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2024/02/29

霊山の条件 日本七霊山に名を連ねる霊峰とは

古代より山を崇拝する日本の民

白山頂上からの景色
白山頂上からの景色
日本では古くから山に登り、山に住まわれる神々を拝むという風習がありました。それらの古代山岳信仰の対象となる山は、いつしか庶民の間でも知られるようになり、列島各地において多くの人々が神と出会うために山に登ることとなります。

信仰の対象となる山は霊山、もしくは霊峰とも呼ばれるようになりました。山上にて神が祀られ、そこに神が宿ると考えられたからです。時には山全体が御神体とされる場合もあり、いつしか多くの山々は、神聖な場所として崇められるようになりました。

霊山として認知された山々

剣山山頂しめ縄
剣山山頂しめ縄
古代、聖別された霊山として認知されるには、いくつかの条件があったと想定されます。まず、山の頂上で神を祀ることが重要視されたことでしょう。次に、列島内の指標となるべく高山であり、海上からでも頂上を見つけることができることが、霊峰となる条件のひとつとして重要視されたと考えられます。つまり霊峰とは、探しづらい山地の奥に存在するのではなく、むしろわかりやすい場所にあることが重要だったのです。船の上から山頂を遠くに見ることができることから、その山の位置を綿密に計算し、そこへ迷わず向かうことができたのです。それは山の頂上から逆に海原を見渡すことができることをも意味していました。すなわち、海から仰ぎ見ることができる高山であることも、古代では霊峰となる条件だったのです。

また、その山の頂上には磐座が存在することも重要です。何故なら古代の渡来人は「神は岩」「岩なる神」という信仰をもっており、霊峰の聖なる岩に神が住まわれる、と考えられていたからです。よって、霊山の多くは、その頂上に巨石が祀られています。また、雄大な富士山のように古代の霊峰でありながらも、活火山であるが故に噴火も多く、岩場がほとんど存在しない霊山もあります。それでも日本最高峰の指標として重要な位置づけをもっています。

山の頂上が他の山々や、半島や岬、湖などの自然の地勢と結び付けられ、1本の直線を成すレイラインと呼ばれる架空の一直線上に紐づけられることも、古代では重要視されていたようです。同一線上に複数の聖地や霊峰が並ぶことにより、地の力によって相互が結び付けられ、互いの力を共有できるようになると考えられたのではないでしょうか。

富士山剣ヶ峰の石碑
富士山剣ヶ峰の石碑
例えば、筑波山を通り抜けるレイラインを検証すると、筑波山が富士山、月山、白山、伊吹山、剣山、御嶽山などの著名な霊峰だけでなく、記紀にも記されている宗像大社や石上神宮とも繋がっていることがわかります。また、鹿島神宮から見ると、筑波山の頂上は夏至の日の入と重なり、室戸岬からは夏至の日の出方向と重なります。このように、一直線上の並ぶ山々の存在が重要視されただけでなく、古代の神社が建立された場所とも紐付けられたのです。

筑波山のレイライン
筑波山のレイライン

霊山となる条件

以上のことから、霊山と呼ばれる条件として4つが挙げられます。

  1. 山頂と山腹にて神が祀られていること
  2. 山頂に磐座があること
  3. 山の頂から海原が見えること
  4. 他の聖地や霊峰と直線上で繋がっていること

大山頂上からの景色
大山頂上からの景色
これらの条件を満たす霊山を振り返ってみましょう。まず、日本三霊山としては、富士山、白山、そして立山が知られています。いずれも頂上から遠くに海を眺めることができるだけでなく、そこに神が祀られています。そしてこれら三霊山は、いずれも数々の聖地や霊峰と多くのレイラインで繋がっていたのです。

また、ごく一般的に七霊山と呼ぶ場合には、それら三霊山の他に、石鎚山、大山、釈迦ヶ岳、大峰山(山上ヶ岳)が名を連ねます。石鎚山は瀬戸内海から頂上が見えるだけでなく、記紀にも記されている由緒ある山です。大山は日本海側に面し、日本海から頂上を見ることができるだけでなく、その頂上からは四国の石鎚山や剣山を遠くに望むことができます。大山の位置は古代の聖地である出雲に近いだけに、歴史的にも重要な位置を占めることになります。

七霊山に推奨される他の山とは?

七霊山の定義は決まったものではなく、釈迦ヶ岳の代わりに月山を加えたり、白山の代わりに御嶽山が入っていたりすることもあります。しかしながら釈迦ヶ岳と大峰山は修験道のメッカとして由緒ある歴史を持つものの、海上から見渡すことが困難なほど、吉野の奥まった場所に位置しています。よってこれら2つの山は、古代、霊峰という位置づけからは外れる可能性があります。

剣山から紀伊水道と熊野を望む
剣山から紀伊水道と熊野を望む
代わりの候補として推奨されるべき大切な霊山が4つあります。まず、四国の剣山があげられます。西日本で2番目に高い標高を誇り、国生みの始点となる淡路島から見える最も高い山です。しかも瀬戸内海、紀伊水道からも頂上が見え、またその頂上からは熊野の山々だけでなく、太平洋も見ることができます。そして剣神社が山腹にあり、頂上においても宝蔵石にて神が祀られ、古くから多くの宗教的伝説が語り継がれてきました。

同様に滋賀の伊吹山や山形県の月山も、霊山となる条件を満たしています。海上から目視でそれぞれの頂上を望むことができるだけでなく、山の位置がレイラインを通じて他の聖地と繋がっています。また、頂上には磐座が存在し、山腹においても社が建立され、古くから神が祀られています。

筑波山
筑波山
そして七霊山の候補として最後に挙げられるのが筑波山です。これまで筑波山が日本七霊山にリストアップされなかったのは、おそらく日本百名山の中で最も標高が低く、関東平野から丸見えの存在であり、神秘性に欠けると思われたからではないでしょうか。しかし実際は、霊山としての条件をすべて満たしています。筑波山は男体山と女体山と呼ばれる2つの頂上を兼ね備え、それらの頂上にはいずれも磐座が存在します。そして御祭神が伊弉諾尊と伊弉冉尊であり、神社の由緒が国生み神話と繋がっていること、記紀や風土記に山の名前が記されていること、そして頂上からの眺めがすばらしく、富士山や御嶽山を望み、太平洋も見渡すことができることが、霊山として際立つ理由です。筑波山こそ日本が誇る偉大な霊山であることがわかります。

日本の七霊山とは

筑波山神社の美しい本殿
筑波山神社の美しい本殿
自らの足でこれら霊峰に名前があがっている山々をすべて登頂した結果言えることは、日本七霊山としてもっともふさわしい名山は以下のとおりです。石鎚山、剣山、大山、立山、白山、岩木山、そして筑波山。中でも万葉集をはじめ、多くの史書にその名が記されている筑波山こそ、霊峰の中でも特筆すべき名山です。よって皇族の方々も筑波山神社を参拝され、大自然の中に聳え立つ筑波山の美に触れられています。

山岳信仰の背景に潜むイスラエルの足跡

最後に、霊山が崇められるようになった歴史的背景を振り返ってみました。山に登り、神々を拝むという風習は、「高い山に神が住まわれる」という信条を携えて西アジアから日本列島に渡来してきた古代イスラエル人の影響を受けているかもしれません。イザヤが書き記した預言の中には、母国のイスラエルには存在しない海の島々に係わるメッセージが多いだけでなく、その中には高い山に神様が住まわれる、という主旨の言葉が含まれています。

よって古代、日本の建国に携わった先代の人々とは国家を失ったイスラエルの民であった可能性があります。それらの民は、神からの宣託を受けた預言者イザヤの導きにより、西アジアより船を用いて東方に浮かぶ海の島々を探し求めて旅を続けた結果、日本列島を見出したのではないでしょうか。そして列島内において高山をくまなく見出し、その中から神を祀るにふさわしい山々を特定したと想定されます。

こうして厳選された聖なる山々には、その麓に社が造営され、頂上においても神が崇め祀られるようになったと想定されます。なぜ、日本では世界に類を見ないほどの山岳信仰が培われてきたか、という歴史の謎が解けてくるようです。

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