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2026/06/04

古事記と日本書紀は日本語なのか? 漢文と日本語の混合作から生まれた古代の傑作

日本書紀はなぜ漢文で書かれている?

「日本書紀」は奈良時代、720年に完成した日本最古の正史です。日本の歴史書と聞けば、多くの人は日本語で書かれていると思うでしょう。ところが実際には、ほぼ純粋な「漢文」で記されています。

当時の朝廷は中国文化を積極的に取り入れており、政治や外交の場では漢文が最も権威のある文章とされていました。その流れを受けて、天皇の命を受けて編纂された「日本書紀」は、中国の歴史書と同じような文体で書かれました。高度な漢字文化に通じた中国系の書記官、学者らの影響下において書き綴られた「日本書紀」の文章構成や表現方法は、中国古典の影響に倣っており、日本語特有の言い回しはほとんど見られません。つまり、日本で編纂された歴史書でありながら、その文章は中国古典に倣った本格的な漢文体によって書かれていたのです。

一般には日本語に近い漢文で書かれた歴史書と思われがちですが、「日本書紀」は当時のアジア大陸で普及していた漢文によって記された作品でした。そこに用いられている言葉の流れや修辞上の表現などは中国の古典的な漢文に倣っており、倭習とよばれる日本語化による漢文の誤用は最小限に留まっています。それらは、渡来者がもたらした中国の漢字文化によって、古代日本の文化が発展したことを証しているとも言えます。

古事記はなぜ読みにくい?=漢文と日本語の混合

日本最古の歴史書として知られる「古事記」は、712年に完成しています。「日本書紀」よりも8年早く成立しました。その中で用いられている表現は、「日本書紀」とは大きく異なります。

「古事記」も基本的には漢文で書かれています。しかしながら、実際にはその文体に、中国語として読む部分と、日本語的な要素を取り入れて読む部分が複雑に混在しています。つまり、音読みでしか理解できない表現と、訓読みすることによって理解できる箇所が混在しているのです。例えば、古代からの伝承と考えられる神話や歌謡、地名や人名などでは、漢字の意味を度外視して、一字一音表記の音読みを用いた事例が多く見られます。また、日本語化された漢文表現である倭習の傾向が、「日本書紀」よりも強く見られるのも特徴です。漢字本来の読みである音読みを基盤としながらも、日本語的な訓読みを交えながら、読み解くことが、古事記を理解する鍵となります。

これらが、「古事記」は中国語の書物でもなく、完全な日本語の書物でもないと言われてきた所以です。いわば、中国語の世界と日本語の世界の間で培われた文献と言えるでしょう。それゆえ、「古事記」は読みにくいことでも知られ、その内容を解読することを難しくしている最大の要因となっています。

「古事記」に見られる倭習の傾向とは?

古代の日本人にとって、中国語に倣って正しい漢文を書くことは、簡単なことではありませんでした。そこで現れたのが「倭習(わしゅう)」と呼ばれる特徴です。倭習とは、日本語の語順や表現方法が漢文の中に入り込んでしまう現象を指します。現代でも外国語を書く際に母語のクセが出ることがありますが、それと同じようなものであり、漢文の中に日本語らしい表現が現れる傾向を指します。

「日本書紀」ではこうした倭習は比較的少なく、中国古典に近い漢文が使われています。一方、「古事記」では倭習が多く見られ、日本語的な発想が文章の中に色濃く残されています。それゆえ、中国語と日本語、双方の視点から読み解いていく必要があります。

音読み・訓読みはどのように生まれたのか?

漢字はもともと中国語の文字です。しかし、日本人は漢字をそのまま使うだけではなく、自分たちの言葉に合わせて利用する工夫を重ねました。中国語本来の発音を取り入れたものが「音読み」です。一方、日本にもともと存在していた言葉を漢字に当てはめたものが「訓読み」です。例えば「山」という字は、中国語由来の音読みでは「サン」、日本語由来の訓読みでは「やま」と読みます。

「古事記」の序文で太安万侶は、「音だけで書けば文章が長くなり、意味で書けば気持ちが十分に伝わらない」と述べています。これは、漢字を日本語に適応させる難しさを示した言葉ともいえるでしょう。長い時間をかけて音読みと訓読みが併用されるようになり、やがて万葉仮名、さらに平仮名・片仮名へと発展していきました。こうした長い試行錯誤の積み重ねが、やがて万葉仮名を生み出し、さらに平仮名や片仮名の誕生へと繋がっていったのです。つまり、音読みと訓読みの併用こそが、日本独自の文字文化を生み出す原動力となったのです。

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