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2025/12/31

邪馬台国の成り立ちと結末 徳島の山岳地帯に山上国家が誕生した背景と行く末

建国の神々とは西アジアからの渡来者

遠く西アジアのイスラエルから国家を失った渡来者が船に乗って日本列島を訪れ、各地に集落を造り始めたのは紀元前7世紀以降のことです。それから邪馬台国が台頭するまで700年前後の月日が経つことになります。その間、日本という新天地において神に出会うために高い山を求めた渡来者の群れは、国生みの基点となる淡路島から確認できる最高峰を目指したと考えられます。そしてまず、瀬戸内から見える山々を中心に高地性集落を造っていくことになります。

前人未到の高山において集落を形成するのに長い年月を要することは言うまでもありません。それでも少数民族である渡来者らは山を切り崩しながら、山々の中でも特に淡路島に近い四国の徳島を中心に土地を開発していったのです。何故なら、地域の最高峰が剣山であり、その頂上を淡路島から望むことができるからです。こうして剣山を中心とする徳島の山岳地帯は、神を崇拝する場所として古くから定められることになります。そして最も高い山に神が降臨するという信仰に基づき、高地性集落は徐々に剣山へと近づきつつ造成されていったと想定されます。その結果、古代の民は頻繁に徳島山岳地帯の山々に登り、その山麓周辺に集落を築きあげたのです。

剣山を周辺とする徳島山岳地帯へのルート

剣山へ登頂するには複数のルートがありますが、いずれも山岳地帯に入ると大変厳しい山の斜面や絶壁に遭遇します。例えば、瀬戸内の海岸に面する今日の丸亀市や東かがわから山々を越えながら南方向へと向かい、吉野川など多くの河川を船で渡った後、剣山山頂までの長く厳しい山道を歩くルートが存在します。また、南方の海陽町から海部川沿いを上流に向かって進み、剣山方面へと進むルートもあります。そして南西方面は、高知から剣山に向けて物部川沿いを船に乗って進み、途中から山道を歩くルートも存在します。物部川の河川沿いの上流には古代、物部氏がいくつもの集落を造成しています。

剣山周辺へ向かう際に一番用いられたのは、瀬戸内海の讃岐平野から徳島方面まで船で南下して吉野川河口に繋がる鮎喰川流域を上り、その上流から徒歩で神山町を経由し、剣山の山頂周辺まで登るルートです。何故なら、このルートの山道が一番安全で、かつ早く、剣山に到達できるからです。そしていつしか剣山周辺には高地性集落が造られていき、邪馬台国の時代では7万戸とも記録されるほどの大きな国家の礎となったのです。それは西アジアからの渡来者が、700年もの年月をかけて、日本列島の四国徳島に集落を造成し続けた証とも言えます。

剣山山頂へ旅する古代の最短ルート
剣山山頂へ旅する古代の最短ルート

卑弥呼をリーダーとする国家の誕生

卑弥呼を女王とする邪馬台国は、短い期間ではありますが、四国に存在したことでしょう。しかし、それは単に西アジアからの移民の歴史が最も古い四国で、高地性集落が何世紀もかけて拡大した延長線に、霊能者として長けていた卑弥呼が登場し、山上にてその鬼才を発揮したに過ぎません。その当時、実際には奈良、桜井周辺においては大和の国の土台も着々と構築され、人口も増加した時であり、九州北部においても大勢の渡来者が朝鮮半島から訪れ、新しい文化の流入が加速していました。

紀元2世紀後半、徳島の山岳地帯に邪馬台国が産声をあげました。人里離れた地域の山奥に籠り、長年にわたり祈り求めた卑弥呼は霊能力に優れていました。そしていつしか鬼才を発揮し、大きな政治力を振るうまでになったのです。魏志倭人伝には卑弥呼について、「鬼道に仕え、[その霊力で]能く人心を惑わしている...彼女を見た者は少ない」と記されているとおりです。卑弥呼の拠点となった邪馬台国とは、霊能力を発揮できる場所であり、それは山奥にしか存在し得なかったのです。その山奥とは、徳島の山岳地帯、剣山の頂上周辺の地域であったと考えられます。

古代、イスラエルの偉大な預言者らも、モーセを筆頭に皆、山に籠り、神と出会い、霊能力を磨いたものでした。卑弥呼も同じ道を歩み、山上にて神に祈り求めました。その結果、時は満ちて高地性集落が急速に発展し始め、常識では考えられないような国家の様相を呈していくのです。やがて時代の流れとともに卑弥呼が国家のリーダーとして台頭する時代が訪れ、邪馬台国へと発展したのです。

邪馬台国の意外な結末

日本の古代史において、海外にまでその名声を広めた邪馬台国でしたが、その歴史は意外な結末を迎えることになります。古代の渡来者が精魂込めて開拓した山奥の集落は、何故か再び人間の手によって焼かれてしまいまい、その結果、邪馬台国の存在は跡形もなく歴史に封じ込められてしまうことになります。今日、徳島の山岳地帯周辺の広大なササ原に包まれた山々に、その壮絶な歴史の面影をかろうじて垣間見ることができます。

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