ばれるようになりました。その器が島で用いられ、また、甑の形状にも見える磐座が崇められていたことから、島の名前も「コシキジマ」と呼ばれるようになったのでしょう。
甑島のレイライン
帽子山展望台から見るヒラバイ山古代、「東の島々」を舟で渡り廻り、各地に拠点を見出すために旅したイスラエルの民にとって、ヒラバイ山が極めて重要な役割を果たしていたことは、レイライン上、甑島と淡路島、そして諏訪湖畔に造営された諏訪大社が結び付いていることからも知ることができます。ヒラバイ山から淡路島の神籬石に向けて線引きをすると、北東方向に伸びるレイラインは、諏訪大社の御神体という噂が絶えない聖山である守屋山と、諏訪大社の前宮本殿が存在する場所を通り抜けます。そして守屋山の山麓近くには、古代集落として名高い阿久遺跡も広がっています。つまり、中甑島のヒラバイ山は、淡路島の神籬石を通じて、その一直線上にある守屋山および、諏訪大社の前身である前宮本殿と繋がっていたのです。
守屋山の「モリヤ」という山の名前は、アブラハムが子供を捧げる為にイサクと一緒に登った山の名前と同一です。また、ミシャクジ神の「ミシャク」は「イサク」という名前に由来するという説も長年流布されています。本来の意味はおそらく、ヘブライ語で守護、守りを意味する「ミシュマー」という言葉に、イサクの名前をヘブライ語で逆読みした「クッシ」、「クジ」を語尾に付加した「ミシュマクジ」という言葉が、そのまま「ミシャクジ」と発音されるようになったと考えられます。つまり、「ミシャクジ」とは「イサクの守り」「イサクの守護」を意味するヘブライ語が語源であり、古代から諏訪大社では「イサクを守護する神」、「ミシャクジ」が祀られ、人身供養の儀式が執り行われていたことになります。アブラハムによるイサクの奉献伝承が、いつしか諏訪大社の祭行事の中に取り入れられ、今日まで続いていると考えて間違いないでしょう。
甑島の指標と神籬石を結ぶレイラインは、諏訪湖の湖畔に諏訪大社前宮の場所をピンポイントで示しただけでなく、諏訪大社では実際に、族長時代のイスラエル伝説を彷彿させる祭り行事が公然と執り行われ、今日まで伝承されてきたのです。甑島のレイラインはイスラエルの都、エルサレムとも紐付けられていることから、その延長線上に佇む諏訪大社には、イスラエル渡来者の熱い信仰の想いが込められたに違いありません。そして今日でもその古代の息吹を、諏訪大社の祭り行事の歴史から垣間見ることができるのです。
甑島のレイライン