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2014/11/07

籠神社が元伊勢の吉佐宮に選定された理由をレイラインから解明

真名井神社 本殿

吉佐宮(真名井神社、籠神社)のレイライン

「匏宮大神宮」と刻まれた石柱が立つ境内入口
「匏宮大神宮」と刻まれた石柱が立つ境内入口
元伊勢の地を御巡幸された際に、遷座された神宝のひとつは草薙剣でした。不思議な力を持つ比類なき神剣として知られ、その扱いには細心の注意が払われたことでしょう。それ故、遷座地を特定するにあたり、剣に結び付く古代の聖地を特定し、それらとレイライン上で紐付けることは大事でした。神宝に関わる由緒を誇る古代の神社としては、八咫鏡については日前神宮、神剣については鹿島神宮、出雲大社(八雲山)、諏訪大社、石上神宮などが名を連ねます。そして、これらの神社にレイライン上で結び付く北方の遷座地が探し求められた結果、日本海に面する宮津湾の名勝、天の橋立の近郊にある籠神社と、その奥宮である真名井神社の周辺が、吉佐宮の場所として特定されたと考えられるのです。

丹後には吉佐宮の伝承が残されている場所が点在しています。しかし、「止由気宮儀式帳」には、「丹波国比治の真名井に坐す我が御饌都神」と記され、真名井神社の入口には「匏宮大神宮」と刻まれた石柱があります。真名井神社の周辺は古代から真名井原と呼ばれ、神社の南方からは真名井から湧き出た水が川となり、天の橋立に向かって流れ出ています。その天の橋立周辺では、「伊勢に参らば元伊勢詣れ、元伊勢お伊勢の故郷じゃ」と、古くから謡い継がれ、神社の裏方には古代の磐座や弥生古墳が存在することからしても、真名井神社を奥宮とする籠神社周辺の真名井原が吉佐宮の地であると考えて間違いないでしょう。

真名井神社内にある「天の真名井の水」
真名井神社内にある「天の真名井の水」
では、三輪山から130km以上も離れた日本海沿岸の真名井神社、籠神社の場所が、どのようにして見出されたのでしょうか。レイラインを地図上で検証することにより、その手法が見えてきます。まず、神宝の遷座地を探し求めるにあたり、レイラインの基点が八咫鏡の由緒に富む日前神宮に定められたと推測されます。三輪山からおよそ70km離れている日前神宮は、宗像大社の沖津宮(沖ノ島)、及び諭鶴羽山とほぼ同緯度にあり、神宝のレイラインと呼ばれるに相応しいきれいなレイラインを構成しています。諭鶴羽山は熊野神が石鎚山から熊野の神倉山へ渡られる途中に登られた山であることから、日前神宮は熊野とも結び付いていることになります。さらに日前神宮を通り抜けるレイラインの中には、富士山と剣山、高千穂という重要な聖地を結ぶ線も存在します。列島最高峰と剣山、天孫降臨の由緒深い高千穂、そして沖津宮と熊野など、多くの由緒ある聖地に繋がる位置付けを持つ日前神宮が、古代社会において重要視されたことは、言うまでもありません。

その日前神宮の地の力を継承するため、真北にあたる日本海側に、北の拠点を設けることが目論まれたのではないでしょうか。その線上に吉佐宮が見出されることになります。そのためには、線上の緯度を決めなければなりません。そこで、神剣の由緒を持つ諏訪大社と、大陸への西の玄関である海神神社を結ぶレイラインが選定され、日前神宮の南北線と交差する場所に、吉佐宮が造られたと考えられるのです。真名井神社の本殿
真名井神社の本殿
ちょうどそこは天橋立にあたり、隣接する海辺が真名井原と呼ばれる場所でした。そこに建立されたのが真名井神社であり、籠神社の奥宮としてその存在を知らしめるようになります。
  何故、遠く北に離れた真名井神社、籠神社が遷座の地として選ばれたのでしょうか。前述したとおり、四神相応に基づき、三輪山の北方を守る日本海沿岸の拠点として、真名井原の地が定められたことに違いはないでしょう。しかしながら、レイラインの繋がりを検証すると、背景には更に深い意味が込められていた可能性が見えてきます。まず、レイラインの基点となった日前神宮に絡むレイラインに三輪山と高千穂を結ぶ線も含まれ、その中間に剣山が存在することに注目です。これは吉佐宮、すなわち真名井原の地が元伊勢の原点となる三輪山や、天孫降臨の地である高千穂だけでなく、四国の聖山として名高い剣山が新たに大切な指標としてレイラインの考察に加えられたことを意味しています。神宝の遷座という重大な神事に関わるレイラインの構成だけに、これらレイライン上に見出される聖地には、何かしら大切なメッセージが秘められていたと考えられます。

籠神社本殿
籠神社本殿
その剣山と伊弉諾尊が葬られた古代の聖地、淡路島の伊弉諾神宮を結んで北東方向に線を引くと、日前神宮を通る南北のレイラインと、ちょうど摩耶山で交差した後、六甲山を通り抜けます。また、三輪山と出雲の八雲山を結ぶレイラインは、檜原神社だけでなく、同じく摩耶山を通り抜けています。つまり、日前神宮を基点として定められた真名井神社と籠神社の背景には剣山だけでなく、それらレイラインの隠れた中心点となる摩耶山も存在し、三輪山と八雲山、そして剣山などの聖山を紐付けていたのです。

摩耶山を中心とするレイラインには、日前神宮や籠神社だけでなく、神宝と関わる聖地である三輪山をはじめ、八雲山(出雲)、諏訪大社、伊弉諾神宮、剣山、高千穂などの由緒ある聖地が名を連ねます。極めて重要な聖地に結び付く複数のレイラインが交差する中心点にあるだけに、元伊勢の御巡幸にあたり、神宝の行方を決める大切な指標として摩耶山の存在は極めて重要視されたに違いありません。当初、笠縫邑に滞在した期間が33年という長期間に及んだのは、摩耶山を基点とする新しい神宝の秘蔵場所について、検討が重ねられていたと考えられます。摩耶山を通過するレイラインは、その後の神宝の行方を占う上で、大切なヒントを演出しているのです。

天橋立から見る宮津湾の夕暮れ
天橋立から見る宮津湾の夕暮れ
吉佐宮のレイライン上には、真名井神社(籠神社)が新たなるクロスポイントとして歴史に姿を現しただけでなく、そこを通り抜けるレイラインの南方には摩耶山だけでなく、同一線上に絡む聖山として、新たに剣山が視野に入ってきたのです。これらレイラインの実態から察するに、元伊勢の場所が厳選された背景には摩耶山と剣山という2つの重要な聖山が存在し、それらが神宝に何かしら絡むようになった可能性を見出すことができます。その大切なメッセージを証するために、三輪山の北方に真名井神社が建立されたのではないでしょうか。レイラインが交差する摩耶山の存在は極めて重要であり、そのレイラインに直結する剣山こそ、人の手が届かない神宝の秘蔵場所として厳選された聖地であった可能性が浮上してきました。そして、その後の元伊勢御巡幸の流れは、剣山の重要性を決定づけることとなります。古代のレイラインは、暗黙のうちに神宝の行方を語りかけているように思えてなりません。

吉佐宮のレイライン
吉佐宮のレイライン
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