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秘宝が埋蔵された状況証拠

「終わりの日に、主の神殿の山は山々の頭として硬く立ち、どの峰よりも高くそびえる」という記述が旧約聖書のイザヤ書にあります。淡路島や四国切幡寺の高台より遠くに望める剣山はこの聖書の言葉にふさわしく、その頂上はほかの山々の峰より高く聳え立っています。古代日本にて、イザヤに導かれたイスラエルからの渡来者が日本を訪れたとするならば、イザヤ書の教えに従って標高の高い神の山を求め、そこを聖地としたに違いありません。先行して列島を訪れたイスラエルの民は、史書の記述をみると、列島の中心となる基点を淡路島と定め、そこを国生みの原点としたようです。そしてそこから周辺の島々をくまなく舟で巡り渡り、一連の「国生み」とよばれる島探しとその命名というタスクの中で、列島の島々を特定していくことになります。


その起点となる淡路島から目にすることができる一番高い山が、四国の剣山です。しかもその光景は、「主の神殿の山は山々の頭として硬く立ち」というイザヤ書に記載されているとおり、多くの山々の頂を遠くに眺める中で、剣山の頭がひとつ抜きんでているのです。古代イスラエルの渡来者の目には、この剣山が聖なる山として映ったに違いなく、島のおよそ中心に位置し、そこに到達するためには極めて困難な山道を通らなければならないことからしても、まさに聖なる神殿を築き上げるに最もふさわしい山であると考えたのではないでしょうか。


剣山頂上の剣神社、御塔石の根本より湧き出る御神水
剣山頂上の剣神社、御塔石の根本より湧き出る御神水
霊山として名高い剣山のある四国では、古来より剣山にまつわるさまざまな伝承が残されてきています。中でも剣山にはイスラエルの「契約の箱」と、それに纏わる神宝が埋められているのではないかという噂は根強く地元で語り継がれてきており、今日、役場で管理されている観光案内のパンフレットにも、それらの伝承についての記述が見られます。そこで、神宝の噂について、これまで囁かれてきた内容を簡単にまとめてみました。
  まず、四国の祖谷周辺にある地元の地域では、昔から安徳天皇の剣が隠されているという言い伝えがあり、またソロモン王の秘宝が剣山に埋蔵されているという伝説にも注目です。火のない所に煙はたたずということからしても、何か、出所となる要因がありそうです。剣山は山岳信仰の霊場として名高いですが、つい昭和の初めまでは、女性が近づくことさえ許されない女人禁制の霊山だったのです。また、剣山周辺にはイスラエルの民が居住していたと考えられる根拠がいろいろ存在します。例えば剣山周辺に古くから伝承されてきた言葉の中には、ヘブライ語で理解できるものが含まれていることや、例年7月に行われる剣山祭りで、契約の箱に酷似している神輿をかつぎながら剣山頂上まで登る風習は、イスラエル文化の名残ではないかと考えられます。

また、四国の高地には貯水池と思われる水源が多数に存在し、剣山周辺も例外ではありません。山の頂上周辺から麓に至るまで、随所に水が湧き出ていることからしても、水源に恵まれていることは一目瞭然です。そして中には人工池も多く含まれていると考えられます。 これほどまでに十分な量の水源を確保していた理由は、古来、山々の上には大勢の人が居住するような集落があったからではないでしょうか。そして祭壇や神殿の周辺にはさまざまな清めの儀式を執り行うために十分な水を供給する必要があり、色々な工夫が施されて水源が要所に確保されたと考えられます。その結果、剣山周辺には水源が確保され、その結果、今日でも山の随所から常に水が流れ出ており、豊富な水量が貯蔵されていることが伺えます。

実際、四国や山陰、山陽地方などには高地性集落が広範囲に存在していたことが知られています。特に剣山の周辺では、西側には祖谷、奥祖谷から、その東北側は木屋平から焼山寺周辺の神山に至るまで広範囲に高地性集落が存在していたとみられます。それらの集落では高き所で祭壇をつくり、神を崇め奉るという風習が遠い昔からあったと推定されるだけに、近くに聳え立つ最高峰の標高を誇る剣山とも関わりがあったに違いありません。


剣山の山の背
剣山の山の背
また、剣山そばの奥祖谷周辺の山々には、明治時代まで大規模な牧場が山の高台に存在していました。その後、牧場を管理する若手の人々が都市部へ流出し、働き手が不足して経営が成り立たなくなったことから衰退を続け、最終的にはそれらの牧場の跡地に国の政策により、杉の植林が盛んに行われるようになったのです。そして瞬く間に、多くの古代集落や牧場の跡地に杉の木が育ちはじめ、いつしか牧場の姿は、跡形もなく消え去っていきました。これらの消滅した牧場の背景には、高地性集落が存在していたはずです。何故なら、高地性集落は遊牧民族の名残でもあり、元来、アジア大陸より訪れた渡来人によって構築されてきたと考えられるからです。これらのことから、四国では杉植林の場所を見極めることにより、牧場や高地性集落が存在していた可能性のある場所を知ることができます。そして杉植林は剣山を中心に、その西側は三好市から美馬郡、そして東側は焼山寺そばの神山から勝浦郡に及ぶまで広範囲に広がっていたのです。

また、剣山は人工の山であるという学説が存在することも注目に値します。昭和初期には、剣山の研究でも著名な四国剣山顕彰会の故高根正教氏により、剣山において発掘作業が行われました。高根氏の証言によると、当時、地下147メートルまで発掘作業を行い、そこから発掘された岩石の詳細を研究することにより、剣山の頂上は「徹頭徹尾、人工の確証であった」という結論が発表されています。また剣山の頂上は馬の背のような平らな草原となっており、その地形や頂上周辺に生えている植物の種類を見ても、標高1900メートルの山の頂上に自然に芽生えたものとは考えづらいのです。頂上に豊富な水源があることからしても、剣山の山頂は人口ではないかと推測は、検証の余地が残されています。

最後に決め手となるのが、剣山の秘密について言及したと考えられる「かごめかごめ」の歌詞です。古来より歌われてきた内容をその発音どおりにヘブライ語によって解釈すると、日本語ではおよそ不可解な歌詞さえも意味が明確になり、歌詞全体の主旨がわかります。「かごめかごめ」の歌詞は、「お守り」と呼ばれた神の秘宝について歌っていたのです。その宝物はいつしかすり替えられ、人気のない寂しい場所にて水が引かれ、その山に埋蔵されたことが伺えます。歌に登場する「鶴と亀」こそ、「鶴亀山(つるきさん)」とも表記される剣山の象徴である可能性もあり、実際、山の頂上近辺には、自然石で造られた鶴と亀のオブジェが置かれています。もし「かごめかごめ」が剣山に絡んで歌われているとするならば、神宝、もしくはそのレプリカともいえる偽物のどちらが剣山に埋蔵されているか、歌詞からははっきりとは理解することができません。しかし後述するように、渡来者の歴史と神宝に関する史書の記述や、歌の文脈を見る限り、おそらく真の神宝は剣山より取り出され、別の場所に隠蔽されることになったのではないかと解釈できます。

日本語とヘブライ語をブレンドして編み出された「かごめかごめ」の作者は、その内容と時代背景から察するに、空海の可能性が高いと考えられます。2つの言語を見事に絡めながら、誰の心にも残る日本の童謡として庶民に定着させ、しかもその内容はヘブライ語においてはイスラエルの神宝について語っている、というような神業的な作詞ができる能力を持つ人間は、空海以外には考えられないでしょう。また、空海の出身地は四国の讃岐であり、その故郷の地から剣山が見えたことからしても、剣山は空海の心に残る聖地であったに違いありません。しかも空海自身は潅漑事業の名人であり、山上にでさえも水を引くノウハウを持っていました。そしてその剣山に古くから神宝が隠されていたことを確認した空海は、剣山を囲むように行脚する遍路を定め、とおりすがりに礼拝所としての札所を選別し、その数を神隠しの象徴である数字の八十八としたのです。そしていつしか大勢の人々が仏の境地に少しでも近づこうと、剣山を中心とする遍路を空海の教えに従って巡り歩きながら、心を清められる想いに浸ったのです。はたして剣山に神宝が今でも埋蔵されているかは、今後、明らかにされることになるでしょう。