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2013/09/12

岬のレイラインから見出された古代の祭祀場

足摺岬灯台

日本列島の中心的な指標である淡路島と、列島最高峰の富士山、そしてイスラエルのエルサレム宮殿の場所と同緯度に存在する中甑島のヒラバイ山、3か所を結ぶレイラインからは多くの聖地がピンポイントで見出され、古代の渡来者は、それら聖地をベースに集落の拠点を築いていったことでしょう。そして次の拠点を列島内にくまなく特定する為、レイラインを結ぶ指標としていち早く用いられたのが岬です。標高の高い山と同様に、岬の存在は古代、舟で海を渡ってくる民にとって重要な道しるべとなり、最もわかりやすい指標の1つでした。

伊雑宮は岬のレイラインが交差する聖地

九州の最南端、今日の鹿児島県には佐多岬があります。南西諸島から島々を渡り、北上してくる民にとって、佐多岬は最も明確な船旅の指標であったに違いありません。その佐多岬と最高峰の富士山を結ぶレイラインが存在します。この線が大変重要な意味を持つことは、そのレイライン上に並ぶ伊雑宮と熊野本宮大社という著名な神社の存在からも、理解することができます。では、どのようにして伊雑宮の場所が、佐多岬のレイライン上に見出されたのでしょうか。レイラインの性質から、複数のレイラインが交差する地点は、それらレイライン上に並ぶ拠点の地の力に紐付けられると考えられることから、もう1つのレイラインの存在を確認することが大事です。それが、四国最南端、北緯32度43分にある足摺岬と、室戸岬を結ぶ足摺岬のレイラインです。

南西方向から黒潮の流れに沿って舟で北上してくる旅人にとって、四国土佐湾の東西に見えてくる足摺岬と室戸岬は遠方からも確認できる絶好の指標であり、これほどわかりやすい目印はなかったことでしょう。その足摺岬のレイラインは、東方に向けて日高郡みなべ町の鹿島神社を越え、紀伊半島の熊野灘から、今日の志摩市の北、伊雑ノ浦と呼ばれる大きな入江の奥にぶつかります。そして的矢湾に入り、伊雑ノ浦の西から川を2km程、北上した周辺にて、佐多岬のレイラインと交差します。ちょうどそこには、天照大神の遙宮(とおのみや)と呼ばれる伊雑宮が在り、その近隣には古代、紀伊半島に上陸する地点として重要視された港があったと考えられます。

皇大神宮別宮の伊雑宮
皇大神宮別宮の伊雑宮
伊勢神宮の奥の宮とも呼ばれる伊雑宮は歴史が古く、伊勢神宮の紋である六芒星が最初に発祥した地とも言われています。この伊雑宮の名前の語源は、イスラエルから渡来した預言者、イザヤであると考えられ、それ故、宮の名前も「イザヤの宮」が訛って「イゾウの宮」になった可能性があります。その入江の奥に佇む伊雑宮こそ、紀伊半島の聖地として伊勢神宮の前身となった神の宮でもあります。伊雑宮の場所は、佐多岬と富士山の頂上を結ぶ線上でもあるだけに、列島最高峰の力をダイレクトに吸収するべく、創立当初から重要な祭祀場の1つとして名乗りをあげたことでしょう。

その後、伊雑宮に相対する西の端の拠点として、伊雑ノ浦と同様に波も穏やかな入江で、気候にも恵まれた対馬の中央、仁位に、和多都美神社が造営されました。どちらも北緯34度23分に位置し、和多都美神社も伊雑宮同様に入江の奥に佇む美しい宮です。こうして淡路島の神籬石を基点として、そこを通る同緯度の線と並んで東西を結ぶ線上に拠点が確定しました。そして東の端には伊雑宮が、そして西の端には和多都美神社が建立され、どちらも歴史に名を残す名所となったのです。

足摺岬と同緯度に並ぶ高千穂神社

足摺岬のレイラインは、伊雑宮の場所を特定するために用いられただけでなく、その西方に新たなる聖地を見出すための指標としても重要視されました。足摺岬を西方向に同緯度上を進むと、そこには高千穂神社があります。その場所は足摺岬の先端と同緯度であるだけでなく、淡路島の神籬石を通るレイラインと交差する場所でもありました。神籬石の北東には、夏至の日が出る方向に諏訪大社前宮が在ります。そのレイラインに沿って、淡路島の神籬石から冬至の日の入りの方向となる南西方向29度28分の方角を指す線が、高千穂神社を通り抜け、足摺岬と同緯度のレイラインと交差します。その場所が、高千穂神社の聖地です。

更にもう1つのレイラインが高千穂神社の場所を特定する手がかりとなりました。それが石鎚山のレイラインです。石鎚山は西日本の最高峰として標高1982mを誇り、剣山と共に修験道の霊山として古代より崇拝されてきた場所です。その石鎚山と、中甑島のヒラバイ山を結ぶレイラインと、足摺岬のレイラインが交差する場所が、高千穂神社です。つまり高千穂神社は、淡路島の神籬石と直結するだけでなく、足摺岬のレイラインを通じて伊雑宮、更にはそこから富士山とも紐づけることができ、更には石鎚山とも直結するという、極めて重要な地理的条件を兼ね備えていたのです。だからこそ、古代より偉大なる聖地として多くの人々から愛されてきたことは、言うまでもありません。

高千穂神社の南側を700mほど歩くと、そこには美しい高千穂峡の大自然が繰り広げられます。その美しい光景は誰もが絶句するほどであり、聖地と呼ばれるにふさわしい荘厳さを兼ね備えた場所です。そして高千穂神社の近隣には、同じレイライン上に天岩戸神社も建立され、こうして、これらの聖地が神籬石と結び付けられたのです。

鹿島と伊雑宮を結ぶ足摺岬のレイライン

足摺岬のレイラインを北東にむけて延長すると、その線は本州の太平洋岸にある鹿島神宮、及び、その南に隣接する鹿島港の周辺を通り抜けます。鹿島は既にヒラバイ山と富士山という聖地に紐付けられた場所であり、しかもその西方には諏訪大社も存在するという本州東岸の一大拠点です。その鹿島に、伊雑宮と高千穂神社を結ぶ足摺岬のレイラインが直結していたのです。それ故、伊雑宮や高千穂神社と同様に、鹿島神宮も聖地化されたことは言うまでもなく、レイラインによって結び付けられた相互関係の重要性を知ることができます。

岬のレイライン -聖地をピンポイントで特定-
岬のレイライン -聖地をピンポイントで特定-
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