伊雑宮は岬のレイラインが交差する聖地
日本列島の中心的な指標である淡路島と、列島最高峰の富士山、そしてイスラエルのエルサレム宮殿の場所と同緯度に存在する中甑島のヒラバイ山。この3か所を結ぶレイライン上には、多くの聖地がピンポイントで見出されます。古代の渡来者は、それら聖地を拠点として集落を築いていったことでしょう。そして次の拠点を列島内にくまなく特定するため、レイラインを結ぶ新たな指標としていち早く用いられたのが岬です。標高の高い山と同様に、岬の存在は古代、船で海を渡ってくる民にとって重要な道しるべとなり、最もわかりやすい指標のひとつでした。
九州の最南端、今日の鹿児島県には佐多岬があります。南西諸島から島々を渡りながら北上する民にとって、佐多岬は最も明確な航海の目印であったに違いありません。その佐多岬と最高峰の富士山を結ぶレイラインが大変重要な意味を持つことは、そのレイライン上に並ぶ伊雑宮と熊野本宮大社という著名な神社からも、理解することができます。では、どのようにして伊雑宮の地が、佐多岬のレイライン上に見出されたのでしょうか。複数のレイラインが交差する地点は、それらレイライン上に並ぶ拠点の地の力に紐付けられると考えられることから、もうひとつのレイラインの存在を確認することが大事です。それが、四国最南端の足摺岬と室戸岬を結ぶレイラインです。
南西方向から黒潮の流れに乗って北上する航海者にとって、四国土佐湾の東西に位置する足摺岬と室戸岬は遠方からも確認できる格好の目印であり、これほどわかりやすい指標はなかったことでしょう。その足摺岬のレイラインは、東方に向けて日高郡みなべ町の鹿島神社を越え、紀伊半島の熊野灘から、今日の志摩市の北部に広がる伊雑ノ浦と呼ばれる大きな入江の奥に達します。そして的矢湾に入り、伊雑ノ浦の西から川を2kmほど北上した地点で、佐多岬のレイラインと交差します。ちょうどそこには、天照大神の遙宮(とおのみや)と呼ばれる伊雑宮があり、その近隣には古代、紀伊半島に上陸する地点として重要視された港が存在し、この地が古くから交通と祭祀の拠点として重視されていたと考えられます。
伊勢神宮の奥の宮とも呼ばれる伊雑宮は歴史が古く、伊勢神宮の紋である六芒星が発祥した地とも言われています。この伊雑宮の名称は、イスラエルから渡来した預言者イザヤに由来すると考えられ、「イザヤの宮」が転じて「イゾウの宮」になった可能性があります。その入江の奥に佇む伊雑宮こそ、紀伊半島を代表する聖地として、後の伊勢神宮の前身となった神の宮であったと考えられます。さらに伊雑宮は、佐多岬と富士山の頂上を結ぶ線上に位置することから、日本列島最高峰である富士山の力を直接受ける聖地として、創建当初から重要な祭祀場のひとつとして名乗りをあげたことでしょう。
その後、伊雑宮に相対する西の端の拠点として、伊雑ノ浦と同様に波も穏やかな入江で、気候にも恵まれた対馬の中央部の仁位に和多都美神社が造営されました。どちらも北緯34度23分に位置し、和多都美神社も伊雑宮と同様に入江の奥に佇む美しい宮です。こうして淡路島の神籬石を基点として、そこを通る同緯度の線と並んで東西を結ぶ線上に拠点が確定しました。そして東の端には伊雑宮が、西の端には和多都美神社が建立され、ともに歴史に名を刻む聖地となったのです。
足摺岬と同緯度に並ぶ高千穂神社
足摺岬のレイラインは、伊雑宮の位置を特定するために用いられただけでなく、その西方に新たな聖地を見出すための指標としても重要視されました。足摺岬を西方向に同緯度上を進むと、そこには高千穂神社があります。この神社は足摺岬の先端と同緯度であるだけでなく、淡路島の神籬石を通るレイラインと交差する地点でもありました。神籬石の北東には、夏至の日が出る方向に諏訪大社前宮があります。そのレイラインを基準に、淡路島の神籬石から冬至の日の入りの方向となる南西方向29度28分の方角を指す線が、高千穂神社を通り抜け、足摺岬と同緯度のレイラインと交差します。その場所が、高千穂神社の聖地です。
さらにもうひとつのレイラインが高千穂神社の位置を特定する手がかりとなりました。それが石鎚山のレイラインです。石鎚山は西日本の最高峰として標高1982mを誇り、剣山とともに修験道の霊山として古代より崇拝されてきた場所です。その石鎚山と、中甑島のヒラバイ山を結ぶレイラインと、足摺岬のレイラインが交差する地点が、高千穂神社です。つまり高千穂神社は、淡路島の神籬石と直結するだけでなく、足摺岬のレイラインを通じて伊雑宮、そこから富士山とも紐付けることができ、さらには石鎚山とも結びつくという、極めて重要な地理的条件を備えていたのです。だからこそ、高千穂神社は古代より偉大なる聖地として多くの人々の崇敬を集めてきたことでしょう。
高千穂神社の南側を700mほど歩くと、そこには高千穂峡の大自然が繰り広げられます。その美しい光景は誰もが絶句するほどであり、聖地と呼ばれるに相応しい荘厳な雰囲気を漂わせています。そして高千穂神社の近隣には、同じレイライン上に天岩戸神社も鎮座しています。このように、これらの聖地が神籬石を基点とするレイラインによって結び付けられていたのです。
鹿島と伊雑宮を結ぶ足摺岬のレイライン
足摺岬のレイラインを北東にむけて延長すると、その線は本州の太平洋岸にある鹿島神宮、及びその南に隣接する鹿島港の周辺を通り抜けます。鹿島はすでにヒラバイ山と富士山という聖地に紐付けられた場所であり、しかもその西方には諏訪大社も存在するという本州東岸の一大拠点です。その鹿島に、伊雑宮と高千穂神社を結ぶ足摺岬のレイラインが直結していたのです。それゆえ、伊雑宮や高千穂神社と同様に、鹿島神宮も聖地化されたことは言うまでもなく、レイラインによって結び付けられた相互関係が古代に重要視されていたことが窺えます。






高千穂峡の見事な大自然
天岩戸神社裏 天安河原・仰慕窟