漢文で書かれた古文書の数々
日本の歴史書と聞けば、多くの人は日本語、もしくは日本語に近い漢文で書かれたものを思い浮かべるでしょう。ところが実際には、それらの多くは当時のアジア大陸で普及していた漢文によって記されたものでした。渡来者がもたらした中国の漢字文化と、古代日本の文字文化との深い関わりは、日本最古の正史として知られる「日本書紀」や「古事記」からも見て取ることができます。「日本書紀」が編纂された以前にも、聖徳太子の記したと伝えられる「天皇記」や「国記」などの史書が存在したことが記録されていますが、これらの書物はすでに失われ、その内容は明らかになっていません。
天皇の命を受けて編纂された「日本書紀」は、中国文化に通じた書記官や学者たちによってまとめられたと考えられています。当時の朝廷は中国文化を積極的に取り入れており、政治や外交の場では漢文が最も権威のある文章とされていました。その流れを受けて、「日本書紀」の文章は中国人が読んでも違和感を覚えないほど整った漢文で記されています。文章構成や修辞表現も中国の史書に倣っており、日本語的な影響による漢文の乱れは極めて少ないのが特徴です。
「日本書紀」は日本で編纂された書物でありながら、中国の歴史書と同様の本格的な漢文体によって記された作品として高く評価されています。それは、渡来者がもたらした中国の漢字文化が古代日本の文化の発展に大きく寄与したことを証しています。
漢文と日本語が交わる「古事記」
「日本書紀」より8年早い712年に献上された「古事記」は、日本最古の歴史書として知られています。どちらも貴重な正史ですが、その文章表現の方法が、「日本書紀」とは大きく異なるのです。「古事記」も基本的には漢文で記されていますが、日本語の表現を積極的に取り入れているため、中国語と日本語が複雑に融合した独特の文体となっています。つまり、音読みによって理解する部分と、訓読みによって理解する部分が混在しているのです。
「古事記」は漢文の表記法を取り入れながらも、日本語を記録するためのさまざまな工夫が施された文献です。例えば、古代から伝えられてきた神話や歌謡、地名や人名など、漢文だけでは表現しにくい内容については、漢字本来の意味を離れ、一字一音の表音文字として漢字を用いた例が多く見られます。
例えば、「八雲立つ」からはじまる有名な歌がありますが、古事記では、「夜久毛多都」と書かれています。一方、日本書紀では同じ歌を、「八雲立」と記載しています。よって、「日本書紀」の方が漢字の意味を捉えながら中国人にも読める漢文に近い形になっています。それゆえ、「古事記」を正しく理解するためには、音読みと訓読みの双方を意識しながら読み解くことが重要となります。
これが、「古事記」が中国語の書物でもなく、完全な日本語の書物でもないと評される理由です。その独特な文体ゆえに、「古事記」は読解が難しい文献としても知られています。しかし同時に「古事記」は、中国語の世界と日本語の世界が交わる過程で生み出された文献であり、漢字文化が日本語へ適応していく歴史を示す貴重な資料とも考えられています。そして音だけを利用した表記の試みは、後の万葉仮名へと発展し、日本独自の仮名文字誕生への重要な一歩となりました。
「古事記」に見られる倭習の傾向とは?
古代の日本人にとって、中国語の文法に則った正確な漢文を書くことは決して容易ではありませんでした。そこで見られるようになったのが「倭習(わしゅう)」と呼ばれるものです。倭習とは、日本語の語順や表現が漢文の中に反映されたり、混入したりする現象を指します。現代でも外国語を用いて文章を書く際に母語の影響が出ることがありますが、それと同様に、漢文の中に日本語特有の表現が表れる傾向を意味します。
「古事記」や「日本書紀」にも倭習は見られますが、その程度には違いがあります。「日本書紀」では、倭習の数は比較的少なく、中国古典に近い整った漢文が使われています。一方、「古事記」では倭習の傾向がより顕著であり、日本語の語感や表現を反映した記述が多く見られます。そこには、漢文の表記法を用いながらも、日本語の内容やニュアンスを忠実に伝えようとする意図が随所に見受けられます。
音読み・訓読みはどのように生まれたのか?
漢字はもともと中国語を表記するために作られた文字でした。そのため、日本に伝来した当初は中国語本来の発音に近い形で読まれていたと考えられます。これが後に、「音読み」と呼ばれる読み方の基礎となりました。そして日本人は漢字をそのまま使うだけではなく、自分たちの言葉として活用するための工夫を重ねました。
一方、日本にもともと存在していた言葉を漢字に当てはめて読んだものが、「訓読み」です。つまり漢字の持つ意味に日本語の言葉を対応させて読む方法です。例えば「山」という字は、中国語由来の音読みでは「サン」、日本語由来の訓読みでは「やま」と読みます。
「古事記」の編纂者である太安万侶は序文の中で、訓によって表現すれば「詞不逮心(ことば、こころにおよばず)」となり、音によって記せば「事趣更長(ことのこころ、さらに長し)」になると述べています。これは、「意味で表せば気持ちが十分に伝わらず、音だけで記せば文章が長くなる」という意味です。この言葉は、日本語の内容を漢字だけで正確に表現することの難しさを示したものとして知られており、当時の人々が日本語を書き記す方法を模索していたことを伝えています。
日本独自の文字体系の成立
「古事記」は、漢字文化が日本語の中に取り入れられ、日本独自の文字体系へと発展していく過程を伝える貴重な資料です。そして音読みと訓読みの併用が、日本独自の文字文化を生み出す原動力となったのです。
長い年月をかけて音読みと訓読みが併用される中、やがて日本の文字体系は、日本語を本格的に書こうとする思いから万葉仮名へと発展します。そして複雑すぎる漢字体系を簡略化するため、平仮名や片仮名が生み出されたと考えられます。これらは漢字本来の音読みを受け継ぎながら、日本語に合わせた訓読みを発達させていった結果であり、日本語に適した文字体系が長い試行錯誤の積み重ねにより誕生した歴史の流れを象徴しています。
「古事記」と「日本書紀」は、日本の歴史を伝える書物であるだけでなく、日本語と漢字文化が出会い、融合しながら、日本独自の文字文化が形成されていく過程を今に伝える貴重な文化遺産でもあるのです。


