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「スサノオの命」の正体に迫る!

例年7月に祇園祭が開催される京都祇園の八坂神社では、ヤマタノオロチを退治する勇敢なキャラクターとして日本の記紀神話に登場するスサノオノミコトが祀られています。スサノオは八坂神社だけでなく、全国各地の神社で牛頭天王として祀られていますが、それはスサノオが日本建国に絡んだ重要な存在と考えられているからにほかなりません。江戸時代の学者、新井白石は、神話に登場する神々は実在した「人なり」と語りましたが、スサノオに関しても、その偉大な人物像に伴う生き様が、そのモデルになった可能性があります。その正体を解き明かす鍵は、どうやらイスラエルから渡来してきたイザヤ一族にありそうです。

まず、日本国家の誕生、および天皇支配のいわれを描く出雲神話と、救世主による神の国の設立を預言するイザヤ書との間に、類似するモチーフがあることに注目してみました。共通点は、単に天命による王権の樹立と新しい国家の統治だけに収まりません。出雲神話では岩戸に隠れて暗黒をもたらすアマテラスとスサノオの対立や、海を渡った出雲における庶民の救済、そしてオオクニヌシノミコトによる地上の統一などが描かれています。また、スサノオは乱暴な神としても名高いですが、海原の統治を任されただけでなく、民衆を救済する神としてもいつしか、崇められるようになるのです。イザヤ書でもイスラエルの民に対して神が「妨げの岩」となり(8章14節)、御顔を隠してしまうことが書かれています(8章17節)。そして民衆が暗闇におののく最中(8章21節)、「海沿いの道」、「海に至る道」が啓示され、そこで暗黒の地に住んでいた庶民は光を見出す(9章1節)、というテーマの流れになっています。そしてイザヤの子には「獲物を素早く奪え!」と言う不可解な名前が与えられますが、その子こそ、国家を守り導く救世主でもあったのです。

更に、イスラエル国家の崩壊と日本建国のタイミングが歴史的に見て見事にマッチングしていることや、「イザナギ」という名前がヘブライ語で「イザヤ王子」、「君主イザヤ」と解釈できるように、神話に登場する名前の多くが旧約聖書の言語で解釈できることも見逃せません。それはイザナギとイザヤが同一人物である可能性を示唆しています。もし、その仮説が本当だとするならば、イザナギの子であるスサノオが、イザヤの子であることになります。日本書紀や古事記によると、イザナギとイザナミの間には国生みに関わる多くの子が生まれましたが、最終的に列島の統治を任されたのは、イザナギが黄泉の国から帰ってきた際、汚れを落としたときに生まれ落ちた天照大神、月夜見尊、そして素戔嗚尊(スサノオノミコト)と呼ばれた3人の子供です。その内、月夜見尊はスサノオの兄神にあたり、スサノオ自身は弟神でした。そしてこの三貴神が高天原と夜の世界、そして海原の統治をそれぞれ任されたのです。

旧約聖書のイザヤ書にも、イザヤには2人の男の子供がいたことについて記載されています。長男である兄は「シェアル・ヤシュブ」と呼ばれ、その名前には「生き残る者は(神に)立ち返る」という、神の憐れみと将来への希望を願い求める想いが込められています。そして弟には、「マヘル・シャラル・ハシ・バズ」という一見して不可解な名前が付けられました。その言葉の意味は、「獲物を急げ、早く奪え」です。それは北イスラエル王国が瞬く間に崩壊し、領土が奪われてしまうことが子供の名前によって預言されたのです。しかしながら、この「マヘル・シャラル・ハシ・バズ」自身は、イスラエルの救いを担った人物でもあり、イザヤはその救世主の働きについてもさまざまなメッセージを語り告げました。二男として生まれ、乱暴者のイメージを持ちながら、しかし多くの民衆を救済して、最終的に民からの厚い信望を受けるという点において、スサノオと「マヘル・シャラル・ハシ・バズ」は類似点が多く、同一人物である可能性を秘めています。

これらの仮説の裏付けとなるポイントが、スサノオという名前の意味です。最初に、スサノオの漢字表記を考えてみましょう。古事記では建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)、日本書紀では素戔男尊、素戔嗚尊、またほかの史書においては、神須佐能袁命、須佐乃袁尊、須佐能乎命などの表記が見られます。これだけ複数の漢字表記があるということ自体、やはり名前の発音が先行して存在し、それに漢字が当てられたと考えられるのです。漢字そのものの意味は、「建」:直立する、堂々と進む、「速」:すみやか、「須」:求める、必要とする、「佐」:助ける、「素」:基、「戔」:残り少ない、などが挙げられ、これらが組み合わされて、「スサノオ」の名前を構成しています。漢字を組み合わせる際は、数多く存在する漢字の中から、できるだけその名前のルーツや語源に関連する意味を持つ字が選別されたことでしょう。例えば古事記の建速須佐之男命という表記ですが、漢字表記の意味からすると、「速やかな建国を求め助ける神」と言えます。それが日本書紀では「素戔」という別の漢字を用いられ、「残りの者が(国家の)基となる」とうい新しいニュアンスが、スサノオの名前に付加されています。この「残りの者」の主旨は、もしかするとイスラエルから逃れてきた残りの民を意味し、最終的に東の島々にまで辿り着いた少数の渡来者のことを指していたかもしれません。イスラエル民族は国家を失ったときから、「残りの民」、「残りの者」が国家の再建を担うということが信じられるようになり、複数の預言書にも、神からの約束として明記されてきたのです。それ故、「残りの民」というコンセプトは、イスラエルの民にとっては極めて重要であり、その国家へ帰還する想いが、スサノオの「素戔」に込められている可能性があります。

更に、「スサノオ」の名前自体をヘブライ語で解釈することができるとするならば、その名前のルーツにイスラエル民族の熱い想いが込められていることが、きっとわかるはずです。「スサノオ」はヘブライ語で、「スサ」と「ノハァ」の2つの言葉から成り立っている言葉と考えられます。「スサ」はsus、スサ(sus、スサ)であり元来、海カモメを意味した言葉です。その動きはとても機敏で速いことから、「とても素早い」というニュアンスも含む言葉です。それが英語ではSwiftとも訳され、「素早い」という意味でも使われている所以です。このスサ(スサ)には、実は「2輪戦車」を引く馬、英語でいうChariotの意味もあります。つまり、単に速いだけでなく、とても強靭なイメージを持つ言葉なのです。次にヘブライ語にはノハァ(nokhal、ノハァ)という、「新しい土地を得る」、「安住の地を相続する」、もしくは、「安息の地に辿り着く」という意味があります。これは正に、大陸を横断しながら新天地を探し求めたイスラエルの民に該当する言葉、そのものではないでしょうか。そして「スサ」に新しい土地を奪う、という意味のノハァ(nokhal、ノハァ)を足すとsus nokhal、スサノハァ(sus nokhal、スサノハァ)となり、「海カモメが新天地に辿り着く」、「素早く安住の地を得る」という意味になります。これは、マヘル・シャラル・ハシ・バズ(獲物を急げ、早く奪え)の意味に類似していると考えられることから、スサノオとイザヤの子であるマヘル・シャラル・ハシ・バズには関連性があるだけでなく、もはや同一人物である可能性さえも簡単には否定できないのです。

更にスサノオだけでなく、同様に、兄の「ツクヨミ」の名前もヘブライ語で解釈することができます。まず、ツー(tsur, ツーァ)は「岩」を意味し、その言葉の背景には「神が岩となって民衆を助ける」というニュアンスが込められています。次にクヤム(kuyam、クヤム)という言葉があり、これは「果たす」、「成就する」です。すると合わせてクヤムツー(tsur kuyam、ツクヤム)という言葉になり、「岩なる神の救いが成就する」という意味になります。岩の神による救いが成し遂げられ、安住の地に入るということからしても、その言葉の背景には新天地を探し求めたイスラエルの民の存在があるようです。そして安住の地に入り平安が訪れることは、月夜を眺め見るかのごとく、「月夜見」という文字が選別されたのではないでしょうか。

国家を失った大勢のイスラエルの民は、生きるために故郷の地を脱出しなければなりませんでした。そして多くがイザヤの言葉を信じ、大陸の遥か彼方に浮かぶ東の島々に、最終目的地があることを信じたのです。その神の選民とも言われるイスラエルの民が実際に大陸を横断し、日本へ渡来してきたと仮定するならば、記紀神話を聖書の預言と照らし合わせながら面白く読むことができます。また、大陸を経由して旅する無数の民とは別に、イザヤを中心とする先行部隊は、東の島々に新国家を樹立するために舟を用いて先行して旅立ち、事前に東の島々を巡り渡りました。そして十分なリサーチをしたうえで、見事に目的地である島々の基点となる場所を探し当てたのです。先行部隊には無論、イザヤの家族も含まれていました。その一行と共に海を渡ったのが、イザヤの子供らであり、その中にイザヤが預言した救世主がいました。イザヤの子、マヘル・シャラル・ハシ・バズこそ、建速須佐之男命、つまりスサノオノミコトであると考えられます。そしてスサノオは、姉のアマテラスに会うために高天原を訪れ、その後、出雲に向かい、そこでヤマタノオロチと一騎打ちを演じるのです。そしてスサノオの子孫であるオオクニヌシノミコトが、国を平定することになります。

こうしてイスラエル国家が滅亡してからおよそ60年後に、日本の皇紀が産声を上げました。この60年という期間は、大陸を越えて東の島々まで到達したイスラエルの民が、新天地にて新しい国家を樹立するのに要した時間ではないでしょうか。イスラエルの滅亡と、日本の皇紀の始まりの時期がほぼ一致しているのは単なる偶然ではなく、歴史の流れに沿った史実だったのです。古代史のロマンはますます広がっていきます。