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2014/08/05

古代日本のレイライン総合図

古代日本のレイライン総合図
古代日本のレイライン総合図
コメント
  1. 高瀬 裕 より:

     伊能忠敬よりも前に日本地図を著した長久保赤水を知りました。
     伊能忠敬は長久保赤水の地図を参考に測量したようです。
     ふと思ったのですが、日本全国に網羅されたレイラインを元に、地図作製は可能なのか、気になってしまいました。

  2. 中島 より:

    江戸時代、日本地図を最初に手掛け、功績を残した作者は森幸安ではないでしょうか。森は世界中から地図を収集し、それらを書き写しながら日本の地勢を見極め、それらをベースに日本地図の土台を作り、そこに経線や緯度線を記して「日本分野図」と呼ばれる日本列島の地図を作成しました。森幸安がどこまで自ら日本列島内の拠点を実測して、その緯度経度を確認したかは確認できていませんが、レイラインの交差点を特定するのと同じように、特定した場所の緯度と経度を確かめることにより、地図上の拠点をピンポイントで定めるというプロセスを踏まれていたのではないでしょうか。

    森幸安が公表した「日本分野図」をベースに、水戸藩に仕えた長久保赤水は、「日本輿地路程全図」を作成したと言われています。一般的には「日本輿地路程全図」が緯度経度線が含まれたはじめての日本地図と言われていますが、実際には「日本分野図」のデータを参考にした結果と言えます。

    いずれにしても、緯度線、経度線を見極めることは地図の作成において最重要課題であるだけでなく、レイラインの手法においても、同緯度線、同経度線に存在する拠点は重要な目印となることから、考え方には類似点が多々あると考えられます。

  3. 高瀬 裕 より:

     ありがとうございます。
     もうひとつレイラインについて質問なのですが、レイラインには同緯度線、同経度線、二至線はわかるのですが、他にはどのようなものがあるのでしょうか。
     名称も含め、意味や重要度などについて、教えていただければと思います。

  4. 中島 より:

    レイラインの目的は、天体を観察しながら地勢を見極め、何等かの目的をもった拠点を、ターゲットとする地域内に見出すことにあると考えられます。それらの目的には、神を祀る神社のような聖地を建立したり、新しい集落や町、港を造成したりすることが含まれます。

    古代の渡来者による第一陣が船で列島まで到達した場合、どこに港を造るでしょうか。どこでもいいから、ランディングしてしまえ、というような考えは毛頭なかったはずです。長い年月をかけてやっと到来した未来の聖地です。それだけに、慎重に船を停泊する海岸沿いの場所を厳選したことでしょう。そんな時、レイラインの発想が用いられたと思います。例えば、岬どうしの先端を結ぶ先、その直線上に船をつければ、次回もその場所が特定できます。結果として、レイライン上の拠点は、海岸沿いでも、たとえ山奥でも、その場所が見つけやすくなるのです。

    それ故、ご指摘のように同緯度線、同経度線上にあるということは、きわめて重要であり、その目的地がとても探しやすいことに変わりありません。また、古代では、太陽崇拝のように日の出を大事に考えていたこともあり、特に夏至の日の出につながる線は、最重要視されました。

    しかし岬や山という地の指標だけ頼っていては、列島内のすみずみに至るまで、新しい拠点を見出すことはできなかったはずです。そのため、レイラインの考え方を踏襲するならば、山頂や岬などの大自然が有する指標を結ぶレイライン上に見出された古代聖地が、次のレイラインを構成する指標と位置づけられ、新しい聖地を見出すために用いられたと考えられます。よって、古代の聖地同志を紐づけて結ぶ線も大切であり、結果として、あらゆる角度、方角にレイラインが引かれ、それらが交差する地点に次の指標となる聖地を見出されることになります。こうして段々と指標となる場所が増加したと想定されます。

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