元伊勢御巡幸の主目的は神宝の護衛
元伊勢御巡幸は神宝を携えながら80余年にわたり、近畿地方を中心に本州の西方各地を旅する壮大な出来事です。御巡幸は当初、豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)によって導かれました。そして後半は倭姫命が先頭に立ち、一行と共に各地を巡り回ったのです。今日、御巡幸地すべてが確認できることから、元伊勢御巡幸の歴史は事実と理解できます。
御巡幸の主目的は、国家の威厳を保つための神宝を外敵から守り、大切に保管することでした。大勢の渡来者が海を越えて倭国に流入する最中、奈良の三輪山周辺はほぼ無防備であったため、天皇の権威と国家の安泰を象徴する神宝を安全な場所に収蔵する必要に迫られていました。そのため御巡幸に携わった一行は、神宝を遷すに相応しい場所を、1世紀に渡る御巡幸という長旅を通して探し求めたのです。そして御巡幸の最終段にて伊勢に辿り着き、そこで天照大神を祀ります。しかしながら伊勢の地も外敵からの侵入に対しては防ぎようがないほど緩やかな丘陵の地にあり、長期間神宝を収蔵するには不適切だったのです。そのため、外敵からの略奪を受けることがない安全な秘蔵場所が必要不可欠でした。
元伊勢御巡幸地に結び付く剣山
倭国が外敵からの侵略の危機に直面していた古代、神宝を秘蔵する最も安全な場所として、徳島山岳地帯の中心に位置する剣山の山頂付近が見出されました。剣山は西日本で2番目に標高の高い山であり、徳島山岳地帯の最高峰です。しかもその頂上を、淡路島から望むことができます。それ故、淡路島から始まった国生みの時代から、地域の最高峰、かつ神が降臨する霊峰として剣山は注目されていたと考えられます。
元伊勢御巡幸の時代でも剣山は重要な基点となりました。剣山の周辺一帯は人里離れた山岳地帯であり、人が足を踏み入れることさえできないような断崖や絶壁に囲まれたエリアでした。よって、神宝を外敵から守り、収蔵するには絶好の場所と見込まれたはずです。そしてそこに神宝が秘蔵されているという伝承が卑弥呼の耳に入ったことから、邪馬台国の歴史が動き始めます。
神宝の秘蔵場所に剣山が関係していることは、邪馬台国が台頭する1~2世紀前に行われた元伊勢の御巡幸の歴史から理解できます。奈良の三輪山から始まり、近畿地方を中心とした御巡幸において、神を祀るために訪れた場所はすべて、レイラインと呼ばれる仮想の線上にて、剣山と結び付いていたのです。これらの御巡幸地は、剣山を基点として、他の著名な神社や富士山、三輪山などの霊峰を結ぶ直線上に見出されています。それは、剣山が元伊勢御巡幸の背景に潜む霊峰であり、御巡幸地と剣山の間には深い因果関係が存在したことを意味しています。元伊勢御巡幸により、大切な神宝が剣山に持ち運ばれた可能性があります。
今日でも御巡幸地の一つひとつが、剣山を基点とするレイラインによって結び付いている実態を地図上で確認できます。それは元伊勢御巡幸の目的は神宝の秘蔵であり、そのための秘められた目的地が、後世の識者にもわかるように綿密に仕組まれていたことの証とも言えるでしょう。元伊勢御巡幸は表立っては伊勢の地にて終焉していますが、実際の旅はさらに続き、遠方の四国まで神宝が運ばれたと推測されます。「倭姫命世記」には、御巡幸の一行が伊勢に到達した後、船団はさらに紀伊半島を南に進んだことが記録されています。それは船団が目指した場所が、さらに先に存在したことを示唆しています。そして元伊勢御巡幸が終焉した直後、時代のステージは邪馬台国へと移り変わります。
剣山に宝蔵された神宝と邪馬台国の関係
邪馬台国が剣山を中心とする徳島の山岳地帯にあったと考えられる理由のひとつに、伊勢の御巡幸の歴史と標高1,955mを誇る剣山が結び付いていることが挙げられます。御巡幸の秘められた最終目的地が剣山であるだけでなく、そこに神宝が密かに持ち運ばれ、頂上周辺にて秘蔵された可能性が見えてくるのです。そして直後の時代、神宝の存在に目を留めた卑弥呼の存在があったからこそ、剣山を周辺とする徳島の山岳地帯に邪馬台国が台頭する歴史に繋がります。
「魏志倭人伝」には卑弥呼について、「鬼道に仕え、[その霊力で]能く人心を惑わしている...彼女を見た者は少ない」と記されています。霊能力に優れた卑弥呼は人里離れた山奥に籠り、そこで祈祷を捧げることを思い巡らしていたことでしょう。邪馬台国とは、霊能力を発揮できる場所でなくてはならず、それは高山の山奥にしか存在し得なかったのです。その場所が、元伊勢の御巡幸により神宝が秘蔵されたと考えられる剣山でした。その山は淡路島から眺めることができる最高峰でした。それ故、神憑りの女王が君臨する場所として、神宝が秘蔵されている霊峰と伝えられていた剣山に至り、その山岳地帯に籠るのは自然の流れでした。そして卑弥呼は自らの拠点を剣山の山頂近くに開拓し、国家の元首として大きな政治力を振るうようになったのです。

卑弥呼の野心と繋がる剣山の神宝
卑弥呼の優れた霊能力とカリスマは、瞬く間に庶民の心を惹きつけたことでしょう。山岳地帯の山奥に至るまでのルートはとてつもなく長く、行き来が厳しい道のりでした。それでも女王を慕う人々は山々を登って集まり始めます。そして山岳地帯の最高峰に向けて山道を見出しながら、剣山の周辺地域に集落を造成して住み着いたと推測されます。こうしていつしか剣山周辺にも高地性集落が造られ、地域一帯が発展する最中、やがて国家の様相を成すようになります。そして邪馬台国と呼ばれる国家権力となるまでに台頭したのです。
邪馬台国の歴史は短命にして終わりを遂げました。そして何故か、邪馬台国の集落があったと想定される平坦な土地や、人々が行き来した尾根伝いに火が入れられ、焼かれてしまったようです。そして今日、剣山を中心とする徳島の山岳地帯の山頂を中心とするエリアは、ミヤマクマザサが生い茂る広大なササ原となっています。邪馬台国の誕生と消滅は、元伊勢御巡幸に結び付く剣山と周辺の山岳地帯、そして卑弥呼の野心と霊力、すべてが燃え尽きた歴史的な出来事の結果だったのです。そして剣山の山頂周辺に秘蔵されたと考えられる神宝は、その行方がわからなくなってしまうのです。





