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美しき霊峰筑波山の魅力 古代の英知が随所に秘められた由緒ある名山

茨城県つくば市近郊に聳え立つ筑波山の標高は877m。その頂上は男体山と女体山とに分かれ、筑波山神社の境内地としても知られています。広大な関東平野の北方、霞ケ浦から見て北西に位置する筑波山と成田の距離は50q少々ありますが、その間には平坦な地勢しかないため、天気が良く空気が澄み切った日には、成田からでも山の姿をそのままくっきりと眺めることができます。筑波山の頂上からは広大なパノラマビューを楽しむことができます。富士山や伊豆諸島大島の三原山を見渡すことができるだけでなく、その西方には甲武信ケ岳と金峰山、北西には榛名山、北側には那須岳を遠くに望みます。また南西方向には鹿島神宮の聖地が目に入ります。

国道から眺める筑波山全景
国道から眺める筑波山全景
筑波山は日本百名山のひとつとしても名を連ねています。その標高は百名山の中で最も低い877mですが、関東平野内に聳え立つ名山として、誰もが一度は目にする山であり、朝夕に山肌の色を変える山として「紫峰」の名でも知られています。だからこそ、「西に富士、東に筑波」と古くから称され、富士山と対比されるようになったのでしょう。よって古来より筑波山には人々が集い、神を祀り、時には歌い踊り、豊穣を大勢で祝う行事が行われてきたのです。筑波山こそ、日本百名山にランクインされるにふさわしい霊峰です。

庶民から愛される筑波山

筑波山神社の境内石段
筑波山神社の境内石段
今日、筑波山と言えば、その麓にある筑波山神社が有名であり、連日、大勢の参拝客が訪れています。その境内には樹齢年800年とも言われる大杉が存在します。幹の円周は約10m、高さは32mにもおよび、ご神木として今日まで大切にされています。神社の境内そばからは、山の頂上に向けて全長1634mのケーブルカーが高低差およそ500mを行き来しています。ケーブルカーは筑波山頂上に近い男体山(標高871m)の近くが終点となっています。その東側には筑波山の頂上となる女体山(標高877m)があり、山の麓東側からロープウェイが頂上との間のおよそ1.3qを高低差300mにかけて行き来しています。男体山、女体山とも頂上には神社があり、双方とも麓から自らの足で登山してきた方々や、ロープウェイ、ケーブルカーを使って頂上近くまで来た方々が参拝するために集います。日本百名山の中でも、頂上までのハードルが最も低い山であることが、人気の秘訣と言えそうです。

筑波山登山コース
筑波山登山コース

豪快な岩場が連なる白雲橋コース
豪快な岩場が連なる白雲橋コース
登山道は筑波山の頂上に向けて、主に3つの山道が整備されています。筑波山神社からはケーブルカー沿いの山道となる「御幸ヶ原コース」が男体山頂上そばの美幸ヶ原までつながり、女体山に向けては「白雲橋コース」が存在します。また、山の東方にあるロープウェイの始点からは女体山頂上に向けて「おたつ石コース」と呼ばれるコースも整備されています。その他、男体山近くの御幸ヶ原と女体山頂を結ぶ短い山道もあり、さらには筑波山頂駅の御幸ヶ原からは男体山頂上周辺をぐるりと一周できる自然研究路とよばれる山道が整備され、磐座や植物を観察できるようになっています。これらの山道はいずれもきれいに整備され、比較的穏やかな斜面が連なっていることから、登山の初心者にもおすすめできるのが筑波山の魅力です。

筑波山は「岩の博物館」

親鸞聖人も愛された立身石
親鸞聖人も愛された立身石
筑波山はパワースポットとしても有名です。山全体が筑波山神社の御神体となっているだけでなく、頂上から山腹の至る所に磐座があり、古くから人々が神を祀っていた痕跡を今日でも見ることができます。最も注目したいのは、男体山頂上近くにある立身石です。自然研究路沿いにあり、山道の入り口がわかりづらいことから訪れる人はまばらですが、これこそ、筑波山が誇る最大のパワースポットです。この場所で親鸞が念仏を唱えて餓鬼救済を実現したという言い伝えがあるだけでなく、間宮林蔵が武士として身を立てる誓いを立てた場所であることから、立身石と言われるようになりました。その岩の見事な形状は、正に磐座と呼ばれるのにふさわしく、その頂点からは筑波山からの西方を一望できます。また、この自然研究路沿いには、大石重ねと名付けられた場所もあります。筑波山神社で清められた小石に願い事を書き、この場所に置くことにより成就すると言われています。

小石を投げて幸運をつかむガマ石
小石を投げて幸運をつかむガマ石
男体山そばの御幸ヶ原と女体山を結ぶ山道の途中には「ガマ石」があります。一見、ガマガエルのように見える岩の合間がカエルの口のように見え、そこに小石を投げて岩の上にうまくのると、金運などの御利益があると伝えられています。女体山の頂上から下る山道、白雲橋コース沿いにも多くの巨石が連なり、その多くが奇石、磐座として人々から崇められています。頂上から山道を下りていくと、まず、横から見たると大仏様のように見える「大仏岩」に出会います。そして安座常神社で祀られている「屏風岩」、天に聳え立つ「北斗岩」と続き、その後、「裏面大黒」、「出船入船」、「陰陽石」と呼ばれる巨石が連なります。また、巨大な岩の下にぽっかりと空間が空いている岩場もあり、「母の胎内くぐり」と命名されています。さらに巨石の合間に石段が造られた「高天原」と呼ばれる岩場もあり、そこには参拝する神殿も設けられています。これら一連の巨石群の最後には、「弁慶七戻り」と呼ばれる、巨石が山道の両側の石の真上にのっている光景が目に入ります。今にも落ちそうな巨石を見て、あの弁慶さえも7回、右往左往したのでしょうか。

それにしても豪快な岩場の連続に感動を覚えないわけにはいきません。パワースポットなる磐座の連続に、きっと誰もが山道を楽しんで下りてくることでしょう。これぞ、筑波山が「岩の博物館」と呼ばれる所以です。そして最後に筑波山神社の境内まで戻ってくると、そこには大杉が存在します。樹齢年800年とも言われ、幹の円周は約10m、高さは32mにもおよびます。筑波山神社のご神木として、今日まで大切にされています。

筑波山神社の由緒と重要性

筑波山神社は筑波山を御神体なる霊峰として仰ぎ、その歴史は日本の国生みの時代まで遡ります。筑波山神社の御祭神は日本書紀や古事記に記されている国生みの神である伊弉諾尊(筑波男大神いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(筑波女大神いざなみのみこと)です。二神が結ばれて神々を生み、それが国生みにつながったことから、夫婦和合や縁結びをはじめとし家内安全、国家の安泰に至るまでのご神徳を筑波神から受けるため、今日でも多くの人々が参拝に訪れます。年中行事の中には稲作文化を中心とする農耕文化と国家の安泰、そして豊穣を祀る祈年祭が例年2月に催され、皇霊殿遥拝式や新嘗祭(にいなめさい)、大祓の行事などが古くから執り行われています。また、皇族の参拝もあることから、皇室との深いつながりを察することができます。

筑波山は古くから国内屈指の霊峰として、その存在は語り継がれており、万葉集にも「神代より人の言い継ぎ」との記述がみられます。また、古代より国生みの神である伊弉諾尊と伊弉冉尊の二神が御祭神として祀られているということは、筑波山神社の創建に、この二神が絡んでいたことによるものでしょう。由緒の沿革によると、国生みの時代、大八洲国(本州)が見いだされた際、二神はその「東方霊位に当る海中に筑波山を造り得て降臨」されました。つまり島々を船で回りながら、指標となる山々を海辺から望んでいる際、筑波山がひときわ目に留まり浮かび、そこを古代の拠点と定めたのです。そして山頂が2つに分かれることから、男女二柱の神々が男体山、女体山の本殿それぞれにおいて崇められるようになり、その麓には拝殿も造られました。こうして創始者である「いざなぎ、いざなみ両神」が筑波神となったのです。

筑波山は古代より重要な位置づけを占め、歴史に名を遺す多くの皇族や豪族が筑波山に立ち寄り、そこで先代の神々を拝しました。そして神武天皇の時代、筑波山神社の男体女体両宮が創祀されることとなります。その後、紀元前1世紀、元伊勢の御巡幸がはじまろうとする直前の時代では、日本の古代宗教に多大なる影響を与えた物部一族が筑波山の重要性に着眼し、そこで社を改めて造営し、管轄することとなりました。由緒によると第10代崇神天皇の時代、物部一族の筑波命が筑波国造となり、それ以降、大化の改新に至るまで、筑波一族が筑波山神社の政を取り仕切るようになります。

筑波山神社の本殿へ至る参道
筑波山神社の本殿へ至る参道
当時、倭国の内政は乱れ、海外からの侵略のうわさも絶えず、神宝を外敵から守ることが急務とされた時代です。第12代景行天皇の御代、倭姫命から神宝を託されて征伐に出向いた武人である日本武尊は、東征の途中で筑波に立ち寄ったことが古事記に記されています。日本武尊が筑波山に足を運ぶこと自体が、何かしら筑波が重要な位置づけにあったことを裏付けていますに違いありません。そして東征からの帰路にて日本武尊は、「新治(にひばり)筑波をすぎて幾夜か寝つる」と歌を詠まれたのに対し、火ともしの翁が歌で応えたことが連歌の起こりとなり、そのやりとりが「つくばの道」という連歌として、後世にその名を残すことになります。

大勢の参拝者が訪れる筑波山神社
大勢の参拝者が訪れる筑波山神社
また、「常陸風土記」には筑波神と祖神尊に纏わる話や、多くの人々が筑波神の元を訪れたことが記載されています。そしていつしか筑波山にまつわる歌も詠まれるようになりました。それらが万葉集や古今和歌集の名歌としても知られるようになったのです。奈良時代、万葉集には筑波山の魅力が筑波の歌二十五首として記載され、常陸国生粋の霊峰としてその名を世間に知らしめるようになります。そして後醍醐天皇の時代では、古今和歌集に「さざれ石にたとへ筑波山にかけて」と詠まれ、筑波山が皇族の誉大を象徴する霊峰として、篤く崇敬されていたことを偲ばせています。筑波山は、古代より神聖な山として知られていたのです。

筑波山が霊峰なる所以

日本では古くから山に登り、神々を拝むという風習がありました。これは「高い山に神が住まわれる」、という信条を携えて西アジアから日本列島に渡来してきた古代イスラエル人の影響を受けているのかもしれません。いずれにしても、山岳信仰の対象となる山はいつしか庶民の間でも知られるようになり、列島各地において多くの人々が神と出会うために山に登ることとなります。信仰の対象となる山は霊峰とも呼ばれるようになりました。そこで神が祀られ、時には山全体が御神体とされる場合もあり、神聖な場所として崇められるようになったからです。

古代、聖別された霊峰として認知されるには、いくつかの条件があったと想定されます。まず、山の頂上で神を祀ることが重要視されたことでしょう。日本の建国に携わった先代の人々は、神からの宣託を受けた預言者イザヤの導きにより、西アジアより船を用いて神が示された「海の島々」、「東の島々」を東方に探し求めた結果、日本に到来したと考えられます。イザヤに与えられた預言の中には、島々へのメッセージだけでなく、同時に高い山に神様がおられる、という主旨の言葉が繰り返されています。よって、古代の渡来者はまず、列島内において高山をくまなく見出し、その中から神を祀るにふさわしい山を特定しようとしたのではないでしょうか。こうして選別された山々には、その麓に社が造営され、頂上においても神が崇め祀られたのです。

次に、列島内の指標となるべく高山であり、海上からでも頂上を見つけることができることが、霊峰となる条件のひとつとして重要視されたと考えられます。つまり霊峰とは、探しづらい山地の奥に存在するのではなく、むしろわかりやすい場所にあることが重要だったのです。船の上から山頂を遠くに見ることができることから、その山の位置を綿密に計算し、そこへ迷わず向かうことができたのです。それは山の頂上から逆に海原を見渡すことができることをも意味していました。よってすなわち、海から仰ぎ見ることができる高山であることも、古代では霊峰となる条件だったのです。

富士山剣ヶ峰の石碑
富士山剣ヶ峰の石碑
また、その山の頂上には磐座が存在することも重要です。何故なら古代の渡来人は「神は岩」、「岩なる神」という信仰をもっており、霊峰の聖なる岩に神が住まわれる、と考えられていたからです。すると、活火山である富士山は偉大な山ではありますが、噴火も多く、岩場がほとんど存在しないことから、古代の霊峰というよりもむしろ、日本最高峰の指標として重要な位置づけをもっていたと考えてもよいかもしれません。山頂で神を祀るためにも、そこに巨石があり、その場所が清められた磐座であることが古代では重要視されたようです。

また、山の頂上が他の山々や、半島や岬、湖などの自然の地勢と結び付けられ、1本の直線を成すレイラインと呼ばれる架空の一直線上に紐づけられることも、古代では重要視されていたようです。同一線上に複数の聖地や霊峰が並ぶことにより、地の力によって相互が結び付けられ、互いの力を共有できるようになると考えられたのではないでしょうか。筑波山を通りぬけるレイラインを検証すると、筑波山が富士山、月山、白山、息吹山、剣山、御嶽山などの著名な霊峰だけでなく、記紀にも記されている宗像大社や石上神宮ともつながっていることがわかります。また、鹿島神宮から見ると、筑波山の頂上は夏至の日の入りと重なり、室戸岬からは夏至の日の出方向と重なります。つまり霊峰と呼ばれる条件としては、山頂と山腹にて神が祀られていること、山頂に磐座があること、山の頂から海原が見えること、そして他の聖地や霊峰と直線上でつながっていることの4つがあ挙げられるのです。

これらの条件を満たす霊峰を振り返ってみましょう。まず、日本三霊山としては、富士山、白山、そして立山が知られています。また、ごく一般的に七霊山と呼ぶ場合には、それら三霊山の他に、石鎚山、大山、釈迦ヶ岳、大峰山(山上ヶ岳)が名を連ねます。七霊山の定義は決まったものではなく、釈迦ヶ岳の代わりに月山を加えたり、白山の代わりに御嶽山が入っていることもあります。石鎚山は瀬戸内海から頂上が見えるだけでなく、記紀にも記されている由緒ある山です。大山は日本海側に面し、出雲に近い高山として重要な位置を占めるだけでなく、その頂上からは四国の石鎚山や剣山を遠くに望むことができます。しかしながら釈迦ヶ岳と大峰山は修験道のメッカとして由緒ある歴史をもつものの、海上から見渡すことが困難なほど、吉野の奥まった場所に位置しています。よってこれら2つの山は、古代の霊峰という位置づけからは古代、、はずれている可能性があります。また、前述したとおり、富士山も別格に考えてよさそうです。

剣山から紀伊水道と熊野を望む
剣山から紀伊水道と熊野を望む
その代わりに霊峰として推奨されるべく大切な山が4つあります。まず、四国の剣山があげられます。西日本で2番目に高い標高を誇り、国生みの始点となる淡路島から見える最も高い山です。しかも瀬戸内海、紀伊水道からも頂上が見え、またその頂上からは熊野の山々だけでなく、太平洋も見ることができます。そして剣神社が山腹にあり、頂上においても宝蔵石にて神が祀られ、古くから多くの宗教的伝説が語り継がれてきました。同様に青森の岩木山や山形県の月山も、霊峰となる条件を満たしています。それぞれが海上から目視で頂上を望むことができるだけでなく、山の位置がレイラインを通じて他の聖地とつながっています。また、頂上には磐座が存在し、山腹においても社が建立され、古くから神が祀られています。

そして七霊山の候補として最後にあげられるのが筑波山です。これまで筑波山が日本七霊山にリストアップされなかったのは、おそらく日本百名山の中で最も標高が低く、関東平野から丸見えの存在であり、神秘性に欠けるとでも思われたからではないでしょうか。しかし実際は、霊峰としての条件をすべて満たしている聖山なのです。2つの頂上を兼ね備え、男体山と女体山で神が祀られていること、その頂上には磐座が存在すること、御祭神が伊弉諾尊と伊弉冉尊であり、神社の由緒が国生み神話とつながっていること、記紀や風土記に山の名前が記されていること、そして頂上からの眺めがすばらしく、富士山や御嶽山を望み、太平洋も見渡すことができることがあげられます。つまり、筑波山こそ日本が有する偉大な霊峰であることがわかるのです。

筑波山神社の美しい本殿
筑波山神社の美しい本殿
自らの足でこれら霊峰に名前があがっている山々をすべて登頂した結果言えることは、日本七霊山としてもっともふさわしい名山は以下のとおりです。石鎚山、剣山、大山、立山、白山、岩木山、そして筑波山。中でも万葉集をはじめ、多くの史書にその名が記されている筑波山こそ、霊峰の中でも特筆すべき名山です。よって皇族の方々も今日、筑波山神社を参拝しに訪れ、大自然の中に聳え立つ筑波山の美に触れられています。

筑波山のレイライン
筑波山のレイライン

筑波山の登頂に心がはずむ

筑波山登山道への入口
筑波山登山道への入口
灯台もと暗し。なぜか職場から一番近い筑波山だけは日々、窓から眺めていることもあり、これまで登山に出向くことがなったことから、一度は登らなければと、11月4日の日曜日、遂に決行することにしました。WEBで調べる限り難しいコースではないはずなので、お昼過ぎにスタートし、暗くなる5時まで帰ってくれば十分と考えました。当日、天気は曇りがちですが気温は暖かく、快適な登山日和です。筑波山神社に車を停めて神社を参拝後、12時40分すぎ、登山道から登り上り始めました。

日曜だけに参拝者も多く、山に登る人が老若男女問わず、子ども連れも多く見かけます。男体山に向かう御幸ヶ原コース経由は、標識によると登り1時間半となっていたことから、いつも通り半分の45分想定で足を急がせます。神社の真裏から続く山道は快適そのものです。標識や案内図も多く、良く整備されています。岩場あり、偽木の階段あり、と山道は様相を変えていきますが、途中、ケーブルカーも見かけることができて楽しく進めます。50分弱で男体山頂上手前の御幸ヶ原に到着しました。ちょっと小雨がぱらつきはじめ、すぐに男体山を登頂することに。ものの10分で到達し、御神殿にて参拝後、すぐに御幸ヶ原へと戻ると、小雨がぱらつき始めました。そんな雨は無視して散策です!

心地良く登山できる岩場の山道
心地良く登山できる岩場の山道
すると筑波山自然研究路なるものがあることを標識で知り、行ってみようと思ったのですが、入口がわからずうろうろすることに。やっとのことで売店裏に小道を発見しました。

その研究路沿いにある立身石こそ、筑波山で最も重要と思える巨石であり、来た甲斐を感じた場所でした。親鸞聖人も訪れた磐座ということで、その豪快な岩の形状に心がはずみます。御幸ヶ原からたった5分歩くだけで見られる磐座ですが、人影もなく、知られていないのか、人気がないのか、とにかくもったいないです!

それからぐるっと自然研究路を歩き回ると、おや、また御幸ヶ原の売店に戻ってきてしまいました。こんなに短いはずはないと標識をあちこち探してみていると、何と通常の研究路は途中から滑落により閉鎖中とのことでした。そして北側に別の入路を見つけ、いっきに走り回ることにしました。途中、「大石重ね」と呼ばれる願いを込めた小石で作られた塚を通り過ぎると、また男体山頂上に戻ってきてしまいました。都合2回、男体山を登頂することになったのです。そしてすぐに下り始めると、先ほどの売店に再び到達。

目の前の御幸ヶ原はケーブルカーを待つ人でいっぱい。そこから女体山に向けて駆け足で進むと、途中セキレイ石とガマ石を通り過ぎ、およそ15分程度で女体山頂に到達しました。こちらの岩場は男体山よりも見栄えがあり、見事な磐座となっています。そして頂上からの景色も素晴らしく、やっとパノラマの光景を満喫することができました。天気もちょっと日が差し込んできたりと良くなりかけ、頂上は大勢の人でいっぱいです。ロープウェイで麓から直接上って来られる人も多く、誰でも頂上まで来ることができます。

女体山頂上に集う大勢の登山客
女体山頂上に集う大勢の登山客

かれこれ男体山と女体山、研究路を巡り歩きながら、頂上界隈であっという間に1時間45分が過ぎてしまいました。そこから早足で白雲橋コースを下りていくことにしましたが、最初の200mは崖がきつく、とにかく足場が悪いことからゆっくり行くしかありません。と思いきや、そこから筑波山自慢の岩の博物館が始まりました。これぞ山登り(下り?)の醍醐味です。「大仏岩」から始まり、「屏風岩」、「北斗岩」、「裏面大黒」、「出船入船」、「陰陽石」と呼ばれる巨石の数々に感動を覚え、所々足を止めてじっくりと観察しながら山を下るのも、とても楽しく思えます。「母の胎内くぐり」と呼ばれる奇岩では、その岩場の隙間を通り抜けることで、罪や穢れから清めると言われているそうです。よって人気パワースポットの一つにあげられています。その直後には「高天原」の磐座が連なり、岩場の間のせまい階段を上がっていくと、そこには拝殿がもうけられており、ここでも神様が祀られていました。そして最後に目に入ってくるのが、今にも山道の真上に落ちてきそうな巨石が宙に浮いている光景です。これが「弁慶七戻り」とよばれる岩場です。

天照大神を祀る高天原の磐座
天照大神を祀る高天原の磐座

巨石が落下しそうに見える弁慶七戻り
巨石が落下しそうに見える弁慶七戻り
筑波山では御在所岳や六甲山に勝るとも劣らない巨石の数々を堪能することができます。そして登山ルート最後の1kmは、福島から来られた登山経験1年目ながら健脚を誇る女性登山家(別名山ガール)と一緒に話をしながら楽しく筑波山神社まで戻ってくることができました。岩の博物館なる筑波山は、誰でも安心して上り下りできる、素晴らしい霊峰です。山に登り、神様に出会いたい人、足腰を鍛えたい人、そして大自然の美しさに触れたい人、みなさんにおすすめしたい霊峰筑波山の登山にチャレンジしてみませんか!