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2025/06/06

不弥国の語源と卑奴母離の意味 魏志倭人伝の難解な名称は外来語か?

奴国の東方にある不弥国

対馬と同規模、1000戸余りの集落からなる不弥国は、その数字が示すとおり決して大きな集落ではなく、奴国の東方に位置した海岸沿いの小規模な古代集落です。今日では竹馬川の河口周辺が埋め立てられているため、かつての海岸線がわかりづらいですが、現地を確認すれば一目瞭然、地勢図や航空写真を見るだけでも鳶ヶ巣山と高蔵山の南側に干潟が広がっていた形跡が窺えます。その河口付近の北側にあたる山裾に発展した古代集落が、不弥国と呼ばれるようになったと考えられるのです。

では何故、その場所を不弥国と呼んだのでしょうか。中国史書に記載されている日本の地名は、末盧国投馬国のように、アイヌ語や時にはヘブライ語がその語源であると考えられるものが少なくありません。不弥国の名称についてもその例にもれず、アイヌ語で解釈することができます。

不弥国の意味をアイヌ語で検証

「不弥」という名称の読みから考察してみましょう。不弥国の「不」は中国語では「フ」「ブ」「プ」と発音します。また「弥」は中国語でも「ミ」と発音します。すると、「不弥」は元来、「フミ」「ブミ」「プミ」と読まれていたと考えられます。「弥」という漢字は、いよいよ、ますます、端から端にわたる、を意味する漢字であり、「不」と合わせて「不弥」としても意味を成しません。よって異なる言語の発音に「不弥」という漢字が当てられたと考えられます。

そこで「不弥」の語源はアイヌ語と仮定してみました。アイヌ語では川の「河口」を、putu「プトゥ」と表現します。実際の発音は「プッ」に近くなります。また「ミ」には「蔽いはる」という意味があり、草が蔽い茂ることを言い表す場合に用いられる言葉です。これら2つの言葉を合わせると「putumi」、発音は「プトゥミ」、もしくは「プッミ」となり、河口に草が蔽い茂ることを表現します。「不弥」をアイヌ語と解釈するならば、不弥国は「草が茂る河口の国」を意味することになります。

実際に不弥国の比定地と考えられる竹馬川の河口付近は、古代、大きなデルタが広がり、草が茂っていたと推定されます。よって「プトゥミ」「プッミ」と呼ぶことにより、「草が茂る河口」に象徴される不弥国の姿をありのままに伝えていたのではないでしょうか。

奴国から不弥国への想定渡航ルート
奴国から不弥国への想定渡航ルート

不弥国の語源はヘブライ語?

「不弥国」の「不弥」は、ヘブライ語で言葉の意味を理解することができます。הומי(fumi、フミ)は、「混雑している」「騒がしい」ことをヘブライ語で意味します。不弥国は大陸からの渡来者が北九州の北岸にある鐘崎・宗像に船で到来した後、陸路を辿って到達する東海岸沿いに位置しました。そこは瀬戸内から九州方面に向かう船に乗った旅人が寄港する場所でもありました。よって、不弥国は陸海路が交差する中心地点であり、日頃から混雑していたであろうと推測されます。それ故、ヘブライ語で「混雑」を意味する「フミ」の名称をもって、国の名が知られるようになったのかもしれません。

魏志倭人伝」などの史書に記されている日本の地名は、その地勢や土地柄を上手にアイヌ語で表現していると考えられる言葉が多く存在します。不弥国の解釈においても、アイヌ語における名称の意味が実際の地勢と一致するため、信憑性は高そうです。しかしながら、ヘブライ語の意味においても不弥国の実態に沿った表現であると考えられるのです。故に、どちらの解釈も語源の可能性を秘めていると言えそうです。

不弥国の統治責任者はユダヤ系の補佐官

「魏志倭人伝」には統治者の名称、肩書きがいくつも記載されています。不弥国の統治者においては、他の小国家に関する記述にも見られる卑奴母離(ひなもり)と呼ばれる次官の他、その上司として、多模(タモ)という名称が用いられた者もいます。これらの肩書きの多くは日本語では意味がわかりませんが、ヘブライ語で読むことにより、原語の意味を解明できる場合があります。不弥国の統治者である卑奴母離と多模も、例外ではありません。

卑奴母離は、教育官、もしくは民衆を指導する副官の意味を持つヘブライ語です。「彼は」を意味するהינה(hineh、ヒネ)に、「教官」「先生」を指すמוריה(moriah、モリア)を合わせると「ヒネモリ(ア)」となります。この言葉はヘブライ語で「ここに教官あり」「彼は先生」ということを意味します。

同様に「多模」(タモ)も、ヘブライ語から言葉の意味を汲みとることができます。「多」の日本語における音読みは「タ」ですが、中国語では、「デュ」(duo)、「ト」(to)、「ド」(do)と発音します。また、「模」の発音はどちらの言語でも「モ」です。それ故、「多模」の発音は、「タモ」「デュモ」「トモ」「ドモ」のいずれかであったと推測されます。

その発音の1つである「トモ」に類似したヘブライ語の言葉がתומך(tomekah、トメッ)です。実際の発音が「トモッ」にも聞こえるこの言葉には、徒党の一員、サポーター、提供者、つまり部族に属する補佐官としての意味があります。不弥国は1000戸と、大変小さな規模の港町であったことから、奴国のように兕馬觚(じまこ)と呼ばれる長官ではなく、単に行政をサポートする役目を授かった補佐官が「タモ」として知られていたのではないでしょうか。不弥国では、教育係の「ヒナモリ」と共に、補佐官の「タモ」が、民衆を導きながら国を取り仕切っていたことを、ヘブライ語の考察から理解することができます。

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