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2012/05/18

神楽歌と「出エジプト記」の不思議な関係

およそ3200年前、エジプトで奴隷となっていたイスラエルの民は、指導者モーセによってカナンの地へと導かれました。広大な荒野をさまよい歩く民の先頭には、常に神の雲が出現したことが旧約聖書に記されています。「神の雲」は導きの象徴であり、その「動く」雲を見上げながら、群集は荒野を旅しました。この奇跡的なイスラエルの「出エジプト記」が、天岩戸神話と神楽歌に関連しています。

神楽歌の一句である「八雲立つ 出雲」(ヤツメサスイツモ)は、「八」が神を意味することから、「神の雲が出現する」と理解できます。そして「出雲」はヘブライ語で「先頭」を意味することから、群集の最先端を神が導く姿が「出雲」と表現されたのでしょう。そしていつしか、民が導かれた約束の新天地も、「出雲」の国と呼ばれるようになったのです。

「八重垣 妻籠めに 八重垣作る その八重垣を」も、同様に2重の言語で読むことができます。まず「八重垣」ですが、ヘブライ語で「ヤエ」は神であり、「ガキ」は、「立ち上がる」のgaah、ガ(gaah、ガ)に、「壁」を意味するkir、キー(kir、キー)を合わせた言葉の組み合わせです。それ故「ヤエガキ」は、「神が立てられた壁(垣根)」の意味となり、「八重垣」という漢字が当てられたのでしょう。「ガキ」にはヘブライ語で、もうひとつの意味があります。vahi、ヴァヒ(vahi、ヴァヒ)という「そして嘆いた」という意味のヘブライ語がありますが、実際の発音は、「ガキ」とも聞こえます。エルサレムの城壁が今日でも「嘆きの壁」と言われているように、「神の壁」は、「嘆きの壁」でもあります。そのニュアンスを理解することにより、文脈の流れが見えてきます。

「妻籠めに」は、「のどが乾く」という意味のtzama、ツァマ(tzama、ツァマ)に、「救いの」を意味するgoel、ゴェル(goel、ゴェル)という形容詞、そして「働き」の意味を持つmeni、メニ(meni、メニ)をリンクした言葉です。発音は「ツァマゴェルメニ」となり、日本語の「妻籠めに」に等しく、「救いの恵みに飢え乾く」の意味となります。これこそ、救いを切望する祈りの言葉です。

その祈りの理由が、次の「八重垣作る」という句に秘められています。「作る」は、「岩」のtsur、ツォ(tsur、ツォ)と、「砂の」を意味するkhol、コル(khol、コル)というヘブライ語から、「砂の岩」を意味します。発音も「ツォコル」となり、「作る」と酷似しています。また、「コル」には、神をないがしろにする「世俗的な」というニュアンスが含まれ、「岩」は神を象徴する言葉であることから、神が不在の乱れた現世を「ツォコル」と表現したのでしょう。実際、荒野を旅したイスラエルの民は、事あるたびに神を忘れ去り、神が禁じられた偶像礼拝の道に走ったため、神の嘆きと怒りをかってしまったのです。それゆえ、ヘブライ語で「いばら」を意味するsene、セネ(sene、セネ)という言葉が、後に続く「その八重垣を」に使われ、神が不在のいばらの世を嘆くことを表現したのでしょう。

「八雲立つ 出雲 八重垣 妻籠めに八重垣作る その八重垣を」は、元来ヘブライ語で書かれ、その発音に合わせて日本語があてられ、天岩戸神話に繋がる神楽歌となりました。言語の意味は、「神が現われ、民の先頭を行く。壁が立てられ、救いの恵みに飢え乾き、乱れた世を嘆く。いばらの世は嘆かわしい」 神楽歌は、旧約聖書のテーマにも繋がる、ヘブライ語と日本語を見事にブレンドして創作された、不思議な古代文学といえます。

コメント
  1. サステナブル より:

    「あらかねの土にしては、すさのおのみことよりぞ起こりける。」(古今和歌集仮名序)
    あらかねとは通常、土の枕詞であり、この文章は、
    「(和歌はこの日本の)地においては須佐之男命の時から詠まれはじめた。」
    となる。
    しかし、出雲国風土記で意宇郡安来郷の地名由来には「スサノオノ命が、ここに来て、こころが安らかになった。だから安来とつけた。」あり定住を決めた発言とも読める。
    記紀においてはヤマタノオロチを倒した後、稲田姫命をめとり「八雲立つ出雲八重垣妻篭めに、八重垣つくるその八重垣を」と日本最初の和歌を出雲で詠んで定住を開始したという。
     古代より、鉄の産した島根県の安来の地のことを「あらかねのつち」=(新しい金(鋼)を産する地)と訳せばあらゆることに説明がつくのである。

  2. 小林智恵子 より:

    とても面白く、心躍る思いです。遥か彼方の人類の旅を紐解く旅を少しづつ読み解きますね、ありがとうございますm(_ _)m

  3. マルテンサイト より:

    最近はChatGPTや生成AI等で人工知能の普及がアルゴリズム革命の衝撃といってブームとなっていますよね。ニュートンやアインシュタインの理論駆動型を打ち壊して、データ駆動型の世界を切り開いているという。当然ながらこのアルゴリズムにんげんの考えることを模擬するのだがら、当然哲学にも影響を与えるし、中国の文化大革命のようなイデオロギーにも影響を及ぼす。さらにはこの人工知能にはブラックボックス問題という数学的に分解してもなぜそうなったのか分からないという問題が存在している。そんな中、単純な問題であれば分解できるとした「材料物理数学再武装」というものが以前より脚光を浴びてきた。これは非線形関数の造形方法とはどういうことかという問題を大局的にとらえ、たとえば経済学で主張されている国富論の神の見えざる手というものが2つの関数の結合を行う行為で、関数接合論と呼ばれ、それの高次的状態がニューラルネットワークをはじめとするAI研究の最前線につながっているとするものだ。この関数接合論は経営学ではKPI競合モデルとも呼ばれ、様々な分野へその思想が波及してきている。この新たな哲学の胎動は「哲学」だけあってあらゆるものの根本を揺さぶり始めている。なにかとても懐かしい多神教的ものたちが。

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