1. ホーム
  2. 邪馬台国への道のり
  3. 徳島山岳地帯の山々
2026/08/08

天空に広がる謎の平坦地 邪馬台国は徳島の山上にあったのか?

水源とササ原に恵まれた徳島山岳地帯

徳島山岳地帯は、剣山地を中心に標高1600mを超える山々が連なる地域です。それらの山々の山頂周辺や尾根伝いには、樹木が見られないエリアが多く存在し、その代わりにミヤマクマザサのササ原が広がっていることが大きな特徴です。徳島山岳地帯に広がるササ原は、亜高山帯を中心に生育するミヤマクマザサによって形成されています。ミヤマクマザサが亜高山帯に広く生育する環境は、全国的に見ても四国に限られています。実際に、四国の徳島南方の山岳地帯には、赤帽子山、天狗塚、矢筈山、石立山など、ササ原と雄大な景観を有する山々は数多く存在します。これらの山々は、四国山地ならではの貴重な自然景観を形成しています。

では、古代、この地域では何が起きていたのでしょうか。山岳地帯でありながら、これほど広範囲に樹木が失われ、ミヤマクマザサが群生するようになった理由は、単なる自然現象だけでは説明できないのかもしれません。近年では、高山地域の山頂付近に大規模なササ原が広がる要因として、人為的な山焼きなどの影響によるものというのが定説になりつつあります。つまり、遠い昔に樹木が伐採され、その後に山焼きなどが行われた結果として、現在のササ原が形成された可能性が考えられるのです。徳島山岳地帯のミヤマクマザサの草原は、古代、これらの場所で人が活動していた証なのでしょうか。

剣山周辺の山々は、全国でも有数の豊かな水源を有する山岳地帯として知られています。実際、徳島山岳地帯の中心に位置する剣山頂上周辺には、東西南北の四方へ流れる河川の源流があります。剣山北方の丸笹山の頂上付近には貞光川の水源があり、豊富な水が絶え間なく湧き出ています。また、すぐ近くには祖谷川源流となる谷があり、西方の祖谷渓谷へと水を送り出しています。さらに、剣山の西方に聳え立つ三嶺の山頂の付近には「御池」と呼ばれる池があり、その先の天狗塚の頂上近くにも「天狗池」という名の池があります。剣山南方には那賀川源流碑があり、そこを起点として東に向けて水が流れています。このように、剣山周辺には各方面へ流れ出す河川の源流が点在しており、そのことが、この地域を豊富な水源に恵まれた山岳地帯として特徴づけています。

徳島山岳地帯の三つの特徴

徳島山岳地帯には、特に注目すべき特徴が3つあります。まず、剣山の頂上周辺からは東西南北へ流れる大河川の源流が湧き出ていることです。このように大河川の源流がいくつもあり、高山の頂上周辺から四方へ分かれて流れ出る地形は、全国的にもあまり例がありません。

次に、山頂周辺から尾根伝いにかけて、ミヤマクマザサのササ原が広がっていることが挙げられます。樹木が少なく、山肌が現れたようにも見える背丈の低いササ原は、徳島山岳地帯を象徴とする風景となっています。その特異な山岳景観は高く評価され、剣山西方の天狗塚周辺は、「三嶺・天狗塚のミヤマクマザサ及びコメツツジ群落」として国の天然記念物に指定されています。

さらに注目すべきは、徳島山岳地帯では山頂近くや尾根伝いに、不思議なほど広大で平坦な場所が数多く存在することです。標高1600mを超える高山地域であり、断崖や絶壁なども散見される起伏の激しい山岳地帯であるにも関わらず、最高峰の剣山の山頂周辺をはじめ、山域の各所には広く平坦な地が点在しています。そして、それらの多くはミヤマクマザサに覆われているのです。

山岳地帯の平坦な地は邪馬台国の跡地?

邪馬台国の比定地については、さまざまな見解があり、現在も多くの議論が続いています。徳島山岳地帯も、その候補地のひとつと考えられます。多くの関連する資料や伝承が残されているだけでなく、地図上で渡航ルートを検証することも可能であるため、考察対象として十分に検討する価値があると言えるでしょう。「魏志倭人伝」などの中国史書の記述内容に従って、古代の旅人の渡航ルートをたどっていくと、瀬戸内海を経て、四国東岸の徳島の吉野川河口付近に至り、そこから吉野川を遡って上流へ進み、一旦上陸してからは剣山方面に向かって山を登るというルートが自然に想定できます。このような経路を前提とすると、上陸してからおよそ30日で剣山の山頂周辺の山岳地帯に到達できたことになり、「魏志倭人伝」の記述に符合する可能性が考えられます。その山岳地帯の山頂や尾根伝いには、不思議なほどミヤマクマザサのササ原が広がっています。この特徴的な景観が、古代の人々の活動と何らかの関係を持つのかどうかに注目してみました。

まず、剣山周辺の徳島山岳地帯は高山でありながら、広々とした平坦地が多いことに気が付きます。標高が1600mを超えると、尾根伝いにミヤマクマザサの群生が見られるようになり、そのササ原に覆われたエリアは、剣山を中心とする山々の頂上や尾根伝いに集中しています。ミヤマクマザサは山岳地帯の中でも、およそ平坦な箇所に群生することで知られています。また、徳島山岳地帯は豊富な水源にも恵まれ、随所に湧き水が見られます。さらに、大河川の源流も地域最高峰である剣山周辺に複数存在し、これらの多くは、ミヤマクマザサが群生する地域一帯に位置しています。山々の尾根は、古代において人々が地域を往来する際の主要な通路であったと考えられています。そのため、尾根道に沿ってミヤマクマザサが広がった背景には、人為的な要因が絡んでいた可能性も考えられます。

これまで、剣山周辺の徳島山岳地帯において、標高1600m以上で、ミヤマクマザサが群生するエリアを数多く見て回りました。すると、その場所に山上とは思えないほど広く平坦な場所が広がっていることに気が付きました。また、多くの山頂がミヤマクマザサで覆われていることも印象的でした。こうしたササ原は、遠くから山々を望む際、探し求める山を一目で見出すための目印のようにも見えます。遠くからでは尾根道は見えませんが、山の頂上は目にすることができます。もしその頂上だけがササ原で、中腹は樹木が生い茂っていたとすれば、その山は周囲の山々の中でもとても目立つ存在になっていたことでしょう。このような特徴を踏まえると、徳島山岳地帯の各所に見られる山頂周辺のミヤマクマザサのササ原は、何らかの目的で人為的に手が入れられた結果である可能性も浮かび上がってきます。

いずれにしても、ミヤマクマザサが徳島山岳地帯に広く分布するようになった背景には、何らかの特別な事情があったのではないでしょうか。しかも、ササ原が広がるエリアの多くはおよそ平坦で、人々が往来していたと考えられる尾根道とも繋がっています。そこで、それら一つひとつの場所を実際に歩いて調査し、その特徴が際立つ順にまとめてみました。現地を歩いてみると、古代に集落が営まれていても不思議ではないと思われるほど、徳島山岳地帯には人が活動するのに適した平坦地や豊かな自然環境が広がっていることが分かります。

百聞は一見にしかずです。本稿では、徳島山岳地帯に点在する平坦な地を、写真とともに紹介しました。実際に写真をご覧いただければ、高山とは思えないほど広い平坦地と、一面に広がるミヤマクマザサの景観に驚かれることでしょう。こうした景観がどのように形成されたのか、その答えは今なお明らかではありません。しかし、現地を歩いてみると、この地が秘める独特の雰囲気や地形の特徴を肌で感じることができます。機会があれば、ぜひ現地を訪れ、ご自身の目でその不思議な景観を確かめていただきたいと思います。

徳島山岳地帯の広大かつ平坦なエリア

①剣山 (1955m)・一の森 (1880m)

徳島山岳地帯の中心地に位置する剣山は、西日本で2番目の標高を誇り、その山頂一帯は、訪れる人々を魅了する雄大な景観に包まれています。剣山のすぐそばには、日の出の名所としても知られる一の森があり、どちらもミヤマクマザサに覆われた独特の景観を形成しています。剣山の山頂は比較的平坦な地形となっており、現在は巨大なしめ縄が置かれています。また、山頂付近には剣山ヒュッテと呼ばれる宿舎施設をはじめ、気象観測施設や展望デッキなども整備され、剣山を訪れる人々は、頂上一帯を散策しながら、雄大な自然を身近に感じることができます。一の森でも同様にヒュッテが建てられ、静かな山の環境の中で大自然を満喫することができます。

四国を代表する地域最高峰の剣山からは、周囲の山々を一望するパノラマが広がります。それは同時に、周辺の山々からも、剣山の頂上を望めることを意味しています。また、剣山の山頂からは北方には日本海に面する大山、北東方向には淡路島を望むことができます。さらに、東方には紀伊水道に浮かぶ伊島、その先には紀伊半島の熊野方面まで遠望することができます。このように広大な地域を見渡すことのできる優れた立地条件を備えた剣山は、古くから霊峰として人々の信仰を集めてきました。地域の最高峰でもあるゆえ、剣山の頂上では古代から何かしら祭祀活動が営まれ、周辺には小集落が存在していた可能性があります。

②天狗塚 (1813m)・三嶺 (1893m)

剣山の西方約10kmには、剣山とほぼ同じ標高を誇る三嶺が聳え立ちます。三嶺の山頂一帯は、ミヤマクマザサとコメツツジの群落が広がることで知られています。また、山頂直下には池があり、そこからさらに約4km西へ向かうと天狗塚の頂上にたどり着きます。その頂上付近に天狗池がありますが、昨今では水量が少なく、枯れていることもあります。三嶺と天狗塚を結ぶ尾根道は、広々としたササ原に覆われ、四国の山岳地帯ならではの雄大な景観が続きます。特に天狗塚周辺では視界を遮るものが少なく、一面にミヤマクマザサが広がり、まるで天空の大草原を思わせる風景が広がります。その特異な景観と貴重な植生から、この一帯は国の天然記念物に指定され、「三嶺・天狗塚のミヤマクマザサ及びコメツツジ群落」として保護されています。

天狗塚と三嶺を結ぶ尾根道から東方へ進み、白髪山の山麓を過ぎると、高山とは思えないほど広々とした平坦地が広がる平和丸へ至ります。さらに進むと、ササ原に覆われた丸石が現れ、次郎笈を経由して剣山の山頂へたどり着くことができます。この天狗塚から三嶺を経て東方へ延びる尾根道は、徳島山岳地帯を東西に横断する重要なルートのひとつだったと考えられます。そのため、天狗塚は徳島山岳地帯の東西を結ぶ尾根道の西側の起点として重要な位置を占めていた可能性があります。古くから山々を越えて人々が往来していたとすれば、このような地形上の要衝は旅や移動の上で大きな意味を持っていたはずです。それゆえ、広大なササ原の随所に旅人が休息するための小集落が存在したと考えても不思議ではありません。そのような旅の基点とも言える場所に、地域最大級ともされるササ原が広がっていることは、徳島山岳地帯の自然環境を考える上でも注目すべき特徴のひとつです。

③土佐矢筈山 (1607m)・網附森 (1643m)

奥祖谷は平家伝説だけでなく、ソロモンの秘宝に関する伝承も語り継がれ、かずら橋の存在も相まって、さまざまな伝説が重なる古代ロマンに溢れる土地となっています。奥祖谷の南側には、剣山を望み、ミヤマクマザサの大草原として名高い土佐矢筈山(1607m)があります。ササ原に覆われた穏やかな山容が印象的で、その西側に位置する笹山(1550m)はその名が示すように、周辺一帯がミヤマクマザサで覆われ、なだらかな地形を有しています。土佐矢筈山はその名のとおり高知県側に位置し、徳島県との境界にある天狗塚に隣接しています。さらにその西方約2kmには小桧曽山があり、この山もミヤマクマザサに覆われています。

徳島山岳地帯の最西端、小桧曽山、土佐矢筈山から東方の剣山へ続く尾根道は、天狗塚、三嶺、白髪山の麓、平和丸、丸石を経て剣山へと至ります。その途中、土佐矢筈山と天狗塚を結ぶ尾根上には、ミヤマクマザサの草原が広がる広大なエリアがあり、綱附森と呼ばれています。この山岳ルートを往来する人々にとって、土佐矢筈山から綱附森へと続く尾根筋は、なだらかな斜面が広々と続く地形であることから、古代の人々が生活や祭祀活動の場として利用した可能性も考えられます。また、綱附森から南方へ約2km進むと物部集落が点在します。そこから平家落人伝説が伝わる藤原八幡までは約2.5km、石戸神社までは約3kmという距離にあります。古代の人々の活動が伝えられる地域にも近いことから、綱附森周辺にも古代集落が存在した可能性も見えてきます。

④塔丸 (1713m)

剣山の北方に位置する塔丸は、極めて重要な位置にあります。瀬戸内方面から祖谷へ向かう旅人にとって、剣山の麓へ至るには、南方の天狗塚を通るよりも、東祖谷から奥祖谷を抜け、三嶺の麓から東方に向かう山道に入り、そこから塔丸を経由した方が、はるかに安全かつ短時間で目的地へ到達できたのです。塔丸から尾根道を東方へ約3.5km進むと夫婦池があり、その先には貞光川源流があります。この一帯は豊かな水源に恵まれているだけでなく、開けた緩やかな地形が随所に見られます。また、塔丸と東方の丸笹山を結ぶ尾根道は比較的傾斜が緩やかであり、起伏の少ない区間が多く存在します。

さらに注目すべきは、塔丸頂上から望むことのできる圧倒的な眺望です。まさにこの場所は、徳島山岳地帯を一望できる中心的な展望地と言っても過言ではありません。南には剣山の頂上から山麓までを見渡せるだけでなく、東には三嶺をはじめ、矢筈山、寒峰、天狗塚など、四国山地を代表する多くの山々が連なります。そして遠く南方には石立山まで見渡すことができます。このように広範囲を見渡せる塔丸の立地は、古代から人々にとって周囲の地形を把握するうえで重要な場所だったことでしょう。優れた眺望に加え、豊富な水源と比較的緩やかな斜面が広がっているだけに、塔丸周辺は、徳島山岳地帯の中核となる大切な場所であったと考えられます。こうした地理的条件を踏まえると、古代において塔丸周辺に集落が営まれ、活動拠点のひとつとなっていたことは、決して不自然な推測ではありません。

⑤矢筈山 (1848m)・落合峠 (1520m)

剣山の北方に広がる山岳地帯にも、ミヤマクマザサに覆われた広大なササ原が存在します。その代表的な山として挙げられるのが、三嶺の北側に位置する矢筈山です。東祖谷の落合峠から矢筈山の頂上に向かって山道を進むと、起伏の少ない尾根道にはミヤマクマザサとススキが広がり、その景観が目に入ってきます。そこから約3km弱進むと、次第にコメツツジの群生が見られるようになり、頂上も間近です。矢筈山の頂上周辺にも、ミヤマクマザサの群落が広がっています。頂上からは、尾根伝いに北方の石堂山へ向かう山道が存在し、その麓に建立された石堂神社を経由して、吉野川沿いの阿波半田方面へと下ることができます。こうした山道の繋がりを考えると、矢筈山は剣山北方の山岳地帯を往来する人々にとって重要な通過地点であったとも考えられます。

矢筈山への登山道にあたる落合峠の周辺にも、注目すべき特徴があります。山岳地帯でありながら見晴らしが非常に良く、南方に剣山連峰を望むことができます。また、東へは矢筈山、西へは烏帽子山と寒峰へと山道が延びています。それらの山々の中間に位置する峠として、落合峠は自然と人々が行き交う要所となったと考えられます。また、峠周辺一帯はミヤマクマザサに覆われ、起伏の緩やかな地形が広がっていることにも注目です。このように、往来しやすく、滞在にも適した地形条件を備えた場所であることから、古代には周辺の平坦地に集落が形成されていた可能性が見えてきます。

⑥丸笹山 (1711m)・赤帽子山 (1611m)

塔丸の東側は、夫婦池を越えると、丸笹山や赤帽子山へと続く尾根道に繋がっています。現在では、その登山道の入口付近、夫婦池のすぐそばに、「ラフォーレ剣山」と呼ばれるホテルが建てられています。この周辺は豊かな水源に恵まれているだけでなく、雄大な景色が広がり、山中で一定期間滞在するのに適した環境が整っています。古くから人々が山を行き交う際にも、水と開けた地形を備えたこの場所は、重要な役割を果たしていたと考えられます。夫婦池からさらに東方へ進むと、丸笹山と赤帽子山を繋ぐ尾根道が続きます。これらの山頂からは、いずれも剣山の雄大な姿を望むことができ、尾根道一帯にはミヤマクマザサの広大な草原が広がっています。また、山頂周辺は一般的な高山の険しいイメージとは異なり、なだらかな斜面が続くことも大きな特徴です。その先に広がる中尾山高原には現在グラススキー場が整備されており、この地域の緩やかな地形を活かした利用が行われています。

特筆すべきは、丸笹山の山頂近くに貞光川の源流があり、豊富な湧水が見られることです。標高の高い山頂付近でありながら、これほど豊かな水源に恵まれていることは、この地域を特徴づける大きな要素のひとつと言えます。赤帽子山から南東方向へ約2.5km進むと、そこには劒山本宮槇渕神社があります。さらに南方に約3km進んだ場所には、劒山本宮劔神社が鎮座しています。古くから、徳島山岳地帯を行き来した旅人の中には、劒山本宮を目指した人々も少なくなかったはずです。瀬戸内方面から劒山本宮へ向かう場合、塔丸から丸笹山、赤帽子山を経由する尾根道は、地形的にも有力なルートのひとつであったと考えられます。塔丸周辺は西方から東に向かって劔山本宮へと進む通路上に位置し、豊かな水源だけでなく、ササ原に覆われた尾根道沿いには起伏の少ない地形が続いています。こうした地理的特徴を踏まえると、この一帯は人々の移動や活動に適した条件を備えていたと考えられ、古代では人々が集落を営み、さまざまな活動を行っていた可能性が浮かび上がります。

⑦平和丸 (1700m)

天狗塚ほどの規模ではありませんが、天狗塚と剣山を結ぶ尾根道沿いの平坦地、平和丸にも注目です。標高1700mという高地でありながら、古代、徳島山岳地帯を東西に行き来する際に利用されたと考える尾根伝いには、平和丸と呼ばれるなだらかな斜面の広場が存在します。そこから約500m西方にある白髪避難小屋周辺にも広々とした平坦な土地が広がり、その先には白髪山が聳えています。南方の高知側から山を越えて、剣山方面へ向かった古代の旅人にとって、平和丸と白髪山の山麓はいずれも、剣山へ続く尾根道へ至る要衝に位置していました。

平和丸の南方約2kmには物部集落があり、今日でも周辺一帯には多くの「物部」の地名を残す集落が点在しています。古代、高知側から徳島山地や東方の徳島へ向かう旅人たちは、まず、物部集落周辺を経て白髪山の麓へと山道を進み、そこから尾根道をたどって平和丸を経由して、剣山方面へ向かったのではないでしょうか。また、平和丸から西方へ向かうと、「草原の山」とも呼ばれる綱附森(標高1643m)があり、ササ漕ぎを強いられるほどの広大なササ原が一帯を覆っています。このように、平和丸周辺が古代の山岳交通における重要な通過拠点であったことを踏まえると、広場のように開けたこれらの平坦地は、旅人が滞在する場所として利用されていたほか、古代に集落が営まれていた可能性を示すものと言えます。

⑧天神丸 (1631m)

徳島山岳地帯では、ミヤマクマザサがおよそ標高1600m付近から群生しています。その東端に位置する天神丸は、ちょうどその植生の境界にあり、剣山地とも呼ばれる山岳地帯の東方の入口にあたります。古代、四国東岸から徳島山岳地帯へ向かう経路の一つとして、鮎喰川を遡るルートがありました。旅人は吉野川の支流である鮎喰川に沿って上流へ進み、天神丸の麓へ至った後、そこから剣山を目指したと考えられます。周辺には豊かな水資源があり、山間部でありながら人々が生活や活動の拠点を設けるのに適した場所も少なくありません。

天神丸は剣山の頂上から約7km離れた場所に位置し、標高差も300m以上あります。しかし、その頂上からは剣山を一望できるため、四国東岸の吉野川流域から剣山を目指す旅人にとって、天神丸は山岳地帯へ東側から入る際の中継拠点となり、休息の場としても適した場所であったと考えられます。天神丸周辺は山岳地帯でありながら、平坦な場所が多く見られ、頂上付近もなだらかな斜面に囲まれています。このような開けた平坦地は、山岳地帯における生活に適した環境を備えており、古代において人々が居住し、集落を形成していた可能性も十分に考えられます。

⑨寒峰 (1604m)・鳥帽子山 (1670m)

徳島山岳地帯の北側から北西方向の境界に連なる山々が、寒峰と烏帽子山です。寒峰の中腹にはフクジュソウが群生し、ササ原が茂る頂上まで進むと、祖谷の山々を見渡すことができます。寒峰は、北は吉野川を経由して訪れる旅人が通る中津山、東は落合峠、矢筈山、石堂山、西は祖谷のかずら橋、南は落合集落へと繋がる、東西南北の交通路の結節点に位置しています。 寒峰が重要な場所として認識されてきたことは、この地域に語り継がれる平家落人伝説からもうかがえます。一説によると、壇ノ浦の戦いを逃れた安徳天皇は、平家一族に守られて四国へ渡り、吉野川を越えて寒峰付近まで至った後、祖谷地方へ落ち延びたと伝えられています。また、寒峰は瀬戸内方面から剣山に向かう山岳ルート上に位置していたとも考えられます。そうした地理的条件を踏まえると、山頂周辺に広がるミヤマクマザサの群生地も、寒峰がかつてどのような役割を果たしていたのかを考えるうえで、注目すべき景観のひとつといえるでしょう。

その寒峰から北西方向へ尾根伝いに続く烏帽子山の中腹には、特筆すべき広大でなだらかな平地が広がっています。標高は1600mに満たないため、ミヤマクマザサの群生は途切れますが、その平坦地の規模は徳島山岳地帯の中でも最大級の規模であり、豊かな水源に恵まれています。現在では樹木がまばらに広がる森林となっていますが、古代にはこの一帯が人々の生活や活動の場として利用されていた可能性があります。烏帽子山周辺は、徳島山岳地帯の北方の境界にあたり、北側からの玄関口としても位置づけられる場所です。落合峠へ向かう通過点であり、石堂山と寒峰の双方へ尾根伝いに通じる交通の要衝でもあることから、古代の集落形成を考察するうえで重要な拠点のひとつであったと推測されます。


⑩石立山 (1707m)

剣山の南側、徳島県と高知県の県境に位置し、徳島山岳地帯の最南端に聳え立つのが石立山です。標高約1700mの山頂一帯はミヤマクマザサに覆われ、高山の頂上とは思えないほど傾斜は緩やかです。石立山の頂上から北方を見渡すと、剣山地の雄大な山並みを一望することができます。なかでも剣山までの直線距離は約5kmと近く、丸石、次郎笈、槍戸山など、剣山へと連なる山々が眼前に広がる眺望は圧巻です。さらに北西方向には、四国山地を代表する三嶺や天狗塚、土佐矢筈山まで見渡すことができます。

特筆すべきは、石立山の麓近くを一級河川の物部川が東西に流れていることです。この流域には、古くから物部村の集落が形成されてきました。これは古代、土佐方面から剣山を目指した人々が、水源の豊かな石立山麓のエリアに集落を築き、そこを生活の拠点として徐々に活動の範囲を広げていったことを示唆しているようです。現在に至るまで「物部」という地名が多く残されていることからも、この地域一帯が人々の生活圏として利用されてきたことがうかがえます。そのような地理的条件を踏まえると、麓からほど近い石立山頂上の平坦な空間においても、古代には人々が立ち寄り、あるいは一定期間滞在する場所として利用され、祭祀や何らかの宗教的活動が行われていた可能性が考えられます。

画像ギャラリー: 剣山丸笹山 / 一の森 / 天神丸 / 赤帽子山・中尾山 / 次郎笈 塔丸 / 天狗塚 / 矢筈山 / 寒峰鳥帽子山 / 土佐矢筈山・小桧曽山 / 石立山 / 矢筈山・石堂山 / 一の森・槍戸山 / 白髪山・平和丸 /  祖谷川 / 貞光川 / 徳島山岳地帯の急斜面 

コメントする