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2026/02/02

元伊勢の歴史と繋がる邪馬台国 剣山に宝蔵された神宝と結びつく時代の節目

元伊勢御巡幸の主目的は神宝の護衛

元伊勢御巡幸は神宝を携えながら80余年にわたり、近畿地方を中心に本州の西方各地を旅する壮大な出来事です。御巡幸は当初、豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)によって導かれました。後半は倭姫命が先頭に立ち、一行と共に各地を巡り回ったのです。そして最終的に伊勢まで辿り着き、そこで天照大神が祀られて伊勢神宮の基となり、長旅は終焉します。今日、伊勢神宮に限らず、御巡幸地すべての存在も確認できることから、元伊勢御巡幸の歴史は事実と理解できます。

御巡幸の主目的は、国家の威厳を保つための神宝を外敵から守り、大切に保管することでした。大勢の渡来者が海を越えて倭国に流入する最中、奈良の三輪山周辺はほぼ無防備であったため、天皇の権威と国家の安泰を象徴する神宝を安全な場所に収蔵する必要に迫られていました。そのため御巡幸に携わった一行は、神宝を遷すに相応しい場所を、1世紀に渡る長旅を通して探し求めたのです。そして最終段にて伊勢に辿り着き、そこで天照大神を祀ります。しかしながら伊勢の地も外敵からの侵入に対しては防ぎようがないほど緩やかな丘陵の地にあり、長期間神宝を収蔵するには不適切だったのです。そのため、外敵からの略奪を受けることがない安全な秘蔵場所が必要不可欠でした。

元伊勢御巡幸地に結び付く剣山

倭国が外敵からの侵略の危機に直面していた古代、神宝を秘蔵する最も安全な場所として、徳島山岳地帯の中心に位置する剣山の山頂付近が見出されました。剣山は西日本で2番目に標高の高い山であり、徳島山岳地帯の最高峰です。しかもその頂上を、淡路島から望むことができます。それ故、淡路島から始まった国生みの時代から、地域の最高峰、かつ神が降臨する霊峰として剣山は注目されていたと考えられます。

元伊勢御巡幸の時代でも剣山は重要な基点となりました。剣山の周辺一帯は人里離れた山岳地帯であり、人が足を踏み入れることさえできないような断崖や絶壁に囲まれたエリアでした。よって、神宝を外敵から守り、収蔵するには絶好の場所と見込まれたはずです。そしてそこに神宝が秘蔵されているという伝承が卑弥呼の耳に入ったことから、邪馬台国の歴史が動き始めます。

神宝の秘蔵場所に剣山が関係していることは、邪馬台国が台頭する1~2世紀前に遂行された御巡幸の歴史から理解できます。奈良の三輪山から始まり、近畿地方を中心に各地を訪れる長旅において、神を祀るために訪れた場所はすべて、レイラインと呼ばれる仮想の線上にて、剣山と結び付いていたのです。これらの御巡幸地は、剣山を基点として、他の著名な神社や富士山、三輪山などの霊峰を結ぶ直線上に見出されています。それは、剣山が元伊勢の背景に潜む霊峰であり、御巡幸地との間には深い因果関係が存在したことを意味しています。

今日でも御巡幸地がすべて、剣山を基点とするレイラインによって結び付いている実態を地図上で確認できます。神宝を携えながら1世紀近く長旅を続けた行先が、剣山に繋がっていた背景には、大切な神宝の存在があったのではないでしょうか。つまり、元伊勢御巡幸の目的は神宝の秘蔵であり、その最終目的地が、後世の識者にもわかるように綿密に仕組まれていたことの証と考えられるのです。

剣山に宝蔵された神宝と邪馬台国の関係

元伊勢御巡幸は表立っては伊勢の地にて終焉していますが、実際の旅はさらに続き、遠方の四国まで神宝が運ばれたと推測されます。「倭姫命世記」には、御巡幸の一行が伊勢に到達した後、船団はさらに紀伊半島を南に進んだことが記録されています。それは船団が目指した場所が、さらに先に存在したことを示唆しています。実際、元伊勢の時代前後から、紀伊半島や徳島においては海洋豪族の船団が行き来し、水銀の元となる辰砂を掘削するために各地で拠点を設けています。和歌山県の丹生都比売神社の界隈などが、その一例です。

中でも最大の辰砂工場として知られる徳島の若杉山遺跡に注目です。そこから川の上流に向かうと、やがて剣山に到達するからです。しかも若杉山遺跡から掘削された辰砂や赤色顔料は、若杉山から川を下り、八倉比賣神社のある鮎喰川周辺へと運搬されていたことが、昨今の遺跡調査からわかってきました。元伊勢と若杉山遺跡、そして八倉比賣神社の繋がりが見えてくるだけでなく、その背後には剣山の存在があったのです。

元伊勢御巡幸はレイライン上で剣山に結び付いていました。そして長旅の終焉も、辰砂の発掘を経由して剣山に繋がっていたと考えられます。つまり、御巡幸を通して大切に守ろうとした神宝が剣山へ運ばれて祀られ、時代のステージは、邪馬台国へと移り変わっていくのです。御巡幸の秘められた最終目的地が剣山であるだけでなく、そこに神宝が密かに持ち運ばれたからこそ、その神宝の存在に目を留めた卑弥呼は、徳島の山岳地帯へと足を運んだと理解できるのです。元伊勢の歴史から邪馬台国の台頭が繋がります。

魏志倭人伝」には卑弥呼について、「鬼道に仕え、[その霊力で]能く人心を惑わしている...彼女を見た者は少ない」と記されています。霊能力に優れた卑弥呼は人里離れた山奥に籠り、そこで祈祷を捧げることを思い巡らしていたことでしょう。新しい国家の中核となる場所は、霊能力を発揮できる秘境の地でなくてはならず、それは山岳地帯でしか存在し得なかったのです。その場所が、元伊勢御巡幸の最終目的地となる剣山でした。

剣山は淡路島から眺めることができる最高峰です。しかも山岳地帯の奥地にあり、その頂上周辺に到達するには、1か月も歩かなければならなかったのです。それ故、神宝を秘蔵するには最適の場所でした。神宝を慕い求めていた卑弥呼だけに、その秘境の地についても知らなかったはずはありません。自らの拠点を剣山が聳え立つ山岳地帯に設け、そこで霊能力を極めたのです。やがて卑弥呼の存在は人々に知れ渡り、徳島の山岳地帯周辺に人々が訪れるようになり、集落が築かれていきます。そして瞬く間に卑弥呼は国家の元首として、大きな政治力を振るうようになります。

剣山と繋がる元伊勢御巡幸地のレイライン総合図
剣山と繋がる元伊勢御巡幸地のレイライン総合図

卑弥呼の野心と繋がる剣山の神宝

卑弥呼の優れた霊能力とカリスマは、たちまち庶民の心を掴んだことでしょう。山岳地帯の山奥に至るまでのルートはとてつもなく長く、行き来が厳しい道のりでした。それでも女王を慕う人々は山々を登って集まり始めます。そして山岳地帯の最高峰に向けて山道を見出しながら、剣山の周辺地域に集落を造成して住み着いたと推測されます。こうしていつしか剣山周辺にも高地性集落が造られ、地域一帯が発展する最中、やがて国家の様相を成すようになります。そして邪馬台国と呼ばれる国家権力となるまでに台頭したのです。

邪馬台国の歴史は短命にして終わりを遂げました。そして何故か、邪馬台国の集落があったと想定される平坦な土地や、人々が行き来した尾根伝いに火が入れられ、焼かれてしまったようです。そして今日、剣山を中心とする徳島の山岳地帯の山頂を中心とするエリアは、ミヤマクマザサが生い茂る広大なササ原となっています。邪馬台国の誕生と消滅は、元伊勢御巡幸に結び付く剣山と周辺の山岳地帯、そして卑弥呼の野心と霊力、すべてが燃え尽きた歴史的な出来事の結果だったのです。そして剣山の山頂周辺に秘蔵されたと考えられる神宝は、その行方がわからなくなってしまうのです。

画像ギャラリー: 剣山 / 剣山・次郎笈登山道 / 大神神社 / 富士山

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