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2021/05/27

「かごめかごめ」の意味とは! ヘブライ語で解読する「カゴメの歌」のメッセージ

「かごめかごめ」の由来

「かごめ」の語源

日本では多くの童謡が古くから庶民の間で広まり、親しまれています。それらのわらべうたの中には、意味が不可解な歌詞も含まれており、それでも人々から親しまれてきた歌もあります。中でも、最も不可解な歌詞を有するのが、「カゴメの歌」もしくは「かごめかごめ」と呼ばれる歌です。このわらべうたに纏わる逸話は枚挙に暇がなく、テレビなどでもその不思議な言葉の背景や意味、歌の主旨などが、話題として取り上げられています。

子供の頃、「かごめかごめ」と手をつないで歌いながら、目を塞いでしゃがんでいる友達の周りを歩きまわり、最後に「後ろの正面、だーれ?」と歌って、後ろにいる人の名前を言い当てる遊びをしたことを覚えているでしょうか。鬼に選ばれた友達を囲むというこの遊びから、「カゴメ」の語源は、「囲む」ではないかという説も生まれました。「囲む」の命令形にあたる「かこめ」は中世の時代、「かごむ」と濁音を入れて記載されることもあったことから、後に「カゴメ」と発音されるようになったとも考えられています。

不可解な「かごめかごめ」の歌詞

一見、ごもっともな説明に聞こえますが、「かごめかごめ」の歌詞全体を見ると、そこにはさらに、誰が歌っても首をかしげるような言葉が含まれています。「夜明けの晩」「鶴と亀」「後ろの正面」など、奇妙な表現ではないでしょうか。わらべうたとして口ずさむ歌詞として到底納得できるような内容ではなく、子供達に伝えたいような大切な意味が込められているようにも思えません。

それでも、「かごめかごめ」のわらべうたは何故かしら、古くから歌われ続けてきたのです。そして歌詞の意味が不透明であるにも関わらず、「かごめかごめ」は昔から日本の学校教育に取り入れられ、大勢の人に親しまれてきました。このように不可解な歌詞のわらべうたが、長い歴史の中で何ら問題視されずに教育の現場でも歌われ続けてきたことに、驚きを隠せません。

カゴメ印の由来

その謎を紐解くために、まず、カゴメ印の由来を理解することが重要です。「カゴメ」とは漢字で「籠目」とも書き、その言葉から三角形を二重に重ねた形をしたカゴメ印を想像する方も少なくありません。

カゴメ株式会社の商標
カゴメ株式会社の商標
カゴメ印の由来には定説はなく、一説には竹で編んだ籠に見られる格子状の籠目の形や、六角形をした亀(カメ) の甲羅模様から、これらが原型となり、最終的に六芒星の形になったのではないかと言われています。そしてカゴメ印は江戸時代、籠目紋として家紋にも使われるようになります。さらに大正時代では、ケチャップで有名なカゴメ株式会社の商標としても登録され、カゴメ印の形状は大衆に広く知れ渡ることとなりました。

イスラエル国旗に含まれるダビデの星
イスラエル国旗に含まれるダビデの星
一方、カゴメ印とイスラエルを関連付けた話題にも注視する必要があります。イスラエル国旗に描かれているダビデの紋は、カゴメ印と同じ三角形を二重に重ねた六芒星です。この特異な形状は「ダビデの紋」「ダビデの星」とも言われています。形状が全く同じことから、カゴメ印のルーツはイスラエルではないか、という説を支持する人も少なくないようです。

「籠の中の鳥」はイスラエルがルーツ?

カゴメ印がイスラエルのダビデの星と同じであることから、いつしか「かごめかごめ」の歌詞にある「籠の中の鳥」という表現は、モーセの時代に作られた「契約の箱」、聖櫃を意味しているという説も囁かれるようになりました。旧約聖書には、その箱の中に神の息吹によって刻まれた聖なる十戒の板が保管され、箱の上部にはケルビムと呼ばれる2羽の金の鳥が向かい合って添えられ、聖なる箱を守護する役目を果たしていたことが記載されています。

「かごめかごめ」では、「かごめ」と繰り返した後、「籠の中の鳥」が「いついつ出会う」と歌います。この言葉からも2羽の鳥の存在が浮かび上がり、また「籠の中」という表現からは、何かが囲まれ、封じ込められているような気配を察することができます。この2羽の鳥は、契約の箱の上に飾られた守護神の鳥、2羽のケルビムを指しているのでしょうか。

ところが、これだけカゴメ印とダビデの紋との共通点が指摘され、「契約の箱」と「籠の中の鳥」の関連説が囁かれてきたにも関わらず、そのカゴメ印のわらべうたとなる「かごめかごめ」の歌詞がヘブライ語で書かれているということについて、これまで多くは語られてきませんでした。もし、カゴメ印のルーツがダビデの紋にあるならば、そして「籠の中の鳥」がイスラエルの「契約の箱」の上に飾られた金の鶏と結び付いていたとするならば、「かごめかごめ」の歌詞が、イスラエルの国語であるヘブライ語で書かれていたと考えても何ら不思議はありません。

ヘブライ語で読み解く「かごめかごめ」の歌詞

「かごめかごめ」はヘブライ語で読めるか?

果たして、「かごめかごめ」はヘブライ語で読むことができるのでしょうか?そこには、日本語とは異なる意味が、原語に含まれているのでしょうか。日本語と思っていた歌詞が、実はヘブライ語であった、ということなどあり得るのでしょうか。

そこでまず、ヘブライ語の辞書を片手に、「かごめかごめ」に含まれる日本語の発音に類似したヘブライ語の存在を確かめてみました。そして歌詞全体を通してヘブライ語で読めるだけでなく、前後の言葉の繋がりから、意味のある文脈を見出すことができるかを検証してみました。すると、「かごめかごめ」の歌詞に含まれるヘブライ語は、「かごめ」という言葉だけにとどまらず、一貫してヘブライ語で読むことができることが判明したのです。

これまで日本語の歌として考えられていた「かごめかごめ」の歌詞は、実はヘブライ語でも読むことができます。しかもヘブライ語の意味には、当時の緊迫した状況を垣間見ることができるような内容が込められており、「かごめかごめ」の歌詞を通じて何か大切なことを訴えているように読み取れるのです。その衝撃のメッセージを解読していきましょう。

「カゴメ」とは「囲む」のヘブライ語

まず、「かごめ」という言葉に注目です。「かごめ」の「かご」は、「ベルトをする」、「囲む」、を意味するחגור(khagor、カゴー) というヘブライ語が語源と考えられます。そこに接尾語として「誰」、「何」を意味するמי(mi、ミー) を付けて合わせた言葉がחגור מי(khagormi、カゴーミー) です。その発音は「かごめ」と極めて類似した響きをもつ言葉になります。

もし、ヘブライ語の「カゴーミー」が多少訛って「かごめ」になったと仮定するならば、その言葉の意味はヘブライ語で、「何を囲む?」、「誰を取り囲む?」と解釈できます。つまり、「カゴメ」という言葉には何か大切なものを確保し、それを取り囲んで守ったり、ベルトを締めたりするようなことに関連するメッセージが含まれていることになります。

かごめかごめの遊戯
かごめかごめの遊戯
昔から子供達が「かごめかごめ」を歌う時、みんなで手をつないで輪になったのも、もしかして、大切な何かを「囲む」という意識が芽生えていた結果なのでしょうか。遊戯の要点は、目隠しされた鬼を子供たちが「囲み」、鬼の背後にいる友達が誰であるかを言い当てることです。それ故、「カゴメ」という言葉に込められた、大切なものを囲み、それをみんなで守るというヘブライ語での意味が、いつしか遊戯の中に象徴されるようになったのかもしれません。

「かごめかごめ」遊戯のもうひとつの大切なポイントは、囲まれている鬼の姿です。目隠しされて目が見えなくなってしまう鬼とは、囲まれて守られている中心的な存在が、いつの間にか人の目から隠されてしまうことを象徴しているとも考えられます。鬼は神仏に関わる存在ですから、鬼が目隠しされる姿とは、神格化された大切なものが隠されてしまうという、一種の神隠しのような状態を表現していたのでしょうか。「カゴメ」はヘブライ語で「何を囲むのか」という意味であるという前提で考えると、この目隠しの遊びの背景には、何か大切なものが囲まれて隠されるという状況が想定されていたのかもしれません。

「籠の鳥」は封じられた神宝か!

古代社会において最も大切なものが、神宝でした。日本の歴史においても三種の神器に代表される神宝は、歴史の流れに多大なる影響を与えたほど重要な位置を占めています。よって「かごめかごめ」の歌の背景に神宝の存在があったとしても、決して不思議ではありません。一歩踏み込んで、「かごめ」の後に続く歌詞をヘブライ語で読み続けると、そこには思いもよらぬメッセージが込められていたことに気付かされます。

まず、「籠の中の」は、「かご・の・なか・の」という4つのヘブライ語により形成された言葉と考えられます。「かごの」は、前述のとおり「囲む」、「取り囲む」を意味するחגור(khagor、カゴー) に、願いや嘆願の気持ちを込めたנא(na、ナ) 、「お願いします!」という言葉を合わせたחגור נא(khagorna、カゴ-ナ) というヘブライ語です。それは、「囲ってください」、「取り囲んでください」と願い求める言葉になります。何かを封じ、ガードするような意味にも捉えることができます。いずれにしても、大切なものを必死に守ることを意味する言葉のようです。

次に「なかの」をヘブライ語で読んでみます。「なかの」の「なか」は、「休む」、「安らぐ」を意味するנח(nakh、ナカ) です。そこに願いの思いを込めた、「な」נא(na、ナ) を付け加えると、נח נא(nakana、ナカナ) となります。その意味は、「休んでください!」、「安らぎを!」となります。

「籠の中の」は、ヘブライ語で「カゴーナ」と「ナカナ」を合わせた言葉です。「カゴーナ・ナカナ」は多少訛るだけで「かごのなかの」と聞こえます。それは「取り囲んで休んでください!」、すなわち、「しっかりとガードして安置せよ!」という意味になります。これはまさに、大切なものを守護するため、それを囲んで封じ、どこかに安置して秘蔵することを示唆する言葉ではないでしょうか。

神宝を取り出して安置せよ!

続く「鳥は」は、「取り外せ!」の意味を持つתוריד(torid、トリー) という言葉と、「そして」を意味する接続詞のו(va、ヴァ) を合わせたヘブライ語が語源であると考えられます。「トリー」は強い命令形の言葉であり、何か高い所にあるものを外す、あるいは下ろす、という意味合いを含むことから、上の方から「取り外せ!」、「下ろせ!」と理解することができます。

すると「籠の中の鳥は」はヘブライ語で読むと、「かごーな・なかな・とりー」、となり、その意味も明確に浮かび上がってきます。それは、「取り囲んで安置する物を取り出せ!」、という命令文だったのです。言い換えれば、「封じて守るものを取り出せ!」という意味になります。また、囲んで封じられる物は高い位置から取り外す、というような意味の言葉であることから、その大切なものは、人の手には簡単に届かないような高い場所にあったかもしれません。

それ故、もし守護されている物、その対象物が神宝と想定するならば、それが秘蔵されていた場所は、山上のような標高の高い場所にあったとも考えられます。大切な神宝が人目のつかぬ山奥に安置され、その場所が長らく守られてきたからこそ、「取ってきて下ろせ」、「取り出せ!」、「取り外せ!」という言葉が「かごめかごめ」の歌詞として使われた可能性が浮かび上がってきます。

聖なる神宝を誰が、どこに移動するのか?

子供たちが遊ぶ「かごめかごめ」の遊戯の中で、友達に囲まれている鬼とは、誰も触れることができない神宝の象徴とも考えられます。そのような聖なる宝ものをみんなで取り囲み、大切に守ろうとする想いが「かごめかごめ」の歌には込められているようです。そして時がくると、その神聖なものに直接触れて取り出さなければならなかったのでしょうか。しかしながら神宝は聖なるものだけに、それに関わるということは、時には恐ろしい結末も覚悟しなければならないのでしょうか。

しかしながら、そこにはひとつの重大な問題が存在しました。それは、聖なるご神体とも言える神宝に一体誰が、触れるのかということです。ご神体に触れることは危険極まりなく、神宝に不用意に触ろうとした人は神の怒りに触れ、死去したことさえ旧約聖書に記載されています。いったい誰が、その神宝を取り出すことができるのでしょうか。しかも、その場所はどこにあるのでしょうか。囲まれているという主旨の歌詞からしても、人の目につかない、わかりづらい場所にあったことが想定されます。

聖なる神宝を取り出して新しい聖地に遷すことを決行しなければならなかったのは、政変や疫病の流行に伴う治安の悪化などの国家緊急事態が、その背景にあったと推測されます。それ故、どうしても既存の場所から神宝を取り出し、安全な場所に移動する必要性に迫られていたことが、「かごめかごめ」の歌詞から読み取れます。もしかすると、その場所は人目につかない高く、囲まれた場所であることから、標高の高い霊山を指していたのかもしれません。いよいよ「かごめかごめ」の真相が解明される時がきました。

「かごめかごめ」は本当に怖い歌か?

恐ろしい火の裁きを物語る「いついつ」

「かごめかごめ」の歌には、これまで怖いエピソードの噂話がつきものでした。何かしら恐ろしい事件が背後にあるような言い伝えが後を絶たず、様々な「怖い話」が囁かれてきました。実は、これらの「恐ろしい話」が根も葉もない訳ではなく、「かごめかごめ」の歌詞をヘブライ語で読むと、そこには確かに恐ろしいエピソードが繰り広げられていたのです。

「かごめかごめ」の真相を解明するキーワードが、歌詞の中に含まれている、「いついつ」という言葉です。「いついつ」という言葉はヘブライ語で、「火を付ける」を意味するהצית(hitsit、ヒィツィ) が語源です。それを繰り返し語ることによって、燃やして焼き尽くさなければならなかったことが強調されています。つまり、「ヒィツィ・ヒィツィ」、「いついつ」とは、「火を付けろ、焼き尽くせ!」という衝撃の命令言葉だったのです。これは火による神の裁きを象徴する表現としても理解することができます。神宝が大切に囲まれ、収蔵されていた場所を標高の高い山と想定するならば、とてつもない放火事件、すなわち大規模な山火事が起きたとも想定できます。

しかし、何故そのような「火」による裁きが、大切に守られるべき神宝と関係があるのでしょうか。その緊迫した状況が、「籠の中の鳥はいついつ」の後に続く歌詞の中で言及されています。そこには裁きの深刻さと国家の緊急事態について、さらに説明が書き加えられていたのです。

「出会う夜明け」に神の社が燃えあがる!

「いついつ」の後に続く歌詞は、「であう・よ・あけ」です。まず、「であう」はヘブライ語で、収納庫、容器、家を意味するדיור(diyur、ディユゥー) です。「ディユゥー」の発音は、日本語の「出会う」と類似しているだけでなく、その意味は収納庫、もしくは箱であることにも注目です。その言葉に神を意味する「や」יה(ya、ヤ) 、または「よ」を加えて「ディユゥー・ヤ―」とすると、「神の箱」「神の社」の意味になります。続く「あけ」は、עקר(akar、アカー) というヘブライ語で、「根絶する」、「取り除く」を意味する言葉です。

すると、「であうよあけ」とはヘブライ語で、「神の箱を根絶する」、「神の社を取り除く」ことを意味することになります。何という恐ろしい言葉ではないでしょうか。つまり、火を付けて燃やし尽くす対象が、神の社や神の箱だったのです。「ヒィツィ・ヒィツィ・ディユゥー・ヤ・アカー」というヘブライ語は、「火をつけろ、燃やせ、神の社を根絶せよ!」という裁きの言葉であったことがわかります。

大切な宝物が収蔵されていたかもしれない神の箱や建物全体までもが丸ごと焼かれてしまうという、厳しい神の裁きが定められていたことを、「かごめかごめ」の歌詞から読み取ることができます。それは、この歌の対象となる舞台が神宝とのつながりをもつ場所、すなわち国家のリーダーである天皇がお住まいの地である可能性も示唆しています。すなわち、「かごめかごめ」の舞台裏には、神の社と皇室の象徴となる神宝だけでなく、国家を統治する天皇の存在も見え隠れしているのです。

焼かれた荒地は神の裁きの結末か?

「かごめかごめ」の歌については、その歌詞に呪いのような怖い意味が含まれているのではないかと、昨今のメディアでも特集されています。単に内容が謎めいているだけでなく、実際には人を震撼させるような恐怖のストーリーがその背後にあるというのです。根拠はともあれ、「かごめかごめ」の歌詞には、何かしら恐ろしい内容が含まれていることに違いはありません。

剣山の鶴石を見上げる!
剣山の鶴石を見上げる!
ヘブライ語による「かごめかごめ」の中核となるメッセージは神宝です。その大切な神宝が高山とも想定される高い頂きから取りだされた直後、神宝が安置されていた収納箱や、神の社となる建物一帯が火によって焼かれてしまったことを、「かごめかごめ」は証しています。カゴメ印がイスラエルのダビデの星であることからして、この神宝の出所がイスラエルであり、その収納箱がイスラエルの契約の箱とは考えられないでしょうか。日本霊峰の中には四国剣山のように、古くからソロモンの秘宝、イスラエルの神宝がもたらされたという伝承が根強く残っている場所があります。よって「かごめかごめ」の舞台が剣山と想定してみることも大事でしょう。

いずれにしても、神の社と神宝の箱が焼かれるという背景には、その地域にて長年、不信仰な行いが蔓延し、神の怒りをかったことが原因ではないかと推測されます。神から裁きを受けて聖絶され、根絶やしになった町、村、都市の事例は、聖書にも数多く記載されています。最も有名な事例では、人々の淫行と罪のため、ソドムとゴモラが火で焼かれてしまった話があります。その他、不信仰の罪より、古代イスラエルにおいてもエルサレムの町に火が放たれ、国家が壊滅した歴史について多くの記録が残されているだけでなく、イスラエル周辺の国家でも、幾度となく不信仰な民は神の裁きにあい、滅ぼされたことが旧約聖書に記載されています。

同様の出来事が、「かごめかごめ」の背景に存在していたと考えられます。裁きの直前まで、人々が崇め祀った神宝は、山上国家の社に収蔵されていたと想定すると、話のつじつまが合います。古代のある日、裁きの時が定められ、神宝が持ち運ばれる命令が下ったのです。そして収蔵場所から取り出されて保護されるやいなや、その直後、「根絶やしにせよ!」という聖絶の命令が実行に移されたのです。そして神宝が置かれていた社を含む山頂一帯に火が付けられ、山上国家は丸ごと燃え尽きてしまうという一大事がおきました。それまで国家統治と権力のシンボルとして存在した山頂の聖地が、神の裁きを受けてもののみごとに消滅したことを、「かごめかごめ」は証していたのです。

「鶴と亀」とは無力な「お守りの岩」?

では、火による裁きの後に何が起きたのでしょうか。その出来事を、「夜明けの」に続く「晩に鶴と亀が滑った」という歌詞が物語っています。「ばんに」は、ヘブライ語で「造る」、「建てる」のבנה(banah、バナ) の語尾が変化したבנהתי(banahti、バナティ) であり、「造られた」を意味します。その発音が多少訛って「バンニ」となり、「かごめかごめ」の歌詞の中に用いられたようです。では、何が造られたのでしょうか。

その答えが「鶴と亀」です。「鶴」はヘブライ語のצור(tsur、ツ) であり、「岩」を意味します。イスラエル人にとって、「岩」は神と考えられていることから、「つ」は「岩なる神」を一文字で言い表しています。また、「亀」は「お守り」を意味するקמע(kamea、カメア) です。よって、「鶴」と「亀」を合わせると、「お守りの岩」となります。

このお守りとは原語の意味から察するに、大きな岩からなる建造物のようなものであり、巨石とも言える磐座のような存在ではなかったかと推測されます。すると、「ばんに・つると・かめ」、「晩に鶴と亀」とはヘブライ語で、「お守りの岩が造られた」と理解することができます。ところが、この「お守りの岩」が功を奏さなかったことが、次に綴られています。それが「すべった」という言葉です。

ヘブライ語で、「働きをやめた」、「ストライキ」は、שובתת(shovetet、ショーヴェッテ) と言います。これはイスラエルの民が古代から守り続けている安息日の綴りとも繋がる言葉です。せっかく造られた「お守りの岩」ですが、それが「ショーヴェッテ」、「スーベッテ」になったということは、お守りが機能せず、御利益がなくなったことを意味します。よって、「鶴と亀が滑った」とは、「お守りの岩は働きをやめ」、もしくは「お守りの岩は功を奏さず」、という意味に理解することができます。

「後ろの正面」が証する悲劇の結末

「かごめかごめ」の歌の中で一番不可解な歌詞が、「後ろの正面、だーれ?」です。誰もが知っている歌詞でありながら、日本語での理解が困難な言葉です。そのまま読むと、後部と正面とが相まみえた支離滅裂な表現であるようにしか考えられないことから、この歌詞の解釈については、これまでも様々な憶測が飛び交っています。鬼の真後ろに誰がいるかを言い当てるための遊戯の歌詞であるとか、現世と神の、世界の目には見えない通り道であることを示唆する、または、お寺の正面の後ろに葬られた人物を指すとか、あげくの果てには遊女の次の相手を意味するだの、その解釈は様々です。しかしながら、どれも納得のいく説明ではありません。

「後ろの正面、だーれ」も、ヘブライ語として読むことにより、その意味だけでなく、「かごめかごめ」全体の文脈と主旨をまとめて理解することができます。ここまでの歌詞を振り返ると、大切な箱に収納されていた「神宝」が取り出された直後、周辺一帯が焼かれたことが言及されていたことがわかります。そして、岩が切られて造られた「お守りの岩」も、山焼きとも思われる膨大な火の海に対しては無力であり、功を奏さなかったのです。それが「滑った」という言葉に集約されています。お守りの岩は「働きをやめ」、付近一帯は焼かれる運命にあったのです。

その後の成り行きが、最後の一文、「後ろの正面だーれ」に記されています。まず、「後ろの」の意味は、場所や物が「取り残される」、「見捨てられる」、「放置される」を意味するהושאר(hushar、フーシャー) が語源と考えられます。次に「正面」は、ヘブライ語でשומם(Shomem、ショーメム) と書き、人の住まない僻地や荒地を指します。「だーれ」は、דלק(dalak、ダラッ) というヘブライ語と理解できます。その語源は「燃料」を指す言葉であり、動詞になると「焼かれた」という意味になります。これらの言葉の流れに沿って考えると、「後ろの正面、だーれ」とは、ヘブライ語で「焼かれた荒地は見放された」という意味になります。

「晩に鶴と亀が滑った。後ろの正面、だーれ」という、一見日本語と思われていた言葉をヘブライ語で読むと、「お守りの岩も造られたが功を奏さず、焼かれた荒地は見捨てられた」、という意味になります。「かごめかごめ」の歌詞には、日本語では考えつかないような全く別の意味のヘブライ語が秘められていたのです。

ヘブライ語で読む「かごめかごめ」の意味

「かごめかごめ」の歌は、その歌詞を通して神の裁きの実態を詳細まで伝えていたのです。それは、神宝が秘蔵されていた場所から取り出された後、その地域を守るために造られた岩のお守りも功を奏さず、周辺一帯に火が付けられて、すべてが燃え尽きてしまうという悲劇のシナリオについての証でした。しかもその後、焼け野原はそのまま放置されてしまったのです。ヘブライ語で読む「かごめかごめ」の意味を集約すると、以下のとおりになります。

何を取り囲むのか?誰を囲んで守るのか?
封じて安置すべきものを取り出せ!
そして火をつけろ!燃やし尽くせ!社を根絶せよ!
造られたお守りの岩は功を奏することなく
焼かれた荒れ地は見捨てられた

三重の意味をもつ「かごめかごめ」の真相

救いの歌に様変わりする「かごめ」の不思議

これまで「かごめかごめ」の背景には、怖い過去や呪いが秘められていると、様々なメディアにて噂されてきました。ヘブライ語訳を読む限り、確かに火による裁きと、炎上後の荒廃に関する内容について記載されていることから、怖い印象を否めません。ところがヘブライ語で繰り返し読んでいる内に、その解釈には、同等の発音でもうひとつ、全く別の意味を持つ読み方があることがわかりました。一見、呪いの言葉で埋め尽くされたように見える「かごめかごめ」の歌ですが、ヘブライ語の読み方次第では、未来に繋がる救いの道を示す、希望の歌に様変わりします。

これまで、「晩に鶴と亀が」はヘブライ語で、「お守りの岩が造られた」という意味になることを解説してきました。よって、その後に続く「滑った」の意味が重要です。何故なら、その造られた「お守り」がどうなるかで、「かごめ」の歌全体の流れが変わってくるからです。つまり、「滑った」の解釈が「かごめかごめ」全体の意味を理解する要となります。

ヘブライ語で「すーべった」に類似する発音を持つ言葉には、「働きをやめる」を意味するשובתת(shovetet、ショーヴェッテ) の他に、「吸い出す」、「水を出す」を意味するשואבת(shoevet、ショーエヴェ) という言葉もあります。前者を前提に「晩に鶴と亀が滑った」を読むと前述のとおり、「造られたお守りの岩は功を奏することなく」、という悲観的な意味となります。ところが、「すべった」を後者の理解で読むならば、「お守りの岩」が一変して救いの道となる水際へと繋がり、希望の岩として聞こえてきます。それ故、「すーべった」の原語となるヘブライ語の意味を見極めることが重要です。

「すーべった」を、「水を引く」、「水を吸い出す」を意味する「ショーエヴェ」と解釈すると、「晩に鶴と亀が滑った」の意味が、「お守りの岩を造り、そこから水を引く」、「造られたお守りの岩から水が湧く」となります。これは、水源が豊かな場所にて、お守りとなる岩を切り、磐座を造ったとも理解することができます。つまり火で焼かれる山から離れた場所の水際で、「お守りの岩が造られた」とも解釈できるのです。すると「晩に鶴と亀が滑った」は、「お守りの岩が造られ水が湧く」、という意味となります。それは、新たに「お守りの岩」が水辺に造られ、その周辺には水が湧いていることを示唆しているようにも受け止められる言葉です。

神の裁きにより、社や集落などが火で焼かれてしまうことから、「かごめかごめ」の歌詞を通して「救いの道」が示されていたのでしょうか。その後に続く歌詞も、「焼かれた荒地は見捨てられた」という意味の悲劇的なシナリオではなく、正反対の意味を持つ言葉を用いて前向きに解釈することができます。つまり、「かごめかごめ」の歌詞は、ヘブライ語でも2とおりの読み方があり、悲劇の結末だけではなく、未来志向のメッセージとしても読むことができるのです。

まず、「うしろの」は、ヘブライ語で「コントロールされた」、「支配された」を意味するהושלט(hushlat、フシュラッ) と解します。すると「見捨てられた」を意味する「フーシャー」とは正反対の意味を持つ言葉でも理解することができることになります。「正面」は、前述のとおりשומם(Shomem、ショーメム) であり、「僻地」「荒地」の意味です。そして「だーれ」は、「表面まで上げる」、「掘り起こす」、「見つけ出す」を意味するדלה(Dalah、ダラー) とすれば、文章の意味が一変します。この「ダラー」という言葉は紀元前の聖書時代では、「井戸より水を引く」という意味がありました。よって、「だーれ」を水源に関する「水を引く」、「ダラー」と理解することにより、「後ろの正面、だーれ」が、「荒れ地を支配し、水を引く」という意味になるのです。

「うしろの」という歌詞には2とおりの解釈があるのと同様に、「だーれ」も全く別の意味に理解することができます。「焼かれた」を意味するdalak(ダラッ) だけでなく、もう一方では「水を引く」、dalah(ダラー) という意味でも理解できるのです。どちらもほぼ同じ発音を持つ言葉であることから、そのいずれかを選ぶことにより、紙一重で歌詞の意味合いが正反対に変わってしまうことがわかります。

「晩に鶴と亀が滑った、後ろの正面、だーれ」の意味は、ヘブライ語で「造られたお守りの岩から水が湧き、支配された荒地に水を引く」、と理解することもできたのです。それは、「お守りの岩」の水源が豊かであり、周辺の荒れ地を開拓して水を引くこともできる新天地の恵みを語り告げている言葉のように思えます。当初の解釈、「造られたお守りの岩は功を奏することなく、焼かれた荒れ地は見捨てられた」とは、まさに正反対の意味となります。

祝福と呪いが折り重なる不思議な歌詞

「かごめかごめ」は単なる呪いの歌ではなく、原語となるヘブライ語を選別することにより、全く違う祝福の歌としても理解できることがわかりました。その歌詞には二重の意味が込められており、救いの道を示す預言の言葉としても受け止めることができるのです。そこには、焼かれた後、水辺に造られたお守りの岩の恩恵により、周辺の荒地にも水が引かれるという、未来思考の言葉が含まれていたのです。

「後ろの正面だーれ」を前向きに解釈することにより、「かごめかごめ」の歌詞の意味が一変します。それは、火による恐ろしい裁きの言葉ではなく、救いの道を示す「お守りの岩」の存在と、豊かな水源に恵まれた新天地における新しい集落造りへの期待が込められたメッセージだったのです。「かごめかごめ」の歌詞は、救いの道を示す祝福の預言としても解釈することができます。その歌詞には、救いの道が残されていました。

何を取り囲むのか?誰を囲んで守るのか?
封じて安置すべきものを取り出せ!
そして火をつけろ、燃やせ、社を根絶せよ!
お守りの岩は水が湧き、荒地が支配され水を引く!

かごめかごめは三重の折句か?

「晩に鶴と亀が滑った、後ろの正面、だーれ」をヘブライ語で読む際、2つの全く異なる解釈に辿り着くことがわかりました。「造られたお守りの岩も被害を受け、焼かれた荒地は見捨てられた」という、神の裁きによる結末と受け止めることができるだけでなく、「お守りの岩は水が湧き、荒地が支配され水が引かれる!」という、未来志向の意味にも理解できるのです。

「かごめかごめ」の歌詞全体の流れから察するに、神宝が取り出された後に火がつけられた訳ですから、そこから逆戻りして「焼かれた荒地」の話に終始するよりも、取り出された神宝に関する次の展開が記されたとする未来志向の解釈の方が、より自然に読み取れるかもしれません。神宝が取り除かれた後、神の裁きにより山は焼かれてしまいますが、その怒りの火を癒す水が存在し、次世代への希望へと繋がることが、「かごめかごめ」のメッセージの中に残されているように考えられるのです。また、焼かれるというテーマに終始するよりも、火による裁きと水による清め、という前後のコントラストが目論まれたと想定できることも、未来志向に分がある理由です。さらには「うしろ」という日本語の発音は、どちらかというと「フシュラッ」、「支配する」という読み方に近いことから、未来志向の解釈も重要です。

いずれにしても「かごめかごめ」を、裁きと呪いの歌として読むか、裁きの後に救いの道が残されていると理解するかは、読む人の心持ちに左右されます。もしかすると、「かごめかごめ」の歌詞は当初から、ヘブライ語の折り句として、2とおりの意味を重ねていたのかもしません。そして、ヘブライ語では、どちらの意味にもとれるような読みでありながら、しかもその読みに重なる日本語の発音を持つ言葉までも考案された結果、三重の折句となって完成した可能性が見えてきました。

表立っては「かごめかごめ」は日本語のわらべうたとして伝承されてきました。しかしその水面下には、ヘブライ語でニ重の意味が含まれ、ヘブライ語と日本語を合わせて、三つ巴の意味が含まれていることになります。このとてつもない創作意欲とノウハウの結集があったからこそ、「かごめかごめ」の歌の意味は、謎に包まれてきたのです。

古代の真相を解き明かす霊歌

古代、日本ではいつの日も、神宝が大切に取り扱われていました。そのルーツには、イスラエルの契約の箱や、その中に収蔵されていた神宝が関わっていた可能性があることは、別章で解説しているとおりです。もしかすると、「かごめかごめ」の歌は、それらイスラエルの神宝とその行方についても、何かしらの関係があるのかもしれません。

巨石をご神体とする石尾神社の岩参道
巨石をご神体とする石尾神社の岩参道
もし、「かごめかごめ」の歌の背景に実在する舞台があったとするならば、四国の剣山周辺が筆頭候補に挙げられるでしょう。剣山の頂上そばには鶴石と亀石と呼ばれる2つの巨石が存在します。また、剣山周辺の奥祖谷界隈の集落では、古くからソロモンの秘宝に関わる伝承が残されています。古代では剣山へ登る途中、石尾神社で参拝をしたと語り継がれてきましたが、その神社の巨石直下には、「金の鶏」が埋蔵されているという言い伝えも残されています。さらに剣山周辺にはイスラエル系の渡来者が建立したと考えられる遺跡も存在し、周辺一帯は四国邪馬台国説の中心地でもあります。

剣山の鶴石と亀石から山々を見渡す
剣山の鶴石と亀石から山々を見渡す
もし、剣山が「かごめかごめ」の舞台とするならば、遠い昔、剣山周辺で栄えた巨大集落が存在したというシナリオが見えてきます。その集落は国家を統治するまでに勢力を伸ばしたものの、ある時、国家体制に異変が生じ、国が祀る大切な神宝を取り出す命令がくだされ、神宝の収蔵場所が遷されることになったと想定されます。直後、山上国家は崩壊し、周囲一帯には火がつけられ、跡形もなく焼かれてしまいます。その悲劇を「かごめかごめ」が伝えているとは考えられないでしょうか。今日、剣山周辺の山の頂には樹木が生い茂っていない理由のひとつに、古代の焼山事件が起因しているのかもしれません。

しかしながら、救いの道が残されていました。山から遠く離れた地、そして水が湧き出る岩場にてお守りとなる磐座が造られ、大切な神宝は、その新天地に遷されたのです。誰もいない荒地でしたが、そこは豊な水源に恵まれていたことから、地域一体が支配されて水が引かれて統治されたことを、「かごめかごめ」はヘブライ語で証していたのではないでしょうか。

世界が注目すべきユダヤの象徴である神の「契約の箱」の到達点が日本であるとするならば、神聖なる箱の上に飾られた金の鳥、ケルビムに絡んで「かごめかごめ」の歌詞が書かれたとするならば、私たちは知らぬうちにこの童謡を歌いながら、神宝の行く末について語り継いでいたことになります。誰もが知っている「かごめかごめ」は、古代日本の歴史の謎を解き明かすためのヒントを後世に残すために創作された、極めて重要な霊歌だったのです。

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コメント
  1. 長谷川博 より:

    天野橋立の北側にこの神社が有ります。
    漢字は籠神社と書きます。
    ここは元伊勢神社と言われています。
    ガゴの中な鳥は、籠神社の中にアークが有ると信じています。
    後ろの正面はユダヤです。

    日本人の原点、YAPを持った本来のユダヤ人で日本人でも有ります。

  2. 縄文火焔老人634 より:

    東南アジア諸国に「因幡の白兎。」、「ソロモン伝説。」が在りますので、
    是非、究明して戴きたい。

中島尚彦

中島 尚彦

南カリフォルニア大学、ペンシルベニア大学ウォートン校、フラー神学大学院卒。音楽系ネット通販会社サウンドハウスの創業者。古代史と日本古来の歌、日ユ同祖論の研究に取り組むとともに、全国の霊峰を登山し、古代遺跡や磐座の調査に本腰を入れている。

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