投馬国を統治した弥弥と弥弥那利
邪馬台国への途中に存在した投馬国は、「魏志倭人伝」によると、5万戸以上の家が並ぶ大きな古代都市でした。その数字からしても、倭国を代表する小国家の人口は20万とも30万とも言える数に膨れ上がっていたと考えられます。その大きな国を統治していたのが、弥弥と称された長官、及び弥弥那利と呼ばれた次官でした。
日本語では意味をなさない弥弥という名称ですが、ヘブライ語で読むと大切な意味が込められていることがわかります。 「弥」の発音は中国語では「ミ」であることから、弥弥の読みは「ミミ」となります。不可解な言葉ですが、ヘブライ語で読むことにより、その言葉のルーツと意味が浮かび上がってきます。
ヘブライ語で「ミミ」は「神の海」
ヘブライ語では、水をמים(mayim、マイム)と言います。この言葉に接尾語を加えてמימי(mimi、ミミ)とすると、海、大きな湖の意味になります。また、ヘブライ語のי(ヨッド)は神を意味する文字であり、水のמיםにי(ヨッド)を重ねることにより、「神の水」「神の海」を指す言葉として理解できます。
詩的で稀な使い方ですが、海岸沿いの広いエリアを統括する高官であったが故に、その立場を「広い海」「神の海」、すなわち海の守護神のような意味合いで「ミミ」と呼ぶようになったのではないでしょうか。そして「ミミ」の当て字となる漢字には、神を象徴する言葉である「ヤ」としても読める「弥」を用いたのです。よって「弥弥」とは単に海を象徴するだけでなく、神聖なる海を指し、その海に面する国を司る高官を弥弥(ミミ)と呼ぶようになったと推測されます。
巡礼の意味が込められた「ミミナリ」
「魏志倭人伝」には、弥弥の次官が弥弥那利(ミミナリ)と記載されています。那利(ナリ)は、ヘブライ語のנעלה(naaleh、ナーリ)が語源と考えられます。その言葉は「荘厳な」「高位の」を意味し、「上がる」「移動する」、そして「私たちは上ろう」の意味にも捉えるこができます。例えば宗教的な文脈では聖地エルサレムに巡礼する際、イスラエル人はנעלה ירושלם(ナリエルサレム)、「エルサレムに上ろう」という表現を使うことがあります。そこには巡礼のために上がるというニュアンスが込められています。
よって、「ミミナリ」は荘厳な海を指すだけでなく、その海に向かって進もう、という意味も込められているようです。また、国の高官である「ミミ」の副官として、高官に従い、その地位を敬うという意味においても、「ミミナリ」を構成するヘブライ語は、副官の背景に結び付く聖なる環境を象徴しているようです。
「ミミ」と「ミミナリ」のまとめ
投馬国の統治者は、長官が弥弥、次官が弥弥那利と呼ばれました。弥弥(ミミ)は聖なる海の管理者であり、神に仕える国のトップでした。その副高官である弥弥那利(ミミナリ)は、その聖なる海への巡礼を率先するかのごとく、民衆を導く責務を負っていたと推測されます。これらの名称はヘブライ語で読むことにより、本来の言葉の意味が浮かび上がってきます。
古代、邪馬台国が一世を風靡した時代においても、日本語のルーツには外来語が存在し、中でもヘブライ語が一役かっていたことがわかります。